魔の森の奥深く

咲木乃律

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第三章 好きなのかもしれない

あなたを絶対に許さない

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 執務室から転移の異空間に身を委ねながらセストはロザリアの気配を辿った。
 転生したディーナを探し求めていた時は、あまりに広範囲で不明瞭なものだったので居場所を突き止めることはできなかったが、一度認識してしまえばわかる。居場所はすぐに感じ取れた。

 魔の森監視局の地下……?

 妙な場所にいる。監視局庁舎の地下には、魔獣が飼われていたはずだ。魔事室の仕事で魔の森監視局と絡むことなどないはずなのに、何用で立ち寄っているのか全くわからない。
 首を傾げながらも、ともかくもセストはロザリアの気配のある魔の森監視局の地下へと跳んだ。









***











「あの、本当の本当にやるんですか? やはりこのようなことはいくらなんでも……」

 ベネデッタに強く言われ、檻の鍵を開けた魔法士だが、気が咎めるのか扉にかけた手を止め、ロザリアを心配そうに見た。檻の奥では、何事かというようにこちらを凝視している黒妖犬がいる。鍵の開いた音に耳をピクリと動かし、のそりと立ち上がった。狭い檻だ。檻の入り口から黒妖犬のいる奥まで大人一人半ほどの距離しかない。黒妖犬ならば、一飛びでこちらまで肉薄できるだろう。

 逡巡する魔法士の顔を、ロザリアは助けを求めるように仰ぎ見た。強く否定してくれれば、ベネデッタも考えを改めてくれるかもしれない。
 けれどベネデッタは魔法士の言う事など歯牙にもかけず、「早く開けなさい」と命令し、扉の隙間からロザリアを檻の中へと押し込んだ。
 後ろでガチャリと鍵が閉まる音がする。え?と思って振り返れば、鍵を手にしたベネデッタが目を細めて笑った。

「安心なさい。死ぬ前にはちゃんと出してあげるから」

 ベネデッタの言葉が終わらぬうちに、檻の奥から唸り声が聞こえた。突然の闖入者に、黒妖犬は前足の膝を軽く折り、いつでも飛びかかれるように前傾姿勢をとっている。

「……あっ…」

 ロザリアはぴったりと檻の柵に背をつけた。腕を裂かれた時の強烈な痛みが蘇り、恐怖で足が戦慄いた。真っ赤な燃えるような目が、ロザリアに照準を合わせ、少しの隙も見逃さないというように見据えている。
 目を逸らせば、すぐにも飛びかかってくる。
 そんな気がしてロザリアは目を逸らすまいと真っ直ぐに黒妖犬の赤い目を負けじと見返した。
 僅かな変化に気がついたのはその時だ。
 ロザリアの目を見た黒妖犬の目の色から警戒心が薄れていく。敵意をむき出しに牙を剥いていた口元が僅かに緩む。真正面から対しているロザリアにしかわからないほど僅かな変化だった。
 その変化にあれ?と思った時だ。
 突然足元に黒い転移の渦が現れ、セストが飛び出してきた。セストは飛び出してくるなり黒妖犬の姿に気が付き、腕を引くとロザリアの後頭部にも手のひらをまわし、広い胸に顔を埋めさせた。

「……一体これはどういう状況だ?」

 セストはそう呟きながらも、魔力を放ったのだろう。黒妖犬がキャンっと怯えたように鳴き、クゥーンと情けない声を上げる。
 恐る恐る顔を上げて見てみれば、檻の隅で黒妖犬は背を丸め小さくなっていた。セストの圧倒的な魔力の前に、逆らえないと本能的に悟ったかのようだ。戦意をなくし、怯えたように身を縮めている。

 ロザリアはそれでも安心できず、必死にセストの胸元のローブを握りしめた。とにかく怖かった。恐怖で歯の根がなるのを止められなかった。
 セストは深緑のローブでそんなロザリアの体を包むとしっかりと抱きしめた。

「……怪我は?」

「してない。ただ、怖くて…」

「そうか。もう、大丈夫だ」

 セストは安心させるようにロザリアの背を撫で、髪を梳いた。セストの触れた箇所から体が暖かくなり、緊張で強張った体が解けていく。
 ロザリアはほぅっと息をついた。セストに抱きしめられていると、体に溜まった恐怖が消えていく。

 セストはロザリアが落ち着いたのを見てとり、檻の外から成り行きを見守っていたベネデッタと魔法士に向き直った。

「これは一体どういうことです? ベネデッタ王女。それとそこのお前、檻の鍵を開けるんだ」

 セストの物言いには、どこか逆らえない強さがあった。

「は、はいっ!」

 魔法士はセストに言われ飛び上がり、ベネデッタの手から鍵を取ると檻の扉を開けた。
 セストはロザリアを両腕に抱き上げると檻の外へ出、魔法士に鍵を元通りかけさせた。
 目の前にセストに立たれ、見下されたベネデッタは、上ずった声を上げた。

「邪魔しないでちょうだい。大切な実験をしていたのよ」

「ほぅ。それは一体どのような?」

「ロザリアには、魔獣を従える能力があるかどうかよ。神殿で黒妖犬は、ロザリアを見て急に大人しくなったわ。だから本当にそんなことができるのか、確かめようとしたのよ。邪魔をしないでちょうだい」

「そんなもの実験しなくともわかりますよ、ベネデッタ王女。もしロザリアに魔獣を従える能力があるのなら、黒妖犬に腕を裂かれたりはしなかったはずです」

 セストが冷静に答えると、ベネデッタはカァと頬に朱をのぼらせた。

「それはそうかもしれないけれど、だけど! わたし見たのよ。黒妖犬がその子の目を見たとたん、大人しくなったのを。見間違いなんかじゃなかったわ。その目にはきっと何か魔獣を従える能力があるのよ。今回のお兄様のことも、神殿でのことも、その子が何か関与しているに違いないわ」

 ベネデッタの偏見に、セストは呆れたように息をついた。

「それで王女。そうすることでロザリアに何の益があるというんです。第一神殿ではロザリアは腕を裂かれたのです。黒妖犬の爪は鋭く、傷つけられれば転げ回り失神するほどの痛みだと言います。解毒がうまくいかなければ命を落とす危険もある。もし自ら仕掛けたのだとしたら、大変間抜けなことです」

「……それは…」

 セストの反論にベネデッタは二の句を継げずに押し黙った。が、セストの腕に抱かれたロザリアと目が合うと、きっと眼差しを鋭くした。

「あなたの言い分はわかったわ、セスト。でもね、これは王女であるわたしがしていることなの。今すぐロザリアを檻に戻しなさい。これは命令よ」

 胸をそらし、人の上に立つことに慣れた雰囲気を醸し出し、ベネデッタはセストに告げた。その姿には、思わずひれ伏さなければならないような威圧感があった。セストの眉がわずかにぴくりと動いた。
 最強の魔法使いといえど、セストの身分は王族のベネデッタより下位だ。命令だと言われれば逆らうことはできない。
 檻の中ではまだ黒妖犬が小さくなっていたが、再びロザリアが放り込まれればどうなるかわからない。諦めにも似た気持ちが沸き起こり、ロザリアはセストの腕から下りようとした。
 
 けれどセストはロザリアを抱く腕を緩めなかった。問いかけるように見上げれば、セストの口端がわずかに上がった。

「その命令は聞けません、王女。危険だとわかっていて、自分の大切な人をそこに放り込めるほど、私は無情な人間ではありませんので」

 驚くことにセストは真っ向からベネデッタの命令を蹴った。ベネデッタにしても、まさか王族の命令を一蹴されるとは思っていなかったのだろう。一瞬きょとんとし、何を言われたのかを理解すると怒りを露わにした。

「控えなさい! これは王女であるわたしの命令です。一介の魔法士がこのわたしに楯突くとは、信じがたい暴挙。今すぐあなたを不敬罪で牢に入れることもできるのですよ」

「ならば入れればいいではないですか。但し、私の魔力が効かないほどに堅牢な牢が作れたならの話ですが。この国の魔法士が、束になって牢に隔離の魔法をかけたとて、残念ながら私は転移できますからね。抜け出すことは容易いです」

「それならお父様に言いつけてやるわ! わたしを辱めたと言えば、きっとお父様はあなたを許さない」

 まるで子供の言い分だ。それはセストも思ったのだろう。やれやれというように息をついた。

「オリンド国王をみくびってはいけませんよ。あの方は賢明な王だ。いくら愛娘の言う事でも、理不尽な話はお聞きなさらないはずです」

「……」

 ベネデッタは悔しげに唇を噛み、セストを、ではなくなぜかロザリアを睨んだ。

「……許さないわ…。わたし、あなたを絶対に許さない」

 底冷えのする目で言われ、ロザリアは怖くなった。セストのローブを握る手が震えた。これはたぶん、セストにではなく、ロザリアに放った言葉だ。セストにここまで庇われるロザリアを許さない。そういう意味だ。
 
「それでは王女様。私はこれで―――」

 セストは優雅に一礼するとロザリアを抱きかかえたまま転移の渦を出現させた。










***









 黒い渦にセストとロザリアの姿が吸い込まれ、あとに魔法士と二人で取り残されたベネデッタは、しばらく放心状態だった。

「あの、王女様……」

 遠慮がちに魔法士から声をかけられるまで、ベネデッタは淀み、湿った暗い地下のなか立ち尽くしていた。
 声に顔をあげると、側には困惑した様子の魔法士がいて、檻の中からはセストの気配の消えたことに安心したのか。黒妖犬が唸り声をあげていた。

「……ああ」

 …そうだった。ベネデッタは先程の出来事を反芻し、ようやく意識が現実へと浮上した。
 奥歯をぎりっと噛みしめた。

「戻るわよ。案内なさい」

「は、はいっ!」

 ベネデッタの命に、魔法士は飛び上がるようにして返事をし、「こ、こちらです」と地上へと続く廊下へと先導した。

 湿った石床を歩きながら、ベネデッタの心は仄暗い感情で満たされていった。
 興味がないと言いながら、ロザリアは王族に歯向かわせるほど、セストを籠絡していた。
 許せなかった。
 あれはわたしのものだ。いずれわたしの夫となるべき者だ。それを横から掻っ攫い、挙げ句にわたしに逆らうまでにセストを手懐けた。
 
―――みてなさい。

 この報いは必ず受けさせる。このままで済むとは思うまい。王女である自分を蔑ろにすればどのような報いを受けるのか。必ず思い知らせてやる。


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