タイトル『飛べ!南陽航空株式会社

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第四章 飛翔

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■運航許可
 
 就航に向けての準備は大詰めに入っていた。気づけば最初に由紀が弘樹に出会ってから既に二年以上の月日が流れていた。いつの間にか年齢も三十代に入ってしまい、同世代の友人の間では結婚や出産の話もポツポツ出てきている。弘樹も三十代後半に突入し、本郷は頭に白いものが目立ち始めている。渡辺は当初の出向から完全に転籍し、拠点も横浜に移した。
 オフィスで経済紙の取材に応えるために過去の資料に目を通していた由紀は、改めて積み重ねてきた苦労に思いを馳せた。
 感傷に浸っていた由紀を、スマホの着信音が現実に引き戻した。ディスプレイには本郷の名前が表示されている。
「はい、相内です。」
 電話口から、本郷の落ち着いた声が聞こえてきた。
「おめでとう。検査に合格したよ。」
「本当ですか? あ、痛っ。」
 由紀は興奮の余り急に立ち上がり、強かにデスクに膝をぶつけてしまった。
「大丈夫かい?すごい音がしたけど。」
「は、はい。痛いけど大丈夫です。弘樹には?」
「まだだ。君から伝えてあげなよ。確か今は商工会に打ち合わせに行っているはずだ。」
「分かりました。ありがとうございます。」
 由紀は電話を切ると、すぐに弘樹を呼び出した。
「すぐ行く。」
 弘樹も興奮を抑えきれない口調で、商工会の打ち合わせもそこそこに普段は使わないタクシーを奮発してオフィスに向かった。
 
 弘樹がオフィスの扉を開けると、由紀と渡辺が興奮した面持ちで椅子にも座らずにウロウロしていた。藤田さんも間も無く到着するという。皆で、認可の書類を持って航空局のから帰ってくる本郷を待った。顔を見合わせると自然と笑みが溢れてくるが、かと言って何を話していいのか分からずにもじもじしている。知らない人から見たら奇妙な光景だっただろう。
 十分ほどで藤田さんが駆けつけ、それからさらに十分ほど経つと待ちに待っていた本郷が書類の入った封筒を抱えて帰ってきた。
「おめでとう。」
 本郷は電話口でも言った言葉を再び繰り返した。普段は冷静な本郷も、口調は穏やかでもさすがに少し上気しているのが表情からも伺える。
「ありがとう、ございます。皆さんの、おかげです。」
 由紀がくしゃくしゃの顔で泣きながら話し出した。
「でも、でも、これからが本番です。今はやっと、ようやく、スタートラインに立てた状態です。」
「なんとか準備資金ももったわね。就航日を決めて、すぐにプレスリリースと販売開始の準備をなさい。あと社長は、取材が来るから早くお化粧直して着替えてきなさい。あなたが文字通り会社の顔なんだから。」
 藤田さんも興奮はしていたが、さすがに年の功で的確に指示を出す。
 就航日は認可の取得から一ヵ月後を目処に計画していたので、準備は本当の大詰めである。この間に、空港との調整、パイロットや客室員のスケジュール作成、地上スタッフのシフト作成、販売サイトへの運賃とスケジュールの入力およびテストなど、やらなければならないことは山ほどある。だが明確なゴールが定まったことでブレることなく皆が走り出した。



■飛翔

 横浜の空は晴れ上がっていた。梅雨明けの晴れ渡った陽気の中、整備士たちが駐機場で飛行前の最後の点検を行なっている。
 機内は満席だった。商工会や島の関係者を除いて売り出した航空券は、即日完売だった。この先二週間ほどはその状態が続く。もっとも、初めは物珍しさがあるので、本当に大切なのは一ヵ月後、一年後もこの状態が維持できるかどうかだ。
 チェックインでは一般客の受け入れが初めてということもあり多少まごついたが、元々乗客数がさほど多いわけでは無いのでなんとか想定の時間内に収めることができた。島へ輸送する宅配荷物などの積み込みも完了している。
 一番機の機長はマティアスが務める。コパイは大沢だ。客室担当は三好で、搭載物のチェックに余念がない。
 エプロンはロープで仕切られ、赤い布で装飾された小さな演台が置かれている。先程まで就航のセレモニーを実施していた場所だ。ロープの内側には、カメラを抱えた報道陣の姿が多く見える。その更に外周には、航空ファンと思しき人だかりがあった。どこも興奮で騒ついている。準備が終わると特にすることも無くなってしまった弘樹は、手持ち無沙汰にその脇を歩いた。報道陣の真ん中では、認可取得のためにいろいろ尽力してくれた松永議員の姿が見える。簡単なインタビューを受けているようだ。松永は弘樹の姿に気づくと、にっこりと微笑んだ。彼の力が無ければ、認可にはこの数倍は苦労しただろうと思うと感謝してもしきれない。
 ざわめきから少し距離をとりたくて、弘樹は仕切りのロープを潜った。その先は許可を受けた関係者しか入れないので、人が集まってくることは無い。そのまま、報道陣とは機体を挟んで反対側にある格納庫の建屋に向かった。
 建屋の重たい金属製の扉は今は大きく開かれているが、陽が高い時間に差し掛かっているので中にまでは明かりが届かない。陽の当たるコンクリートの部分は日光が反射して真っ白に輝いているが、その明るさに目が慣れてしまうと中は逆に真っ暗に感じてしまう。その境界線の白と黒を見つめていると、これまでの浮き沈みを象徴しているかのようで感傷的な気持ちになる。弘樹はその境界線を見ながら、敢えて少し暑さも感じる外側を歩いて扉の反対側に向かった。
 ふと顔を上げると、扉の内側の片隅に人影が見えた気がした。しばらく暗闇に目を慣らすと、徐々にその姿がはっきりしてくる。由紀だった。
 由紀も弘樹に気づくと、挨拶するように軽く右手を上げた。弘樹が近づいて言った。
「こんなところにいたんだ。」
「ええ。たぶんあなたも同じ気持ちだからこっちに来たんでしょ。あっちにいたらいろいろ話しかけられて、ゆっくり見ていることも出来なさそうだし。」
「そうだね。ちょっとキザかもしれないけど、初便は静かに感傷に浸りながら見ていたい。藤田さんは?」
「家の縁側から見るって。数十年も昔の思い出に浸りながら。」
「そうか。そうだね。それが藤田さんにとってのこの会社だもんね。」
「渡辺さんも飛行前点検が終わったらここに来ると思う。本郷さんは残念ながら運航管理で管制室から離れられないけど。」

 点検を終えた渡辺は、由紀が待っていると言った格納庫に向かって歩きかけた。だか、数歩進んだところで格納庫の隅に由紀が弘樹と並んで立っているのを見て歩みを止めた。
(邪魔しちゃ悪いかな)
 渡辺は踵を返すと、管制室に寄る用事ができたと由紀にメッセージを送り、本郷の方に向かった。

 由紀と弘樹は、格納庫の扉の脇に並んで立ったままだった。影の中にいるので、飛行艇を挟んで反対側にいる報道陣からは見えていないだろう。
 弘樹は時計を見た。間も無く離陸の時刻だ。エンジンの音が高まり、プロペラが風を切る。エプロンに立つ係員がフラッグを上げた。ブレーキを解除した機体がゆっくりと動き出し、スロープを下って着水する。そのまま速度を上げる。
 弘樹は再び時計を見た。時間通りだ。その下ろした手が、由紀の手に触れた。由紀はその手を握り締めた。弘樹も強く握り返す。

 機体はふわりと海上から根岸の上空に飛び上がった。そしてみるみる高度を上げ、だんだん小さな点になってゆく。陽光を浴びて、その機体が一際明るく輝き、やがて見えなくなった。見守る関係者たちから大きな拍手が起こった。
 長かったこれまでの時間を思い起こすと、二人は自然と目が潤んできた。拍手が、鳴り止むまで、二人はぎゅっと手を握ったまま南の空を見つめていた。


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