母さん、僕はこんな風に生まれ変わりたくなかった

解場繭砥

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11 私は痴漢を華麗に蹴り上げられない

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 郁と圭輔の間は中学校の間ずっと、近づきも離れもしなかった。
 その上、たまたま同じくらいの学力でたまたま同じくらいの公立高校に行くことになったのは、郁と圭輔だけではなく西沢も美里もだった。腐れ縁と呼んでも良かったかも知れない。
 縁という割に、郁と圭輔の距離は近くないけれど。

 近づきも離れもしないということは、郁が誰か別の人を好きになり、圭輔と無関係な青春を過ごすようなことは起きなかったということだ。小学生ぐらいの時は、全くの大人に見えた高校生というものは、中学生と何も変わらなかった。ほんの少し背が伸びただけだ。

 新しい恋など無いというのは、圭輔も同じようだった。少しも浮いた話を聞かなかった。相変わらず西沢とつるみ、延々とゲームの話を繰り返している。同じゲームなのか違うゲームなのかも、郁にはよくわからない。
 圭輔はその好きな人というのに告白したのかしなかったのか。告白したのなら、付き合うなり諦めるなりありそうだが、ついぞそんな話を聞かないから、告白もしていないんだろうな。
 郁は一応振られた形なのに圭輔を諦めていない自分を棚に上げてそう思った。

 恋の話なら、高校で新しく出会った同級生たちからなら、中学時代より頻繁に聞くようになった。だがこの四人に関しては、西沢も美里も含めて、みな空気が止まっていた。

「良くないわ」というのは美里である。「田村を一途に想い、想い続けるその気持ちは一見美しいけれど、あなたは青春を棒に振ろうとしている」
 この四人のうち、少なくとも女子組は自分を棚に上げ続けている。
 郁は、自分が棚に上げるのは自覚できなかったが、美里が棚に上げるのははっきり見えたので一応言い返そうとした。
「美里だって――」
「私はあなたのような美少女が消耗するのが耐えられないのよ!」
「美少女て」
「いい? 高校に入って徒歩通学から電車通学になった。それから何度も痴漢被害の話を聞かされたわ」
「聞きたくなかったのならごめんなさい。そんなつもりじゃ。美里は強いから人に愚痴ったりしないわね」
「そう、それよ」
「え」
「今、私も痴漢に遭っている前提で話をしたでしょう」
「そりゃ、女の子はみんな――」
「私はされたことがない」
「……そうなの。びっくりした」
「可愛い女の子は全ての女の子が痴漢されていると思っている。そこが腹立たしい。こういう話を聞くと、私が痴漢されたがっていると解釈する男も腹立たしい。だからあなたのような可愛い子は幸せな恋をする義務があるわ」

 何が〝だから〟なのか、論理が飛躍し過ぎて全く郁には理解できない。高校に入って数Iを学びベン図やら対偶やらで説明される論理の世界とは明らかに異質だ。だがその主張には迫力があった。

 郁にしてみれば、決して美里の容姿が劣っているとは思えなかった。むしろ、自分より美少女だとすら思っていたのだ。もし、電車に乗る女の子なら誰でも遭っていると思っていた痴漢被害に遭っていないとすれば、それは容姿ではなくて、その迫力のせいではないだろうかと思った。強さが滲み出ているのだ。

 翻って郁は弱かった。結局この痴漢の話は、郁が美しいという話なんかではなくて、弱そうに見えるということでしかないのではないか。こいつなら一切抵抗しないんじゃないかと。事実できなかった。
 もしこれから美里に痴漢をする男が現れたとして、美里ならその男を、美しい脚と美しいフォームで華麗に蹴り上げることができるに違いない。

 郁は強くなりたかった。痴漢も、その他の変態も、郁をよけて通るぐらいになれれば、圭輔と釣り合うようになるだろうか。

 圭輔の好きな人は、やはり強いだろうか。強くて痴漢を美しく蹴り上げるだろうか。そういうぐるぐるした思いが、久しぶりに郁を圭輔の家の前まで導いたのかもしれなかった。

 子供の頃は、よく中に上がって遊んだ圭輔の家は、少なくとも外観にさしたる変わりはなかった。本当に仲良しだった。お医者さんごっこすらした記憶もある。男女でとんでもないことをしていたんだなと郁は苦笑いした。もっとも、よく漫画などでは不純な動機で行われるとされるものだが、単に何も知らなかっただけだ。

 そのお医者さんごっこをした圭輔の部屋は、家の東端にある。わずかにカーテンの隙間があった。誰かが動いている。圭輔の頭とわかった。
 他に人がいる、と思ったがもうひとりも西沢とわかり、全く相変わらずだと郁は思った。おそらく今では圭輔の部屋にテレビとゲーム機が置いてあるのだろう。

 そう思ったが、何か動きが奇妙だった。テレビゲームをしているなら、だいたい同じ方向を向いて、頭はあまり動かずに、動かすとしたら指先ではないだろうか。
 それが妙に動いている。相撲でも取っているのだろうか。こんな狭い部屋で、もう高校生になって図体も大きくなった男二人が相撲をとったら危険ではなかろうか。

 次の瞬間、郁の網膜に映った画像は不思議なものだった。

 不思議、というか、日本語ではあるが、全く知らない文法で綴られた言葉のように、現象の断片は理解できるが全体は理解できなかった。

 圭輔が西沢の上に覆い被さり、――キス――をしたように見えた。

 郁の思考は停止した。人は死ぬときに、だんだんと意識が遠のき自分というものがなくなっていくんだろうな、という感じで、郁は自分というものがなくなっていた。

 死を予感するには早すぎたが、この事態を理解してしまったら、それは死の宣告に等しかった。宣告を少しでも遅らせるために、郁の脳細胞の全てが総動員で牛歩戦術を取った。

 しかしそれらは全て無駄な抵抗だった。

 圭輔は少しも悪くなく、西沢も少しも悪くなく、しかし郁は覗きという行為を行った悪人だった。自分自身に、何一つ申し開きができないまま、郁はその場ようやく背を向けて、一歩を踏み出した。
 郁は邪魔者でしかなかった。邪魔者は、立ち去る。それが唯一の、郁に出来る正しい行動だった。少しでも強くあろうとする郁の、正しい行動だった。
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