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第41話 甘えたがりと、さびしがり
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旅行の1日目を締めくくるのは、美咲の好きなイタリアンの店だ。
創業1964年、つまり50年近い歴史を持つ老舗ということになる。
「このお店、知ってる! 有名なとこで、いつか来てみたかったんだよ!」
と、美咲がたまたま知っている、というよりはそれだけ名前の通った店でもあったらしい。
ただこの日は、世間では単なる平日月曜日ということもあって、客入りはまばらだ。
ふたりは2階を独占するかたちになって、静かに、リラックスして食事を楽しむことができた。
「そういえば、藤沢の新しい部屋、どうだった?」
「うん、昨日見てきたよ。思ってたよりもずっと広くてきれいで、お引越しが楽しみ!」
美咲が進学する慶〇の看護医療学部は、藤沢方面にある。合格通知を受ける前から、お義母さんが何度か現地に足を運んだ上で、学生マンションの手付をしておいたらしい。
昨日、美咲がお義母さんとともに改めて内見をして、即契約、となった。
「美咲の気に入る部屋でよかったね。引っ越しはいつぐらい?」
「まだ全然、準備できてないの。たぶん3月の最終週になると思うよ」
「一人暮らししたら、美咲はさびしいんじゃない?」
「えへへ、どうなんだろね。コータは私以上にさびしがりだから、ちょっと遠いけど、気が向いたら遊びに来てね。お花、用意しとくよ」
「もちろん、遊びに行くよ。駅と学校と美咲の部屋は、どれも近いの?」
「駅とマンションはすぐ近くだけど、学校までは歩けないかな。バスでも20分以上かかるからね」
「えっ、だいぶ遠いね」
「うん、駅前もほんとーに田舎の駅前って感じ。のんびりしてそうだけど。学校までは自転車で通うつもり」
「自転車、危ないから気をつけてね」
「うふふ、ありがとう」
(3月の最終週に引っ越しか……)
幸太の脳裏をかすめるのは、3月11日に高い蓋然性をもって発生するであろう、地震のことだ。
幸太の記憶では3月中から4月前半くらいにかけては電力供給などの面などから首都圏でも混乱が発生しており、実際に幸太の入学した大学でも入学式を5月に延期する判断を下した。
美咲は、予定通りに引っ越しや授業の開始が可能なのだろうか。
自分は一度、経験済みでもあるし、心の準備もリスクヘッジも容易だが、美咲に影響がありそうなことについては、彼の対処できる範囲で助けてやりたい気持ちがある。
この店の逸品、ローマ風スパゲティをいつものように取り分けていると、美咲がにこにこしながら胸の前で祈るようにして手を組んでいる。
「ん、どうしたの?」
「なんかね、コータがそうやって私のために取り分けてくれるの、すっごく好き。うれしいし、素敵で、ドキがムネムネする」
「取り分けてるだけで?」
「そう。いつもやってくれるし、それだけのことなんだけど、毎回ムネキュンなの」
「俺はこれだけのことで喜んでくれる美咲にムネキュンだよ」
思えばTake1のあの同窓会のときも、美咲は同じように甘い眼差しで、彼のことを見守ってくれていた。
30歳の美咲は、すでに18歳の美咲によってその印象の多くが塗り替えられてしまってはいるが、それでも幸太にとってはどちらも最愛のひとであることに変わりはない。
(30歳の、美咲か……)
ちょっと不思議な話ではあるのだが、彼が知る30歳の美咲は、もう1年近く前に一度、会ったきりなのだ。
美しい、この上なく美しいひとだった。
などと過去形で思ってみるが、いつか30歳の美咲に再会できるとすれば、それは今から12年後ということになる。
そのとき、自分は美咲のそばにいられるだろうか。
19歳の美咲、20歳の美咲、それからもずっと、自分は彼女とともに生きていられるだろうか。
それを思うと、今、自分の目の前にいてくれるこのひとを絶対に離さない、自分のすべてで愛そう、という決意が新たになる。
食事のあと、予約していたホテルにチェックインする。
「あーもう足動かない!」
部屋に入ってすぐ、美咲は帽子だけを脱いで、背中からダイブするようにベッドに体重を預けた。
「疲れたでしょ。少し、横になってていいよ」
「ありがとう。コータだって疲れたでしょ」
「まぁね。でも美咲と一緒だから気持ちはうれしいよ。部屋、ツインじゃなくてダブルにしたんだけど、よかったかな?」
「うん、もちろんよ。あ……ごめんね。ふたりで寝るベッドなのに、私がぐしゃぐしゃにしちゃった」
「気にしなくていいよ」
「でも、親しき仲にも礼儀ありって言うでしょ」
「ときには、礼儀よりも大切なものがあるよ。美咲が俺の前で、のびのび羽を伸ばしてくれる。俺にとっては、そのほうがうれしいし、安心するよ」
「そっかぁ、うん、そうかもね。じゃあコータも、隣に寝転んで。ぴんて張ったシーツ、気持ちいいよ」
「ではでは、お言葉に甘えまして」
美咲の横に並んで寝ると、一日の疲れが心地よく背中からベッドに吸収されてゆくようだ。
しばらくそうして休んでいると、美咲がもぞもぞと動き出して、幸太の左腕を伸ばし、枕のように頭を乗せる。
美咲には、こういう一面がある。
「美咲、甘えたがりだよね」
「そうかなぁ。コータは、さびしがりだよね。甘えたがりと、さびしがり」
「そうかもね」
ふたりは顔を見合わせ、微笑を交換した。
ふと時計に目を移すと、もう21時を回っている。
ばっ、と美咲は起き上がり、ブーツを脱ぎながら、
「私、お風呂ためてくるね」
「あ、お風呂いいね。一緒に入ろうよ」
「えっ!?」
「俺、さびしがりで離れるのさびしいから、お風呂一緒に入っていい?」
「えー……」
美咲は目を伏せ、ペンギンのように左右で片足立ちを繰り返したり、くるくると回ってみせたりと、妙な動きをしている。
(もしかして、引かれたかな……?)
幸太の心配はしかし、杞憂だった。
「ィヒヒっ」
と美咲は思わず笑い出して、両手で目から口をそっくり隠した。赤みのさした頬や額が、指の隙間からのぞいている。
「うん……いいよ」
「ほんと?」
「うん、でも恥ずかしいから、コータは入ってるあいだずっと目つぶっててね」
「おけです!」
「約束できる?」
「約束します!」
少なくとも幸太の知る限り、この夜は彼が美咲との約束を破った、最初の日だった。
創業1964年、つまり50年近い歴史を持つ老舗ということになる。
「このお店、知ってる! 有名なとこで、いつか来てみたかったんだよ!」
と、美咲がたまたま知っている、というよりはそれだけ名前の通った店でもあったらしい。
ただこの日は、世間では単なる平日月曜日ということもあって、客入りはまばらだ。
ふたりは2階を独占するかたちになって、静かに、リラックスして食事を楽しむことができた。
「そういえば、藤沢の新しい部屋、どうだった?」
「うん、昨日見てきたよ。思ってたよりもずっと広くてきれいで、お引越しが楽しみ!」
美咲が進学する慶〇の看護医療学部は、藤沢方面にある。合格通知を受ける前から、お義母さんが何度か現地に足を運んだ上で、学生マンションの手付をしておいたらしい。
昨日、美咲がお義母さんとともに改めて内見をして、即契約、となった。
「美咲の気に入る部屋でよかったね。引っ越しはいつぐらい?」
「まだ全然、準備できてないの。たぶん3月の最終週になると思うよ」
「一人暮らししたら、美咲はさびしいんじゃない?」
「えへへ、どうなんだろね。コータは私以上にさびしがりだから、ちょっと遠いけど、気が向いたら遊びに来てね。お花、用意しとくよ」
「もちろん、遊びに行くよ。駅と学校と美咲の部屋は、どれも近いの?」
「駅とマンションはすぐ近くだけど、学校までは歩けないかな。バスでも20分以上かかるからね」
「えっ、だいぶ遠いね」
「うん、駅前もほんとーに田舎の駅前って感じ。のんびりしてそうだけど。学校までは自転車で通うつもり」
「自転車、危ないから気をつけてね」
「うふふ、ありがとう」
(3月の最終週に引っ越しか……)
幸太の脳裏をかすめるのは、3月11日に高い蓋然性をもって発生するであろう、地震のことだ。
幸太の記憶では3月中から4月前半くらいにかけては電力供給などの面などから首都圏でも混乱が発生しており、実際に幸太の入学した大学でも入学式を5月に延期する判断を下した。
美咲は、予定通りに引っ越しや授業の開始が可能なのだろうか。
自分は一度、経験済みでもあるし、心の準備もリスクヘッジも容易だが、美咲に影響がありそうなことについては、彼の対処できる範囲で助けてやりたい気持ちがある。
この店の逸品、ローマ風スパゲティをいつものように取り分けていると、美咲がにこにこしながら胸の前で祈るようにして手を組んでいる。
「ん、どうしたの?」
「なんかね、コータがそうやって私のために取り分けてくれるの、すっごく好き。うれしいし、素敵で、ドキがムネムネする」
「取り分けてるだけで?」
「そう。いつもやってくれるし、それだけのことなんだけど、毎回ムネキュンなの」
「俺はこれだけのことで喜んでくれる美咲にムネキュンだよ」
思えばTake1のあの同窓会のときも、美咲は同じように甘い眼差しで、彼のことを見守ってくれていた。
30歳の美咲は、すでに18歳の美咲によってその印象の多くが塗り替えられてしまってはいるが、それでも幸太にとってはどちらも最愛のひとであることに変わりはない。
(30歳の、美咲か……)
ちょっと不思議な話ではあるのだが、彼が知る30歳の美咲は、もう1年近く前に一度、会ったきりなのだ。
美しい、この上なく美しいひとだった。
などと過去形で思ってみるが、いつか30歳の美咲に再会できるとすれば、それは今から12年後ということになる。
そのとき、自分は美咲のそばにいられるだろうか。
19歳の美咲、20歳の美咲、それからもずっと、自分は彼女とともに生きていられるだろうか。
それを思うと、今、自分の目の前にいてくれるこのひとを絶対に離さない、自分のすべてで愛そう、という決意が新たになる。
食事のあと、予約していたホテルにチェックインする。
「あーもう足動かない!」
部屋に入ってすぐ、美咲は帽子だけを脱いで、背中からダイブするようにベッドに体重を預けた。
「疲れたでしょ。少し、横になってていいよ」
「ありがとう。コータだって疲れたでしょ」
「まぁね。でも美咲と一緒だから気持ちはうれしいよ。部屋、ツインじゃなくてダブルにしたんだけど、よかったかな?」
「うん、もちろんよ。あ……ごめんね。ふたりで寝るベッドなのに、私がぐしゃぐしゃにしちゃった」
「気にしなくていいよ」
「でも、親しき仲にも礼儀ありって言うでしょ」
「ときには、礼儀よりも大切なものがあるよ。美咲が俺の前で、のびのび羽を伸ばしてくれる。俺にとっては、そのほうがうれしいし、安心するよ」
「そっかぁ、うん、そうかもね。じゃあコータも、隣に寝転んで。ぴんて張ったシーツ、気持ちいいよ」
「ではでは、お言葉に甘えまして」
美咲の横に並んで寝ると、一日の疲れが心地よく背中からベッドに吸収されてゆくようだ。
しばらくそうして休んでいると、美咲がもぞもぞと動き出して、幸太の左腕を伸ばし、枕のように頭を乗せる。
美咲には、こういう一面がある。
「美咲、甘えたがりだよね」
「そうかなぁ。コータは、さびしがりだよね。甘えたがりと、さびしがり」
「そうかもね」
ふたりは顔を見合わせ、微笑を交換した。
ふと時計に目を移すと、もう21時を回っている。
ばっ、と美咲は起き上がり、ブーツを脱ぎながら、
「私、お風呂ためてくるね」
「あ、お風呂いいね。一緒に入ろうよ」
「えっ!?」
「俺、さびしがりで離れるのさびしいから、お風呂一緒に入っていい?」
「えー……」
美咲は目を伏せ、ペンギンのように左右で片足立ちを繰り返したり、くるくると回ってみせたりと、妙な動きをしている。
(もしかして、引かれたかな……?)
幸太の心配はしかし、杞憂だった。
「ィヒヒっ」
と美咲は思わず笑い出して、両手で目から口をそっくり隠した。赤みのさした頬や額が、指の隙間からのぞいている。
「うん……いいよ」
「ほんと?」
「うん、でも恥ずかしいから、コータは入ってるあいだずっと目つぶっててね」
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