偏執の枷〜わたしの幸せはわたしが決める〜

咲木乃律

文字の大きさ
42 / 99
第二章

無情の夜 2

しおりを挟む
 その日の夕食に何を食べたのか、ヨハンナはほとんど覚えていない。いつも通りに振舞おう振舞おうと思えば思うほど、ぎこちない動きになっているような気がして、何度も上座に座るセヴェリの様子を盗み見た。

 自室に引き揚げ、ヘリが部屋の明かりを落としていくと、ヨハンナはすぐに起き上がった。

 夜中の森になら一度逃げ出そうとしたことがある。その時と同じ、なるべく簡素で動きやすい服装を選び、夜着から着替える。
 
 長い髪は邪魔にならないよう一つにまとめ、夜の十二時になる少し前に部屋の扉を開けた。

 廊下には同じように動きやすい服装をし、小さな布袋を提げたアマンダの姿があり、ヨハンナが出てくるのを待っていた。
 
 ヨハンナとアマンダは無言で頷きあうと、そっと廊下を歩き、屋敷を抜け出した。
 
 屋敷を抜け出すのは簡単だった。

 そこから森の、アランとの待ち合わせ場所である湖から更に森深くへ分け入った、昼間アランと会った場所へと進む。
 手を引くアマンダは途中何度も後ろを振り返った。

「どうかしたの?」
 ヨハンナが足を止めずに聞くと、アマンダは「ううん…」と首を振る。
「ただ、不安で……」

 今にもセヴェリが姿を現すのではないかと、
ヨハンナもアマンダ同様、気が気ではなかった。

 が、背後からは何の物音も聞こえず、今夜は風がないので木々のざわめきも聞こえない。
 静か過ぎるほど静かだ。

 森をぐんぐん進んでいくと、目の前の少し開けた場所にアランが佇み、こちらを見ていた。

「その子がアマンダか?」

 アランの問いかけにアマンダは頷き、ぼうっとアランを見上げた。暗闇でもわかる琥珀の瞳を物珍しげに覗きこむ。

「行くぞ」

 アランは短く先を促し、足早に森を更に進んでいく。
 ヨハンナもアマンダも遅れまいとアランの後を小走りに追った。

 アランは迷うことなく森を進んだ。

 下草をかき分け、時折がさごそと動く獣の気配を敏感に察し、それを避けて進んでいく。

 一体どれほど歩いただろう。足が痛んで根を上げそうになった頃、目の前にそそり立つ石壁が現れた。

 周囲の森と同じくらい高い。

「これを、……超えられるの?」

 アマンダが呆然と呟く。
 ヨハンナも同じように思った。アランはちょっと超えてきたなどと気軽に言っていたから、ここまで高い壁があるとは思っていなかった。

 壁にはロープが垂れており、壁の上には一人の男がいて、こちらに手を振っている。

「よお、アラン。早くしようぜ」
 
 アランは、あれは友のランドルフだと言い、怖がるアマンダにロープを結んだ。

「大丈夫。ランドルフが引き揚げてくれる」

 アランはランドルフに合図を送ったが、アマンダは「いや、怖い」と懸命に首を振った。

「あんな高いところ、私怖い。無理よ。落ちちゃう」

 泣き顔で首を振り嫌がる。

「仕方ないな」

 アランは、「ヨハンナはちょっと待っててくれ」と言い、アマンダに背を向けた。

「ほら、早く負ぶされ。背負って登ってやるから。万が一手を離しても、ランドルフが体に巻いたロープを支えているから落ちやしない」

 ほらとアランがアマンダを促す。

 アマンダはどうしようかと迷う風に両手を胸の前で握り締めては開きを繰り返し、しきりに森の方へと視線を泳がせる。

 何かを待っているようなそのしぐさに違和感を覚え、ヨハンナはアマンダの視線の先へと目をやった。

―――パンッ…パンッ…――

 乾いた鋭い音が、静寂を切り裂き響いたのはその時だ。
 音と同時にアランが右肩を押さえ、ヨハンナの左足ももに激痛が走った。

……パンッ――

 訳の分からないままに再び同じ音が響き渡り、今度は右足ももにも激痛が走った。ヨハンナは立っていられなくなり、その場に崩れ落ちた。

「ヨハンナ!」

 アランの白いシャツには、右肩を起点とし、赤い染みが広がっている。

 アランが右肩を押さえながらヨハンナに駆け寄ろうとすると、それより早くアマンダがヨハンナの側にひざまずいた。

「来ないで!」

 ヨハンナの首にひやりとした感触が触れる。鋭利なナイフをヨハンナの首に押し当てたアマンダの手は震えていた。

「これ以上近寄ったらヨハンナを切る」

 一体何が起こっているのか。ヨハンナにはわからなかった。

 アランが息をのむ姿が視界の端に映る。

 それへ向けて再び二三発同じ音が響き、それが銃声であることを、痛みに朦朧とする頭でようやく理解する。

 自身の足を触るとぬるりとした感触。足に触れた両手を目の前に広げると、闇夜でもわかるほどの鮮血に錆び付いた血の匂い。

 見上げるとアランは銃声にいち早く反応し、器用に身をかわし、銃弾を避けて横に跳んだ。

 うずくまるヨハンナを見下ろし、アマンダの握るナイフに視線を向け、距離を測っている。

 けれどアランが動くより先に再び銃声が響き、アランの足元に数発の銃弾が吸い込まれていく。

「アラン! 無理だ! おまえまでやられちまう。戻って来い!」

 壁の上からランドルフが叫び、腰から短銃を取り出すと森の方へ向かって一発、二発と銃弾を放つ。

 眠りを起された鳥たちが一斉に飛び立ち、木立の影からセヴェリが姿を現した。

 闇の使者のように影を纏い、セヴェリはほの暗い眼差しをランドルフ、ついでアランに向けると、手にしていた銃をアランに向ける。

 それを目にしたヨハンナは痛みに震える足で立ち上がり、アマンダを突き飛ばすとセヴェリに突進した。

 動けないと思っていたのだろう。ヨハンナに不意をつかれ、セヴェリの放った銃弾はアランを逸れた。

 なおも引き金に手をかけるセヴェリの腕を、ヨハンナは必死でつかんだ。

 照準をずらされ、引き金から指を離したセヴェリは、片手で無造作にヨハンナの首の枷を掴むと、そのまま自身の目線の高さまで引き揚げた。

 ヨハンナの足が地面から浮き、首枷だけで持ち上げられたヨハンナは苦しくて、喉の奥からうめき声を漏らした。





「ヨハンナ!」

 アランは狂ったように絶叫し、駆け寄ろうとしたが、それより先にランドルフがアランの下まで下りてきて、アランの右腕を掴み上げた。

「冷静になれ! アラン。今は無理だ」

 ランドルフは右肩の痛みに呻くアランの体にロープをかける。

「行かせろ! ランドルフ!」
「落ち着けアラン! 森の中にまだ銃を構えている奴がいる。今は無理だ」
「くそっ!」
「ここでおまえまでやられたら、ヨハンナを二度と助けられないぞ」

 ランドルフの言葉に、アランは大きく何度か深呼吸し、ヨハンナの方を見た。両足からは血が滴り落ちている。

 アランはヨハンナの首枷を掴む背の高い男を睨みつけた。くすんだエメラルドの冷徹な瞳が堂々とアランを見返してくる。

 身体中の血が沸騰し、今すぐやにわに男に突進したい気持ちを、アランは無理矢理ねじ伏せた。
 
 森の奥から撃鉄を起こす微かな音を聞き分け、「わかった」とランドルフに答え、次の瞬間には石壁を登りはじめた。





―――――――………。

 右肩の負傷をものともせず、アランの姿がみるみる壁上へと遠ざかる。

 それをヨハンナは目で追い、無事に壁の向こうへ消えていくのを確認すると、闇が視界を侵食していくのにまかせ、意識を手放した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

兄様達の愛が止まりません!

恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。 そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。 屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。 やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。 無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。 叔父の家には二人の兄がいた。 そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

『階段対策会議(※恋愛)――年上騎士団長の健康管理が過剰です』

星乃和花
恋愛
【完結済:全9話】 経理兼給仕のクラリスは、騎士団で働くただの事務員――のはずだった。 なのに、年上で情緒に欠ける騎士団長グラントにある日突然こう言われる。 「君は転倒する可能性がある。――健康管理対象にする」 階段対策会議、動線の変更、手をつなぐのは転倒防止、ストール支給は防寒対策。 全部合理的、全部正しい。……正しいはずなのに! 「頬が赤い。必要だ」 「君を、大事にしたい」 真顔で“強い言葉”を投下してくる団長に、乙女心を隠すクラリスの心拍数は業務超過。 さらに副団長ローレンは胃薬片手に「恋は会議にするな!!」と絶叫中!? これは健康管理?それとも恋愛? ――答え合わせの前に、まず“階段(概念)“をご確認ください。

処理中です...