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60 番犬交代

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 もはや握り部分の大きさを優に越えているので、攻撃箇所の丸くなった部分を覆うようにくっついている。
 忘れていたわけではないけれど、ポン吉がいなければスラスラの制御が困ってしまう。
 頭を掻いた俺にポン吉が鼻を摺り寄せたので、意思疎通ができるよう柴犬になってもらった。

「言葉の通じない俺が、スラスラを連れて行くのか?」
「ワン、ワンワン(大丈夫、気持ちわかる)」
「スライムが?」
「ワン(そう)」

 試しにスラスラヘ少しだけ形を変えろと命じた。スラスラは表面を不規則にさざ波立てただけだった。

「ダメじゃないか」
「ワン。ワン、ワン、ワン(違う。どけ、伸びろ、止まれ)」

 ポン吉の吠えを聞いたスラスラは、面白いように動きを見せる。
 俺も真似をしたら、今度はしっかりと反応をした。命令も単純明快でないとダメらしい。
 懸念が払しょくされると、ポン吉は元のサイズヘ戻り、ベアトリスは華麗な仕草で地表から十メートルはあるだろう背へ横座りになった。
 とても真っ白できれいな脚についた筋肉だけでは、これほど高くは飛び上がれない。闘技会で見せた風魔法に違いないだろう。
 スカートの中が気になって視線が自然と向いてしまったが暗かった。どうやら本能的に見てしまうのらしい。
 少し頬を引きつらせたベアトリスが俺に嫣然と笑い掛ける。
 多分バレてる。

「……プリさん、長老から秘薬をもらったらすぐに戻ります。どこで落ち合いますか?」
「そ、そうだなっ、俺達は別用もあるし、フォートレスでどうだろう⁉」
「――わかりました。では先に行ってます」

 誤魔化すように声が少し大きくなってしまった。
 本当は次の目的地のダマスカスを指定したいが、こんな小さなクエストでさえスーは同行を嫌がった。
 どのくらいでベアトリスが戻るかもわからないし、落ち着いて持っていられる宿などが整っているところは、フォートレスくらいしかなかった。
 手を振るベアトリスを乗せたポン吉は颯爽と駆け出し、あっという間に見えなくなった。残された俺達もスーが先に白馬へ跨り、俺がその後ろへ乗った。
 これからは日程をタイト管理しなければならない。俺達は無駄口もたたかず馬を走らせて目的地を目指した。

 ポン吉だとすぐに近づいたり離れたりしたのに、崩れた屋敷跡へはなかなかたどり着かない。夜は夜でポン吉毛布がなくなってしまったので、師匠のマントに包まる日々が再び始まった。寝ずの番も必要になる。
 焚火をどうするか悩んだが、見通しが良すぎるのでやめておいた。いつもなら体をくっつけて来て饒舌に話を始めるスーが黙ったままなのは、悩んでいるのだろう。

 白馬を駆って三日、ようやく目的の屋敷跡がはっきりと見える場所までやって来た。
 賊が根城にしていないかの確認なので、うかつに近寄ることはできない。
 スーと俺は白馬を降りてから慎重に周辺を探った。
 すっかり干からびて荒れ地になっているが、もとは田畑があったのだろう。屋敷へ行くまでに、枡のような四角形の低い土盛りや水路らしきものがいくつも並んでいた。
 スーが黙って立ち止まる。視線はさまっているようで、何を見ているのか俺にはわからない。
 何者かが住んでいる手がかりを探すくらいは俺でもできる。枯れた水路沿いに歩みを進めると、突然背中が軽くなった。
 スラスラがメイスから離れたらしい。寝ぼけて落ちたのかとも考えたが、水色のスライムは水路に入ってどんどん進んで行く。

「あ、こら、待て!」

 スーも気がかりだけど、このまま屋敷跡まで不用意に行かれるのはもっと困る。
 急いで追い掛けると、屋敷の建った丘の裏側へ回りこみ、ようやくスラスラが止まった。

「どうした?」

 何となくスラスラが俺を見ている気がする。
 辺りの様子は、少し前にポン吉が荒れ地の中で休む場所にした岩場に似ていた。

「そこに何かあるのか?」

 水色の表面がさざ波のように震えた。
 スラスラの止まったすぐ上の岩場を確認すると湿っている。
 背後にスーの気配を感じたが、そのまま続けた。

「スラスラ、どけ」

 ポン吉の教えてくれたとおりに、単語でスラスラに命令をした。背負ったメイスを両手に握り、思い切り岩へ叩きつける。
 水分で脆くなっていた岩盤はあっさりと打ち砕かれ、最初はチョロチョロと、徐々に吹き出すように水が流れ始めた。

「ポン吉が連れて行ってくれたあの岩場もお前のおかげか⁉」
 
 俺の驚きなど知ったことではないらしい。
 スラスラは目の前に水が出てそれどころではないのか、ビョンビョン跳ね回って水しぶきを上げている。多分狂喜している。
 乾いた水路にも少しずつ水が流れ始めたものの、ひび割れも多いし貯まりはしないだろう。
 それでもスラスラが楽しそうなので、俺も自然と笑みを浮かべながらスーを振り返る。
 スーは顔に手を当てて、驚愕の表情を浮かべながら涙を流していた。俺は大慌てで駆け寄った。

「どうした⁉」
「プリちゃん、ううん、カッシーさんはずるいです――」
「何がだ⁉」
「どうして、どうしていてくれなかったのですか……」
「スー?」
「プリちゃんのお父様もスーの父様も、カッシーさんがいてくれれば大丈夫だったかもしれないのに、どうして!」

 スーが俺の胸に顔を埋めて泣き崩れた。
 訳がわからないので聴きたいけれど、とてもそんな雰囲気ではない。
 とりあえず落ち着くまで、抱いたスーの背中を軽く撫で続けた。
 しばらくするとスーの嗚咽がなくなり、俺の腰へ回した腕へ更に強く力を入れ、これでもかと抱き締められる。
 続いて顔を胸の間へ押し込むようにグリグリとしてきた。痛いやらこそばいやら、スーは何がしたいのだろう。

「スー?」
「――はい」

 胸の間から小さいくぐもった声が聞こえる。返事があったことに安堵を覚えた。
 ふと気がつけば、丸々としたスラスラも俺の足元へ戻っている。

「ちょっと座ろうか」
「――はい」

 スーから体を預けられていたので体勢が少し苦しくなり始めていた。
 俺がその場へ腰を下すと、スーもようやく体を放して隣に座った。
 俺達の足の前でスラスラが動かなくなる。ポン吉がいれば、多分座っているであろう定位置。
 柴犬ポン吉くらいのサイズになっていたので印象が重なったのかもしれない。
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