キミは躊躇せず虫を殺すことができるか?

憚 岩三

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キミは躊躇せず虫を殺すことができるか?

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「僕ですか?」

「キミ以外に誰がいるというのかね」

「はぁ」

「虫は嫌いか」

「いえ、別に、あまり考えたことがありません」

「そうか」

「はい」

「それで?」

「あぁ、虫を殺すのが平気かどうかですよね」

「少しニュアンスが違う、虫を平気で殺すことができるかどうか、と質問している」

「うーん、どうでしょうね、蚊くらいなら平気ですね」

「他の虫は違うか」

「ゴキブリとか、やっぱりちょっと大きい虫を殺すときは躊躇します」

「なら、アリはどうだ?」

「アリも別に…ガキの頃は巣に水を入れたり、行列を踏んづけたりしましたが、今は好んで踏んだりはしないです」

「ゴキブリや蚊を殺すのは好きか?」

「いや、好きで殺すわけじゃないですよ」

「なら、なぜ殺すんだ?」

「なんでって、蚊は血を吸うし、かゆくするじゃないですか、それがイヤだから、ですね」

「そうか、ならゴキブリは?」

「ゴキは気持ち悪いじゃないですか、真っ黒で素早くて」

「つまり、嫌悪感を抱く対象だから殺すというわけか、キミは嫌いな人間や生理的に受け付けない人間を殺すか?」

「殺すわけないじゃないですか、そんな理由で人を殺してたら、すぐ捕まって死刑になりますよ」

「その通りだ、ならば、ゴキブリを殺すのは死刑にならないから、ということになるが?」

「うーん、まぁ、たしかに、そういう言い方もできなくないですね」

「だが、ゴキブリだって、蚊だって、我々と同じように『命』があり、死んだら生き返らないんだぞ?」

「そうですね、なので、そういう意味では、平気で殺してはないです」

「そうか」

「はい、殺すときは、躊躇っていうか、悪いな、って気持ちは少なからずあります」

「ゴキブリや、蚊に対してか」

「そうですね、できれば、あいつら、こっちに近付いてこないで欲しいですよ」

「なぜ、虫たちは人間に近付いてくるんだろうな」

「それはわからないですよね、連中とコミュニケーション取れないですし」

「そうなのか?何か実験したり、データがあるのか?」

「いや、そういうわけではないです。単純に、虫と会話できないじゃないですか」

「コミュニケーションとは会話だけのことではないぞ」

「たしかにそうですね、犬とか猫なら言葉が通じなくても気持ちが通じそうな気はします」

「良いことを言うな、言葉が通じなくても、気持ちは通じる、か」

「はい」

「ところでキミは、犬派か?猫派か?」

「両方好きですけど、猫には好かれないですよ、なので消去法のようで犬には申し訳ないですが、犬派です」

「猫は気まぐれで気難しいからな」

「ですね」

「しかし、言われてみれば、犬や猫は近づいてくるな」

「あいつらは、餌が欲しいとか、遊んで欲しいとか、そういうことじゃないですか?」

「虫も餌が欲しかったり、遊んで欲しくて近付いてきてるかもしれないな」

「そんなことないですよ」

「なぜそう言い切れる?彼らとコミュニケーションをはかれない以上、断言もできないだろう」

「まぁ、たしかにそうですね」

「仮に、虫たちが、遊んでほしくて近付いてきているのに、『かゆいから』『気持ち悪いから』という理由で殺されてしまうと考えると、なんとも言えない気持ちになるな」

「うーん、まぁ、どうなんでしょうね、ハチやクモはどうです?刺してきたり、巣を作ったりして迷惑ですよ」

「ハチが刺すのは防衛本能だろう」

「たしかに」

「クモは害虫を食べる益虫とも呼ばれることもある、屋外であれば、巣を作っても迷惑にならないだろう」

「屋内だとイヤですよね、家の中に虫がいるってわかっただけで、なんか気持ちは良くないというか」

「やはり、気持ち悪いという理由で殺すのか」

「いや、クモはなんか殺すのイヤなので、こう上手く紙に乗せたり糸を掴んで外に帰します」

「平気でなくても殺さないか」

「ですね」

「ハエはどうだ」

「あー、ハエは割と前向きに殺しますね、あいつら、腹立つじゃないですか」

「そうなのか?」

「ハチも同じですが、あの羽音が嫌いなんですよ、突然、耳元でブーンって鳴ると叫び声が出ますね」

「どんな感じだ?」

「こう『ぐわぁああ』と」

「なるほどな」

「あと、あの旋回しながら飛び回る感じが、煽られてるみたいで腹が立ちますね、殺意が芽生えます」

「そんなにもか」

「えぇ、虫の分際で人間をおちょくりやがって、と」

「キミも飛び回れたら、そう思わないのかもしれないな」

「いや、そういうことじゃないと思いますよ」

「そうか」

「えぇ」

「なら、ハエは平気で殺すことができる、と」

「うーん、そうでもないですね、家の中にいるのを見つけたら、とりあえず窓を開けて、外に出るように誘導します」

「上手くいくのか」

「まぁ、適当に新聞紙丸めてこっちから攻撃する素振り見せたら逃げますし、そのうち出ていきますよ」

「話は変わるが、キミは新聞を取っているのか?」

「いえ、スポーツ新聞です、たまにコンビニで買うんです。普通の新聞じゃなくてすみません」

「謝ることではない、書いてある内容に大差はない」

「はい」

「それで、キミは平気で虫を殺すことができるどうか、という話なのだが」

「結論、平気では殺さないですね、家に入ってきたらなるべく逃がしますし、殺すときは躊躇しますよ」

「近付いてきた場合は殺すこともあるが、基本的には近付いてきて欲しくない、ということだな」

「そうですね、ちなみに、部長は平気で虫を殺しますか?」

「ワシか、ワシもなるべく殺さないようにしているよ、殺すにしても、平気ということではない」

「そうなんですね」

「虫というのは、無視できない存在なのだと思うことがよくある」

「例えば?」

「ワシが若い頃、歳の頃なら今のキミぐらいかな、1人暮らしをしておった」

「はい」

「5階建てマンションの4階の部屋に住んでいた、もちろん1ルームだがね」

「えぇ」

「夜中、ゲームをしていたんだが、突然、左頬の下に、小さな衝撃があった」

「はい」

「痛みはなかったんだが、驚いて声を上げたよ。部屋の床を観ると、一匹のバッタがおった」

「バッタですか」

「夏場だったから網戸にしていたのだが、いつの間にか部屋に入っていたんだろうな」

「なるほど」

「とは言え、マンションの4階に住んでいて、顔面にバッタが飛びついてくるとは思わないだろう」

「思わないですね」

「だから驚いたな」

「僕だったら腰抜かすかもしれませんよ、ゲームに集中してるところにバッタが顔面に突っ込んできたら」

「そうだろう。ワシはバッタに羽があり飛ぶことができると知っていたから、すぐに網戸を空けて外へ逃がしたよ」

「やはり新聞紙ですか」

「いや、ホウキで掃った」

「なるほど」

「そこで考えたんだ、なぜ、あいつは、わざわざ、ワシの顔面にぶつかってきたのか、と」

「なんなんでしょうね、やっぱり遊んで欲しかったんでしょうか」

「どうだろうな、犬や猫だったら、コイツめと頭をガシガシしたりするんだろうが」

「サイズ感の問題ですかね、バッタが犬猫サイズだったら」

「犬猫サイズのバッタの脚力で顔面に突っ込まれたら首の骨が折れるかもしれんな」

「ですね」

「まぁ、馬鹿な話は置いておいて」

「はい」

「あのバッタがワシの顔にぶつかってきた理由を知りたくてな、虫の考えを理解するのは困難だろうが、何か意思があってのことじゃないかと思えてならないんだよ」

「たしかに、わざわざ4階の部屋に入ってきて、部長の顔面にぶつかったわけですから、意味がありそうですよね」

「これがいわゆる、虫の知らせ、というやつなのかと思ったよ」

「何らかの出来事が起きることをバッタが知らせに来た、ということですね、じゃあ、その後で何かあったんですか?」

「覚えてないから、特に何事もなかったんだと思う」

「じゃあ何の知らせだったんですか」

「いや、虫の知らせだと思ったのはワシの勝手だから、バッタにそのつもりはなかったのかもしれん」

「そういうことになりますね」

「そういえば、昨日も変なことがあったんだ」

「虫の知らせですか?」

「それはわからないが、クモがな、目の前に降りてきたんだ」

「クモ、ですか。たまたま、部長が歩いていた所で巣を作っていたとか、そういうことじゃないんでしょうか」

「いや、外ではない、ワシの部屋での話だ」

「掃除してないから住み着いちゃった感じですかね」

「週に一度は天井四隅のホコリを落としておるから、そういうことでもないと思うんだがな」

「じゃあ、何かの拍子に部屋に入ってきちゃったんでしょうね」

「そうだと思う。それに、クモが部屋に入ってくること自体は大きな問題ではない」

「目の前に降りてきたって、天井からですか?」

「そうなんだ。ワシの部屋は8畳ほどの広さでな、座布団に座り本を読んでいたんだ」

「はい」

「視界に何か動くものがあったから、視線を移したら30センチほど目の前にクモがいたんだよ」

「叫びましたか?キャーって」

「馬鹿を言うな、キミ。クモが出て泣き叫ぶほど、か弱くはないぞ。まぁ、少し声は出たがな」

「どんな感じですか?」

「『うおぉ』とかそんな感じだ。いや、どうでもいいだろうそんなことは」

「ですね」

「ワシが言いたいのは、だ。クモからしたら広大な空間の中で、なぜ、わざわざ、人間であるワシの前に姿を現したのかがわからない、という話だ」

「うーん、部屋の中に巣を作る前に、家主に挨拶したかったんじゃないですか?間借りしまーす、みたいな」

「だとしたら、ずいぶんと律儀なヤツだな。自らが殺されることは想定していなかったのだろうか」

「どうでしょうね、僕は賃貸物件を借りるにあたって大家さんに挨拶に行くときに、殺されるとは1ミリも思いませんけど」

「それは人間同士の話だろう。ましてや、大家からすれば家賃収入を渡してくれる相手なのだから、殺す動機がない」

「殺意が立証できないのであれば殺人罪に問うことは難しいですね」

「キミは一体、誰の何の話をしているんだね」

「いや、部長がクモを殺した件について」

「ワシはクモを殺しておらん、キミと同じように、糸を掴んで外に放ったよ」

「あぁ、そうなんですね。なんでしょう、わかりませんね。クモが何を考えてるかなんて」

「さっきのバッタの話といい、今のクモの話といい、ワシには何か意味があっての行動だと思えて仕方がないんだ」

「虫の知らせ、ですか。あ、そういえばクモって虫じゃないんですよね、厳密には」

「そう言うがな。虫だろ、どう見ても」

「僕もそう思います、理系の人が聞いたら怒るんでしょうかね」

「大きく捉えればクモも虫も節足動物と言ってよかった気がするんだが、忘れてしまったよ」

「でしょうね」

「その名の通り、ムシすべきなのかもしれんが、ワシは彼らの行動が気になって仕方がないんだ」

「普通は、ムシするかどうかなんてことも気にしないと思いますよ」

「まぁ、気にしたところで答えがわかるわけでもないからな」

「えぇ」

「そろそろ戻るか」

「はい」


部長は、僕が所属する総務部の部長だ。

普段は、平社員の僕が部長と会話する機会はあまりない。

社内での立場が違う、当然のことだ。


僕と部長には共通点がある。

僕も部長も喫煙者だった。


入社して間もなくのことである。

休憩がてら、屋外にある喫煙所に行くと、部長が他部署の人たちと談笑していた。

非喫煙者からは文字通り煙たがられてしまうが、愛煙家にとっては有意義な時間なのだ。


入社初日の顔合わせの際に自己紹介をしてもらったので、部長の顔は覚えていた。

「お疲れ様です」

部長と目が合ったので、頭を下げながら挨拶をした。

部長はこちらに気付いたようで、「おう」と言って手を挙げ応えてくれた。

自分のことを覚えていてくれて、気さくに応えてくれたことは、素直に嬉しかった。


それ以降、喫煙所で一緒になった時は会話をするようになった。

仕事の話は、ほとんどしない。

休憩する時間なのだから、それでいいと思っている。



喫煙所から職場に戻るため通路を歩いていた。

「うおぉ」

少し前を歩いていた部長が声を上げた。

左側の壁を観て、首を傾げている。

こちらに目をやり、壁を指差し、また歩き始めた。

部長が指差した個所を観ると、蛾が止まっていた。

どうやら、部長が歩いている最中、目の前を蛾が横切り壁に止まったらしい。

蛾が部長に何を伝えたいのか、僕にも理解はできなかった。

「フッ」と軽く息を吹きかけると、蛾はどこかに飛んで行ってしまった。
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