魔の森の奥深く

咲木乃律

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第五章 魔の森の奥深く

大嫌い!

 セストがロザリアを離すと、ロザリアは少しよろめいた。転移の浮遊感で平衡感覚が狂っているのだろう。セストは咄嗟に手を差し伸べようとして、その手を握り込んだ。転移の時は、ドサクサに紛れてロザリアを抱きしめたが、状況が飲み込めだしたロザリアに触れることはできなかった。これ以上、ロザリアの不興を買いたくなかった。けれど―――。

 ロザリアは、セストが一旦は差し伸べた手を引っ込めたのを見て、傷ついたような顔をし、すぐに目を伏せた。気遣いのつもりで引っ込めた手が、逆にロザリアを傷つけるとは思いもしなかった。

「ああ、くそっ……」

 セストは苛立ち紛れに唾棄すると、ロザリアの腕を引いてその胸に抱きしめた。これ以上、どんな些細なことであれ、ロザリアの心を傷つけたくはなかった。

 腕に抱きしめると、ロザリアは「放してっ!」とセストの胸を拳で叩いた。ロザリアの力一杯の拳は、それなりの破壊力を持ってセストの胸に響いたが、セストは抵抗しなかった。それでロザリアの気が済むなら安いものだと思った。どんなに暴れられても、セストはロザリアを抱く腕を解かなかった。ロザリアは結い上げた山吹色の髪が乱れるのも構わず、セストの胸を叩き続けた。

「嫌い! 大嫌い! セストなんか、大嫌い!」

「ああ、そうだな」

「勝手に転移なんかして。わたしは話なんてなかった。セストと話したいことなんて一つもないのに」

「まぁそう言うな」

「それに、あんなにみんながいるところでわざわざ話しかけないで! 大体、わたしのこと何だと思ってるの? わたしはディーナさんの身代わりじゃない!」

「その通りだな、悪かった」

「わたしのこと、好きだって……、っ、そう言ったくせに」

 ロザリアは途中大きくしゃくり上げる。そっと見下ろすと、ロザリアは泣いていた。

「こっちはね、……ひっく、あなたの魔法のおかげで、前世持ちなのよ。……それが、どんなに……っ、苦しいことか、そんなこと、知りもしないくせに……うえっく。セストのせいだからね。四十二年よ! こんな若い姿だけど、前世とあわせて、こっちは四十二年も生きてるおばさんなのよ!」

「全て俺が悪い」

「あ、当たり前よっ……。その上、私のこと、好きだの、なんだのって、ふざけないでよ……。わたし、本気にしちゃったじゃない。ばっかみたい……えっく。なのにセストが欲しいのは、ディーナさんだったなんて……ひっく、ひどい、ひどいよ……」

 ロザリアは眼差しを鋭くしてセストを見上げた。セストの顔を見て、泣き顔のまま怒る。

「何笑ってるの? 人が真剣に怒ってるのに」

「いや、悪い」

 セストは咳払いして、勝手ににやついていた口元を引き締めた。ロザリアの言葉は、どれもセストが好きだと言っているようにしか聞こえない。こんな状況にも関わらず、こみ上げるものを抑えきれなかった。

「……ロザリア…」

 セストはロザリアの山吹色の髪に顔を埋めた。
 抱き心地も髪の感触もディーナとは違う。性格だってディーナとは全く違う。なのにロザリアが欲しいと思うのはなぜなのだろう。ディーナの記憶を持たないとわかった時点で、テオの言う通り、ロザリアを諦めることもできたはずだ。
 それでも約一年も、振り向かないロザリアに声をかけ続けた。我ながら呆れるほどしつこい。そして徹底的に傷つけて、酷いことをしたくせに、ロザリアに許してほしいと願っている。

 セストはロザリアを離すと片膝をついて深々と頭を下げた。

「本当に悪かった。どんな謝罪も、ロザリアの傷ついた心を癒せるとは思っていない。俺のしたことは最低だった。許してくれ」

 深々と頭を下げ、真摯な気持ちでロザリアを見上げた。











***










 心からの謝罪というものは、それが本心から出たものだということが不思議と伝わるらしい。
 ロザリアは膝に載った一角獣の頭を撫でながら、昨夜のセストのことを思い出していた。三日目の狩りの最中だ。
 ロザリアの休んだ昨日は、一頭も一角獣が現れなかったそうだが、今日は狩り場につくと同時に次々とやってくる。

 昨夜の雨で地面はぬかるんでいた。
 乙女達のブーツは、ここまで歩いてくる間に泥がこびりついて、まだら模様になっている。対してロザリアのブーツはきれいなままだ。今日もしんがりを歩いていたセストが、魔法できれいな状態が保てるよう配慮してくれたのだろう。
 どうせなら、乙女達の足元も同様にしてくれればいいのに。

 ロザリアは姿は見えないが、セストの立っているはずの木立の方をちらりと見た。
 今朝はまだ一言も言葉を交わしていない。恥ずかしくてまともにセストの顔を見られない。狩りのメンバーも、作戦室での昨日のセストとロザリアのやり取りを目撃している。触らぬ神に祟りなし、とばかりに誰も昨日のことを揶揄したりはしない。

 転移でセストの屋敷について、何も言うまいと思っていたのに、堰を切ったように散々喚き散らした覚えはある。外は激しい雨音がしており、その雨音に負けないくらい、大声を出した自覚もある。
 詰っても仕方のないことだったのに。

 セストは、ディーナのことが心から好きだったのだろう。死してなお諦めきれず、ディーナの記憶がロザリアにはないとわかっても、手に入れたかった。
 ロザリアは、セストにもてあそばれたと思って悲しかったけれど、セストにはそんなつもりはなく、真剣だったはずだ。

 セストの謝罪は、どんな弁解もない真っ直ぐな謝罪だった。ディーナの話はロザリアには痛い衝撃で、そのせいで仕事も休んでしまったけれど、心から謝られるとどうしていいのかわからない。
 頭を下げ続けるセストの銀髪が、はらはらと下へ向かって流れていくのを、ただぼぅっと見ていた。色々な髪と瞳の色も持つこの世界の住人達だけれど、セストのような銀髪を持つ人は珍しい。ロザリアは、セストとテオ、それにチーロ以外に見たことがない。
 セストとチーロは親類関係にあるので同じ髪色でも不思議はない。もしかしたらテオも、セストとは血縁関係があるのかもしれない。二人の仲は良さそうだし、セストの事情を知っているようでもある。

「あの、ロザリア」

 隣に腰掛けて、同じく一角獣の頭を撫でていた乙女の一人が、小声で話しかけてきた。「どうしたの?」と先を促すと、

「その、昨日セスト様と何かあった?」

 恐る恐るといった様子で尋ねてくる。昨日のセストとロザリアのやり取りを、近くで目撃していた乙女からすれば、当然気になることだろう。

「けんかでもしたの? セスト様とロザリアって付き合ってるのよね」

「付き合ってないよ。それに昨日のはけんかっていうか……」

 全てを打ち明けることはできない。ロザリアは、セストに嘘をつかれていて、そのことで揉めていたと話した。

「それってどんな嘘だったの?」

「えっと……。それはちょっと」

 ロザリアが濁すと、乙女は慌てて手を振った。

「言えないか。ごめんね、無理に聞いて」

「ううん、大丈夫。こっちこそ心配かけてごめんなさい」

「そんなそんな。ロザリアこそ、乙女でもないのに一日目の狩りの時から私達のこと手伝ってくれて、本当に感謝しているの」

 ロザリアとしては手伝っているつもりはなかったのだが、一角獣がやたらと寄ってくるロザリアがいるおかげで狩りが順調なのも確かだ。

「―――もう、解決したの?」

「……たぶん」

 解決したのだろう。セストの心からの謝罪をロザリアは受け入れた。もう怒ってもいない。
 ただ、これからも以前のように接するかと聞かれれば否だ。
 ロザリアは、どうしたってディーナの代わりにはなれない。だからといって自分のことを好きではない相手と、一緒にいられるほどロザリアは強くもない。
 セストだって、ロザリアといればディーナのことを思い出さずにはいられないだろう。
 
 もう、セストとキスをすることもない。そう思う。


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