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24 生まれてきちゃいけない
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病院で幸視が目を覚ますと絵梨と圭輔がいた。するとここは現在というわけだ。
肉体的には何の傷もないものの、幸視の精神的なショックは大変なものだった。
コンクリートに身体が叩きつけられた記憶という、物理的な精神的ショックは、ショックの本丸に比べれば大したことはなかった。
目をうっすらと開けると、決して目を合わせてはいけない瞳が四つ見えてそしてまた目を閉じた。
二つは、自分が害を為した人の夫のものだ。もう二つは、決して自分などが汚してはいけない人だ。そう幸視にはわかった。
だが二人はその一瞬で駆け寄って、同時に話しかけ始めたので、寝たふりをするなどというごまかしは利かなかった。再び目を開き、しかしかっと見開く元気はなくて力なく、二人を、というよりは、二人の方向の空中を見つめた。
「宮前さん? だっけ、もう君はお帰りなさい」
合わせる顔が無いのに、いざ帰られてしまうとそばにいてほしい。子供のように甘ったれた感情が自分に住んでいるのが幸視は嫌になった。引き留める資格はない。絵梨は素直に帰っていった。ずいぶんと重苦しい足取りではあった。
「いつか転んで以来だな。こういうの」まだ幸視は圭輔を力なく見つめている。「あれから郁の記憶が入ってきたんだっけか」
確かに状況は全くよく似ている。一度目は、母親の記憶。だと思ったもの。二度目は、柳川の記憶。しかしその二つの人格は全く違うものだった。
一度目は、戸惑い翻弄されながらも、幸視は嬉しくもあったのだ。だが、今度わかった真実は少しも嬉しいところがない。欠片もない。
どこまでも状況は似て、入院をすることもなくその日のうちに帰された。だが翌日幸視は学校に行くこともできなかった。
広田が見舞いに来た。
「大丈夫か」
大丈夫ではなかった。
「ありがとう」大丈夫、と言う代わりに幸視はそう返事した。
「何かあった?」
「何も」
「何かあったようにしか見えない!」
幸視はそれを聞くと、出す気力もなく微かだった声は、絶え絶え、というラインを経てアアア、という声になり、幸視はそのまま広田に抱きついた。
「僕は……僕は生まれてきちゃいけなかった!」
「おい、しっかりしろ!」広田は両の手で幸視の頬を包んだ。「生まれてきちゃいけない人間なんていない!」
「いるんだ、ここに」
「お前の母さんは、お前を望んで産んだんだろ! それはお前が一番よく覚えてるはずだ」
「誰か他の子供が生まれるべきだった」
「そんなことない!
しばらくの押し問答のあと、幸視はようやく落ち着いてきた。
落ち着くと、幸視は広田にだけは真実を話そうと思った。被害者の夫でもなく、恋をする可能性もない相手なら、あの二人と違って第三者になってくれる。
広田は幸視にとって、世界で最も信頼できる第三者だった。
「それは……かなりヘビーな話だが」広田の唇が震えていた。「だがもう一度言う。生まれてきちゃいけない人間なんていない。幸視は幸視だ。その前世の奴じゃない」
広田の言葉は幸視には綺麗事に聞こえた。同じ魂を持つ人間は、同じように悪事に手を染め、同じように狂ってしまうように思えてならなかった。
「ん……」
〝うん〟も〝ううん〟も不誠実だった。片方は幸視の心に、片方は広田の心に嘘をつく返事だった。もう一度広田は幸視を抱きしめ、背中をぽんぽんと叩き、言った。
「大丈夫だ」さらに何度も背中を叩いた。
「親父さんは?」
「会社」
「じゃなくて。話したのか」
「まだ」
「そりゃ、そうだな」
「話せない」
「ああ……」
「誰にも話してない。宮前にも」
「話す必要あるか?」
「昨日父さんが来るまでそばにいた」
「え?」
「宮前の目の前で倒れたから」
「……そうか。だったら宮前も様子を見に来ても良さそうなもんだが……あいつ今日休みだったぞ」
今度は驚くのは幸視のほうだった。
幸視のことを広田が見舞ったように絵梨のことは花崎が見舞っていた。
だか絵梨の目もまた虚ろだった。
花崎が幸視の病室で幸視のことも見ていたら、同じような目つきだと驚いたに違いなかった。
「なんで……前世に興味があったのかわかったの……」そうベッドに寝たまま絵梨は天井に話した。
「絵梨ちゃん。なに、前世って何のこと」
花崎の妄想に付き合うのが嫌でその話をまだしていなかったので、絵梨は疲労にもかかわらず一から説明して大変だった。
「すごい話……それで……それでどうわかったの……」
「夢を見たの。私も」
「夢?」
「田村が見たのと、同じような夢。けいちゃんを、追いかける」
「けいちゃんって、誰」
「田村のお父さんよ」
「でも、田村のお母さんなのは田村なんでしょう?」
「そこは、わからない」
「さっきわかったって」
「もしかしたら、私の魂は田村のコピーかもしれない。わからないけど」
「……」
「わかったのは、私が田村のお母さんに関係があったってこと。だから前世なんてものに突然興味がわいたんだわ」
「……運命?」
「かもしれない。目の前で田村が倒れたショックで記憶が蘇ったんだと思ったんだけど……違うかもね」
「それじゃあ……何が原因だと?」
「けいちゃんに会ったこと。病院で、一緒にいたの」ようやく絵梨は起き上がった。「私、けいちゃんのこと大好きだったんだなぁ」
翌日、広田と花崎は、また作戦会議をした。
作戦会議というのは、今までの延長で言っているだけで、もう別れさせる作戦は存在しなかった。
花崎は、衝撃的な事実を知ったばかりで、秘めるべきことは何も考えておらず、聞いたことをそのまま話してしまった。
広田のほうは、花崎の話を聞いてさらなる衝撃を受けたのみならず、事態の全体を理解した。そして広田が絵梨を嫌う気持ちは急速に萎えていった。広田が絵梨を嫌うのは、絵梨が部外者だったからだ。広田も部外者だが、事情を知る権利は当事者に委ねられなくてはいけない。
だが、絵梨は、当事者だった。
絵梨の魂は、コピーではない。
絵梨のほうが、本物なのだ。
広田が絵梨を嫌う理由が消えたら、二人がくっつくよう協力すべきだろうか? 広田は思案した。だがこれは恋愛だから、二人がくっつくのは飽くまで互いの意思でなくてはならない。
そして、絵梨が誰を好きになるかは、もうひとつ選択肢があった。
「そういうことだよな……なあ。どうすべきだと思う?」
「なんか一人で納得してるけど何がそういうことなのか説明して欲しいんだけど」
肉体的には何の傷もないものの、幸視の精神的なショックは大変なものだった。
コンクリートに身体が叩きつけられた記憶という、物理的な精神的ショックは、ショックの本丸に比べれば大したことはなかった。
目をうっすらと開けると、決して目を合わせてはいけない瞳が四つ見えてそしてまた目を閉じた。
二つは、自分が害を為した人の夫のものだ。もう二つは、決して自分などが汚してはいけない人だ。そう幸視にはわかった。
だが二人はその一瞬で駆け寄って、同時に話しかけ始めたので、寝たふりをするなどというごまかしは利かなかった。再び目を開き、しかしかっと見開く元気はなくて力なく、二人を、というよりは、二人の方向の空中を見つめた。
「宮前さん? だっけ、もう君はお帰りなさい」
合わせる顔が無いのに、いざ帰られてしまうとそばにいてほしい。子供のように甘ったれた感情が自分に住んでいるのが幸視は嫌になった。引き留める資格はない。絵梨は素直に帰っていった。ずいぶんと重苦しい足取りではあった。
「いつか転んで以来だな。こういうの」まだ幸視は圭輔を力なく見つめている。「あれから郁の記憶が入ってきたんだっけか」
確かに状況は全くよく似ている。一度目は、母親の記憶。だと思ったもの。二度目は、柳川の記憶。しかしその二つの人格は全く違うものだった。
一度目は、戸惑い翻弄されながらも、幸視は嬉しくもあったのだ。だが、今度わかった真実は少しも嬉しいところがない。欠片もない。
どこまでも状況は似て、入院をすることもなくその日のうちに帰された。だが翌日幸視は学校に行くこともできなかった。
広田が見舞いに来た。
「大丈夫か」
大丈夫ではなかった。
「ありがとう」大丈夫、と言う代わりに幸視はそう返事した。
「何かあった?」
「何も」
「何かあったようにしか見えない!」
幸視はそれを聞くと、出す気力もなく微かだった声は、絶え絶え、というラインを経てアアア、という声になり、幸視はそのまま広田に抱きついた。
「僕は……僕は生まれてきちゃいけなかった!」
「おい、しっかりしろ!」広田は両の手で幸視の頬を包んだ。「生まれてきちゃいけない人間なんていない!」
「いるんだ、ここに」
「お前の母さんは、お前を望んで産んだんだろ! それはお前が一番よく覚えてるはずだ」
「誰か他の子供が生まれるべきだった」
「そんなことない!
しばらくの押し問答のあと、幸視はようやく落ち着いてきた。
落ち着くと、幸視は広田にだけは真実を話そうと思った。被害者の夫でもなく、恋をする可能性もない相手なら、あの二人と違って第三者になってくれる。
広田は幸視にとって、世界で最も信頼できる第三者だった。
「それは……かなりヘビーな話だが」広田の唇が震えていた。「だがもう一度言う。生まれてきちゃいけない人間なんていない。幸視は幸視だ。その前世の奴じゃない」
広田の言葉は幸視には綺麗事に聞こえた。同じ魂を持つ人間は、同じように悪事に手を染め、同じように狂ってしまうように思えてならなかった。
「ん……」
〝うん〟も〝ううん〟も不誠実だった。片方は幸視の心に、片方は広田の心に嘘をつく返事だった。もう一度広田は幸視を抱きしめ、背中をぽんぽんと叩き、言った。
「大丈夫だ」さらに何度も背中を叩いた。
「親父さんは?」
「会社」
「じゃなくて。話したのか」
「まだ」
「そりゃ、そうだな」
「話せない」
「ああ……」
「誰にも話してない。宮前にも」
「話す必要あるか?」
「昨日父さんが来るまでそばにいた」
「え?」
「宮前の目の前で倒れたから」
「……そうか。だったら宮前も様子を見に来ても良さそうなもんだが……あいつ今日休みだったぞ」
今度は驚くのは幸視のほうだった。
幸視のことを広田が見舞ったように絵梨のことは花崎が見舞っていた。
だか絵梨の目もまた虚ろだった。
花崎が幸視の病室で幸視のことも見ていたら、同じような目つきだと驚いたに違いなかった。
「なんで……前世に興味があったのかわかったの……」そうベッドに寝たまま絵梨は天井に話した。
「絵梨ちゃん。なに、前世って何のこと」
花崎の妄想に付き合うのが嫌でその話をまだしていなかったので、絵梨は疲労にもかかわらず一から説明して大変だった。
「すごい話……それで……それでどうわかったの……」
「夢を見たの。私も」
「夢?」
「田村が見たのと、同じような夢。けいちゃんを、追いかける」
「けいちゃんって、誰」
「田村のお父さんよ」
「でも、田村のお母さんなのは田村なんでしょう?」
「そこは、わからない」
「さっきわかったって」
「もしかしたら、私の魂は田村のコピーかもしれない。わからないけど」
「……」
「わかったのは、私が田村のお母さんに関係があったってこと。だから前世なんてものに突然興味がわいたんだわ」
「……運命?」
「かもしれない。目の前で田村が倒れたショックで記憶が蘇ったんだと思ったんだけど……違うかもね」
「それじゃあ……何が原因だと?」
「けいちゃんに会ったこと。病院で、一緒にいたの」ようやく絵梨は起き上がった。「私、けいちゃんのこと大好きだったんだなぁ」
翌日、広田と花崎は、また作戦会議をした。
作戦会議というのは、今までの延長で言っているだけで、もう別れさせる作戦は存在しなかった。
花崎は、衝撃的な事実を知ったばかりで、秘めるべきことは何も考えておらず、聞いたことをそのまま話してしまった。
広田のほうは、花崎の話を聞いてさらなる衝撃を受けたのみならず、事態の全体を理解した。そして広田が絵梨を嫌う気持ちは急速に萎えていった。広田が絵梨を嫌うのは、絵梨が部外者だったからだ。広田も部外者だが、事情を知る権利は当事者に委ねられなくてはいけない。
だが、絵梨は、当事者だった。
絵梨の魂は、コピーではない。
絵梨のほうが、本物なのだ。
広田が絵梨を嫌う理由が消えたら、二人がくっつくよう協力すべきだろうか? 広田は思案した。だがこれは恋愛だから、二人がくっつくのは飽くまで互いの意思でなくてはならない。
そして、絵梨が誰を好きになるかは、もうひとつ選択肢があった。
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