完璧な悪役になってみせる

ミカン

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相棒

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「じゃあね、アル。また明日」
「あぁ。また明日、必ず会おう。……ヴァレリウス」

最後に名前を呼ぶ彼の声が、夕闇に溶けていく。
アル――アルフレッド様とあの日以来、こうして二人きりで話す時間は、僕にとってかけがえのないものになりつつあった。彼が王子であることを忘れ、ただの「アル」として接する時間は、僕が背負っている重荷を、ほんの少しだけ軽くしてくれる。

けれど、彼と離れて一人になった瞬間、冷たい夜風とともに現実が忍び寄る。
僕は「穴」のイメージを思い出し、胸の中に湧き上がる温かな感情をそこへ放り込んだ。悪役は、あまり幸せに浸りすぎてはいけないのだ。

【ヴェル。久しぶりだな。相変わらず危なっかしい生き方をしている】

「……ルター!」

聞き慣れた尊大な声が意識に直接響き、足元に目を落とすと、そこには一匹の艶やかな黒猫が座っていた。僕の相棒であり、最強のドラゴンであるルターだ。僕が学園に入学してからは、表向きは公爵家でお留守番ということになっているけれど、こうして時折、助言のために忍び込んできてくれる。

「もう、びっくりさせないでよ。最近、全然来てくれなかったじゃないか」

僕はしゃがみ込み、その柔らかい毛並みを撫でた。

【ふん、学園の結界を抜けるのも手間なのだ。……それより、最近はどうだ? 友達ごっこは捗っているか?】

「うーん、まぁまぁかな。友達もできたし、授業もなんとかついていけてる。……でもね、少しだけ嫌なことがあったんだ」

【あぁ、例の『悪魔』と呼ばれた一件か。……わしを誰だと思っている。お主のことは何でも知っているさ】

ルターの琥珀色の瞳が、夜闇の中で鋭く光る。

「……分かってるなら話が早いよ。正直、あの言葉は少しだけこたえた。でも、もう大丈夫。ルカやアルが味方でいてくれるし、メハイル先生も対処法を教えてくれたから」

【お主は甘いな、ヴェル。所詮、名前も知らないその他大勢の言葉など、塵芥にも等しい。……だが、ヴェルから直接その話を聞きたかったのだ。お主が自分の中でどう折り合いをつけたかをな】

「ルター……。そうだよね。僕は僕を信じてくれる人を信じる。それだけで十分なんだ」


僕は立ち上がり、寮への道を歩き出す。ルターもまた、音もなく僕の隣を歩く。
ふと、僕は気になっていたことを口にした。

「ねぇ、ルター。ルターは何でも知ってるって言ったけど……同室のハーディルのことはどう思う? やっぱり凄い魔導士なのかな。僕もかなり修行してきたつもりだけど、底が見えないんだ」

ルターは一瞬、足を止めた。その喉から、低く唸るような音が漏れる。

【……あやつか。ヴェル、一つ忠告しておく。あいつだけは、得体が知れない】
「えっ? ルターでも分からないの?」

【あいつの周囲には、常に強力な『隠蔽』と『妨害』の魔法が展開されている。わしの意識でさえ、深部までは読み取れぬよう、精巧に編まれた闇の壁だ。あのような芸当、ただの学生にできるはずがない】

「……妨害魔法? 確かに、ハーディルは優秀だってメハイル先生も言っていたけど……」

【ヴェル、お主は人を疑うことを覚えた方がいい。あやつはお主に執着しているが、それは純粋な友情とは異質の、もっと暗く、根深い執念を感じる。……気をつけろ。あやつは、わしの干渉さえ拒絶する『何か』を隠している】

ルターの言葉に、背筋に冷たいものが走る。
ハーディルのあの過保護な優しさ、口元についたソースを拭ってくれる献身、そして僕を独占しようとする視線。それらはすべて、彼が隠している「何か」を覆い隠すための幕なのだろうか。

「分かったよ……。気をつける」

思わず声に出して返事をすると、ルカに言われた「ヴァレリウスは悪い子になれない」という言葉が頭をよぎる。僕は悪役を目指しているのに、どうしてこうも周りから心配ばかりされてしまうんだろう。

【お主は『悪い子』ではない。ただ、不器用なだけだ】

ルターが呆れたように鼻を鳴らした、その時だった。


———

「あれ? ヴァレリウスくんだ! こんばんは!」
「……ヴァレリウス様。こんな時間に散歩ですか?」

前方から歩いてきたのは、ミアとリオンの二人だった。
ルターは「じゃあな」と短く告げると、近くの茂みへと素早く身を隠した。

「ミア、リオン。二人こそ、どうしたの? 騎士科と魔法科は寮が別々でしょう」
「えへへ、ちょっとだけ調べ物で図書室に行ってたの。そうしたらリオンが『夜道は危ない』って付いてきちゃって」
「当然だろう! 魔法科の連中はひ弱な奴が多いんだ。ミアに何かあったらどうする!」

ミアが困ったように笑い、リオンが顔を赤くして憤慨する。
この二人のやり取りは、いつ見ても心が和む。悪意に満ちた学園の中で、彼らは僕を「闇属性」としてではなく、ただの「ヴァレリウス」として扱ってくれる貴重な存在だ。

「そういえば、さっきあっちの方でアルフレッド様を見かけたわ! 遠くからだったけど、相変わらず後光が差しているみたいにかっこよかったわね……」
「なっ……! ミア、お前……やっぱり第二王子が好きなのか!?」

リオンがショックを受けたように叫ぶ。これもお決まりの光景だ。

「もう! リオンはバカね。好きとかそういうのじゃなくて、純粋に憧れだって言ってるでしょ。というか、私が本当に好きなのは……」

ミアがリオンを上目遣いで見つめ、何かを言いかけようとして――止めた。

「……もう、いいわ。リオンには一生教えてあげないんだから!」
「えっ!? なんだよ、気になるだろ! 教えてくれよミア!」

(……リオン、今の流れで気づかないのは流石に鈍感すぎるよ)

僕は内心で苦笑した。ミアの視線は明らかに熱を帯びていて、リオンへの特別な感情が溢れ出している。小説のヒロインと、その守護騎士。彼らの恋路をこうして特等席で見守れるのは、悪役という名の傍観者の特権かもしれない。

「あら、もうこんな時間! 門限に遅れちゃう。じゃあね、ヴァレリウスくん! また明日!」
「……では。ヴァレリウス様も、あまり遅くならないように」

嵐のように去っていった二人を見送り、僕はようやく自室のある寮へと足を向けた。

寮の廊下は静まり返り、松明の炎が壁に不気味な影を落としている。
僕は自分の部屋の前に立ち、一つ深呼吸をしてからドアを開けた。

「……ただいま、ハーディル」

部屋の中は、微かに甘い香りが漂っていた。ハーディルが焚いているお香の匂いだ。
机に向かっていたハーディルが、ゆっくりとこちらを振り返る。逆光の中で、彼の赤い瞳だけが異様な鋭さを持って光っていた。

「おかえりなさい、ヴァレリウス。……今日は随分と遅かったね」
「……そうかな? ちょっと中庭で涼んでいただけだよ」

「そう。……また、誰かに会ってきたんだね。君の服には、他人の魔力の残滓がついている。……ミアかな? それとも、あの金髪の王子様?」

ハーディルが立ち上がり、音もなく僕に近づく。
その足取りは優雅で、けれど獲物を追い詰める捕食者のような冷徹さがあった。
彼は僕の目の前で止まると、細い指先で僕の髪を一房、愛おしそうに撫でた。

「……ごめんね、黙ってて」

僕は、ルターの警告を思い出して身を強張らせた。けれど、ハーディルはふっと表情を和らげ、いつもの穏やかな笑顔を浮かべた。

「うーん、まぁ、いいよ。君が無事に帰ってきたなら。……お腹が空いたでしょう? 今日は君の好きなシチューを作っておいたんだ。冷めないうちに食べようか」

「うん……。ありがとう、ハーディル」

食卓に並べられた温かい食事。ハーディルの甲斐甲斐しい世話。
けれど、僕の胸の奥にある「穴」には、ルターの警告が消えない火種のように残っていた。
『あいつだけは、得体が知れない』

僕を救おうとする光。僕を縛ろうとする闇。
そして、刻一刻と迫る死のタイムリミット。
穏やかに見える学園生活の裏側で、運命の歯車は確実に、そして歪に噛み合い始めていた。

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