文豪カヤーマ・神楽坂、午後4時の決斗

加山 淳

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コーヒーショップ

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 その日、私カヤーマは神田の自宅マンションから抜け出し、神保町にいた。

  10月に入り暑さも忘れ、空は絵筆で書かれたような白い雲が棚引き、すっかり秋の様相を呈している。そよぐ風は心地よく、連載に頭を悩ませた今の私にはこの上もない解放感をもたらせていた。

  何のことはない。自室で担当編集者に監視されながらの執筆活動に嫌気が差して逃げ出してきたのだから、この解放感もさもありなんという訳である。
  担当編集者のキヤマ君には悪いが、執筆に苦しむ私を差し置いて居眠りなぞする君が悪いのだ、と私は心の中で言い訳しながらこっそり逃げ出してきたのだった。

  もちろんスマホなどは持ち歩いていない。そんな野暮なものに、この至福の時を邪魔されたくないという私なりの決意表明なのだ。
  今頃気付いたキヤマ君はきっと青い顔で編集部にでも連絡しているのだろうが、私の知ったことではない。人が苦しんでいる横で幸せそうに居眠りをしている君が悪いのだ。
  精々己の不覚を呪うがいい。



  そんな秋の訪れをヒシヒシと感じながら古書店巡りをしていたが、ふと小腹が空くのを感じる。着物の懐に放り込んである愛用の懐中時計の蓋を開けて時間を確認する。

  時間は午後4時、昼は食べたばかりだし、夕飯の時間も近い。実に微妙かつ、間の悪いことであった。

  通りを見てみればそこかしこに店があった。どこに行っても変わり映えのしないファストフード店、お決まりの言葉しか答えないファミレス、何の特徴もないチェーン店…………何時からこの国はこんな詰まらない店ばかりになったのかと思わず嘆きたくなる。

  色付き始めた街路樹が、私の心を代弁するかのように風に揺れ木の葉を飛ばす。
  そんな木々の様子に己を投影するなど、きっと執筆の疲れが出ている証拠だろう。何をやっているのだと思うが、この解放感の心地よさに負け、まぁいいかと思い直す。

  今問題なのはそれではない。

  この微妙かつ貴重な時間で如何に私の中の苛立ちを解き放ち、そして新たな活力を得るかということが目下の史上命題なのだ。
  正にそれはこの街の持つポテンシャルと私の欲望とのせめぎ合い、言いかえれば戦いなのである。
  執筆活動に疲れ果てた今の私は例えるなら怒り狂える飢龍がりゅうといったところだ。対する通りに見える店など私からしてみれば精々が雑兵にしか見えない。
  私はそんな雑兵どものカラフルなだけの旗指物はたさしものを鼻で笑い飛ばしながら、相見あいまみえるに値する将を探して足を進めていた。



  しかし、これはどうしたことだ。幾ら歩けどまともな店が一軒もないとは……。
  ふと目をやると目の前にはガラス張りのいかにもお洒落を気取ったコーヒーチェーン店がある。
  もうここでいいかと悪魔が囁いたが、私は鉄の意思でそれを跳ね返す。
  考えてもみて欲しい。50がらみの着物を着た文豪然とした私がそのような店に入る姿を。
  私は冷静に頭の中でシュミレーションしてみる。


  店の前に立つ私は、そこで悩む間もなく開かれる自動ドアに、己の意思に反して入ることを余儀なくされるだろう。まずここで私の苛立ちがひとつ上がることは間違いない。
  そして店内に仕方なく促された私に次に襲い掛かるのは注文を受け付けるカウンターでの攻防だ。
  私はただコーヒーを頼みたいだけなのだ。それをなんだ、その呪文は。
  私にその、シングル ベンティ キャラメル アーモンド ヘーゼルナッツ モカ ホワイトモカ ツーパーセント チョコチップ エキストラホイップ キャラメルソース チョコソース ジェリー バニラクリームフラペチーノとか言う呪文を唱えろとでも言うつもりか?
  冗談ではない。私は死んでもシングル ベンティ キャラメル アーモンド ヘーゼルナッツ モカ ホワイトモカ ツーパーセント チョコチップ エキストラホイップ キャラメルソース チョコソース ジェリー バニラクリームフラペチーノなどとニヤケた顔で注文なぞするものか!

  まぁいい、これはシュミレーションだ。
  よしんば注文を済ませたとしてだ。それから起こることを考えてみよう。
  やって来たシングル ベンティ キャラメル アーモンド ヘーゼルナッツ モカ ホワイトモカ ツーパーセント チョコチップ エキストラホイップ キャラメルソース チョコソース ジェリー バニラクリームフラペチーノを片手に私は席を探すことになるだろう。
  おひとり様の私が座るに値する場所など限られている。

  つまり窓際のカウンター席だ。
  通りから丸見えの、ガラス張りの、歩いている女子高生たちにガン見される、そんな席だ。
  冗談ではないぞ、そんな席に座れるか。

  50過ぎの着物を着た文豪然としたオッサンが至福の顔でシングル ベンティ キャラメル アーモンド ヘーゼルナッツ モカ ホワイトモカ ツーパーセント チョコチップ エキストラホイップ キャラメルソース チョコソース ジェリー バニラクリームフラペチーノを片手にニヤケた面を晒し、通りの女子高生に指を指され笑われる姿がありありと想像出来るではないか!

  既に私の怒りは極大に達していた。頭の中でシュミレーションして危うく難を逃れることが出来たが、下手をしたら私は社会的に抹殺されかねないところだったのだ。
  許すまじコーヒーチェーン、恐るべしシングル ベンティ キャラメル アーモンド ヘーゼルナッツ モカ ホワイトモカ ツーパーセント チョコチップ エキストラホイップ キャラメルソース チョコソース ジェリー バニラクリームフラペチーノ。


  私はそのコーヒーチェーン店の目の前で荒い息を吐き、この悪魔のような店には死んでも入るまいと心に誓う。
  はあはあと荒い息遣いの私を通りがかったOLが痴漢でも見るような蔑んだ目で見てきた。
  くそっ、私が何をしたというのだ。




  しばらくして冷静になった私は通りを歩きながら、更に減った小腹に悩まされ思考が乱れされる。
  冷静に、もっと冷静になるのだ、カヤーマ。
  格調高く、気品漂い、読んだ者は思わず涙を流し本を掲げながら土下座する文章を書く文豪こそ、この私カヤーマではないのか?
  そうだ、私はカヤーマ、文豪なのだ。こんなお洒落だけを気取った店に翻弄されてどうする。落ち着くんだ、落ち着いてよく考えるのだ。


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