姫め!

大海キホ

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 屋上には気まずい雰囲気がたちこめていた。仁王立ちして太い眉の間に深い皺を刻んでいる園夫と、その足元で正座し青ざめている由人。これまでのいきさつを怒り心頭で語っている希と、それを複雑そうに見ている時満。
 希の声だけが威勢よく響く。
「まったく滅茶苦茶よね、ゆーは。大方、アリに浮気の現場を目撃されたくなかったんでしょうけど。大体、お姫様だっこしたくらいで浮気っていう発想が理解できないわよ。ほんと、お子様なんだから」
「……なるほどな」
 と、園夫の声が地を這うように響く。
「よく分かったぜ」
 振り向いた希に視線を合わせ、園夫はかっと目を見開いた。
「てめえがどんだけ無神経かってことがな!!」
「っ…………!?」
 希は気圧され、一歩下がった。更に詰め寄ろうとしてきた園夫から庇うように、時満が前に出る。
「やめろ、園」
「時、てめえは腹が立たねえのかよ!?」
「大声で威嚇するな。希が怖がるだろう!」
「ちょ、ちょっと……!?」
 希は混乱した。自分がそんなにおかしなことを言ったのだろうか?
「僕はやだって言ったんだ……」
 と。
 ぽつりと由人が発した言葉で、不意に沈黙が訪れた。全員が注目する中で
「僕はやだって言ったんだ!」
 由人は涙と鼻水を迸らせながら勢いよく顔を上げた。園夫の足に縋りつく。
「信じて、園くん。僕はやだって言ったんだ。なのに、のぞみんが無理矢理……僕はほんとは嫌だったんだ!」
「なっ!?」
「見苦しいぞ、由人!」
 園夫が吠えた。だが由人は手を放さない。園夫のグレーのズボンにシミが広がっていく。
「僕は初めては好きな人にって……園くんにって決めてたんだ。僕が好きなのは園くんだけだ。だから……!」
「俺だけ……?」
 その言葉その必死さに、園夫は少し心を動かされたようだった。
「ちょっと、変な言い方しないでよ!」
「……由人」
 と、園夫の表情が少し緩む。ぐすぐすと泣きながら見上げてくる由人の顔を、じっと見つめた。
 やがて、目を伏せる。
「分かった」
「はあ!? 何が分かったのよ!?」
 理不尽さに叫んだ希に園夫は冷たい一瞥をくれ、すぐに由人に向き直る。
「分かったから、安心しろ」
 園夫は由人の頭を撫でた。不満げな希の目の前で、由人に手を差し出し、立たせる。
「おまえが反省してるってのは、よく分かった。夢栗の傍若無人ぶりもな」
「ちょっと……!」
 園夫はもはや希を見ない。
「この女が相手じゃ、おまえも分が悪かっただろう。ずっと俺が守ってやれてりゃよかったんだが……嫌な思いをさせちまったな」
「園くん……!」
 由人の目から更なる涙が溢れ出る。
「うわあああんっ!」
 由人は園夫に飛びついた。園夫はその大きな身体をしっかりと抱きとめてやる。
 もはや二人の世界だ。
 希は呆れた。もはや何を言う気にもなれない。まあ、園夫の注意が逸れてくれたのには助かったが。
 しかし……。
「希」
 呼ばれて、希はどきっとした。
「時、あたしは……」
 何か言い訳しようとして、何を言い訳するのか分からず口を噤んでしまう。だって希は悪いことなどしていない……はずなのだ。
 不安げに時満を見やると、彼は希の両肩に優しく触れる。穏やかに笑ってくれた。
「考え方がすれ違うことなんて、あるのが当然だ。大丈夫、こんなことくらいで俺は希を嫌いになったりしないよ」
「時……」
 抱き締められて、希の身体から緊張がほぐれていった。もっと時満の温もりを感じたくて背中に手を回すと、安心感が心を満たしていく。
「ただ……」
 肩口からためらいがちな声が上がった。
「俺もやっぱり、他の奴にお姫様だっこされてる希なんて見たくないんだ。だから、できればこれからは改めてくれないかな?」
「でも……」
 希の眉間に皺が寄った。納得できない。
 だって、つまりは時満も「お姫様だっこイコール浮気」と思っているということなのだ。こっこ遊びでも駄目なんだろうか? そんなのちょっと堅すぎないか? だって彼には……。
 そこまで考えて目を閉じた。
(これ以上、問題をひっかき回したくない)
「時じゃ、あたしをお姫様だっこできないじゃない」
「え」
(……あ)
 希は硬直した。頷こうとしたはずなのに、ついつい本音がぽろりと零れた。
 時満は固まっている。俯いたまま、後ずさった。
「ごめん、今のは……」
「…………」
 時満は反応しない。希は唇を噛んだ。
 わがままを言ってしまった。だが同時に、これが自分の本心なのだと気がついていた。
 希はお姫様だっこなんて夢でしかないと思っている。だが、ちっとも憧れていないと言えば嘘なのだ。自分より背が低い時満に、無茶なことを要求して彼のプライドを傷つける気など彼女には毛頭なかったから、とっくに諦めたつもりでいたのに、まだこんなことを考えていたなんて。
 だからあのとき、由人ならできるなんていう言い方をしてしまったのだろうか。それを咎められたから、あんな風に言い返してしまったのだろうか。
 時満がぱっと顔を上げた。希ははっとするが、目を剥き、たじろぐ。
「ちょっと……?」
 恐怖が背筋を這いのぼった。
 時満は笑っていたのだ。別に希を睨んでいるわけじゃない。だがだからこそ、なお怖い。彼はその表情を保つために顔じゅうの筋肉を緊張させていたのだから。頬や眉のあたりが痙攣し、こめかみには青筋が。口が微妙に引きつっている。
(こ、怖い……!)
 初めて見た、時満の怒り顔だった。
「俺にだって……」
 時満が距離を詰めてくると、思わず希は震え上がった。
「俺にだってお姫様だっこくらい、できる!」
「きゃっ!?」
 時満は身を屈めると希の腰に取りついた。よろけた彼女の背中を自分の腕で支え、膝裏に手をかける。
(ひいっ!?)
 ひっくり返る!
 希が目を瞑った瞬間。
(え……?)
 希は浮き上がっていた。
「うぐぐぐぐ……」
 時満の呻き声に目を開けると。
 希はぽかんとした。
(お姫様だっこ……)
 されてる――!?
 わっと胸が熱くなった。頬が上気し、頭がぽーっとなる。
「時……」
 うっとりと、名前を呼んだ。
 時満は顔を真っ赤にしている。なんとか踏ん張ってはいるが、両腕はぶるぶる震えていた。だが必死に、希を喜ばせようとしてくれている。
 きゅん、と胸が締め付けられた。
「ど、どうだ!?」
 希は満面の笑顔になった。
「うん、これが一番嬉しい!」
 求めていたのは、これだったのだ。
 時満は笑い返そうとして力尽き、二人は簡単にくずおれてしまった。だが彼が希を守るように抱き締めてくれていたので、彼女は足を少し打っただけで済んだ。
 仰向けになり希の下敷きになった時満が、苦しげに息をついている。希は慌てて彼の上からどいたが、負担にならないよう再び覆いかぶさり
「ありがとう、時」
 時満の頬にキスをした。
「希……」
 時満が微笑する。
「あたし、もう時以外とは絶対これしないと思う。する必要、なくなったもの」
「そうか……!」
 両手が伸びてきて、時満が希の両頬を挟み込んだ。引き寄せられ、今度は唇に口づける。二人はクスクス笑いあった。
 由人のことを「わがまま」と言っていたけど、自分は大人になろうとしすぎていたのだろうか。本当は自分も「わがまま」が言いたかったのに。
(たまには、あたしもわがまま言おうかな)
 時満にじゃれつきながら、希はそんなことを思った。

 一方、園夫と由人は、そんな二人を羨ましそうに眺めていた。
「いいなぁ」
 ぼそりと由人が呟く。園夫は冷や汗を流しながらそっぽを向いた。由人の視線を感じるが、目を合わせてはいけないと思う。
 園夫とて由人を大事に思っている。お姫様だっこ、ぜひともしてやりたいのだ。
 だが物理的に不可能なのだから仕方がない。時満の相手はまだ女だからよかったが、男というのは見た目以上に重量がある。超ヘビー級だ。いくら自分といえど、手に余る。
 逆は嫌だ。女役なんて、負けを認めるようなものだ。園夫は、恋人に対しては常に優位に立っていたいのだ。これも一種の男のロマン。少しは理解してほしい。
 なのに由人は。
「園くん」
 顔を覗き込まれ、園夫はぷいっと横を向いた。すると
「園くんっ」
 逆から覗き込まれる。
 右、左、右、左と不毛な攻防が続いたあと
「だああっ! しつけー、いい加減にしろ!」
「なんだよ、無視はひどいじゃない!」
 ぶち切れた園夫と半泣きになった由人が衝突した。
「一回くらいさせてよ、減るもんじゃなし!」
「ざけんな、減るだろ。おまえ少しは俺の気持ちも考えろよ!」
「考えてるよ。だから一回だけって言ってるんじゃないか!」
「そりゃあ、一体どんな理屈だ!? 俺が長年積み上げてきたものを、おまえはぶち壊すつもりか!?」
「園くんは僕より自分のプライドの方が大事なの!?」
「そっくりそのまま返してやるぜ。てめえは俺より自分のの方が大事なのか!?」
 伸びてきた手を乱暴に叩き落とすと、口をへの字にした由人が唸った。二人は激しく睨み合う。
 来るなら来やがれ! 園夫は臨戦態勢だ。
 由人の目つきがすっと変わった。
(来る……!)
 一瞬のうちに、柔道仕様で腰を落とした由人が間合いを詰めてきた。掴みかかってきた手を払い僅かに身を引くと、彼は身を屈めてタックルを仕掛けてくる。
「うおっ!?」
 イレギュラーな攻撃を園夫は横に飛んで躱した。動きに無理があったせいかたたらを踏む由人から、目を離さずに体勢を立て直す。
 二人は再び向き直った。
「嫌がられたら無理にでもってか? いい根性してるじゃねえか」
「園くんこそ、こんなに僕が頼んでるのにどうして聞いてくれないの?」
「頼むにしちゃ、頭の位置が高すぎやしねえか?」
 話は延々、平行線だ。
 そんなことにも気づかずに、二人の対立は深まっていく。
 カーン!
 決戦のゴングが鳴った。
「絶対するもんね。お姫様だっこー!」
「返り討ちにしてやるぜ!」
 二人は闘志を燃え上がらせた。

「……不毛だわ」
 ぽつりと、希は呟いた。
「まあ、これでも食べなよ」
「えっ? わーいっ」
 ぱくっ
 しかし時満に弁当の卵焼きを差し出されると、幸せに浸ってしまうのだった。由人たちからは少し離れ、すっかりくつろいでいる二人である。
「させてよ、させてよ、お姫様だっこ!」
「嫌だ。ざけんな。いい加減にしろ!」
 だがすぐそばを由人たちが横切っていくと、希はまた心配顔になってしまう。
「二人とも我が強いのよね」
「本音を言い合えるのはいいことだよ」
「えー、でもさあ。どちらかが折れないと問題は解決しないじゃない?」 
 時満は、ははっと笑った。
「大丈夫、見てな。そのうち園が折れるから」
「えー?」
 疑わしげに時満を見ると、彼はいたずらっぽく園夫を指で示した。
「園もゆーには弱いってこと」
(え!?)
 希はぎくっとするが
「……ああ~」
 すぐに、しんみり顔になる。
「それに、好きな子に泣かれたんじゃ、プライドもへったくれもないだろうしな」
「あー……、そうだね」
 希は複雑な気分になった。不本意ながら、園夫の気持ちがよく分かる。
 ――そう。
 結局、園夫は希と同じなのだ。由人がかわいくて、だから彼には絶対勝てない。ついつい甘やかし増長させてしまう。
 わがままで無神経で、自分に正直すぎる由人。彼にどんな魅力があるのか、それははっきりとは分からない。ただ、自由に生きている彼が時々、希は羨ましくなる。彼が自分を見失うことなんて、きっと一生ないんだろうと思うから。
 この気持ちがある限り、自分たちは由人に振り回され続けるのだろう。
「園く~ん!」
「こんちくしょー!」
 園夫の絶叫が天を突いた。
「絶対いつか、てめえよりでかくなってやる!!」
(そりゃ、無理でしょ)
 冷静なつっこみを入れつつも、希は憐れな同胞の未来に、しばし瞑目した。

   完
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