距離を置きたい女子たちを助けてしまった結果、正体バレして迫られる

歩く魚

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顔面全チーク

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 蛇口から流れるぬるい水を手のひらに溜める。
 とどめておけずに溢れ出すそれを無心で見つめていると、胸の底からため息が込み上げてくるのを感じた。

「はぁ……」

 昼食を胃に流し込んだ私は、同じく食べ終えた悟くんを置いてお手洗いに来ていた。
 何を頼んだか、食べたのか覚えていない。
 
 本当は一秒でも長く彼と一緒にいたかった。
 少しでもたくさん彼を見ていたかった。
 
 でも、もう限界だった。
 これでも抑えた方だ。私は本当に頑張った。
 デートが始まってまだ二時間ほどしか経っていないのに、私は映画を観ているような気分で今日を思い返す。

『用もなにも、この子は俺の彼女なんだけど』

 なんなのもう、最初からカッコ良すぎるんですけど!?
 悟くんの凛々しい表情。
 その目が私を守るために細められていると思うと胸が苦しくなった。
 なんの役にも立たない渋谷のゴキブリにも、今日だけは感謝しなければならない。
 
『――東堂先輩、こんな服も着こなせるなんて凄いですね。めちゃくちゃ似合ってます』

 褒め言葉も完璧。
 きっと、私がどう言われたら喜ぶのか選んでくれたのだ。
 エステも美容院も何もかもが報われた気分。

『……“涼ちゃん”でいいですか?』
『それで――涼ちゃんは?』

 極め付けはこれだ。
 頭がおかしくなる。というかおかしくなった。
 血液が沸騰したかのように熱くなり、表情をコントロールできなくなる。

 たとえば撮影の時なんかは「東堂さん」ではなく「涼ちゃん」と呼ばれることがほとんどだ。
 名前で呼ばれること自体に耐性がないわけではない。
 悟くんの口から放たれるから、ここまでの威力を発揮している。

(こ、こんなの続けてたら私……おかしくなっちゃう)

 表面を取り繕うことはできるようになるかもしれないけど、内側で慣れる想像ができない。
 どこかのタイミングで心臓が麻痺して死んでしまうかも。
 好きな人から名前を呼ばれるというのは、そのくらい幸せなこと。私は知らなかった。
 
 むしろ、悟くんにハグしてもらった葉音はどうして生きていられるのか。
 本当は死んでしまっていて、よく見たら足元が透けているんじゃないのか。
 疑問は尽きなかったが考えるのはここまでにしなければ。

(……頑張るのよ私。今日の私は悟くんをリードするお姉さんなの。彼の記憶に残るんでしょう? このままだと……美しい思い出じゃなくて不審者として記憶されてしまうわよ!)

 そんなの最悪すぎる。
 最悪すぎるから頑張らないといけない。
 どうにかして心を落ち着かせて、悟くんの言葉にも反応しないようにして、大人の余裕を堪能してもらう。

(ライブも撮影もこなしてきたじゃない。私ならできるわ)

 鏡に映った自分の顔を見る。
 ……よし。かなり回復してる。
 これなら悟くんの前に出れる。
 
 最後に一度だけ深呼吸をして、お手洗いの扉を開ける。
 何食わぬ顔顔で悟くんの待つ席へと戻ると、彼は笑顔を浮かべた。

「あ、おかえり涼ちゃん」
「~~~~ッッ!」

 みるみるうちに自分の顔が赤くなっていると感覚で理解する。
 しかし、私にもプライドというものはあるのだ。お手洗いには戻れない。
 色は変えられないが精一杯の澄まし顔で席に座る。

「なんか涼ちゃん……顔赤くない?」
「これは顔面全チークよ」
「顔面全チーク!?」

 意味がわからないが押し通すしかない。

「そうなの。最近韓国で流行ってるコスメで、顔全体に塗るものなの」
「夏休み後の小学生男子みたいになってるけど、韓国ではそれが流行ってるのか……?」

 彼の言葉で、自分がどのくらい赤くなっているのかを理解してしまい、一瞬心が折れかけた。

「あと数分もすれば肌色に戻るのよ。そして、顔の温度変化を読み取って最適な部分だけが赤く色づくの」
「そんな便利なものが……」
「さ、悟は甘いのよ! 今の時代これくらい当たり前なんだから、しっかりアンテナを張っておきなさい!」
「なるほど……勉強になるよ」

 違う、違うの悟くん! 私が悪いだけだから気にしないで!
 全身全霊で謝りたかったが無理だ。
 
 しかし、誤魔化しの甲斐あってチークの効果も出てきたようだ。
 これでお姉さんらしく振る舞うことができる。
 私は悟くんにお手洗いの確認をして、首を横に振るのを見て提案する。

「それじゃあ次に行きましょうか。何をするか、もちろん覚えてるわよね?」
「服を見にいくんだよな。センス良い涼ちゃんに選んでもらえるなんて嬉しいよ」
「そ、そうでしょう? 葉音をビックリさせましょうね」

 耐えた……なんとか耐えられた。

「じゃあ、お会計を……」

 そう言ってテーブルの上にある伝票を確認しようとするが、なぜか見つからない。
 風で落ちてしまったのかもと思い下を見ても、どこにもない。
 すると、私の様子で意図を察した悟くんが、恥ずかしそうに言った。

「お会計ならもう済ませたよ。その……涼ちゃんに良いところ見せようと思って」
「――――」

 結局、私がお手洗いから出れたのは十分後だった。
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