40 / 95
一夜越えて
金盞花─ショーネン趣味と独身主義(中)─①
しおりを挟む
陸に上がって真水を被ったにも関わらず、強い潮の香りが鼻腔を擽った事をことあるごとに思い出してしまって。午前中はずっと悶々とする羽目になったのだ。こうなったのも全部、何もかもあの男が悪い。と理不尽とも言えるような責任の押し付けをして尾坂は不貞腐った。
「もう……いい加減に落ち着けよ。何があったのかは知らんが、とにかくお前はもう落ち着け。いつまでも喧嘩ばっかじゃ人事考課に響くぞ」
「ええ、それについては重々承知しております。ですが、私が悪いと言うのならまずは喧嘩を売った側であるあの男に海軍が然るべき対応を取るのが先決かと」
「たとえ先に喧嘩を売ったのが向こうでも、それを無視せず毎回律儀に全部買い取ったお前も悪い。喧嘩両成敗だ」
「そうですね。それが良いでしょう。ただしそれで事態が収まるのなら、私とあの男の仲はこれほど拗れはしておりません」
「はあ……いったいいつの間にこんなに擦れてしまったのやら………やっぱりあれか。米国の大学で受けた何かしらの薫陶が原因か?」
「別に誰かから薫陶を受けたとかそういう訳ではありませんのでご安心を。これは単なる開き直りですよ。私は見ての通り、この顔と瞳の色ですので。嫌でも目立ちますし、ただ立っているだけで根も葉もない変な噂を広められていい加減うんざりしているのでありますよ。それなら、いっそのこと好き勝手噂を広めた者たちのお望み通りに派手に遊んでやろうと思った次第です」
一瞬取り乱した尾坂だったが、幼年学校から砲工学校まで常に同期最右翼を爆走していただけのことはある。思考の切り替えも早い。あっという間に元の冷静さを取り戻して粛々と飯を口に運んでいる。
「に、したってなぁ………流石にこれ以上自由奔放に振る舞っていると、いくら次長の養子っつってもお上に睨まれるぞ。ただでさえお前は目立つのに……出る杭は打たれるってな。次の辞令で今度こそ僻地に飛ばされても文句は言えんからな」
「引き際は十分心得ておるつもりですので、そんなヘマなどしませんよ」
「もう……それならいっそのこと、結婚を考えてみたらどうだ。妻帯を持ったら流石のお前も落ち着くだろ」
「………」
尾坂の動きが止まった。だがそれも一拍だけ。すぐに食事の手を再開する。
「あっ、そうだ。なあ大尉よ、そういえばこの間お前さんに来ていた見合い話……あれ、どうなったんだ」
「無論、全てお断りしたに決まっておるでしょう」
なんの躊躇いも見せずにスパッとそう切り返した尾坂の発言に、場がざわめいた。彼らが一様に脳裏に思い浮かべたのは、先日彼の手元に届いた大振りの封筒のこと。
送り主の名前は彼の実父である九条院侯爵。尾坂はそれの封を開けて中を見るなり血相変えて侯爵に電話しに行った。何事かと思って聞き耳を立ったら、なんと尾坂に見合い話が持ち上がったというではないか。この場にいた大多数が鬼の居ぬ間に……とばかりにその封筒の中身である見合い相手の写真を見に行ったのでよく覚えている。
「えぇっ!? なんでそんなことするんだ、勿体ない……」
「なぜと言われましても……そんなもの、私が嫌だったからに決まっているでしょう」
「侯爵が推薦したってだけあってか、家柄も申し分ないし器量も良い娘さんばかりだったじゃないか! いったい何が問題だったんだ!?」
「その全てに、問題があったからですが、何か?」
少しだけ伏し目がちになったからか、長い睫毛が影を作って尾坂の瞳をほの暗く輝かせる。瑠璃色の瞳に危険な光が宿ったことを察知して、奥池が慌てて口を閉ざしたがもう遅い。
「だいたい、侯爵が回してきた話に裏が無い訳がないでしょう。あの方は確かに外務大臣も勤め上げて我が国の国益に貢献した立派な方ではありますが、それは外交官としての話。たとえ外交官や経営者としてはこれ以上無いほど優れた人材であったとしても、家庭人としては……いえ、それ以前に人間としては不出来どころか失敗作以外の何物でもありません。たとえ言い過ぎだと叱責を受けても、私は侯爵に対するこの評価だけは決して曲げるつもりなどございませんので悪しからず」
「まあ、うん……そうだけどな……」
「この話を出すとだいたい皆、口を揃えて『自分の実の父親を悪く言うな』と私に諭されるのですがね。それは侯爵の本性をご存じ無いから言えることです。あの方は言うならば、人の皮を被った人でなしですよ。あの方は他人の気持ちなど一切汲み取ることができませんし、理解しているように見せかけてその実、“情”というものを何一つとして理解されていません。子供が虫の羽を引きちぎって無邪気に遊んでいるのと同じような事を、人間に対して躊躇いも無くできるのが九条院梅継という男です。で、なければ──自分の一番最初の妻を『興味が無かった』という理由で崖から身投げさせるまで放置した挙げ句に、出産の際の大出血で生死の境をさ迷っている母親から命懸けで産んだ我が子を取り上げるような鬼畜の所業などできるものですか」
「うーん、よし。判った。俺が悪かった。だからこの話、もう止めよう」
空笑いで誤魔化しつつも、実は冷や汗だらだらになっていることを悟られないよう奥池は必死だった。もしかせずとも尾坂の地雷を踏み抜いた事は明白だ。以前、ひょんなことから九条院侯爵の本性の片鱗という名の深淵を覗いてしまった経験のある奥池中佐は、ひきつった笑みを貼り付けながら素直に謝った。そして、何か違う話題に誘導できないかとその灰色の脳細胞をフル回転させ……
「ああ、そうだ。話は変わるんだが、この間近所の歩兵第十一聯隊の聯隊長と話しててな。えらく思い詰めていたから相談に乗ってやったら……なんでも、次の軍旗祭で何か今までになかった目新しい催しがしたいとかで悩んでいたんだ。そういう訳だからな、尾坂。何か良い案は無いだろうか?」
「本当に話が大きく変わりましたね……なぜ私に話を振るのでありますか」
「そりゃなぁ。お前、去年まで米国に留学していただろ? 向こうの文化に触れてきたのなら、何か良い感じの祭りのことを知っていそうだから……あちらさんもこう………ちょっとした話題になりそうな奇抜な“ナニか”を求めているんだよ。ただでさえ俺達陸軍は市民からの人気が微妙に無いんだから、ここらで一発場を盛り上げようと……」
「はあ……そうですか」
パクリ、とライスカレーの中に入っていた大きめに切られた茄子を口の中に放り込んで、尾坂は少しの間思案する。なお、今まで上記のような会話をしながらも皿の中は半分ほど胃袋の中に消えている。別に味に対して何の感想も抱いてはいないが、早食いは単純に陸幼陸士で叩き込まれた習性のようなものだ。尾坂だけが特別という訳ではなく、彼の主な話し相手だった奥池やその他の士官達の皿の中身も殆ど消えている。
「……米国留学中、向こうの工兵聯隊に入隊して中隊附き中尉として学ばせていただく機会があったのですが………」
「ほう」
「その時に“ハロウィーン”とかいう一風変わった祭りに参加したので、それでいかがでしょうか」
「詳しく」
どうやら耳慣れない横文字に興味を抱いたらしい。奥池だけでなく、なんとか修羅場を脱したことで安堵していた士官達も興味深げに意識をそちらに向ける。
「といっても、こっちの歩兵聯隊の軍旗祭とやっていることがあんまり変わりがないような気もしますが……十月三十一日の夜に仮装してパーティーをするだけですよ。ただ、その仮装というのが、魔女や吸血鬼のような“お化けの仮装”に限定されるというだけで」
「ふむふむ」
「元々はケルト人……愛蘭土の収穫祭だったそうです。この日はお化けの顔を彫った蕪で作った“ジャック・オー・ランタン”という提灯が至るところに飾られます。もっとも、亜米利加では南瓜を使っていましたが。古代の愛蘭土では十月三十一日が大晦日の日で、この日は死後の世界との扉が開いて先祖の霊が帰ってくると伝えられているとか。仮装をするのは、その時悪魔や悪霊も一緒くたに帰ってくるので、それらの目を眩ませて自分の身を守るのが目的だそうです」
「なんだ、秋祭りと大晦日と盆と軍旗祭をごった煮にしたような祭りだな」
奥池が半目になりながらグラスの水を煽る。
「で、お前も何かの仮装をしたのか?」
「ええ、もちろん。三年通して狼男の格好をさせられました。と言っても、普段の軍服に毛皮で作った耳と尻尾を着ける程度ですが」
「うわ、なんだそれ。見たい。写真とか残ってないのか?」
「ご期待に添えずに申し訳が無いのですが、残念ながら撮影は全力で拒否したので写真は残っていませんよ」
はあ、とため息。本国に戻ったら……いや、本国に戻らずとも大使館の職員や駐在武官が見たら笑い者にされそうな写真を残すようなヘマなどしない。
ちなみに本人は「自分の仮装写真などこの世には存在しない」と思ってたかをくくっているが……実は三年目で市民が撮影した写真の中に狼男の仮装をした彼の姿が残っていたとは考えてもいないようだ。余談だが、その写真が八十年後に陽の目を見て世界中で話題になることなど、この時の彼らは知る由もない。
「仮装している以外は普通のパーティー……いえ、そういえば少し変わった遊びもありましたね。“アップルボビング”という……その名の通りに、水に浮かべた林檎を歯で咥えて取るという遊びです」
「急にパン食い競争の要素が入ったな……」
「十代から二十代の若者の間では盛り上がっていましたよ。私もやってみましたが、コツを掴むまでが難しい。ただし、私は二年目以降は参加を控えるように言われたのですが」
「はあ、そりゃまたなんで」
「食事時に下品な話になるかもしれませんが『君の息継ぎの時の声と顔が妙に艶かしくて若手の士官や兵達が興奮するから控えてくれ』だそうです。要するに彼らに余計な気を起こさせないでくれという苦情ですね」
「……大変だな、お前も」
元から彼には人を惹き付けて気が付いたら泥沼に嵌めてしまう魔性とも言えるような性があるのだが……どうやら米国でもそれはいかんなく発揮されたらしい。こればかりは本人にさえどうすることもできないので、もう同情するしかないだろう。
「それと最近になって、仮装した子供達に『Trick or Treat?』と聞かれたら大人は菓子を与えなければいけないという決まりごとができたようです」
「あ? とりっく……悪戯かご馳走……?」
「意訳すると『お菓子をくれなきゃイタズラするぞ』というところでしょうか。飴玉でもチョコレートでもなんでも良いんです。とにかく子供が『Trick or Treat?』と聞いてきたら菓子を与えれば」
「なんでまた菓子なんだよ」
「イメージ戦略ですよ、イメージ戦略。米国では禁酒法のせいで犯罪組織が強大になりすぎたために、治安は悪化の一途を辿っておりますから。それとこの恐慌相まって皆、鬱屈としていました。そのガス抜き的な役割のひとつがハロウィーンだったわけです。そんなわけで黎明期のハロウィーンは洒落にならない破壊行為が各地で横行していたそうですよ。でもハロウィーンを禁止にしたら今度こそ暴動が起こるので、代わりにハロウィーンとは好き勝手暴れる行事ではなく、子供が大人に菓子をねだるかわいらしい行事だとイメージを固定して定着させる試みです」
禁酒法は本来、治安を向上させる目的で施行された法律なのだが……結果的に犯罪組織が幅を利かせるようになったのなら本末転倒ではないだろうか。
「一応、ひとつの案として提示させていただきましたが……口に出してみて初めて判りました。これ、日本に輸入して流行らせたら、おそらく子供より大人の方が本気になりそうだなと」
「だろうな。だがそのハロウィーンとやらが流行って菓子を作っている会社が大規模な商戦を繰り広げるなら、それはそれで経済が回るから良いことだが」
「そちらの面もあるでしょうが……むしろ、学生と大人が仮装の方で盛り上がりそうです。なにせ一般人が堂々と仮装して夜更かししても良い日ですから。そのうちお化けの仮装から逸脱してハロウィーンとは何の関係もない仮装をし始めますよ。看護婦とかモガとか花魁とか、果てはのらくろとか」
「うわぁ……ありそうで怖いなぁ…………いや、ちょっと待て。お前なんでのらくろを知っているんだ」
のらくろ、とは昭和六年の一月に少年誌で連載が始まるやいなや、小学生を中心に大流行することのなった犬の兵隊漫画のことだ。奥池は自分の子供が読んでいるからその存在を知っていたが、問題はその漫画が少年誌に掲載されているということだ。独身であり近親者と没交渉をしているせいで幼い子供と関わりが薄い尾坂が、なぜ小、中学生が対象の少年誌に掲載中である漫画を知っているんだと疑問に思ったのは仕方がないだろう。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「おいっ、なんでそこで黙るんだ。俺は何も変なことなんて言っ……まてよ。さてはお前、のらくろのことが好きだな」
「………いいえ、別にそういうわけではありません。単なる資料として目を通しているだけですよ。一般市民の間で今、何が流行っているのか把握するのも官吏の仕事です」
皿の中に残った最後の一口を腹に収め、尾坂はきゅっと口の端を引き締めながら憮然と嘯く。
「市井の生活を最新を知りたいのなら、雑誌を読むのが一番です。なぜなら雑誌には読者が知りたいことが載ってあるので、必然的にそれを読む人々の率直な意見を知ることができると考えたからですが何か」
「いやぁ………それって結局、お前がのらくろを好きで読んでるってことに変わりがないんじゃ……」
「あー、あー、聯隊長」
再び空気が凍り付きそうになった時、そこに救世主が現れた。聯隊附の軍医だ。おほんとひとつ咳払いをした翁が、そっと助け船を出すかのように腕時計をトントンと指差す。
「もうそろそろ時間も圧していますので……それ以上は明日に持ち越すとして、本日は解散ということでよろしいのでは無いでしょうか」
「あ、本当だ」
話し込んでいたら、いつの間にか全員食事を終えてしまっていた。それに気付いて奥池は、翁の提案を素直に聞き届けて昼食に集まった将校団に解散を言い渡す。
「うーん……それにしてもハロウィーンとな。日本で流行らせたら迷走しそうで後が恐いが……まあ参考にはさせてもらうぞ。ありがとうな、尾坂」
「いいえ、お気になさらず」
「でも、結婚は考えておいた方が良いぞ。なんなら、俺が良い娘を紹介するから……」
「…………」
ぞろぞろと持ち場に戻ろうとする士官たちの後に続く。カタン、と席を立って自分の中隊の中隊長室に戻ろうとした尾坂の背に向かって奥池はそんな言葉を投げ掛けた。
侯爵から来た話という点が嫌だっただけで、それ以外の筋から紹介された見合い話ならば受ける可能性があると思ったからだ。
世間からの印象や評価がどうであれ、彼が奥池にとって自慢の部下であり、そして大事なかつての教え子だったことに変わりはない。だからこそ、自由奔放な行動を控えて堅実に生きてほしいと思うのは当たり前のことだ。そのために彼に妻帯を持つことを勧めるのも至極当然の事だろう。家庭を築くことさえできれば、“家族”というものにどうしようもない羨望を抱く彼の“餓え”を満たしてやれるのでは無いかという淡い期待も込めて、奥池は尾坂に結婚を勧めた。そこに悪意などは無い。純粋な善意からくるものだ。
──だからこそ、余計に辛い。
「……好意は素直に受け取らせていただきますが、あいにく私は独身主義者です。軍人として、この国に産まれ育った者達のために私はこの命を使い潰すつもりであります………私の自己満足のために、若くて将来のある少女の人生を潰させる訳にはいきません。それも、まだ女学校に通っているような十七、八の娘を」
「いや、十七、八で結婚するなんて良家のお嬢さんなら普通じゃないのか? よっぽど器量が悪いのなら話は別だが……現にお前の妹だって十七で嫁いだ訳だろ?」
「…………」
その一言に、そっと閉口する。奥池の言葉に何らおかしいものは無い。この国では当たり前のように受け入れられている普遍的な価値観を口にしただけに過ぎない。たとえこれが他の者でも……それこそ、当事者である女学校に通っている女学生でも当たり前のように口にするだろう。十七、八くらいで結婚するのは普通だと。むしろ早くに結婚が決まって“寿退学”をする方が、卒業まで残って“卒業面”と呼ばれる不名誉を被るよりよっぽど良い、なんて。そんな意見が大多数を占めているだろう。
───それが、この国の……いや、この時代に生きる者にとって“当たり前”の価値観なのだ。
だから、ここで奥池に反発したって仕方がない。彼はあくまで、常識を述べただけなのだから。むしろここでは独身主義を掲げている尾坂の方が異端なのである。それを頭ごなしに否定せずにやんわりと諭してくれているだけありがたい。
「……十七、八の若い娘なんて、私にとってはまだ子供です。子供に子供を産ませてどうするのですか………現に、まだ身体が十分に出来上がっていない十七の娘が、出産の際に血が止まらなくなって衰弱して亡くなった例だってあるのに……」
ようやく絞り出せた声は震えていた。尾坂の脳裏を過ったのは、自分の実の母の事。実母の墓前に産まれて初めて立った、あの日の事だ。
彼女はいったい、何を考えて十七年という短い生涯を駆け抜けたのだろう。そして、自身が腹を痛めて産んだ子である自分の事をどのように思っていたのだろう。
……答えなんか判っている。自分の人生をめちゃくちゃにした憎い男の置き土産。尾坂は彼女にとってそれ以上でもそれ以下でもない。死人に問うことなどできはしないが、きっと彼女は自分にこう言うだろう。
───「お前なんか産みたく無かった」と。
彼女がもうこの世にいないことだけが救いだった。もし、彼女が生きていて……そして、面と向かってこんな事を言われたら、立ち直れる自信が無かったから。
「…There are some who want to get married and others who don’t. I have never had an impulse to go to the altar. I am a difficult person to lead…………」
「?」
「………結婚をしたい人もいれば、したくない人もきっと世の中にはいるでしょう。私は、誰かと三々九度の盃を交わしたいとも思ったことはありませんし、その衝動に駆られたこともありません。要するに、私はとても扱いにくい人間というだけですよ」
ふっと自嘲気味に吐息を漏らして、自分の半生の回想に浸りそうになっていた意識を戻してくる。
「私はこの先もずっと、独身を貫きます。なぜなら────この国で、少しでも“普通”から外れた者がどのような目に合うのか、身を持って知っていますから………」
静かに目を伏せて、尾坂は遠くの方を眺める。室内の薄暗さに比例して、宵の空よりなお深い紺青色に煌めく瞳が寂しげに揺れた。
(あ………そうか……)
なぜ、彼が独身主義を貫くと言ったのか、その理由がなんとなく判った気がしてバツが悪そうな顔をする。奥池はそのものズバリの現場こそ見ていないが、尾坂はあの瞳のせいで何度も嫌な目に合ってきたのだった。
さすがに浅はかすぎたと反省していると、尾坂が奥池に向かって敬礼した。室内で無帽なので、軍隊で敬礼といったらまず思い付くであろう右手を挙げるものではなく、腰を曲げる一般の敬礼だ。
「それでは、私はこれにて失礼させていただきまし」
「お……ああ。済まなかったな」
「いいえ、お気になさらず」
奥池の謝罪をさらりと流して、尾坂は部屋を辞した。
※作中に出てきた英文ですが、これは1920年代から1941年にかけてハリウッドで活動していたスウェーデン出身の映画女優のグレタ・ガルボの名言です。
仙くんの留学期間とダブるので、おそらく彼はどこかでグレタ・ガルボの名言を聞いたのでしょう。
「もう……いい加減に落ち着けよ。何があったのかは知らんが、とにかくお前はもう落ち着け。いつまでも喧嘩ばっかじゃ人事考課に響くぞ」
「ええ、それについては重々承知しております。ですが、私が悪いと言うのならまずは喧嘩を売った側であるあの男に海軍が然るべき対応を取るのが先決かと」
「たとえ先に喧嘩を売ったのが向こうでも、それを無視せず毎回律儀に全部買い取ったお前も悪い。喧嘩両成敗だ」
「そうですね。それが良いでしょう。ただしそれで事態が収まるのなら、私とあの男の仲はこれほど拗れはしておりません」
「はあ……いったいいつの間にこんなに擦れてしまったのやら………やっぱりあれか。米国の大学で受けた何かしらの薫陶が原因か?」
「別に誰かから薫陶を受けたとかそういう訳ではありませんのでご安心を。これは単なる開き直りですよ。私は見ての通り、この顔と瞳の色ですので。嫌でも目立ちますし、ただ立っているだけで根も葉もない変な噂を広められていい加減うんざりしているのでありますよ。それなら、いっそのこと好き勝手噂を広めた者たちのお望み通りに派手に遊んでやろうと思った次第です」
一瞬取り乱した尾坂だったが、幼年学校から砲工学校まで常に同期最右翼を爆走していただけのことはある。思考の切り替えも早い。あっという間に元の冷静さを取り戻して粛々と飯を口に運んでいる。
「に、したってなぁ………流石にこれ以上自由奔放に振る舞っていると、いくら次長の養子っつってもお上に睨まれるぞ。ただでさえお前は目立つのに……出る杭は打たれるってな。次の辞令で今度こそ僻地に飛ばされても文句は言えんからな」
「引き際は十分心得ておるつもりですので、そんなヘマなどしませんよ」
「もう……それならいっそのこと、結婚を考えてみたらどうだ。妻帯を持ったら流石のお前も落ち着くだろ」
「………」
尾坂の動きが止まった。だがそれも一拍だけ。すぐに食事の手を再開する。
「あっ、そうだ。なあ大尉よ、そういえばこの間お前さんに来ていた見合い話……あれ、どうなったんだ」
「無論、全てお断りしたに決まっておるでしょう」
なんの躊躇いも見せずにスパッとそう切り返した尾坂の発言に、場がざわめいた。彼らが一様に脳裏に思い浮かべたのは、先日彼の手元に届いた大振りの封筒のこと。
送り主の名前は彼の実父である九条院侯爵。尾坂はそれの封を開けて中を見るなり血相変えて侯爵に電話しに行った。何事かと思って聞き耳を立ったら、なんと尾坂に見合い話が持ち上がったというではないか。この場にいた大多数が鬼の居ぬ間に……とばかりにその封筒の中身である見合い相手の写真を見に行ったのでよく覚えている。
「えぇっ!? なんでそんなことするんだ、勿体ない……」
「なぜと言われましても……そんなもの、私が嫌だったからに決まっているでしょう」
「侯爵が推薦したってだけあってか、家柄も申し分ないし器量も良い娘さんばかりだったじゃないか! いったい何が問題だったんだ!?」
「その全てに、問題があったからですが、何か?」
少しだけ伏し目がちになったからか、長い睫毛が影を作って尾坂の瞳をほの暗く輝かせる。瑠璃色の瞳に危険な光が宿ったことを察知して、奥池が慌てて口を閉ざしたがもう遅い。
「だいたい、侯爵が回してきた話に裏が無い訳がないでしょう。あの方は確かに外務大臣も勤め上げて我が国の国益に貢献した立派な方ではありますが、それは外交官としての話。たとえ外交官や経営者としてはこれ以上無いほど優れた人材であったとしても、家庭人としては……いえ、それ以前に人間としては不出来どころか失敗作以外の何物でもありません。たとえ言い過ぎだと叱責を受けても、私は侯爵に対するこの評価だけは決して曲げるつもりなどございませんので悪しからず」
「まあ、うん……そうだけどな……」
「この話を出すとだいたい皆、口を揃えて『自分の実の父親を悪く言うな』と私に諭されるのですがね。それは侯爵の本性をご存じ無いから言えることです。あの方は言うならば、人の皮を被った人でなしですよ。あの方は他人の気持ちなど一切汲み取ることができませんし、理解しているように見せかけてその実、“情”というものを何一つとして理解されていません。子供が虫の羽を引きちぎって無邪気に遊んでいるのと同じような事を、人間に対して躊躇いも無くできるのが九条院梅継という男です。で、なければ──自分の一番最初の妻を『興味が無かった』という理由で崖から身投げさせるまで放置した挙げ句に、出産の際の大出血で生死の境をさ迷っている母親から命懸けで産んだ我が子を取り上げるような鬼畜の所業などできるものですか」
「うーん、よし。判った。俺が悪かった。だからこの話、もう止めよう」
空笑いで誤魔化しつつも、実は冷や汗だらだらになっていることを悟られないよう奥池は必死だった。もしかせずとも尾坂の地雷を踏み抜いた事は明白だ。以前、ひょんなことから九条院侯爵の本性の片鱗という名の深淵を覗いてしまった経験のある奥池中佐は、ひきつった笑みを貼り付けながら素直に謝った。そして、何か違う話題に誘導できないかとその灰色の脳細胞をフル回転させ……
「ああ、そうだ。話は変わるんだが、この間近所の歩兵第十一聯隊の聯隊長と話しててな。えらく思い詰めていたから相談に乗ってやったら……なんでも、次の軍旗祭で何か今までになかった目新しい催しがしたいとかで悩んでいたんだ。そういう訳だからな、尾坂。何か良い案は無いだろうか?」
「本当に話が大きく変わりましたね……なぜ私に話を振るのでありますか」
「そりゃなぁ。お前、去年まで米国に留学していただろ? 向こうの文化に触れてきたのなら、何か良い感じの祭りのことを知っていそうだから……あちらさんもこう………ちょっとした話題になりそうな奇抜な“ナニか”を求めているんだよ。ただでさえ俺達陸軍は市民からの人気が微妙に無いんだから、ここらで一発場を盛り上げようと……」
「はあ……そうですか」
パクリ、とライスカレーの中に入っていた大きめに切られた茄子を口の中に放り込んで、尾坂は少しの間思案する。なお、今まで上記のような会話をしながらも皿の中は半分ほど胃袋の中に消えている。別に味に対して何の感想も抱いてはいないが、早食いは単純に陸幼陸士で叩き込まれた習性のようなものだ。尾坂だけが特別という訳ではなく、彼の主な話し相手だった奥池やその他の士官達の皿の中身も殆ど消えている。
「……米国留学中、向こうの工兵聯隊に入隊して中隊附き中尉として学ばせていただく機会があったのですが………」
「ほう」
「その時に“ハロウィーン”とかいう一風変わった祭りに参加したので、それでいかがでしょうか」
「詳しく」
どうやら耳慣れない横文字に興味を抱いたらしい。奥池だけでなく、なんとか修羅場を脱したことで安堵していた士官達も興味深げに意識をそちらに向ける。
「といっても、こっちの歩兵聯隊の軍旗祭とやっていることがあんまり変わりがないような気もしますが……十月三十一日の夜に仮装してパーティーをするだけですよ。ただ、その仮装というのが、魔女や吸血鬼のような“お化けの仮装”に限定されるというだけで」
「ふむふむ」
「元々はケルト人……愛蘭土の収穫祭だったそうです。この日はお化けの顔を彫った蕪で作った“ジャック・オー・ランタン”という提灯が至るところに飾られます。もっとも、亜米利加では南瓜を使っていましたが。古代の愛蘭土では十月三十一日が大晦日の日で、この日は死後の世界との扉が開いて先祖の霊が帰ってくると伝えられているとか。仮装をするのは、その時悪魔や悪霊も一緒くたに帰ってくるので、それらの目を眩ませて自分の身を守るのが目的だそうです」
「なんだ、秋祭りと大晦日と盆と軍旗祭をごった煮にしたような祭りだな」
奥池が半目になりながらグラスの水を煽る。
「で、お前も何かの仮装をしたのか?」
「ええ、もちろん。三年通して狼男の格好をさせられました。と言っても、普段の軍服に毛皮で作った耳と尻尾を着ける程度ですが」
「うわ、なんだそれ。見たい。写真とか残ってないのか?」
「ご期待に添えずに申し訳が無いのですが、残念ながら撮影は全力で拒否したので写真は残っていませんよ」
はあ、とため息。本国に戻ったら……いや、本国に戻らずとも大使館の職員や駐在武官が見たら笑い者にされそうな写真を残すようなヘマなどしない。
ちなみに本人は「自分の仮装写真などこの世には存在しない」と思ってたかをくくっているが……実は三年目で市民が撮影した写真の中に狼男の仮装をした彼の姿が残っていたとは考えてもいないようだ。余談だが、その写真が八十年後に陽の目を見て世界中で話題になることなど、この時の彼らは知る由もない。
「仮装している以外は普通のパーティー……いえ、そういえば少し変わった遊びもありましたね。“アップルボビング”という……その名の通りに、水に浮かべた林檎を歯で咥えて取るという遊びです」
「急にパン食い競争の要素が入ったな……」
「十代から二十代の若者の間では盛り上がっていましたよ。私もやってみましたが、コツを掴むまでが難しい。ただし、私は二年目以降は参加を控えるように言われたのですが」
「はあ、そりゃまたなんで」
「食事時に下品な話になるかもしれませんが『君の息継ぎの時の声と顔が妙に艶かしくて若手の士官や兵達が興奮するから控えてくれ』だそうです。要するに彼らに余計な気を起こさせないでくれという苦情ですね」
「……大変だな、お前も」
元から彼には人を惹き付けて気が付いたら泥沼に嵌めてしまう魔性とも言えるような性があるのだが……どうやら米国でもそれはいかんなく発揮されたらしい。こればかりは本人にさえどうすることもできないので、もう同情するしかないだろう。
「それと最近になって、仮装した子供達に『Trick or Treat?』と聞かれたら大人は菓子を与えなければいけないという決まりごとができたようです」
「あ? とりっく……悪戯かご馳走……?」
「意訳すると『お菓子をくれなきゃイタズラするぞ』というところでしょうか。飴玉でもチョコレートでもなんでも良いんです。とにかく子供が『Trick or Treat?』と聞いてきたら菓子を与えれば」
「なんでまた菓子なんだよ」
「イメージ戦略ですよ、イメージ戦略。米国では禁酒法のせいで犯罪組織が強大になりすぎたために、治安は悪化の一途を辿っておりますから。それとこの恐慌相まって皆、鬱屈としていました。そのガス抜き的な役割のひとつがハロウィーンだったわけです。そんなわけで黎明期のハロウィーンは洒落にならない破壊行為が各地で横行していたそうですよ。でもハロウィーンを禁止にしたら今度こそ暴動が起こるので、代わりにハロウィーンとは好き勝手暴れる行事ではなく、子供が大人に菓子をねだるかわいらしい行事だとイメージを固定して定着させる試みです」
禁酒法は本来、治安を向上させる目的で施行された法律なのだが……結果的に犯罪組織が幅を利かせるようになったのなら本末転倒ではないだろうか。
「一応、ひとつの案として提示させていただきましたが……口に出してみて初めて判りました。これ、日本に輸入して流行らせたら、おそらく子供より大人の方が本気になりそうだなと」
「だろうな。だがそのハロウィーンとやらが流行って菓子を作っている会社が大規模な商戦を繰り広げるなら、それはそれで経済が回るから良いことだが」
「そちらの面もあるでしょうが……むしろ、学生と大人が仮装の方で盛り上がりそうです。なにせ一般人が堂々と仮装して夜更かししても良い日ですから。そのうちお化けの仮装から逸脱してハロウィーンとは何の関係もない仮装をし始めますよ。看護婦とかモガとか花魁とか、果てはのらくろとか」
「うわぁ……ありそうで怖いなぁ…………いや、ちょっと待て。お前なんでのらくろを知っているんだ」
のらくろ、とは昭和六年の一月に少年誌で連載が始まるやいなや、小学生を中心に大流行することのなった犬の兵隊漫画のことだ。奥池は自分の子供が読んでいるからその存在を知っていたが、問題はその漫画が少年誌に掲載されているということだ。独身であり近親者と没交渉をしているせいで幼い子供と関わりが薄い尾坂が、なぜ小、中学生が対象の少年誌に掲載中である漫画を知っているんだと疑問に思ったのは仕方がないだろう。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「おいっ、なんでそこで黙るんだ。俺は何も変なことなんて言っ……まてよ。さてはお前、のらくろのことが好きだな」
「………いいえ、別にそういうわけではありません。単なる資料として目を通しているだけですよ。一般市民の間で今、何が流行っているのか把握するのも官吏の仕事です」
皿の中に残った最後の一口を腹に収め、尾坂はきゅっと口の端を引き締めながら憮然と嘯く。
「市井の生活を最新を知りたいのなら、雑誌を読むのが一番です。なぜなら雑誌には読者が知りたいことが載ってあるので、必然的にそれを読む人々の率直な意見を知ることができると考えたからですが何か」
「いやぁ………それって結局、お前がのらくろを好きで読んでるってことに変わりがないんじゃ……」
「あー、あー、聯隊長」
再び空気が凍り付きそうになった時、そこに救世主が現れた。聯隊附の軍医だ。おほんとひとつ咳払いをした翁が、そっと助け船を出すかのように腕時計をトントンと指差す。
「もうそろそろ時間も圧していますので……それ以上は明日に持ち越すとして、本日は解散ということでよろしいのでは無いでしょうか」
「あ、本当だ」
話し込んでいたら、いつの間にか全員食事を終えてしまっていた。それに気付いて奥池は、翁の提案を素直に聞き届けて昼食に集まった将校団に解散を言い渡す。
「うーん……それにしてもハロウィーンとな。日本で流行らせたら迷走しそうで後が恐いが……まあ参考にはさせてもらうぞ。ありがとうな、尾坂」
「いいえ、お気になさらず」
「でも、結婚は考えておいた方が良いぞ。なんなら、俺が良い娘を紹介するから……」
「…………」
ぞろぞろと持ち場に戻ろうとする士官たちの後に続く。カタン、と席を立って自分の中隊の中隊長室に戻ろうとした尾坂の背に向かって奥池はそんな言葉を投げ掛けた。
侯爵から来た話という点が嫌だっただけで、それ以外の筋から紹介された見合い話ならば受ける可能性があると思ったからだ。
世間からの印象や評価がどうであれ、彼が奥池にとって自慢の部下であり、そして大事なかつての教え子だったことに変わりはない。だからこそ、自由奔放な行動を控えて堅実に生きてほしいと思うのは当たり前のことだ。そのために彼に妻帯を持つことを勧めるのも至極当然の事だろう。家庭を築くことさえできれば、“家族”というものにどうしようもない羨望を抱く彼の“餓え”を満たしてやれるのでは無いかという淡い期待も込めて、奥池は尾坂に結婚を勧めた。そこに悪意などは無い。純粋な善意からくるものだ。
──だからこそ、余計に辛い。
「……好意は素直に受け取らせていただきますが、あいにく私は独身主義者です。軍人として、この国に産まれ育った者達のために私はこの命を使い潰すつもりであります………私の自己満足のために、若くて将来のある少女の人生を潰させる訳にはいきません。それも、まだ女学校に通っているような十七、八の娘を」
「いや、十七、八で結婚するなんて良家のお嬢さんなら普通じゃないのか? よっぽど器量が悪いのなら話は別だが……現にお前の妹だって十七で嫁いだ訳だろ?」
「…………」
その一言に、そっと閉口する。奥池の言葉に何らおかしいものは無い。この国では当たり前のように受け入れられている普遍的な価値観を口にしただけに過ぎない。たとえこれが他の者でも……それこそ、当事者である女学校に通っている女学生でも当たり前のように口にするだろう。十七、八くらいで結婚するのは普通だと。むしろ早くに結婚が決まって“寿退学”をする方が、卒業まで残って“卒業面”と呼ばれる不名誉を被るよりよっぽど良い、なんて。そんな意見が大多数を占めているだろう。
───それが、この国の……いや、この時代に生きる者にとって“当たり前”の価値観なのだ。
だから、ここで奥池に反発したって仕方がない。彼はあくまで、常識を述べただけなのだから。むしろここでは独身主義を掲げている尾坂の方が異端なのである。それを頭ごなしに否定せずにやんわりと諭してくれているだけありがたい。
「……十七、八の若い娘なんて、私にとってはまだ子供です。子供に子供を産ませてどうするのですか………現に、まだ身体が十分に出来上がっていない十七の娘が、出産の際に血が止まらなくなって衰弱して亡くなった例だってあるのに……」
ようやく絞り出せた声は震えていた。尾坂の脳裏を過ったのは、自分の実の母の事。実母の墓前に産まれて初めて立った、あの日の事だ。
彼女はいったい、何を考えて十七年という短い生涯を駆け抜けたのだろう。そして、自身が腹を痛めて産んだ子である自分の事をどのように思っていたのだろう。
……答えなんか判っている。自分の人生をめちゃくちゃにした憎い男の置き土産。尾坂は彼女にとってそれ以上でもそれ以下でもない。死人に問うことなどできはしないが、きっと彼女は自分にこう言うだろう。
───「お前なんか産みたく無かった」と。
彼女がもうこの世にいないことだけが救いだった。もし、彼女が生きていて……そして、面と向かってこんな事を言われたら、立ち直れる自信が無かったから。
「…There are some who want to get married and others who don’t. I have never had an impulse to go to the altar. I am a difficult person to lead…………」
「?」
「………結婚をしたい人もいれば、したくない人もきっと世の中にはいるでしょう。私は、誰かと三々九度の盃を交わしたいとも思ったことはありませんし、その衝動に駆られたこともありません。要するに、私はとても扱いにくい人間というだけですよ」
ふっと自嘲気味に吐息を漏らして、自分の半生の回想に浸りそうになっていた意識を戻してくる。
「私はこの先もずっと、独身を貫きます。なぜなら────この国で、少しでも“普通”から外れた者がどのような目に合うのか、身を持って知っていますから………」
静かに目を伏せて、尾坂は遠くの方を眺める。室内の薄暗さに比例して、宵の空よりなお深い紺青色に煌めく瞳が寂しげに揺れた。
(あ………そうか……)
なぜ、彼が独身主義を貫くと言ったのか、その理由がなんとなく判った気がしてバツが悪そうな顔をする。奥池はそのものズバリの現場こそ見ていないが、尾坂はあの瞳のせいで何度も嫌な目に合ってきたのだった。
さすがに浅はかすぎたと反省していると、尾坂が奥池に向かって敬礼した。室内で無帽なので、軍隊で敬礼といったらまず思い付くであろう右手を挙げるものではなく、腰を曲げる一般の敬礼だ。
「それでは、私はこれにて失礼させていただきまし」
「お……ああ。済まなかったな」
「いいえ、お気になさらず」
奥池の謝罪をさらりと流して、尾坂は部屋を辞した。
※作中に出てきた英文ですが、これは1920年代から1941年にかけてハリウッドで活動していたスウェーデン出身の映画女優のグレタ・ガルボの名言です。
仙くんの留学期間とダブるので、おそらく彼はどこかでグレタ・ガルボの名言を聞いたのでしょう。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる