1 / 10
精神科医フリードリヒ・リンネの憂鬱その1(2)
しおりを挟む
みんな口々にトラックにはねられただとか、電車に轢かれただとか、雷に打たれただとか、階段から落ちただとか、暴漢に刺されただとか言うのに、何一つ外傷が見られないことはずっと不思議に思っていた。ただ、これらを「ある種の妄想症状」以上のものとして扱おうとする医師が、果たしているだろうか。患者の精神状態はさまざまだが、必ずと言っていいほど自己認識の歪みが認められる。女子高生を称する猫型ホムンクルスや、反社組織の長を名乗る幼女、中世の武将を名乗るうさぎ…。
奇怪なことに、その手の患者は話す内容が妙にリアルで、正気のようなフリをする。「地球の衛星は月以外存在しないはず」だとか、「アフリカには広大な砂漠が広がっているはず」だとか、「魔法なんてものはフィクションであり、実在しないはず」だとか…おおよそ「私は別世界から転生してきた」という趣旨の根も歯もない嘘を、まるで見てきたように語るのだ。別に俺が無知で怠惰なわけではない。以上のような妄想症候について何度も文献を漁り、様々な病気を疑い、何度か学会発表を行った。真面目に勉強して、データベースを見直し、何か手がかりはないかと必死になって考えた…しかし、誰も俺の発表に関心を抱くことはなかった。
でも、彼らはどこか何かが普通と違うような気がする。単なる精神病で済ますことのできない、既存のものには当てはまることのない、何かを持っているはずだ。彼らは思い込みが特徴的で強烈ではあるものの、挙動や態度も一貫しており、聞かれたことにははっきりと、少なくとも文脈を崩壊させずに答えることができた。彼らの主張を「単なる病的な妄想」と言い切るには、内容はともかく話自体は整然としていて自己矛盾がなさすぎる。きっと我々のまだ知らない別の要因が、彼らにそのような妄言を言わしめているのだ。
だが現状、俺の仮説を決定的に裏付ける事実はないし、第一その事実が見つかったとしても、彼らを診療するのが非常に難しいことに変わりはない。堂々巡りの議論の後大声を上げ憤るもの、自分の主張が受け入れられないことに絶望しその場で泣きじゃくるもの、さまざまあった。殆どの患者は初回で、多少通院したとしても初回と同じような話をして、すぐに来なくなった。俺も多少投げやりになって、対話を諦めて薬だけ出して帰してしまうこともあった。本当に彼らは我々の知らない世界からやってきたんじゃないかと、思うこともあった。もっとも…そんなオカルトじみた言論を真面目な学会で主張する勇気はない。それに、そんな姿勢で患者を診るのは、医者としてあまりにも不誠実であるように思う。
ともかく心苦しさはあるが、いなくなった患者にいちいち思いを馳せていては精神科医など務まらないからすぐに忘れることを心がけねばなるまい。現代の科学・魔法の発展のめざましさに期待して、俺は俺にできることをやるしかない。今日は本当に天気も良く、冬にしては温度も快適で、診療もそこまで入っていない。何より明日は非番だから、午後は張り切って仕事をして定時に帰ろう。今日は久々にいい日になる気がする。今日くらいは”異世界転生妄想癖がある謎の患者”のことなんて忘れて、優雅に一週間を締めくくってやるぞ。
メディカル・サイレン(これが鳴ると、急患が来るぞという合図である)が、昼下がりの廊下に響いた。気を引き締めて、診療室へ向かう。
「…ユーオーディア、外で何かあったのかい」
「どうやら広域アウトバーン48δの敷島IC付近での車両落下物事故のようです。添付データを解析します」
「おい」
「解析中です。ちょっと待っててください」
「おい!君にデータが転送されるってことは、ここに患者が来るってことだぞ。自動車事故で精神科に急患だぁ!?聞いたこともない!」
「1次解析完了。患者はサピエンスの雌。敷島 IC付近をバイクで走行中、前方トラックからの落下物により操縦能力を失い、そのまま地面に激突した模様。目立った外傷は確認できない」
「…外傷なし!?………じゃあ何の急患なんだよ!」
「静粛にして下さい。続けます。トラック運転手は逃走し今も行方不明。意識明瞭で質疑にも滞りなく回答。ただし…」
「口頭検査段階で重度の妄想症を確認。高濃度魔法曝露による精神障害を考慮されたい」
「……錯乱系魔法か…?事件性があって怖いな。患者は何と」
「『ここはどこだ、自分が知らない世界に来てしまった、早く元いた場所に帰してくれ』だそうで」
終わった。
奇怪なことに、その手の患者は話す内容が妙にリアルで、正気のようなフリをする。「地球の衛星は月以外存在しないはず」だとか、「アフリカには広大な砂漠が広がっているはず」だとか、「魔法なんてものはフィクションであり、実在しないはず」だとか…おおよそ「私は別世界から転生してきた」という趣旨の根も歯もない嘘を、まるで見てきたように語るのだ。別に俺が無知で怠惰なわけではない。以上のような妄想症候について何度も文献を漁り、様々な病気を疑い、何度か学会発表を行った。真面目に勉強して、データベースを見直し、何か手がかりはないかと必死になって考えた…しかし、誰も俺の発表に関心を抱くことはなかった。
でも、彼らはどこか何かが普通と違うような気がする。単なる精神病で済ますことのできない、既存のものには当てはまることのない、何かを持っているはずだ。彼らは思い込みが特徴的で強烈ではあるものの、挙動や態度も一貫しており、聞かれたことにははっきりと、少なくとも文脈を崩壊させずに答えることができた。彼らの主張を「単なる病的な妄想」と言い切るには、内容はともかく話自体は整然としていて自己矛盾がなさすぎる。きっと我々のまだ知らない別の要因が、彼らにそのような妄言を言わしめているのだ。
だが現状、俺の仮説を決定的に裏付ける事実はないし、第一その事実が見つかったとしても、彼らを診療するのが非常に難しいことに変わりはない。堂々巡りの議論の後大声を上げ憤るもの、自分の主張が受け入れられないことに絶望しその場で泣きじゃくるもの、さまざまあった。殆どの患者は初回で、多少通院したとしても初回と同じような話をして、すぐに来なくなった。俺も多少投げやりになって、対話を諦めて薬だけ出して帰してしまうこともあった。本当に彼らは我々の知らない世界からやってきたんじゃないかと、思うこともあった。もっとも…そんなオカルトじみた言論を真面目な学会で主張する勇気はない。それに、そんな姿勢で患者を診るのは、医者としてあまりにも不誠実であるように思う。
ともかく心苦しさはあるが、いなくなった患者にいちいち思いを馳せていては精神科医など務まらないからすぐに忘れることを心がけねばなるまい。現代の科学・魔法の発展のめざましさに期待して、俺は俺にできることをやるしかない。今日は本当に天気も良く、冬にしては温度も快適で、診療もそこまで入っていない。何より明日は非番だから、午後は張り切って仕事をして定時に帰ろう。今日は久々にいい日になる気がする。今日くらいは”異世界転生妄想癖がある謎の患者”のことなんて忘れて、優雅に一週間を締めくくってやるぞ。
メディカル・サイレン(これが鳴ると、急患が来るぞという合図である)が、昼下がりの廊下に響いた。気を引き締めて、診療室へ向かう。
「…ユーオーディア、外で何かあったのかい」
「どうやら広域アウトバーン48δの敷島IC付近での車両落下物事故のようです。添付データを解析します」
「おい」
「解析中です。ちょっと待っててください」
「おい!君にデータが転送されるってことは、ここに患者が来るってことだぞ。自動車事故で精神科に急患だぁ!?聞いたこともない!」
「1次解析完了。患者はサピエンスの雌。敷島 IC付近をバイクで走行中、前方トラックからの落下物により操縦能力を失い、そのまま地面に激突した模様。目立った外傷は確認できない」
「…外傷なし!?………じゃあ何の急患なんだよ!」
「静粛にして下さい。続けます。トラック運転手は逃走し今も行方不明。意識明瞭で質疑にも滞りなく回答。ただし…」
「口頭検査段階で重度の妄想症を確認。高濃度魔法曝露による精神障害を考慮されたい」
「……錯乱系魔法か…?事件性があって怖いな。患者は何と」
「『ここはどこだ、自分が知らない世界に来てしまった、早く元いた場所に帰してくれ』だそうで」
終わった。
0
あなたにおすすめの小説
クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる
アルカス
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。
でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。
でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。
その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。
そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。
企業再生のプロ、倒産寸前の貧乏伯爵に転生する
namisan
ファンタジー
数々の倒産寸前の企業を立て直してきた敏腕コンサルタントの男は、過労の末に命を落とし、異世界で目を覚ます。
転生先は、帝国北部の辺境にあるアインハルト伯爵家の若き当主、アレク。
しかし、そこは「帝国の重荷」と蔑まれる、借金まみれで領民が飢える極貧領地だった。
凍える屋敷、迫りくる借金取り、絶望する家臣たち。
詰みかけた状況の中で、アレクは独自のユニーク魔法【構造解析(アナライズ)】に目覚める。
それは、物体の構造のみならず、組織の欠陥や魔法術式の不備さえも見抜き、再構築(クラフト)するチート能力だった。
「問題ない。この程度の赤字、前世の案件に比べれば可愛いものだ」
前世の経営知識と規格外の魔法で、アレクは領地の大改革に乗り出す。
痩せた土地を改良し、特産品を生み出し、隣国の経済さえも掌握していくアレク。
そんな彼の手腕に惹かれ、集まってくるのは一癖も二癖もある高貴な美女たち。
これは、底辺から這い上がった若き伯爵が、最強の布陣で自領を帝国一の都市へと発展させ、栄華を極める物語。
{完結保証}規格外の最強皇子、自由に生きて無双する〜どこへ行っても、後世まで語られる偉業を残していく、常識外れの皇子〜
Saioonji
ファンタジー
母に殴られ、命を奪われた――そのはずだった。
だが目を覚ました先は、白く豪奢な王城の一室。
赤子の身体、仕えるメイド、そして“皇子”という立場。
前世では愛されず、名前すら価値を持たなかった少年が、
今度は世界の中心に生まれ落ちてしまった。
記憶を失ったふりをしながら、
静かに、冷静に、この世界を観察する皇子。
しかし彼の中には、すでに常識外れの思考と力が芽生えていた。
――これは復讐でも、救済でもない。
自由を求めただけの少年が、
やがて国を、歴史を、価値観そのものを揺るがしていく物語。
最強であることすら、彼にとってはただの前提条件だった。
重複投稿作品です
小説家になろうとカクヨムにも投稿しています。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
最強無敗の少年は影を従え全てを制す
ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。
産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。
カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。
しかし彼の力は生まれながらにして最強。
そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる