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第一章
寝室の窓が開いている
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血まみれのルカを残しオーラフ宰相が部屋を出ていくと、入れ替わりに再びドリカが現れた。
ドリカは、血まみれのルカを見ても表情一つ変えず、ルカの背中と大腿の傷に処置を施した。新たに白い衣装をルカに着せ、ベールを再び被せる。
ルカは、またベールをむしり取ってやりたい衝動に駆られたが、部屋の隅に置かれた短鞭が目に入り、ぐっとこらえた。
背中も足も少し動くだけで傷が開いて痛い。これ以上、短鞭を受けるのは怖かった。
大人しくなったルカに、ドリカは淡々と衣装を着付け、最後に顔を濡れたタオルで拭った。
「手を出しなさい」
言われて両手を差し出すと、ドリカはルカの両手をベルベットの紐で縛った。
「さあ、立ちなさい」
紐を引かれ、ルカは立ち上がったが、走った痛みに思わず片膝をついた。ドリカがさっと短鞭に手を伸ばす。
ルカはひっと喉の奥を鳴らして身を縮めた。
「ごめんなさい、許して……」
頭を抱えてがたがた身を震わせる。
ドリカはそれを見て満足そうに頷いた。
「そうやって殊勝にしていればいいのです。王の御前でも同じようになさい。どのようなことをされても、決して逆らってはいけませんよ。言われた通りにしていれば、すぐに終わります」
「……はい」
「よろしい。では行きますよ」
ドリカに引かれるまま、ルカは長い廊下を歩いた。
床は厚い絨毯が敷き詰められ、窓のない石造りの廊下が続く。王宮でも最深部にあたる箇所なのだろう。
突き当りには、彫刻の施された両開きの扉がある。両脇には篝火が焚かれ、騎士が胸の前で剣を構えた姿勢で静止していた。
「この中で待つように」
ドリカが扉を開き、ルカはその部屋の中へ押し込められた。背後で鍵のかかる音がする。
部屋は薄暗く、大きな天蓋付きのベッドとサイドテーブル以外何もない。サイドテーブルの上には香炉が置かれ、胸の悪くなるような甘い香りが漂っている。
少し動くたびに背中も大腿も引きつるように痛い。
一旦はその場にうずくまったルカだが、すぐにこうしてはいられないと気力をふり絞って立ち上がった。
窓の外はまだ明るい。
ライニール王が来るまでまだ間があるはずだ。
「風?」
わずかな空気の流れを感じ、ルカは窓へ駆け寄った。
窓が少し開いている。掛けがねがかけられ、南京錠もしまっているが、よく見るときちんと掛けがねがかかっていない。
窓を閉めたとき、少し開いたまま掛けがねをかけ、きちんと鍵がかからなかったのだろう。
手で窓を押してみると、ギィとわずかな軋み音をたて、外側に開いた。
「………っ!」
ルカは叫びそうになる口を慌てて両手で塞いだ。
耳を澄ませて外の様子をうかがう。
しんと静まり返ったままだ。
ルカの決心はすぐについた。拘束されたベルベットを歯で引き千切り、窓枠に足をかけると窓の外へと身を踊らせた。
そこから華麗に脱出。とはいかなかった。
窓を出て王宮の屋根を伝っていると、早々に巡回の王宮騎士に見つかった。
王の伽にあがるための、ひらひらした白い衣装のルカは目立った。王宮の屋根も壁も白いから、衣装の白とで紛れるかと思ったが、甘すぎる考えだった。
「おいっ! 誰だっ。そこで何をしている!」
窓の外へ出てすぐに誰何の声をかけられ、剣を佩いた王宮騎士が集まってきた。
屋根から落ちないように慎重に歩を進めていたルカだが、見つかっては悠長に構えているわけにはいかない。
ルカは王宮の屋根を駆け出した。
「右へ行くぞ!」
「いや、もっと向こうだ!」
王宮騎士たちは下から声を掛け合い、ルカの居場所を伝えあう。ルカを追う騎士の数はどんどん膨れ上がった。
どうしよう……。
捕まればどんな目に遭わされるか。怖い怖い怖い……。
必死に逃げるルカの目に、いつもルカの暮らしている林が目に入った。
ルカの知り尽くした場所。誰よりもあの林の中は詳しい。身を隠す場所もたくさんある。
ルカは屋根から飛び降りた。
林に向かって一目散に駆けた。
***
「逃げた、だと?」
オーラフ宰相の言葉に、ライニール王は眉間に筋を立てた。
今宵夜伽を命じた希少種の奴隷。
毎月オーラフを診察に立ち会わさせている王宮奴隷だ。
漆黒の瞳と髪のせいか、やけに白い肌で細い腰をしている。体つきは幼いが、その辺の女よりよほどそそられる奴隷。
なぜあの希少種を王宮で飼い、月に一度の診察を受けさせる必要があるのか。考えると腹は立つが、一度くらい抱いてみてもいいと思っていた。
ライニール王には、正妃との間にも側妃との間にもまだ子がない。
打開策として、あの奴隷との夜伽をすすめてきたのはオーラフ宰相だった。希少種の女は妊娠しやすい。血筋を残すために試してみてはどうかと言われ、二つ返事で了承した。
思いきりいたぶって泣かせてやるつもりだった。
あの細い体を組み敷き、己の精を注ぐ。想像しただけで嗜虐心にぞくぞくしていた。
それが、逃げられただと?
希少種の奴隷。あれはただの奴隷ではない。伽から逃げられたとなっては王の面子にかかわるだけではなく、あの奴隷を手放すわけにはいかない理由がライニールにはある。
「おまえの不手際か? オーラフ。あいつを抱けと言ったのはおまえだろう。そのくせ逃がすとはどういうつもりだ」
感情の見えないオーラフの水色の瞳を睨みつける。
オーラフは胸に片手を当て、頭を下げた。
「申し訳ございません。寝室を用意した侍女が窓の鍵を閉め忘れたようです」
「極めて初歩的なミスだな。その侍女は打首にせよ」
「御命のままに。追跡はすでに王宮騎士団に命じております。ルカはこの王宮から出たことがございません。金も持っておりませんゆえ、逃げると言ってもそう遠くへは行けますまい。程なく騎士の手に落ちることでしょう」
「そうあらねば困る。おまえもあの奴隷の持つものを忘れたわけではあるまい」
オーラフは「はっ」と返事をし、再度頭を下げた。
ドリカは、血まみれのルカを見ても表情一つ変えず、ルカの背中と大腿の傷に処置を施した。新たに白い衣装をルカに着せ、ベールを再び被せる。
ルカは、またベールをむしり取ってやりたい衝動に駆られたが、部屋の隅に置かれた短鞭が目に入り、ぐっとこらえた。
背中も足も少し動くだけで傷が開いて痛い。これ以上、短鞭を受けるのは怖かった。
大人しくなったルカに、ドリカは淡々と衣装を着付け、最後に顔を濡れたタオルで拭った。
「手を出しなさい」
言われて両手を差し出すと、ドリカはルカの両手をベルベットの紐で縛った。
「さあ、立ちなさい」
紐を引かれ、ルカは立ち上がったが、走った痛みに思わず片膝をついた。ドリカがさっと短鞭に手を伸ばす。
ルカはひっと喉の奥を鳴らして身を縮めた。
「ごめんなさい、許して……」
頭を抱えてがたがた身を震わせる。
ドリカはそれを見て満足そうに頷いた。
「そうやって殊勝にしていればいいのです。王の御前でも同じようになさい。どのようなことをされても、決して逆らってはいけませんよ。言われた通りにしていれば、すぐに終わります」
「……はい」
「よろしい。では行きますよ」
ドリカに引かれるまま、ルカは長い廊下を歩いた。
床は厚い絨毯が敷き詰められ、窓のない石造りの廊下が続く。王宮でも最深部にあたる箇所なのだろう。
突き当りには、彫刻の施された両開きの扉がある。両脇には篝火が焚かれ、騎士が胸の前で剣を構えた姿勢で静止していた。
「この中で待つように」
ドリカが扉を開き、ルカはその部屋の中へ押し込められた。背後で鍵のかかる音がする。
部屋は薄暗く、大きな天蓋付きのベッドとサイドテーブル以外何もない。サイドテーブルの上には香炉が置かれ、胸の悪くなるような甘い香りが漂っている。
少し動くたびに背中も大腿も引きつるように痛い。
一旦はその場にうずくまったルカだが、すぐにこうしてはいられないと気力をふり絞って立ち上がった。
窓の外はまだ明るい。
ライニール王が来るまでまだ間があるはずだ。
「風?」
わずかな空気の流れを感じ、ルカは窓へ駆け寄った。
窓が少し開いている。掛けがねがかけられ、南京錠もしまっているが、よく見るときちんと掛けがねがかかっていない。
窓を閉めたとき、少し開いたまま掛けがねをかけ、きちんと鍵がかからなかったのだろう。
手で窓を押してみると、ギィとわずかな軋み音をたて、外側に開いた。
「………っ!」
ルカは叫びそうになる口を慌てて両手で塞いだ。
耳を澄ませて外の様子をうかがう。
しんと静まり返ったままだ。
ルカの決心はすぐについた。拘束されたベルベットを歯で引き千切り、窓枠に足をかけると窓の外へと身を踊らせた。
そこから華麗に脱出。とはいかなかった。
窓を出て王宮の屋根を伝っていると、早々に巡回の王宮騎士に見つかった。
王の伽にあがるための、ひらひらした白い衣装のルカは目立った。王宮の屋根も壁も白いから、衣装の白とで紛れるかと思ったが、甘すぎる考えだった。
「おいっ! 誰だっ。そこで何をしている!」
窓の外へ出てすぐに誰何の声をかけられ、剣を佩いた王宮騎士が集まってきた。
屋根から落ちないように慎重に歩を進めていたルカだが、見つかっては悠長に構えているわけにはいかない。
ルカは王宮の屋根を駆け出した。
「右へ行くぞ!」
「いや、もっと向こうだ!」
王宮騎士たちは下から声を掛け合い、ルカの居場所を伝えあう。ルカを追う騎士の数はどんどん膨れ上がった。
どうしよう……。
捕まればどんな目に遭わされるか。怖い怖い怖い……。
必死に逃げるルカの目に、いつもルカの暮らしている林が目に入った。
ルカの知り尽くした場所。誰よりもあの林の中は詳しい。身を隠す場所もたくさんある。
ルカは屋根から飛び降りた。
林に向かって一目散に駆けた。
***
「逃げた、だと?」
オーラフ宰相の言葉に、ライニール王は眉間に筋を立てた。
今宵夜伽を命じた希少種の奴隷。
毎月オーラフを診察に立ち会わさせている王宮奴隷だ。
漆黒の瞳と髪のせいか、やけに白い肌で細い腰をしている。体つきは幼いが、その辺の女よりよほどそそられる奴隷。
なぜあの希少種を王宮で飼い、月に一度の診察を受けさせる必要があるのか。考えると腹は立つが、一度くらい抱いてみてもいいと思っていた。
ライニール王には、正妃との間にも側妃との間にもまだ子がない。
打開策として、あの奴隷との夜伽をすすめてきたのはオーラフ宰相だった。希少種の女は妊娠しやすい。血筋を残すために試してみてはどうかと言われ、二つ返事で了承した。
思いきりいたぶって泣かせてやるつもりだった。
あの細い体を組み敷き、己の精を注ぐ。想像しただけで嗜虐心にぞくぞくしていた。
それが、逃げられただと?
希少種の奴隷。あれはただの奴隷ではない。伽から逃げられたとなっては王の面子にかかわるだけではなく、あの奴隷を手放すわけにはいかない理由がライニールにはある。
「おまえの不手際か? オーラフ。あいつを抱けと言ったのはおまえだろう。そのくせ逃がすとはどういうつもりだ」
感情の見えないオーラフの水色の瞳を睨みつける。
オーラフは胸に片手を当て、頭を下げた。
「申し訳ございません。寝室を用意した侍女が窓の鍵を閉め忘れたようです」
「極めて初歩的なミスだな。その侍女は打首にせよ」
「御命のままに。追跡はすでに王宮騎士団に命じております。ルカはこの王宮から出たことがございません。金も持っておりませんゆえ、逃げると言ってもそう遠くへは行けますまい。程なく騎士の手に落ちることでしょう」
「そうあらねば困る。おまえもあの奴隷の持つものを忘れたわけではあるまい」
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