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第五章 魔の森の奥深く
事実上の失業宣言
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心地いい眠りだった。
温かい寝具に包まれて、大海に浮かんでいるかのように体がふわふわとする。ロザリアは鼻をすんすんと枕に押し付けた。ロザリアの好きな香りがする。その香りの持ち主は、銀髪で深緑のローブがよく似合って、足が長くてとってもかっこいいのだ。冷たいのかと思ったら優しくて、意地悪しているのかと思っても、最後には親切で。本心ではない賛辞でも、時には嬉しかったし、触れた唇が見た目を裏切ってとても熱かった。
でも、ディーナのことを知り、もうセストと関わることはないとそう割り切った。それなのに、セストはロザリアを助けてくれた。犯されて殺されるかもしれないと絶望したロザリアを、掬い上げてくれた。忘れるなんて無理だ。無関係でいることなんてできるわけがない。
「……セスト…」
名を呟いて、そっと目を開けた。眼前には心配そうな緑眼がこちらをのぞいていた。
「ロザリア、気分はどうだ?」
「……体中、あちこち痛い…。でも、セストがいるから、大丈夫」
「なんだそれ」
セストは苦笑し、「ほら」と薬包紙を差し出した。
「テオからだ。化膿止めや痛み止めを調合したものらしい。目が覚めたら飲ませるようにと言われた」
ロザリアは薬を受け取るとセストの差し出してくれたコップの水と共に薬を飲み干した。ついこの間の再現のようだ。
セストもそう思ったのだろう。にやにやして聞いてくる。
「キスしてやろうか? 薬の苦味が取れるぞ」
「残念でした。この薬は苦くない」
べっと舌を出すと、セストはくしゃくしゃとロザリアの髪をかき混ぜた。
「少しは落ち着いたか?」
その言葉に一連の出来事が頭を駆け巡り、抑えつけられたあの時の感覚が蘇ったが、ロザリアは「……うん」と頷いた。ここはどこよりも安全だし、今はセストが側にいる。何も恐れることはないのだ。
「あの、セスト。わたし―――」
ロザリアは、きっかけとなったウバルドとグラートの話を立ち聞きしたところから順を追ってセストに説明しようとした。が、ロザリアが話そうとすると、セストはそれを遮った。
「―――話はグラートから聞き出してきた」
セストは、ロザリアの眠っている間にグラートの元に飛び、何があったのかを全て聞き出したという。ロザリアの立ち聞きした内容についても、吐かせたそうだ。
それならば話は早い。ロザリアは、今すぐにも司法局へ訴え、ウバルドを火石暴発を起こさせた犯人として捕まえるべきだと主張した。けれど、セストはそれに首を振った。
「それは無理だろうな。司法局にも王弟派の者がいる。握りつぶされるのがおちだ」
「そんな。だったら直接オリンド国王に訴えて、裁断を下してもらえば」
「現段階ではそれも難しい。国王には確かに裁断を下す権利があるが、何でも自由に決められるわけじゃない。特に今回は相手が王族だ。明確な証拠がない限り、ロザリア一人の証言で、しかも立ち聞きした内容では、逆にロザリアが不敬罪に問われかねない」
「そんな……」
あの場にスマホがあれば、ウバルドとグラートの会話を録音して、動かぬ証拠としてつきつけることができたのに。映像を残すことも、音声を残すこともできないこの世界で、では一体どうすれば証拠をつかめるというのだろう。
「ではグラートに証言させればいいんじゃあ……」
グラートはウバルドの陰謀の片棒を担いでいる。現にセストはグラートから聞き出してきたと言った。ロザリアがそう言うとセストは、
「おそらく証言を強いた時点でグラートは消されるのがおちだろう」
「じゃあどうすればいいの? 一刻も早くウバルド殿下を捕まえて、火石暴発を止めなければ、また最悪の事故も起こりかねない。それに火石やその他魔石は、全て国が管理している。その品質に、トリエスタ王国は責任があるのよ。その火石が度々暴発を起こしていたら、民心に国への、つまりは現国王オリンドへの不信の念が生まれるだけよ。それこそウバルド殿下の思うつぼだわ」
「まぁそうだろうな。実際、最近巷では火石暴発を抑えきれないオリンド国王への批判が高まっている。次期国王にオリンド国王のご子息ではなく、ウバルド殿下を推そうとの動きも出てきている。そこへきて王太子の魔鳥による失明だ。ウバルド殿下への追い風はさらに強くなった」
「魔鳥のこともやっぱりウバルド殿下が?」
「ああ。間違いないだろう。魔法防衛局にウバルドと血のつながりのある魔法士がいて、そいつは魔獣の扱いに長けている。――それでな、ロザリア」
セストは握ったままだったロザリアの手に一旦目を落とし、顔を上げた。
「現状、ウバルドを粛清することは難しい。オリンド国王にも直接このことは伝えたが、今は誰が王弟派なのかを見極めるのも難しいほどウバルドの手の者は多くいる。王宮はいま国王派と王弟派とに大きく二分している状況だ。それに秘密を知ったロザリアを、このまま見過ごすほどウバルドも甘くはない。俺が助けに入ったことは、グラートからウバルドに既に伝わっている。ロザリアはしばらく身を隠すべきだ」
「え? 待って。それだと仕事は? 魔事室の仕事はどうなるの?」
「今まで通り仕事をすることは無理だ」
セストは無情に告げる。
それではロザリアは事実上失業したことになるではないか。
せっかく掴んだ職。同僚も上司も仕事内容も申し分ない。それこそ一生働けると思っていたのに。こんなにいい職場、もう二度と見つかるわけがない。最悪だ。
確かにウバルドはロザリアをこのままにはしておかないだろう。今まで通りというわけにはいかないのもわかる。でも、真実を知ったロザリアとしてはこのまま大人しく引き下がるなんて嫌だ。職を失い、身を隠して、その結果悪がまかり通り、もしウバルドが国王にでもなれば、この国はどうなるというのだろう。ロザリアがそう訴えると、セストは首を振った。
「おまえの気持ちはわかるが危険だとわかっていてそこに飛び込ませることはしたくない。それにロザリア、おまえ仕事の心配をしているが、そもそもしばらく姿を消すしかないぞ。家に帰るのも当分無理だ。おまえが帰れば、おまえの家族にも危険が及ぶ可能性もある」
「そんな……」
それならば、一体ロザリアはどこにいればいいというのだろう。仕事もできず、家族にも会えないなんて。
ロザリアがうなだれるとセストは「心配するな」とさらりとロザリアの髪に触れた。
「事が落ち着くまでここにいればいい。ここはどこよりも安全だからな」
自信ありげに言う。それはそうなのだろう。ここは最強魔法使いセストの家だ。不審な人物を排除したり侵入者を防いだり、きっといろいろな魔法がかけられているはずだ。
でも一つ気になることはある。
「そもそもここってどこなの?」
トリエスタ王国に森や林は多数あれど、転移によって移動してきているので一体この屋敷が国のどの辺りに位置しているのか全く見当もつかない。もしかしたら国内ではない可能性もある。
ロザリアが疑問を向けるとセストはにやりと笑った。
「魔の森の奥深く、とでも言っておこうか」
何やら背筋に寒いものが走る。魔の森の奥深く……。それは魔族の棲んでいるという領域なのではないか。
噂だがセストは他国からトリエスタに来たと聞いたことがある。
「セストってトリエスタ王国の生まれではないのよね。どこの国から来たの?」
ロザリアの質問にセストは、「うーん、まぁそうだな…」と答えを濁し、その美しい緑の双眸を細めた。
「ここにいればそのうちわかるさ」
「……教えてくれないの?」
何だか意味深長だ。更にロザリアが何か質問しようと口を開きかけると、セストはロザリアの両手を敷布に縫い留め、おでこにキスを落とした。
「もう少し休め。ここにいると何かと騒がしく、ゆっくりできない時もあるからな」
とてもそんな風には思えなかった。こんな森のなかだ。訪う人もいないだろう。しかも屋敷には防音魔法がかけられているのか、風が木々を揺らす音や獣の鳴き声も聞こえない。
ロザリアが訝しげな顔をすると、今度はまぶたにセストの唇が落ちてきて、自然と目を閉じた。何か魔力を使われたのだろう。ロザリアはそのまま再び眠ってしまった。
温かい寝具に包まれて、大海に浮かんでいるかのように体がふわふわとする。ロザリアは鼻をすんすんと枕に押し付けた。ロザリアの好きな香りがする。その香りの持ち主は、銀髪で深緑のローブがよく似合って、足が長くてとってもかっこいいのだ。冷たいのかと思ったら優しくて、意地悪しているのかと思っても、最後には親切で。本心ではない賛辞でも、時には嬉しかったし、触れた唇が見た目を裏切ってとても熱かった。
でも、ディーナのことを知り、もうセストと関わることはないとそう割り切った。それなのに、セストはロザリアを助けてくれた。犯されて殺されるかもしれないと絶望したロザリアを、掬い上げてくれた。忘れるなんて無理だ。無関係でいることなんてできるわけがない。
「……セスト…」
名を呟いて、そっと目を開けた。眼前には心配そうな緑眼がこちらをのぞいていた。
「ロザリア、気分はどうだ?」
「……体中、あちこち痛い…。でも、セストがいるから、大丈夫」
「なんだそれ」
セストは苦笑し、「ほら」と薬包紙を差し出した。
「テオからだ。化膿止めや痛み止めを調合したものらしい。目が覚めたら飲ませるようにと言われた」
ロザリアは薬を受け取るとセストの差し出してくれたコップの水と共に薬を飲み干した。ついこの間の再現のようだ。
セストもそう思ったのだろう。にやにやして聞いてくる。
「キスしてやろうか? 薬の苦味が取れるぞ」
「残念でした。この薬は苦くない」
べっと舌を出すと、セストはくしゃくしゃとロザリアの髪をかき混ぜた。
「少しは落ち着いたか?」
その言葉に一連の出来事が頭を駆け巡り、抑えつけられたあの時の感覚が蘇ったが、ロザリアは「……うん」と頷いた。ここはどこよりも安全だし、今はセストが側にいる。何も恐れることはないのだ。
「あの、セスト。わたし―――」
ロザリアは、きっかけとなったウバルドとグラートの話を立ち聞きしたところから順を追ってセストに説明しようとした。が、ロザリアが話そうとすると、セストはそれを遮った。
「―――話はグラートから聞き出してきた」
セストは、ロザリアの眠っている間にグラートの元に飛び、何があったのかを全て聞き出したという。ロザリアの立ち聞きした内容についても、吐かせたそうだ。
それならば話は早い。ロザリアは、今すぐにも司法局へ訴え、ウバルドを火石暴発を起こさせた犯人として捕まえるべきだと主張した。けれど、セストはそれに首を振った。
「それは無理だろうな。司法局にも王弟派の者がいる。握りつぶされるのがおちだ」
「そんな。だったら直接オリンド国王に訴えて、裁断を下してもらえば」
「現段階ではそれも難しい。国王には確かに裁断を下す権利があるが、何でも自由に決められるわけじゃない。特に今回は相手が王族だ。明確な証拠がない限り、ロザリア一人の証言で、しかも立ち聞きした内容では、逆にロザリアが不敬罪に問われかねない」
「そんな……」
あの場にスマホがあれば、ウバルドとグラートの会話を録音して、動かぬ証拠としてつきつけることができたのに。映像を残すことも、音声を残すこともできないこの世界で、では一体どうすれば証拠をつかめるというのだろう。
「ではグラートに証言させればいいんじゃあ……」
グラートはウバルドの陰謀の片棒を担いでいる。現にセストはグラートから聞き出してきたと言った。ロザリアがそう言うとセストは、
「おそらく証言を強いた時点でグラートは消されるのがおちだろう」
「じゃあどうすればいいの? 一刻も早くウバルド殿下を捕まえて、火石暴発を止めなければ、また最悪の事故も起こりかねない。それに火石やその他魔石は、全て国が管理している。その品質に、トリエスタ王国は責任があるのよ。その火石が度々暴発を起こしていたら、民心に国への、つまりは現国王オリンドへの不信の念が生まれるだけよ。それこそウバルド殿下の思うつぼだわ」
「まぁそうだろうな。実際、最近巷では火石暴発を抑えきれないオリンド国王への批判が高まっている。次期国王にオリンド国王のご子息ではなく、ウバルド殿下を推そうとの動きも出てきている。そこへきて王太子の魔鳥による失明だ。ウバルド殿下への追い風はさらに強くなった」
「魔鳥のこともやっぱりウバルド殿下が?」
「ああ。間違いないだろう。魔法防衛局にウバルドと血のつながりのある魔法士がいて、そいつは魔獣の扱いに長けている。――それでな、ロザリア」
セストは握ったままだったロザリアの手に一旦目を落とし、顔を上げた。
「現状、ウバルドを粛清することは難しい。オリンド国王にも直接このことは伝えたが、今は誰が王弟派なのかを見極めるのも難しいほどウバルドの手の者は多くいる。王宮はいま国王派と王弟派とに大きく二分している状況だ。それに秘密を知ったロザリアを、このまま見過ごすほどウバルドも甘くはない。俺が助けに入ったことは、グラートからウバルドに既に伝わっている。ロザリアはしばらく身を隠すべきだ」
「え? 待って。それだと仕事は? 魔事室の仕事はどうなるの?」
「今まで通り仕事をすることは無理だ」
セストは無情に告げる。
それではロザリアは事実上失業したことになるではないか。
せっかく掴んだ職。同僚も上司も仕事内容も申し分ない。それこそ一生働けると思っていたのに。こんなにいい職場、もう二度と見つかるわけがない。最悪だ。
確かにウバルドはロザリアをこのままにはしておかないだろう。今まで通りというわけにはいかないのもわかる。でも、真実を知ったロザリアとしてはこのまま大人しく引き下がるなんて嫌だ。職を失い、身を隠して、その結果悪がまかり通り、もしウバルドが国王にでもなれば、この国はどうなるというのだろう。ロザリアがそう訴えると、セストは首を振った。
「おまえの気持ちはわかるが危険だとわかっていてそこに飛び込ませることはしたくない。それにロザリア、おまえ仕事の心配をしているが、そもそもしばらく姿を消すしかないぞ。家に帰るのも当分無理だ。おまえが帰れば、おまえの家族にも危険が及ぶ可能性もある」
「そんな……」
それならば、一体ロザリアはどこにいればいいというのだろう。仕事もできず、家族にも会えないなんて。
ロザリアがうなだれるとセストは「心配するな」とさらりとロザリアの髪に触れた。
「事が落ち着くまでここにいればいい。ここはどこよりも安全だからな」
自信ありげに言う。それはそうなのだろう。ここは最強魔法使いセストの家だ。不審な人物を排除したり侵入者を防いだり、きっといろいろな魔法がかけられているはずだ。
でも一つ気になることはある。
「そもそもここってどこなの?」
トリエスタ王国に森や林は多数あれど、転移によって移動してきているので一体この屋敷が国のどの辺りに位置しているのか全く見当もつかない。もしかしたら国内ではない可能性もある。
ロザリアが疑問を向けるとセストはにやりと笑った。
「魔の森の奥深く、とでも言っておこうか」
何やら背筋に寒いものが走る。魔の森の奥深く……。それは魔族の棲んでいるという領域なのではないか。
噂だがセストは他国からトリエスタに来たと聞いたことがある。
「セストってトリエスタ王国の生まれではないのよね。どこの国から来たの?」
ロザリアの質問にセストは、「うーん、まぁそうだな…」と答えを濁し、その美しい緑の双眸を細めた。
「ここにいればそのうちわかるさ」
「……教えてくれないの?」
何だか意味深長だ。更にロザリアが何か質問しようと口を開きかけると、セストはロザリアの両手を敷布に縫い留め、おでこにキスを落とした。
「もう少し休め。ここにいると何かと騒がしく、ゆっくりできない時もあるからな」
とてもそんな風には思えなかった。こんな森のなかだ。訪う人もいないだろう。しかも屋敷には防音魔法がかけられているのか、風が木々を揺らす音や獣の鳴き声も聞こえない。
ロザリアが訝しげな顔をすると、今度はまぶたにセストの唇が落ちてきて、自然と目を閉じた。何か魔力を使われたのだろう。ロザリアはそのまま再び眠ってしまった。
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