【二章開始】『事務員はいらない』と実家からも騎士団からも追放された書記は『命名』で生み出した最強家族とのんびり暮らしたい

斑目 ごたく

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第二章 王国動乱

宰相

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「そう、私にはその値打ちがないというのね。トム・エマスン」

 王都クイーンズガーデン、その王城たる黒百合城の奥深く自らの執務室でリリーナはそう呟くと手にした手紙を握り潰していた。

「・・・戦況の方はどうなっていますか?」

 その手紙を持ってきた者だろうか、文官風の見た目をした男にリリーナは今の戦況を尋ねる。

「そ、それは・・・各地で奮闘しております!で、ですが相手方の兵力も多く・・・」
「苦戦している、という事ですね。マーカス、貴方が行って助け―――」

 執務室の入り口の辺りに立ち、なるべくリリーナから距離を取ろうとしているその男は、言い辛そうに視線を彷徨わせながらそれを口にしている。
 その様子だけで、彼の言葉を聞くまでもなく戦況は悪いのだと分かるだろう。
 リリーナは自らの傍らへと視線を向けると、そこに控えている筈の自らの騎士へと呼びかけていた。

「あぁ、そうでしたね。貴方はもう・・・」

 そこに彼女の騎士、マーカス・オブライエンの姿はなかった。

「お、恐れながら陛下!マーカス卿はもう十分すぎるほどに戦場で戦っておられます、これ以上あの方に負担を強いるのは・・・」

 そうマーカスは戦場を休むことなく奔走し、その全てで悪鬼羅刹が如く奮戦していたのだった。
 圧倒的な戦力差がありながら戦況が苦戦で済んでいるのも、彼ともう一人の活躍が大きい。
 彼はそれを自らの下に僅かに残った白鷲騎士団の面々と、その腕前だけで成し遂げているのだ。
 それ以上の働きを彼に求めるのは、酷というものだろう。

「分かっています。他に報告は?ないのならば下がりなさい」

 自らの父の裏切り、その十字架を背負い汚名を雪ごうと命を削るように戦い続けているマーカス。
 その姿を思い描き僅かに窓の外へと視線を向けたリリーナは、男に向き直ると彼に下がるようにと告げる。

「あぁ、待って。オリビアを呼んできてくれますか?」

 リリーナへと頭を下げ、足早に退室しようとする男を彼女は呼び止める。
 マーカスはこの場にはいない、ならばリリーナにとって頼りになるのはもう彼女しかいなかった。

「オリビア様を、ですか?彼女はその、父君の看病に最中ですが・・・いえ、陛下のご用命とあればすぐにでも呼んで参ります!」

 しかしそのオリビアもまた、彼女の傍にはいないのだ。

「・・・いえ、その必要はありません。呼び止めてすみませんでした、下がってください」

 自らの命令であれば、例え父親の看病の最中であっても呼び寄せることが出来てしまう、その男の態度はそれを物語っていた。
 それが、それこそが王という者の力なのだと知れば、リリーナの心は重くなる。
 今度こそこの場から退いた男が扉を閉める小さな音が響き、リリーナは窓の外へと視線を向ける。
 外は急に立ち込めた雲が日差しを遮り、その闇を纏ったかのような天井から激しい雨が降り注ぎ始めたところだった。

「私が・・・私がやらないと」

 窓の傍へと立ったリリーナは、そこに浮かんだガラスの曇りを拭う。
 王が使う部屋のために用意されたガラスは特別に磨かれ、鏡面のように向き合う者の姿を映す。
 そこに映ったのは王という役割の重責に苦しみ、その小さな頭には大きすぎる王冠を被ったやせ細った病人の姿だった。

◇◆◇◆◇◆

「また、人が少なくなりましたね」

 玉座から見下ろす景色は、いつも冷たい。
 それはそこに座るとき彼女はまさしく、誰からも触れえない特別な存在となってしまうからか。
 それは世界から拒絶されることに等しい、つまり王とは孤独を冠に万人に背を向ける者を言うのか。
 リリーナは自嘲気味に嗤うと、そう呟いた。
 この玉座の間に集まった貴族は、以前会議室に集まった時よりもさらに少ない。
 それはそのまま、彼女の状況の苦しさを物語っていた。

「陛下、何か仰いましたか?」
「いえ、何でもありません」

 この場に残った数少ない貴族の一人が、リリーナが口にした言葉を聞き咎めてそう尋ねる。
 彼とて別にリリーナへの忠心からこの場に残っている訳ではないだろう、ただ向こうへと寝返る機を失し、こちらに残らざるを得なかっただけの者なのだ。
 この場に残っている者など、多かれ少なかれ似たようなものだ。
 つまり場も読めず、先も見据える事も出来ない無能な者の集まり。
 そんな者ですら頼りしなければならない状況に、リリーナは静かに首を横に振った。

「今回、皆に集まってもらった理由ですが他でもありません。それは・・・それは・・・」

 崩壊寸前の戦線の立て直し策、多くの貴族が王都を離れたために急務な政務機関の新たな人員選出、ジーク・オブライエンが敵方に寝返ったため不透明な状態のオスティア王国への対応等々。
 考えなければならないこと、決めなければならないことは山ほどある筈だった。
 しかしその何一つとして、リリーナの口から出ることはなかった。
 口に出すという事は、それを決めなければならないという事、ここにいる者達が頼りにならないならば、それは必然的に自分一人でという事になる。
 その重さに、吐き出そうとした言葉は喉を詰まり、リリーナは窒息したかのように喉を押さえて呻いた。

「人前でまともに話す事も出来ない?こんな女王で大丈夫なのか?」
「所詮は私生児、王には相応しくなかったのだ」
「せめてもの取り柄だった見た目も見る影もない、あれではもう駄目だな」

 苦しむリリーナの姿に、彼女を心配する者などここにはいなかった。
 彼らはお互いにひそひそと耳を寄せ合うと、彼女を扱き下ろし見放す言葉を囁いている。

「陛下、恐れながら申し上げます!!『おこもりの塔』にて、王位継承の議を執り行いなさいませ!!」

 その時、一人の若者が前に進み出ると、堂々とした態度でリリーナへと進言を申し立てていた。
 彼は跪いた姿勢のまま、その眼鏡越しにリリーナの目を真っすぐ見据えている。

「そんな場合ではない!!私は、私は今すぐにでも・・・!!」

 彼の言葉にリリーナは玉座のひじ掛けを叩くと、ヒステリックに叫んでいた。
 彼女は立ち上がり何かを求めるように彷徨うが、その先の言葉はいつまで待っても出てくることはないようだった。

「今の貴方に、ここで出来ることは何もありません陛下!!貴方に今出来るのは、王位の正当性を主張することでフェルデナンドらを否定し、民衆の心を落ち着かせる事だけなのです!!」

 ふらふらと彷徨うリリーナの姿に、メガネの若者は目を細めて息を呑む。
 その顔に浮かんだのは僅かな哀れみか、少なくともその感情をこの場で抱いているのは彼だけだろう。
 歯を食いしばり強い決意を噛みしめた彼が再び口を開くと、そこから飛び出した言葉はとても力強いものであった。

「何も、出来ない・・・?」

 彼の言葉に衝撃を受け、リリーナは崩れ落ちるように玉座へと戻る。

「この・・・無礼者が!!!場を弁えろ!!」

 眼鏡の若者、彼の物言いは当然ながら許される筈もない。
 にも拘らず、それが今まで許されていたのは余りに突然の事で皆が呆気に取られていたからだ。
 それが収まれば、当然彼は取り押さえられる事になる。
 複数人の手によって乱暴に組み敷かれた彼は、悲鳴も上げることなく床に叩き伏せられる。

「その者を放してやりなさい」
「は?ですが陛下、この者は・・・」
「私に、同じことを二度も言わせる気ですか?」
「は、ははっ!」

 そう冷たく口にしたリリーナは、幾分か正気を取り戻したようだった。
 彼女の言葉に眼鏡の若者を取り押さえていた者達は、慌ててその場を引いていく。

「貴方は確か・・・レイン。レイン・チューダーと言いましたか?」
「はい、その通りでございます陛下」

 眼鏡の若者、レイン・チューダーはズレてひび割れてしまった眼鏡をかけ直しながら答える。

「ここにいても、私に出来ることはない。貴方はそう言うのですね?」
「はい、その通りです陛下」
「そして、私に『おこもりの塔』で王位継承の議を行えと」

 最後の言葉は、リリーナが自身に語りかけるように口にしていた。
 そのためレインも言葉で返すのではなく、深く静かに頭を下げることで肯定を示していたのだった。

「分かりました。貴方の言に従いましょう、レイン・チューダー」

 リリーナは玉座から立ち上がり、そう告げる。
 ざわめきが、この玉座の間に広がった。

「後の事は全て、貴方に任せます」

 そして玉座から降り、正面の扉から退出しようと歩き出したリリーナがすれ違いざまにレインにそう告げたことによって、さらにざわめきは大きくなっていた。

「・・・聞いたか?」
「あぁ、聞いた。全てを任せる、それはつまり・・・」
「あの若造が、宰相になるって事か?」

 リリーナはレインに全てを任せ、王位継承の議を行うために「おこもりの塔」へと向かった。
 それはつまり、レインに国事の全てを、宰相の座を任せたという事であった。

「僕が、宰相に?」

 レインは、震えた。
 その余りの突然さに、そしてその責任の重さに。

「そんなの、無理に決まって―――」

 レインは振り返り、去っていくリリーナを引き留めようとする。

「いいや、そうじゃない。僕は僕に出来ることをするだけだ、それはいつだって変わらない筈だろう?だったら―――」

 しかしそれも、一歩踏み出したところで止まる。

「今、僕に出来る事を」

 決意は、決まった。
 いいや、それは始めから決まっていたのだ。
 この王宮の門を叩き、国に尽くそうと決めたあの日から。

「皆さん、聞いてください!まずは―――」

 振り返り、前へと進みだしたレインの目にはもはや迷いはない。
 宰相レイン・チューダー、後世に残るその名前はこの日から歴史に刻まれることになる。
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