ディラン・ヴァイパー

歩く魚

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 青年は金髪を獅子のように逆立たせて全速力で走っていた。
 ウィンドモアの街の人々は、総じてフォルモンド家にあまり良い印象を持っていなかったが、それでもギルドでの悪行を知るところではなく、普段通りの一日を過ごそうとしている。
 だからこそ、温厚なセルゲイが焦燥感を全身で表現していることに驚き、声をかける人もいたが、彼はその全てが耳に入っていなかった。
 立ち止まって見上げたいほどの、雲ひとつない晴天も無視して、風の叫びさえも無視して走っていた。
 青年は過去を思い出していた。



 セルゲイがまだ幼く、冒険者としてではなく未来の確定していない子供として育てられている頃。
 代替わりによる改築によって、ギルドの内装もまだ――といってもほとんど変わりはないが――多少の目新しさが残っていた頃、同じく幼いオリビアが父のボンフォルトにこう言った。

「ねぇねぇ、わたしもしょうらい、けっこんするのかな?」

 その言葉にギルド内の空気は途端に凍りつき、ヒリヒリとした雰囲気になる。
 すでに同じ時期を過ごしたことのある者は過去を思い出し、子のいない面々であっても、先のことを想像して眉を動かした。

「ど、どうしてそんなことを聞くんだい? かわいいオリビアよ」

 優しく問いかけたのはボンフォルト。
 歩くたびに街の地盤に影響がありそうな力強さはそのままに、まだ毛根が彼についていくことを諦めていなかった。

「だって、パパはママがいるから、こわいマモノともたたかえるんでしょ?」
「そりゃあそうだ。ママを――そしてオリビアを悪いやつらから守るためにパパは戦うんだよ」
「わたしもいつか、パパみたいなボウケンシャになりたい。つよいボウケンシャでいるには、けっこんしたほうがいいのよね?」

 ボンフォルトのみならず、他の冒険者も笑みを浮かべた。

「それは違うんだよ、オリビア。確かに守りたいものがある人は強いけど、無理して作る必要はないんだ」
「そうなの?」
「あぁ。守りたいものっていうのは自然にできるし、たとえ結婚しなくても、家族じゃなくても大切な人はいるだろう?」
「うん。わたしはパパのおともだちもすきよ。ドリンおじちゃんも、グレイグおじいちゃんも――」
「俺もドリンとそう変わらない年齢だけどな」
「マスターも、エマちゃんも、セルゲイくんも、みんなすきだよ!」

 ことの成り行きを見守っていたセルゲイは、自分が頭数に入れられていることにこれ以上ない喜びを感じていた。
 ウィンドモアで生を受けておらずとも、会話に加わらずとも、彼女の日常でいれることに誇らしさを感じていた。

「エマもけっこんしたい!」
「ははは、エマもそんなことを言う年になったんだな。……でもまだちょっと待ってくれると嬉しいな? あと二百年くらいは――」
「ながすぎ! エマはねー、おっきいくにのおうじさまとけっこんするんだぁー!」

 そこからは少女二人の将来計画……というか理想が飛び交うことになるのだが、最初は笑って流していた男たちも、娘やそれに準ずる幼子との別れを想像して、だんだんと険しい顔つきになっていった。

「ちょ、ちょっとドリンおじさんが良いことを教えてあげようかな」

 引き攣った顔で少女たちの話に加わったドリンは、真剣な面持ちで話し始める。

「実は……王子様との結婚はいいことばかりじゃないんだよ」
「そうなの? だって、つぎのおうじさまは、つぎのおうさまになれるんだよ?」
「王子様もいろいろ大変なことがあるんだよ。もしかしたら悪い人たちが襲ってくるかもしれないんだ。最近もそういう話があってね――」
「え、そうなのか?」

 少女の夢に水をさすような話だったが、それが逆に男たちの興味をそそった。

「まぁ、俺も人から聞いた話で本当かわからないんだが、十年くらい前に北にある国で革命が起きたらしい」

 ドリンによると、北の国の若い王子は、平民の出の女性と婚姻したらしい。
 元々その国の政治は粗暴であり、王子の祖父の代が特に顕著だったが、次の王である父が制度の見直しなどを行い、一応の支持は得られていた。
 だが、国民のために身を粉にしてきた父は、まだまだこれからという時に亡くなってしまい、その王座を継ぐことになったのが若い王子だった。
 彼は聡明で将来を有望視する声も多かったが、唯一の彼の計算違いが「身分の違う女を選んでしまった」こと。
 それによって、祖父の時のような暴政を恐れた一部の国民によって革命が起こされ、王子と妻は国を追われることになる。
 彼らは国を出た後も報復防止に刺客を差し向けられ、それが原因か、妻は早くに亡くなってしまったそうだ。
 故郷に加えて妻を亡くした王子もまた、髪が心労で退色し、顔には深い皺が刻まれていった。
 自分を貶めた人々への抵抗だろうか。王子は最後まで刺客を返り討ちにし続けたが――。

「――いつの日か王子の消息の一切が途絶え、刺客たちは任務の遂行を報告したんだとさ」

 無駄に熱のこもったドリンの語りが終わると、少女たちは寂しそうな表情を浮かべ、男たちは不憫な王子の人生に同情していた。
 しかし、セルゲイは違った。
 王子は気高く戦ったのだと、妻がいなくなったとしても、きっと守るもののために戦ったのだろうと思った。
 その日から彼は、実在するかも不確かな「王子」に憧れるようになったのだ。

 ・

「そうだ。これは避けられないことなんだよ」

 どんなに徳を積んだ聖人でも、これほどまでにまばゆい光を放つことは不可能だろう。
 白い。星を編んだかのような髪をなびかせながら彼女は呟いた。
 表情から彼女の心を読むことは難しかったが、うっすらと潤んだ瞳に、少しだけ震える声に胸が張り裂けそうになる。

「――あぁ、私たちはここで別れる運命なんだ。馬鹿だな。運命なんて自分の手でどうにでもなると言った私が、こんなことを言うなんて」

 その言葉が本心でないと理解している。
 だから、手を伸ばそうとした。
 彼女を抱きしめて、このままどこへでも逃げてしまおうと思った。
 自分の力だけでは不可能かもしれないが、2人で力を合わせれば、きっと誰だって――あの男からだって逃げられる。
 しかし、この手が彼女をつかむ寸前、その姿が掻き消える。
 次の瞬間、赤黒い血に染まった自らの掌を見つめていた。

 あぁ、これは夢だ。幾度となく見てきた夢だ。
 幸せで、悲しく、心地よく、戻らないあの日の夢。
 理解してしまえばあとは目覚めるだけだ。
 もう少し待っていてほしい、君に会うのはまだ……。

 ――目を開けると、そこには巨大な竜が眠っていた。

 ・

 日が少し傾き始めた頃、セルゲイはコロッセオに到着した。
 彼はハイペースで走り続けていたが、長い歴史があり、同じだけの人々を包み込んできた街を通り抜けるのは容易ではなかった。
 もう少しすれば、空は完全にオレンジ色に染められるだろう。
 ディランはまだ無事だろうか。またしても自分の無力さを噛み締める結果になるのかもしれない。
 今にも落ちてきそうな空を、コロッセオが支えている。
 コロッセオ――円形闘技場。かつてのウィンドモアでは、剣闘士たちが様々な魔物と戦いを繰り広げていた。
 それは闘士の勇猛さを示すものであり、人間が魔族に負けないという決意を示すものであり、誇りだった。
 大理石で形作られた巨大な円形は世界から独立しているようで、人々はここにいる間、性別や職業を超えて熱狂に一体化する。
 柱に彫られた精細な模様が、ところどころ崩れた壁が、コロッセオの歴史を物語っているようだ。
 ようやく息を整えたセルゲイが、戦闘に警戒しながらゆっくりと闘技場に近付いていく。

(嫌に静かだ……)

 闘技場は静寂に包まれていても、かつての戦士たちの痕跡や熱狂の熱を残している。石畳の欠けた様子が、滞留している生ぬるい風がそう感じさせた。
 にも関わらず、今だけは何も受け取れない。
 最初からこの世界には人間も魔族も存在せず、ただ無人の闘技場だけがあったのだと、完全無欠のコロッセオが風化しているのは、ひとえに自然の作用によるのみだと勘違いしてしまいそうになる。
 セルゲイは身震いした。やはり、自分は遅かったのではないか。
 途端に臓腑が恐怖に支配されて、セルゲイは歩いていられなくなった。先ほどの決意に満ちた疾走とは真逆の、おぼつかない足取り。

 ――その時、闘技場の内部から巨大な炎が炸裂した。

 破裂音が空気を揺らし、動揺したセルゲイは足をもつれさせ、地面に手をつく。
 外からでは何が起きているのかわからない。
 だが、とてつもない存在が、途方もなく強力な生物が獲物を殺そうとしたのは確かだ。

「ディ――――」

 ディランさん。そう叫ぼうとしたが、言葉が出てこない。
 恐怖に言葉が、勇気が、決意が引っ込んでしまう。
 再びセルゲイが立ち上がることができたのは、それから数十秒後のことだった。
 二度目の炸裂音が彼の意識を逃避から現実へと引き戻した。
 だが、セルゲイはまだ、自分が夢の中にでもいるような気分のままだった。なぜなら、闘技場から一人の人間が出てきたからだ。

「――ディランさんッ!」

 無意識で走り出していたセルゲイは、コロッセオから悠然と歩いてきた男――ディランへと一目散へ向かった。
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