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第四章 セストの秘密
転移者と転生者
セストの案内してくれた部屋は、前世で言う六畳ほどの広さで、ベッドと小さなデスク、クローゼットがあるだけの簡素な部屋だった。
四角く切り取られた小さな窓の向こうには、魔の森が見える。
「荷物、ここに置いとくぞ」
ベッドサイドの棚の上に、セストはロザリアのかばんを置くと、「早速だが今から明日の打ち合わせだ」と言う。ロザリアは腰を落ち着ける間もなく、今度は打ち合わせの行われる広間へと向かった。
セストの後について扉を入ると、広間にはすでに人が集まっていた。深緑のローブを着た魔法士が二十名ほど、その中にはさきほどのコルラードの姿もある。ウバルド王弟の姿もあり、その切れ長で怜悧な瞳にロザリアは自分の推理を思い出し、背筋が冷たくなった。
もし本当にロザリアの想像通り、ウバルドが現国王オリンドの転覆を狙っているのなら、国の威信をかけたこの狩りでも必ず何か仕掛けてくるに違いない。それがどのような形で起こるのか全くわからないだけに、あの冷たい相貌の奥にどんな策を隠し持っているのか恐ろしい。
長テーブルの末席にはテオもいた。その横の席が空いている。
セストは当然のように上座についたが、ロザリアはテオの横の空いていた席に腰を落ち着けた。
打ち合わせは、明日の狩りの際の人員の配置、魔獣に襲われた際の対応方法、その他取り決めや注意事項など。滞りない狩りと、万が一の場合、乙女達を守る方法について話し合われた。もう何度も繰り返された内容のようで、最終確認といった様子だ。主にセストが進行役をつとめ、進んでいった。深緑のローブを着た魔法士たちと長テーブルを囲む光景は壮観だった。打ち合わせは滞りなく終わった。
そのまま部屋に戻ろうかとも思ったが、ロザリアは広間を出たところできょろきょろと辺りを見回した。緩やかにカーブしながら廊下がどこまでも続いている。砦は魔の森を囲むように建てられているので、廊下は緩やかに弧を描ている。細長いレンガ造りの廊下がどこまでも続いている様は、この先に何があるのだろうと好奇心を刺激される。
探索も兼ねて少し見て回ってみようかな。
中には魔石収集室や魔の森監視局もあるというし、大体の位置関係は把握しておきたい。ロザリアは進路を右手にとり、しばらく道なりに廊下を進んでみた。廊下の左手には部屋が並び、ところどころ上へと上がる螺旋階段がある。砦の上に出られるのだろう。行けども行けどもしばらくは同じ光景が続いたが、そのうち厨房や食堂が現れ、美味しそうな匂いが充満するエリアに出た。多くの女性達が忙し気に立ち働いている。ぶらぶらと散歩している自分が申し訳ないような気分だ。
ロザリアは厨房エリアを足早に立ち去り、少し新鮮な空気を吸いたくなって左手に現れた階段を登った。階段は螺旋状に上へとつながり、おそらくは砦の屋上へと出るはずだ。
そう思っていたが、階段は予想以上に長かった。
そういえば砦には等間隔で尖塔が建っている。この階段は屋上に出るのではなく、その尖塔の一つを登っているのかもしれない。はたと気が付いたが、尖塔の上にも登れるのではと更に登り続け、登り詰めた先に懐かしいものが現れロザリアは足を止めた。
襖だ。木枠に絵の描かれた紙を貼った、紛れもなく襖がある。描かれている絵がこちらの花々なので、前世で見慣れた襖よりも色が鮮やかだ。
どうしてこんなものがここに……。西洋風のこの世界とは相容れない不思議な光景だ。
ロザリアが驚いていると、襖が開き中から五十代くらいの年配の女性が出てきた。髪にはだいぶ白いものが混じっているが黒髪黒目、前掛けをつけた姿で小柄だが勝気そうな瞳だ。襖の前で立ち尽くすロザリアに小首を傾げた。
「乙女の方かしら? 迷われましたか?」
口からはこちらの言葉が飛び出したが、どこかたどたどしさがある。
狩りのメンバーでロザリアくらいの年代の参加者となると確かに乙女くらいだ。そう思われたとしても不思議はない。
「いえ、あのわたし違います。狩りのメンバーですが、乙女ではないんです」
ロザリアが否定すると女性は、
「あら、それは失礼いたしました」と一礼して「何かこちらに御用でしたか?」と聞く。
「いえ、尖頭の上に出られるのかと登ってみたのですが、ふ…変わった引き戸があるのでつい見とれていました」
思わず襖と言いかけて言い直した。女性はロザリアの言葉に「ああ」と笑った。
「こちらの方は皆んなそう言います。私の国では襖と言って珍しいものではないのですが、この世界にはないものですからね」
「あの、あなたは一体……?」
何者なのだろうか。前掛けをしている姿からすると、この砦の厨房で働いている人なのだと思うが……。
ロザリアが問うと女性は、
「私、転移者なんですよ」とあっけらかんと言う。
魔法のあるこの世界では、時折異世界からの転移者がいるということは知っていたが、ロザリアは会ったことはなかった。
しかもこの容貌。もしかしたら、とロザリアが驚いていると、女性は「私、章子といいます」と日本名を名乗る。ロザリアの心臓がどくんと脈打った。
「し、章子さん?」
「ええ、こちらの方からすると変わった名前でしょう?」
「そんなことありません! とってもいいお名前です。あ、わたしはロザリアといいます。ロザリア・カルテローニです」
思わず勢いこんで名乗った。ロザリアの浮ついた様子に、章子はうふふと笑うと、
「私、元々地球という惑星の日本という国に住んでいたんですけど、どういうわけか三十過ぎでこの辺りに転移してしまって。もう何がなんだか。転移したとたん魔獣に襲われそうになったんですけど、魔石収集室の魔法士に助けられ、今はこちらで働きながら暮らしているんです」
「日本、ですか……」
まさかこの国で日本人に出会えるとは思ってもみなかった。懐かしさがこみ上げ、零れそうになる涙を必死にこらえた。そんなロザリアには気づかず、章子は襖を開き、
「ご興味がおありでしたら、中も見ていかれますか?」
「いいんですか!」
「ええ、どうぞ。私まだ休憩時間中なんですけど、暇だから手伝いに行こうかと思っていたんです。でもお茶が飲みたくなったんでよかったらご一緒に」
「はいっ! ぜひっ」
「元気の良い方ね」
興奮して返事のいちいちに大きな声が出る。章子は笑ってロザリアを中へ招き入れた。
「ロザリアさんはこういうの、初めて見るでしょう?」
章子は三和土に靴を揃えて脱ぐ。
「靴は脱いで下さいね。トリエスタでは馴染みはないだろうけれど、私が元いたところでは家に上がるときは靴を脱ぐのが当たり前だったんです」
自分のフィールドに入ると章子はどこか誇らしげだ。
「……はい」
もちろんロザリアも前世で慣れ親しんできた習慣だ。
でも今始めて聞いたかのように頷き、靴を脱ぐと三和土に揃えておいた。
襖を入ると十畳ほどの畳敷きの間が広がっていた。奥には障子もあり、どうやら向こうにはもう一間部屋があるようだ。
部屋の中央に座卓が置かれ、座布団が座卓を囲うように並べられている。章子はその一つに正座をすると、ロザリアにも座るようにと促した。
「失礼致します」
ロザリアは一礼して腰を落ち着けた。章子は一旦奥へと引っ込み、茶器を持って戻ってくると、急須から茶飲み茶碗にお茶を注いだ。
むき出しの石壁に囲われた空間に、障子に襖、畳というアンバランスな部屋で、小柄な章子は淹れたお茶を「どうぞ」とすすめる。
ロザリアはお茶をいただきながら、失礼にならない程度に部屋を見回した。障子に襖、座卓も今ではない家も多いが、ロザリアの実家は襖も障子も畳もあり、冬にはこたつが登場するような家だったので懐かしい。
もちろん、懐かしいなんて言葉には出しては言わないけれど、もう目にすることはないと思っていた光景があるのは感慨深い。
「どうしても元の世界で慣れ親しんできた物が欲しくなっちゃってね。頼んで特別に作ってもらったのよ。はじめはそりゃ変な注文をするなと思われたんだけれど、気のいい大工さんでね。私が転移者で、元の世界が恋しいのって言ったら、がんばって作ってくれたのよ」
章子は肩をすくめ、
「こちらの世界のものは慣れないのよね、やっぱり。肩が凝るのよ。それにロザリアさんみたいに、ここの人達はきれいな髪と瞳の色をしている人が多いでしょう? どうしても黒髪は目立つし、自分だけ異質な感じは否めない。なんとかがんばって言葉は覚えたけれど、それは苦労したわよ」
転生したロザリアと違い、転移してきた章子にとっては、言葉は大きな壁だったはずだ。たどたどしい話し言葉に、章子の努力が滲んでいるような気がした。
「とても努力されたんでしょうね……」
「無我夢中だったから。そうしないと生きていけなかったんだから。でも時折、これはどういう意味の言葉かしらって今でもわからないこともあるのよ」
「……そうですか」
ロザリアも元は日本人の転生者だと打ち明けられたならよかったのだろう。そうすればロザリアが章子に教えられることはたくさんあるし、懐かしい日本の話もすることができる。
でもロザリアには現世での家族がいる。同僚がいる。
章子に打ち明けたことで、ロザリアが転生者だと皆に知れ渡ることもあるかもしれない。
転移者には寛容なこの世界だが転生者は恐れられる。今ロザリアと親しくしてくれている人達が離れていくことは耐えられない。
自分は臆病なのだろう。
章子のためには打ち明けたほうがよいとわかっているのに、今の自分の環境を壊すことはできない…。
ロザリアは俯いて茶碗に口をつけた。緑茶によく似たお茶で、これもきっと章子が試行錯誤の末に編み出したものなのだろう。
「お茶は気に入っていただけたかしら?」
「……はい。とても美味しいです」
「よかった……。なんだかロザリアさんは不思議な方ね。今初めて会ったところなのに、懐かしいような気がするわ」
「わたしもです」
「まぁうれし」
章子は少女のように顔を輝かせ、「もう一杯どうぞ」とロザリアの茶碗に茶を注ぐ。
「この世界にいるとね、自分だけ世界に溶け込めていないような、地に足がついていないような、ずっとそんな気がしていたの。でもロザリアさんに会えてよかったわ。なんだかここへ来て初めて、ああ、私ここにいていいんだって、そう思えた。―――あら、やだわ私ったら。初めて会ったのに何言ってんのって感じよね」
「そんな。わたしこそ章子さんに会えてよかったです」
「まっ。ほんとお上手」
章子の相槌へロザリアは笑ったが、上手く笑えたかはわからない。
章子の感じていることは、いつもロザリアの感じていることと同じだった。
地に足がついていないような、ふわふわとした心持ちで、一体自分は何者なのかとふとした瞬間にそんな思いにとらわれる。
同じ思いを共有している人がいることに、涙がこぼれそうになった。
けれどロザリアはやっぱり章子に打ち明けることはなく、章子と心を通じ合わせることはしなかった。
一人になりたい……。
普段は考えないようにしている真っ暗な闇が自分を追いかけてくる。
どうしようもない空虚な心を持て余し、ロザリアは章子に頭を下げると部屋を出た。
四角く切り取られた小さな窓の向こうには、魔の森が見える。
「荷物、ここに置いとくぞ」
ベッドサイドの棚の上に、セストはロザリアのかばんを置くと、「早速だが今から明日の打ち合わせだ」と言う。ロザリアは腰を落ち着ける間もなく、今度は打ち合わせの行われる広間へと向かった。
セストの後について扉を入ると、広間にはすでに人が集まっていた。深緑のローブを着た魔法士が二十名ほど、その中にはさきほどのコルラードの姿もある。ウバルド王弟の姿もあり、その切れ長で怜悧な瞳にロザリアは自分の推理を思い出し、背筋が冷たくなった。
もし本当にロザリアの想像通り、ウバルドが現国王オリンドの転覆を狙っているのなら、国の威信をかけたこの狩りでも必ず何か仕掛けてくるに違いない。それがどのような形で起こるのか全くわからないだけに、あの冷たい相貌の奥にどんな策を隠し持っているのか恐ろしい。
長テーブルの末席にはテオもいた。その横の席が空いている。
セストは当然のように上座についたが、ロザリアはテオの横の空いていた席に腰を落ち着けた。
打ち合わせは、明日の狩りの際の人員の配置、魔獣に襲われた際の対応方法、その他取り決めや注意事項など。滞りない狩りと、万が一の場合、乙女達を守る方法について話し合われた。もう何度も繰り返された内容のようで、最終確認といった様子だ。主にセストが進行役をつとめ、進んでいった。深緑のローブを着た魔法士たちと長テーブルを囲む光景は壮観だった。打ち合わせは滞りなく終わった。
そのまま部屋に戻ろうかとも思ったが、ロザリアは広間を出たところできょろきょろと辺りを見回した。緩やかにカーブしながら廊下がどこまでも続いている。砦は魔の森を囲むように建てられているので、廊下は緩やかに弧を描ている。細長いレンガ造りの廊下がどこまでも続いている様は、この先に何があるのだろうと好奇心を刺激される。
探索も兼ねて少し見て回ってみようかな。
中には魔石収集室や魔の森監視局もあるというし、大体の位置関係は把握しておきたい。ロザリアは進路を右手にとり、しばらく道なりに廊下を進んでみた。廊下の左手には部屋が並び、ところどころ上へと上がる螺旋階段がある。砦の上に出られるのだろう。行けども行けどもしばらくは同じ光景が続いたが、そのうち厨房や食堂が現れ、美味しそうな匂いが充満するエリアに出た。多くの女性達が忙し気に立ち働いている。ぶらぶらと散歩している自分が申し訳ないような気分だ。
ロザリアは厨房エリアを足早に立ち去り、少し新鮮な空気を吸いたくなって左手に現れた階段を登った。階段は螺旋状に上へとつながり、おそらくは砦の屋上へと出るはずだ。
そう思っていたが、階段は予想以上に長かった。
そういえば砦には等間隔で尖塔が建っている。この階段は屋上に出るのではなく、その尖塔の一つを登っているのかもしれない。はたと気が付いたが、尖塔の上にも登れるのではと更に登り続け、登り詰めた先に懐かしいものが現れロザリアは足を止めた。
襖だ。木枠に絵の描かれた紙を貼った、紛れもなく襖がある。描かれている絵がこちらの花々なので、前世で見慣れた襖よりも色が鮮やかだ。
どうしてこんなものがここに……。西洋風のこの世界とは相容れない不思議な光景だ。
ロザリアが驚いていると、襖が開き中から五十代くらいの年配の女性が出てきた。髪にはだいぶ白いものが混じっているが黒髪黒目、前掛けをつけた姿で小柄だが勝気そうな瞳だ。襖の前で立ち尽くすロザリアに小首を傾げた。
「乙女の方かしら? 迷われましたか?」
口からはこちらの言葉が飛び出したが、どこかたどたどしさがある。
狩りのメンバーでロザリアくらいの年代の参加者となると確かに乙女くらいだ。そう思われたとしても不思議はない。
「いえ、あのわたし違います。狩りのメンバーですが、乙女ではないんです」
ロザリアが否定すると女性は、
「あら、それは失礼いたしました」と一礼して「何かこちらに御用でしたか?」と聞く。
「いえ、尖頭の上に出られるのかと登ってみたのですが、ふ…変わった引き戸があるのでつい見とれていました」
思わず襖と言いかけて言い直した。女性はロザリアの言葉に「ああ」と笑った。
「こちらの方は皆んなそう言います。私の国では襖と言って珍しいものではないのですが、この世界にはないものですからね」
「あの、あなたは一体……?」
何者なのだろうか。前掛けをしている姿からすると、この砦の厨房で働いている人なのだと思うが……。
ロザリアが問うと女性は、
「私、転移者なんですよ」とあっけらかんと言う。
魔法のあるこの世界では、時折異世界からの転移者がいるということは知っていたが、ロザリアは会ったことはなかった。
しかもこの容貌。もしかしたら、とロザリアが驚いていると、女性は「私、章子といいます」と日本名を名乗る。ロザリアの心臓がどくんと脈打った。
「し、章子さん?」
「ええ、こちらの方からすると変わった名前でしょう?」
「そんなことありません! とってもいいお名前です。あ、わたしはロザリアといいます。ロザリア・カルテローニです」
思わず勢いこんで名乗った。ロザリアの浮ついた様子に、章子はうふふと笑うと、
「私、元々地球という惑星の日本という国に住んでいたんですけど、どういうわけか三十過ぎでこの辺りに転移してしまって。もう何がなんだか。転移したとたん魔獣に襲われそうになったんですけど、魔石収集室の魔法士に助けられ、今はこちらで働きながら暮らしているんです」
「日本、ですか……」
まさかこの国で日本人に出会えるとは思ってもみなかった。懐かしさがこみ上げ、零れそうになる涙を必死にこらえた。そんなロザリアには気づかず、章子は襖を開き、
「ご興味がおありでしたら、中も見ていかれますか?」
「いいんですか!」
「ええ、どうぞ。私まだ休憩時間中なんですけど、暇だから手伝いに行こうかと思っていたんです。でもお茶が飲みたくなったんでよかったらご一緒に」
「はいっ! ぜひっ」
「元気の良い方ね」
興奮して返事のいちいちに大きな声が出る。章子は笑ってロザリアを中へ招き入れた。
「ロザリアさんはこういうの、初めて見るでしょう?」
章子は三和土に靴を揃えて脱ぐ。
「靴は脱いで下さいね。トリエスタでは馴染みはないだろうけれど、私が元いたところでは家に上がるときは靴を脱ぐのが当たり前だったんです」
自分のフィールドに入ると章子はどこか誇らしげだ。
「……はい」
もちろんロザリアも前世で慣れ親しんできた習慣だ。
でも今始めて聞いたかのように頷き、靴を脱ぐと三和土に揃えておいた。
襖を入ると十畳ほどの畳敷きの間が広がっていた。奥には障子もあり、どうやら向こうにはもう一間部屋があるようだ。
部屋の中央に座卓が置かれ、座布団が座卓を囲うように並べられている。章子はその一つに正座をすると、ロザリアにも座るようにと促した。
「失礼致します」
ロザリアは一礼して腰を落ち着けた。章子は一旦奥へと引っ込み、茶器を持って戻ってくると、急須から茶飲み茶碗にお茶を注いだ。
むき出しの石壁に囲われた空間に、障子に襖、畳というアンバランスな部屋で、小柄な章子は淹れたお茶を「どうぞ」とすすめる。
ロザリアはお茶をいただきながら、失礼にならない程度に部屋を見回した。障子に襖、座卓も今ではない家も多いが、ロザリアの実家は襖も障子も畳もあり、冬にはこたつが登場するような家だったので懐かしい。
もちろん、懐かしいなんて言葉には出しては言わないけれど、もう目にすることはないと思っていた光景があるのは感慨深い。
「どうしても元の世界で慣れ親しんできた物が欲しくなっちゃってね。頼んで特別に作ってもらったのよ。はじめはそりゃ変な注文をするなと思われたんだけれど、気のいい大工さんでね。私が転移者で、元の世界が恋しいのって言ったら、がんばって作ってくれたのよ」
章子は肩をすくめ、
「こちらの世界のものは慣れないのよね、やっぱり。肩が凝るのよ。それにロザリアさんみたいに、ここの人達はきれいな髪と瞳の色をしている人が多いでしょう? どうしても黒髪は目立つし、自分だけ異質な感じは否めない。なんとかがんばって言葉は覚えたけれど、それは苦労したわよ」
転生したロザリアと違い、転移してきた章子にとっては、言葉は大きな壁だったはずだ。たどたどしい話し言葉に、章子の努力が滲んでいるような気がした。
「とても努力されたんでしょうね……」
「無我夢中だったから。そうしないと生きていけなかったんだから。でも時折、これはどういう意味の言葉かしらって今でもわからないこともあるのよ」
「……そうですか」
ロザリアも元は日本人の転生者だと打ち明けられたならよかったのだろう。そうすればロザリアが章子に教えられることはたくさんあるし、懐かしい日本の話もすることができる。
でもロザリアには現世での家族がいる。同僚がいる。
章子に打ち明けたことで、ロザリアが転生者だと皆に知れ渡ることもあるかもしれない。
転移者には寛容なこの世界だが転生者は恐れられる。今ロザリアと親しくしてくれている人達が離れていくことは耐えられない。
自分は臆病なのだろう。
章子のためには打ち明けたほうがよいとわかっているのに、今の自分の環境を壊すことはできない…。
ロザリアは俯いて茶碗に口をつけた。緑茶によく似たお茶で、これもきっと章子が試行錯誤の末に編み出したものなのだろう。
「お茶は気に入っていただけたかしら?」
「……はい。とても美味しいです」
「よかった……。なんだかロザリアさんは不思議な方ね。今初めて会ったところなのに、懐かしいような気がするわ」
「わたしもです」
「まぁうれし」
章子は少女のように顔を輝かせ、「もう一杯どうぞ」とロザリアの茶碗に茶を注ぐ。
「この世界にいるとね、自分だけ世界に溶け込めていないような、地に足がついていないような、ずっとそんな気がしていたの。でもロザリアさんに会えてよかったわ。なんだかここへ来て初めて、ああ、私ここにいていいんだって、そう思えた。―――あら、やだわ私ったら。初めて会ったのに何言ってんのって感じよね」
「そんな。わたしこそ章子さんに会えてよかったです」
「まっ。ほんとお上手」
章子の相槌へロザリアは笑ったが、上手く笑えたかはわからない。
章子の感じていることは、いつもロザリアの感じていることと同じだった。
地に足がついていないような、ふわふわとした心持ちで、一体自分は何者なのかとふとした瞬間にそんな思いにとらわれる。
同じ思いを共有している人がいることに、涙がこぼれそうになった。
けれどロザリアはやっぱり章子に打ち明けることはなく、章子と心を通じ合わせることはしなかった。
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