海辺のハティに鳳仙花

春蘭

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なんでもない日

(24)月桂樹で冠を①

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 ゴトゴトと汽車に揺られて広島市内に向かいながら、瀧本は先程から自分に向けられている視線に気付いて眉をピクピク跳ね上げていた。

(なんで艦長はともかく、あいつらまでいるんだよ)

 あいつら、とは神田と大河内のことだ。さすがに海軍大尉の階級章を着けた軍服のままで三等客車に乗ると沽券こけんに関わるため、現在瀧本は奮発して二等客車に乗っている。
 事情を知っている艦長は、上手くいくかこっそり見守るために付いて来てくれたのだろうが、残りの二人はなぜ付いてきた。

(あいつら………面白がって見物に来たな)

 そうとしか考えられない。気付いていないフリをしてやっているが、どうしてあれで気付かれないと思ったのだろう。チラチラこっちの様子を伺っているのでバレバレだ。他の乗客からの視線が痛い。

(艦長……なんで止めてくれなかったんですか………)

 同期とコレスは気付いていないが、艦長だけは瀧本が自分達の存在を捕捉していることを察したようだ。先程、懐に忍ばせておいた小さな鏡で背後の席にいる彼らを写してみたら「ごめんなさいねー」と言わんばかりの笑顔を見せてきた。

(ニコポン大佐……)

 いつもニコニコ愛嬌たっぷりの笑顔でいる艦長に、密かに付けられたあだ名を心の中で囁くことで鬱憤を晴らす。
 ちなみに「ニコポン」というのは「ニコニコ笑ってポンと肩を叩く」の意味で、親しげにすることで人を懐柔したり頼みごとをするという処世術だ。ニコポンと言ったら日露戦争時の総理大臣で、大正二年に没した桂太郎のあだ名である「ニコポン宰相」なのだが、似たようなことをやっているので無問題だろうと勝手に思っておく。

(それにしても神田のやろう……面倒事に面倒事を重ねやがって……)

 同期のひょうきんな顔を思い浮かべながらも、ぐっと拳を握って堪える。あいつは兵学校で同じ班になった頃からそういう奴であるのだから。
 思えば神田とも長い付き合いだ。兵学校卒業後はしばらく離れていたとはいえ、海軍士官は砲術学校と水雷学校に入校するために、いずれは全員横須賀に集められる。
 神田とはそこで再会して、何の因果か今度は同じ艦の乗組として呉まで一緒に来てしまった。

(しっかし、同じ艦で分隊長とはなぁ。どうなってるんだ、確率は)

 確率は誰に味方をしたのやら。瀧本と神田が砲術学校と水雷学校を卒業した後の配属は別々になったのだが、結局また同じ屋根の下で苦楽を共にすることとなった。

(あれ……そう言えば)

 兵学校からこれまでの神田との付き合いを振り返っていたら、ふと思い出したことがあった。
 あれは昨年の六月あたりだろうか。もうすぐ砲術・水雷学校も卒業ということで、神田を含めた同期数名と少し足を伸ばして東京に遊びに行こうとなった時のことだ。なぜか急に記憶の底から浮上してきた。

 あの頃ちょうど、次の配属が決定したこともあってかその話題が出ていたような気がする。そうだ、確かにあれは六月の梅雨の時期の話だった。
 六月と言えば、海軍でも世間と同じくちょうど衣替えの時期。ではあるのだが、実は日本海軍においては梅雨時に限ってだけではあったが、下だけ紺色の第一種軍装で勤務することが認められていた。六月頃になると軍港の辺りで下に紺色の軍袴、上に白の詰襟を着た海軍士官が増えるのはこのためだ。

 海軍の夏服は白色であるため、とにかく汚れが目立ってしかたがない。それに加えて士官の軍服のクリーニング代は給料から天引きされていく仕様になっていた。
 下ろし立ての時に限って俄か雨に降られるともう最悪。少尉中尉の頃など給料だって雀の涙なのだから、クリーニング代だって馬鹿にならない。
 だがそこの所、上層部はしっかり汲み取ってくれた。なので梅雨期に限っての話だが、そのちぐはぐな服装が許されている。それはそれでキリッと引き締まっていて良いのだが。閑話休題。

 話を戻すが、瀧本がまだ横須賀に所属していた昨年にいつ東京まで遊びに行ったのかと聞かれたら、間違いなく六月だと自信をもって答えられるだろう。なぜならその時、遊びに行った東京の料亭の芸者連から、その上下白黒に別れた服装を珍しいと言われたから。
 で、問題はその料亭に行く途中の道端での出来事。

(確かその時、神田達と次の配属の話になって……)

 思い出していたらいつの間にか広島駅まで着いていたらしく、列車の速度が徐々に小さくなっていくのを感じた。
 その感覚で後一歩、思い出せなかった部分の記憶が甦ってきたので、瀧本は席を立ちながらそこの部分を引っ張り出す。

「広島~、広島~」

 駅員が間延びした大きな声で到着駅を案内している横を通り抜け、歩きながら改札に切符を放り込んで駅を出る。次は路面電車に乗らねばならない。汽車より車内が狭いため、あの三人組がどうするかは不明だが……

(おっと)

 郷里へ帰る者の集団だろうか。すれ違いざまに若干睨まれた気もしないでないが、気付かなかったふりして横を通り抜ける。

(ああ、そうだ。俺ぁその時、勢いで海大受けるとか言っちまったっけ)

 あの頃は、自分が憧れの戦艦「長門」に配属されたことで知らず知らずの内に気が大きくなっていたらしい。その場の勢いと同期に煽られたことで、ついそんな計画してもいないようなことを言ってしまった。
 さすがにその後に言われた見合いの件ははぐらかしたが………その直後辺りで、同期の一人がそっと囁いたのだ。

 ────今、反対側の道でやおら野暮ったい陸助がこっちを睨んでいなかったか? と。

(確かに、なんかいたような……)

 上手いこと接続できたらしく、ちょうど滑り込んで来た路面電車に乗り込んで、瀧本は物思いに耽る。
 その当時のことを思い出していたら、確かにいたような気がするのだ。自分達が歩いていた方の、車道と路面電車の線路を挟んだ反対側の歩道に。カーキ色の軍服を着込んだ、陸軍の人間が。しかし、残念ながら瀧本はその人物のことをあまりよく見ていなかった。
 あの時、指摘されて振り返ったが、既に角を曲がっていたため見えなかったし、同期達に急かされたので録に確かめもせずに行ってしまったから。

(あれ……なんで急にその事が気になったんだ?)

 こんな場所に海軍士官がいるのが珍しいのか、乗客からの視線に晒されながらも電車に揺られてること数分。降りた場所は八丁堀だ。そこから少し歩くと、紫都から指定された新天地東入口に辿り着く。

(顔どころか姿でさえも録に見ちゃいねぇってのに)

 瀧本はいまだにその謎の陸軍関係者が気になっているらしい。せめて階級章が見れたら将校か下士官兵か判別できたのだが、あいにくその陸軍関係者は車道やらなんやらを挟んで遠くの方だったし、瀧本自身も背景の一部としてしか認識しなかったので覚えていない。

 ……その人物こそが、留学先である米国から帰国したばかりの尾坂であったなんて。そして自身のその能天気な行動こそが、尾坂を爆発させる切欠になってしまっただなんて。瀧本は知るよしもなかった。

(んん……今はそんなこたぁどうでも良くて)

 まったくもってどうでも良くないのだが、今は見合いのことだ。頭を切り替えて、腕時計で時間を確認する。

(五分前か……)

 ちょうど待ち合わせ場所に着いた。とりあえず通行人の邪魔にならないように隅の方で大人しくしておく。しかし目立つこと目立つこと……この辺は陸軍の施設が多く密集している軍都ゆえに、陸軍の軍服を着込んだ下士官兵がちらほら目立つ。
 今日が日曜日だということもあるのだろう。外出を楽しんでいるようだ。むこうも明らかに士官であるこちらに真っ昼間から喧嘩を吹っ掛けるほど暇ではないらしい。
 カーキ色がすれ違う度にジロジロ見られたが、気にも止めずに青い空をじっと眺めておいた。

(歩兵……歩兵……歩兵………萌木は砲兵だっけ……)

 襟に着いている兵科色が緋色だったら歩兵というのは判るが、他については鳶色が工兵という程度しか知らない。取り合えず、駐屯地がここから少し離れているからか、工兵第五聯隊所属と思わしき兵卒を見かけていないことが救いだった。

(あー……とにかく、速攻で頭下げて謝ろう。一発ひっぱたかれることを前提にしておいて……と。そんで走れば噂が広まる前にあい)
「───もし、そこの方! 瀧本大尉でお間違えないですこと!」

 凛とした、鈴が転がるような声。思考がお空の彼方に飛んでいっていた瀧本にとっては、正に寝耳に水の出来事で……
 仰天のあまり飛び上がった瀧本が慌てて視線を正面に戻したら、そこには流行りの洋装に身を包んだモガが一人。
 自分の名字を呼んだことと、洋装であったことからして、この女性が自分の見合い相手なのだろう。帽子を被ったショートカットがよく似合う、確かにハッとするような美人だったので間違い無いだろう。

「えっ、あ、はい!? 俺が瀧本ですが、」

 油断してなんの構えもしていなかった所でいきなり現れたのだ。瀧本が軽い混乱状態に陥ったのも無理はない。
 何を言うべきだったのか、用意しておいた台詞がまったく出てこずに頭が真っ白になったらしい。焦って言葉に詰まり、わたわたする瀧本を他所にして……

 次の瞬間───女性がガバッと頭を下げて大声で叫んだ。


「申し訳ありません!! 今回のお話、どうか無かったことにしてくださいまし!!!」


 一拍──沈黙が流れた。
 往来でいきなりそんなことを叫ばれたのだ。誰だって驚くだろう。
 現に偶然通りかかった運の悪い通行人数名がぎょっと目を円くして、若干引き気味になりながら二人を見ている。修羅場か何かだと思ったらしい。そして、キョロキョロと周りを見渡しながら、そそくさと繁華街の中に退避して行った。
 そして、いつの間に迫ってきていたのか。物陰に隠れて様子を伺っていた神田と大河内が唖然と口を開けた間抜け面を晒し、艦長は珍しく目を開いて小首を傾げて疑問符を浮かべている。その艦長の表情をおおよそ八十年後の言葉を借りて表現すれば、見事なまでに「宇宙を見つめる猫の顔」という具合のものだった。

「えっ」

 一方で瀧本は、本来自分が言うはずだった台詞が相手の女性から出てきたことで、自分が出遅れてしまったことに気付くのにしばらく時間がかかった。





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