文豪カヤーマ・神楽坂、午後4時の決斗

加山 淳

文字の大きさ
4 / 6

純喫茶 その2

しおりを挟む
 私はやっと会えた好敵手に心躍りながらも、その髭面のマスターから目が離せなかった。
  ウェイトレスと同じシンプルなエプロン、そこから覗くチェックのシャツ。
  いいではないか。
  私は満足してカウンターの席に座った。

  落ち着いたところで私は戦うべき戦場をよく観察した。
  客は他にはいない。間違いなく一騎打ちになるだろう。今日の戦いは厳しいものになりそうだ。
  入り口付近には年季の入ったキャッシャーが置かれ、その横にはガラス張りの四角い冷蔵ケースがあった。
  中には近所のケーキ店から卸してもらっているのだろうケーキが入っている。ショートケーキは言うに及ばず、ベイクドチーズケーキに白いのはレアチーズケーキだろうか?
  その変哲もないチョイスに思わず唸る。

  下手にデコレーションされた、いかにもウチのウリですとでもいう様なゴテゴテしたものなど、ここには相応しくないのだ。
  只の喫茶店ではない、純喫茶なのだ、ここは。
  改めてその真剣が持つ本物の凄味を感じさせた。



  だが、勝負はここからだ。
  そのお手並み拝見といこうではないか。
  私はカウンターに置かれたメニューを手に取ろうとした。しかし、ここに来て思わぬ伏兵に強烈なジャブを喰らうことになった。
  目の前には丸い物体があった。
  そうだ、私は知っている。これが何か知っている。

  一気に私の思考は過去にまで飛ばされた。
  高度成長時代、まだこの東京にも得も言われぬ熱気と高揚感が存在した時代だった。喫茶店は街に溢れ、世の人々はみなそこに集い、熱い文学論などを戦わせたものだ。
  若かりし頃の自分の姿を思い出し、あの頃の情熱がぶり返してくるようだ。

  そうだ、そのころにこれはあったのだ。喫茶店ばかりではない。レストランにも場末のラーメン屋にも静かに、無駄な主張もせず、ただそこに存在した。

  卓上占い機。

  コインを入れれば、丸いカプセルに占い結果の小さな紙が入っていて、恋人たちがそれに一喜一憂したものだ。何時の間に無くなってしいまったのだろう? 懐かしい戦友に思いがけず会えた喜びに私は打ち震えた。
  友よ、お前はこんなところで静かに私を待っていたのか。健気な姿に涙が出そうになる。

  なんと手ごわい店か、このような絡め手で攻めてくるとは。
  敵の戦術にどっぷりと嵌ってしまうところであったわ。だが、この文豪カヤーマ、ただのノスタルジーで打ち倒せるほど軟ではないぞ。


  本命は軽食にあり!


  そうだ、ここでブレンドなどと頼もうものなら見事にマスターの術中に嵌るのは目に見えている。そこを敢えて外し、ややもすると手を抜きたくなる軽食で勝負を掛ける。

  これだ、これこそ必勝の策。

  そこで私は冷静なる智謀を巡らす必要が生じた。圧倒的な戦力で勝つのは容易い。だが、それは相手に対して礼を失した行為だ。
  如何にギリギリの線で攻め、最後に勝利を得るかがポイントだ。

  無難に行けばカレーライスだが、これは博打に過ぎる。湯煎したインスタントなど出されようものなら、それは不戦勝のようなものだ。それは断じて、そう断じて避けねばならない。
  このような至高の戦いの場を得て、不戦勝などあってはならないのだ。
  マスターとのギリギリの切り合いの末、打ち勝たなければ意味がない。



  では何がある?
  ハンバーグランチ? 駄目だ、それは些か重すぎる。夕飯までの時間を考えれば、この小腹を満たし過ぎるものになってしまう。

  考えろ、考えるんだカヤーマ!

  ん?

  思わずそこにあった文字に目が釘付けになる。いやいや、待て。それは無いぞ。
  たしかに小腹を満たすちょうどいい量かもしれない。だが、それを頼んだ瞬間、埋設された地雷を踏むがごとく爆死間違いなしだ。

  私の積み重ねてきた文豪としての歴史も重みも一気に吹き飛ばす危険物だぞ、それは。
  しかし、しかしだ。この誘因するがごとし魅力はなんだ?
  思い出せ、お前は文豪と呼ばれる50過ぎのオッサンなんだぞ?
  止めろ、止めるんだ、カヤーマ。


  私は寸でのところで思い留まった。
  無表情を装ってはいたが、このとき私の背は冷や汗でびっしょりと濡れていた。まさか、このような地雷が隠されていようとは……



 お子様ランチ……恐るべし。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

抱きしめて

麻実
恋愛
夫の長期に亘る不倫に 女としての自信を失った妻は、新しい出会いに飛び込んでいく。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

一番でなくとも

Rj
恋愛
婚約者が恋に落ちたのは親友だった。一番大切な存在になれない私。それでも私は幸せになる。 全九話。

処理中です...