コミュ力お化けな元相棒兵士の奔放なる逃亡劇

清田いい鳥

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10 魔導具店の店主2

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「あれ、起きちゃったの。困ったなあ、怖い魔術は使わないでね。ご覧の通り僕は無力な平民風情なんだからさ」

 胸の頂点を指で撫でられ鳥肌が立ち、息が止まった。身体が思うように動かない。しまった。これがよく言う飲みすぎた、というやつか。

「ま、まじゅつは、つかいませ……、から……、どいてくらさ……っ」
「いやだよ。そんなもったいない。君が現れたときから、ずーっとこのときを楽しみにしてたんだから」

 何が彼の琴線に触れたのだろう。私はリストとは違う。あいつのようにいつも笑顔で明るく、あっという間に人の懐に入れるような人間じゃない。愛想が悪いし、喋りは下手だ。リストに繋いでもらわねば、未だ他に話す者もいなかったであろう、どうしようもない奴なのだ。自分で言ってて情けないが。

「本当に綺麗だ。この髪。僕は色が淡すぎるけど、君の色はちょうどいい。理想的だ。月明かりに照らされて鈍色に輝いているよ。美しいシルバーグレイだ。手入れをすればもっと綺麗な虹色に輝くだろうね」
「うわ……! やめ、やめろ、さわんな…!!」

「…ねえ、知ってるでしょ。僕に魔術を使って怪我をさせてしまえばさあ、きっと凄く面倒なことになるってこと。このことを証明出来ればいいんだろうけど、あいつはそういう奴じゃないって証明してくれる人は君にいるかな?」

 私は一瞬深く考え込んでしまった。リストならきっと庇ってくれる。でも他の者はどうだろうか。交流が持てていたというのは幻想で、本当はどうでもいい存在なんじゃなかろうか。その辺は何もかも自信がない。

「そうそう。いい子にできるじゃないか。乗船券欲しいんでしょう? 金庫に入れてあるからさ、奪うのは魔術師でも難しいよ」
「らんでこんな…いつから、こんなころかんがえれた、あんら、いったい、ろうゆうつもりれ…」

「え? いつからって、最初っからだよ。でもまさか、君がリストくんを追ってくるとは思わなかったな。でもそれで会えたんだから僕にとっては都合が良かった。彼は随分誉めてたよ、君のこと。僕は君の髪はどんな風なんだろうって、そればっかり考えてたけど。ああ、本当に美しいね…!」

 店主はさも楽しそうに、私の髪に何度も指を突っ込んで、手櫛をかけて感触を楽しんでいた。私は指先の感触が地肌から伝わるたびに、なんとも言えないゾワゾワとした不快感が走り抜け、歯を食いしばり必死でそれに耐えていた。

 きっちり灰色で統一された店内とこの自室。拘りをもって整えられた。完璧に。執拗に。まるで他の色を際立たせるように見せかけて実のところ、彼の執着はその色だけにあったらしい。神経質を通り越した執着心に他ならない。

「あんら、おかし……、くるってる」
「そう言われてもね。困ったなあ、なんて言えばいいだろう。…まあ一言で言うと、これがとても好みなんだよ」

 彼の手が私の下半身を、妖しい手つきで探り始めた。既に殆ど脱がされている。酒で熱をもった状態では、そのことに気づくのが随分と遅れてしまった。

 酔った頭で、必死になって使えそうな呪文を思い出した。幾度となく試したが、酒で麻痺した口はなかなか回ってくれない。行き場を失った魔力と、魔力残滓があざ笑うように宙を舞う。

 有資格者であろうが、制御が上手かろうが、頭を溶かされてしまえば凡人以下だ。魔術師は魔術を封じられれば、肉体的には弱者が多い。魔術を使って戦えるような、二物を与えられた者は稀だ。

 焦る気持ちが最高潮を迎えたとき、がぶりと唇を食われた。口の中を舌で蹂躙され、息が詰まる、苦しい、と思った瞬間、急激に魔力を大量消費したときと似たような、気持ちの悪い感覚に襲われた。

「うっ…!! ぐっ、はあっ、ちょ、ちょっと何これ、うえ、なんか気持ち悪っ…………!!」
「こっちらって、きもちわる…なんら、これ…………」

 私は何が起こったのか訳がわからず、その場にばったり伏してしまった彼を眺めることしかできなかった。息を切らしてしばらくの間そんな時を過ごしていたが、疲れと酔いと、きわめつけに魔力の切れかけの症状に襲われて、気絶するように眠ってしまった。



 ──────



「…………うっ!! いっ……いった、頭いた、痛い……!!」
「あ──……、おはよ……。昨日はごめんね……」

 明るい、と思って目を覚ましたら今度は酷い頭痛に襲われた。これが俗に言う二日酔い。しまった、昨日何杯飲んだのか記憶がない。しかし勝手に私を抱きしめながら隣に寝ているこの強姦未遂野郎のことはよく覚えている。この野郎、どうしてやろうか。と思っても今は何もできない。頭が痛い。

 この変態野郎が突然変調したのは、おそらく魔力の質が劇的に合わなかったのが原因だろう。治療院でもごくごく稀に起こるという現象だ。すぐに治してほしくても、施術者と患者の魔力が合わなさすぎて、他の治療魔術師への紹介状を渡されるあのパターン。

「おい、離れろ。気持ち悪い」
「えー、ひどーい。リストくんは君のこと、大人しくって、上品で、優しくて、すっごい魔術が上手なかっこいい子だって言ってたのに。そんなこと言うのお」

 彼はだるそうに起き上がり、嘘か本当かわからない台詞を部屋の壁に響かせながら退出し、甘い果実水を持ってきた。グッとあおるとリモラの爽やかな香りが鼻を抜けた。酒で散々脱水した、渇いた身体に染みてゆく。

「今日一日、それを飲んで寝てれば治るよ。僕はもう大丈夫だからお店をそろそろ開けるけど、もう襲わないから安心してゆっくりしてきな。食事は出してあげるから、何か食べられそうだったら食べてね」

 突然興味を失ったようにそう言って、彼は階下に向かって行った。…いや、今確かに髪の方に目線が向いていた。どれだけこの色に執着心があるんだあいつは。おかしな奴だ。そしてリストの好みがいよいよもってわからない。そういうことが出来るなら、どんな奴でもいいのかあいつは。



 残り少ない魔術薬を一気に飲んで、用意された果実水を更に飲み、横になっていたらだんだんと回復してきた。身支度をして階下に降りると、ちょうど店じまいをしていた店主と鉢合った。

「随分顔色が良くなったね。じゃ、ご飯食べに行こっか。お酒ナシで」
「…………いい。宿を取るから。世話になった」

「いっぱいだってば。そんなに疑うなら聞きに行く?」

 ……本当に満室だった。遠い目をしている私をクスクスと笑いながら見てくる店主とそのまま食事に出かけた。まあ仕方ない。それにちょうど良かった。出立前にひとつ、彼に聞きたいことができたのだ。



「灰色に拘る理由? うーん、深く考えたことがなかったなあ。多分、色がきついものをずっと見てると目がチカチカするからかも。あの色が僕にとっては一番安心……そうだね、これだ。安心感。死んじゃった両親の髪の色でもあるしさ」

 ポロッと何でもないような言い方で話された内容に少々動揺した。そうか、こいつはこの若さで天涯孤独になったのか。

 もう孤児院に入る年ではない。かといって、落ち着くにはまだ早い。ひとりで店を切り盛りし、潰さないように維持し続ける。そんな彼の心の安寧を引き受けていたのが、あの色への拘りだったのかもしれない。人生経験がまだ深いとは到底言えない私には、特殊すぎてまるで気がつかなかったが。

「いつからかなあ。覚えてないや。小さい頃から色がごちゃごちゃしてるのは苦手だったけど、今のようではなかったよ。やっぱり親がいなくなってからかもなあ。街中で君みたいな髪の人がいるとどうしても目で追っちゃうんだ。家に持って帰りたくなる。……ねえ、ずっとここに居て、って言ったらやっぱり怒る?」
「……怒りはしないが、お断りだ」

「じゃあ、こんな哀れな男にひとつだけ情けを頂戴、魔術師さま。帰ったら髪に触らせて。それだけでいい。絶対に変なことはしない。ほんとそれだけ。どうかお願い」
「…………わかった」

『君は聞いたとおりに優しいんだね』と言って彼は微笑んだ。ほんの少し泣いているような顔をして。



 彼は約束をきっちり守った。風呂上がりの私の髪を魔道具で乾かしながら、何度も梳いて眺めていた。時々少し伸びた髪を掬い、三つ編みを作って遊びながら。

 随分と長い時間そうしていたので、彼は先にうつらと船を漕ぎ始めた。もういいから寝ろ、と言ったが言うことを聞こうとしない様子がなんだか無性に可哀想になり、少し考えたあと一緒に横になってやることにした。

 彼は軽く私の髪を握りながら、あっという間に眠ってしまった。後ろから気持ちよさそうな寝息が聞こえる。そっと振り返って見てみると、もう一方の手を口に当てて幼子のような寝顔をしていた。

 本当に約束を守り、安心したように眠る彼を見ていると、期待に応えてやれない罪悪感と庇護欲のようなものが芽生えかけた。でも、できない。私は彼に何もしてやれない。ここにはずっと居られない。



 意に添わないことをされるかも、と緊張していた気持ちが緩み、近くで聞こえる彼の寝息を聞いているうちに、私もそのまま寝入ってしまった。

 妙なこともあったもんだ。人生は上手くいかない、と今まで何度も思ってきたが、上には上が必ずいる。でも皆、表向きは何でもないように振る舞うものだ。本当のところは聞いてみないとわからない。

 リストも彼の生い立ちを聞いただろうか。あいつは優しい。きっと彼に同情する。絡みつく魔力跡を見るたびに大小苛立ちを覚えていたが、ここに来て初めてリストの気持ちや行動原理がわかった気がした。



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