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⑧
しおりを挟む「来たか」
その夜、男は待っていた。案の定木でできた案山子は見当たらない。
「案山子さん、来てくれたんですね!」
「おー」
そっけなく返事した男は笑っていなかった。前回とは違って少し苛立った様に感じるが暗がりではっきりとは判断できない。穂高は隣に座るのを少し躊躇ったが、男がポンポンとベンチを叩くので腰を下ろした。
「どう、みんなとは話せた?」
組んだ足の上に肘をついて顎を支えながら男は訊いた。
「いえ、まだ……」
何か悪いことをしているような気分になるのはなぜだろう。穂高は俯いた。悪い癖だった。自分のしなくてはならないことを先延ばしにしてどうにかしてやり過ごそうとしてしまう。男はそれを知っているかのように思えた。
案山子の神様は久延毘古神という博識の神様でなんでも知っているという。皆と話せずにいるのは勇気がないだけが理由じゃないと見透かされているのかもしれない。
「明日、明日、話します」
なんだか怖くなって穂高は咄嗟に宣言した。
「明日じゃなくても、自分の心の準備ができたらでいいけど」
「はい」
「大丈夫?」
「多分」
男は穂高の顔を覗いた。穂高もまつ毛が長いとよく言われるが、案山子の方がよっぽどまつ毛がくるりんとして綺麗だと思った。顔周りの生え際の後れ毛を耳にかける仕草に心臓が波打って穂高は胸元のシャツをぎゅっと握った。案山子が足を組み替えて動くと流れてくる匂いが穂高の嗅覚に何かを訴える。
「あの、案山子さん……」
「なに」
「あの、その香りって……」
「香り?」
「香水?」
一瞬何のことか分からなかったようだがすぐに案山子はシャツの襟ぐりを引っ張りすんすんと鼻を鳴らした。引っ張ったところから筋肉質な体がうっすら見て取れる。神様だからこんなに綺麗なのだろうか。
「やな匂い?」
「え、いや……いい匂いがする」
「いい匂いか……」
「うん」
そういって今度は袖を嗅ぎ、そうだなと言って遠くを見た。
案山子はずっとここに立っているのにこんな風にいい香りがするのは変だ。
匂いが付くなら稲穂の匂いだろう。やっぱり人間なんだなと残念に思う自分がいた。もう一度嗅いでみようと近づくと男は体を遠ざけた。
「ごめんなさい」
「いや、別に……」
そう言いながらも男が困っている素振りをするので穂高は控えた。
「案山子さん。案山子さんはずっとここにいるんですか?」
予想していなかった質問なのか男は狼狽える。顎を何度か擦って応えた。
「俺? いや、ここには少しの間しかいない」
「えっ……いつまで?」
「稲刈りが終わるまで」
「稲刈り?」
稲刈りはもうすぐだ。
「そう。案山子の役目はそれで終わり」
本当に案山子なのか。穂高はまた一人になるような気がして空寒くなった。案山子がいなくなったら、また刺激のない毎日に戻る。いや、そうじゃない。クラスメイトたちと早く打ち解けないと。案山子はその相談に載ってくれているのに。でもこのまま案山子と逢えなくなるのは単純に嫌だ。
「案山子さん、いなくならないで」
「え……?」
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