文豪カヤーマ・神楽坂、午後4時の決斗

加山 淳

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純喫茶 その3

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 再び振り出しに戻り、私は窮地に立っていた。ここまで来て無様な戦いをするのは論外である。出来るなら壮絶な戦いの末、討死ならまだ納得がいくというもの。
  さらにメニューを見ていく。
  サンドウィッチ? ないない。
  そんなお子様染みたものは小手先のお遊びに過ぎない。ここは何か正統派かつ血沸き肉躍るようなものをチョイスしたい。
  何かないか?
  私は目を皿のようにして探した。



  …………あった!



  これだ! これこそ私の求めていたものだ。
  ようやく見つけた。
  無常な砲弾が飛び交い、血煙が上がり、硝煙渦巻く戦場に一筋の光を見た気分だ。こういうのを待っていたのだよ、私は。

  それは正に喫茶における王道、絶対強者にして宇宙の真理と言ってさえいい存在だ。
  それこそ喫茶店のマスターと客との間で行われる静かな戦闘に相応しい一品だ。
  その店のマスターの技と地力が試される究極の逸品。
  有り触れたものにして、基本。基本にして喫茶の女王。

  何ということだ、私としたことがこのようなものを忘れて、お子様ランチに現を抜かすとは情けない限りではないか。
  私はそれまでの苦戦を忘れるがごとく、その希望に縋る。
  これならば、これならばきっといい戦いが出来る。そう確信させるに至るものだった。
  その名は…………




 ナポリタン。




  あぁ、なんと郷愁を誘う名前なのだろうか。
  そは正に喫茶の帝王、類まれなる洋食の先兵にして最終防衛線。その芳しい香りと芳醇な味わいは食したものの心に、天よりの祝福のラッパが鳴り響くであろう。

  ナポリタンに幸あれ!

  私は叫びたいほどの衝動に駆られたが、そこは文豪としての重み。ぐっと堪え、注文を聞きに来た女子高生ウェイトレスに厳かに告げる。


  「ナポリタンひとつ……」


  決まった。
  この店内に流れるラベルのボレロのクライマックスに合うような絶妙なタイミングでの注文。数年に一度あるかないかの僥倖だ。
  私はその幸運に感謝をする。
  今この場に純喫茶の神が降臨しても、私は驚かないだろう。それはそのくらいの奇跡なのだ。

  ウェイトレスの少女は今時珍しい紙の注文用紙にペンを走らせる。
  なるほど、こういった演出も流石と言わざるを得ない。さりげないひとつひとつの動作と小道具こそ、その作品の格調を高める小説の真理に通ずるものがある。

  置かれたお冷を一口口に含み、私は高揚した精神を落ち着かせる。


  「マスター、ナポリタンひとつね。あ、お客さん、何か飲まれますか?」


  上手い!
  この絶妙な間、侮っていたがその考えを改めねばなるまい。これは案外手ごわい敵やも知れぬ。
  思わぬ伏兵、少女よ、お前もやはり戦士なのだな?
  いや、その相手を油断させる容姿、翻弄するがごとき台詞……さしずめ、くノ一といったところか。
  戦場に咲く一輪のバラ、不用意に触ればその棘に刺されるという訳だな。
  良かろう、相手になってやろうではないか。
  私とて若かりし頃から、伊達に喫茶店に入り浸っていた訳ではないことを思い知らせてやろう。


  「メロンソーダを頼む」


  落ち着いて私が少女に告げる。
  どうだ、このチョイスは?
  喫茶での飲み物を言えばコーヒーを思い浮かべるだろうが、そうは問屋は卸さないのだ。
  喫茶店での飲み物の影の主役、メロンソーダ。
  合成着色料で染められた鮮やか過ぎるほど鮮やかな緑。湧き上がる炭酸。
  これほど喫茶店の裏の番長に相応しいものはないだろう。


  「はぁい、メロンソーダひとつね」


  少女はそう言うとパタパタを足音をさせ奥に向かう。
  ほう、流石だな。少しの動揺も見せないとは。私が見込んだ者だけのことはあるな。
  気付けばマスターが居なくなっていた。そうか、このくノ一に注意を引きつけ、その間に消えたのだな。
  これは忍法帳でいうところの、人遁の術をいう奴だな。
  一方の者が敵の注意を引き付けている間に、もう片方の者が忍び込む……うぅむ、鮮やかなり。

  しばらくすると先ほどの少女を銀のトレーに鮮やかな色をしたメロンソーダを持ってくる。またこの銀のトレーをいうのが泣かせるではないか。ここのマスターはいい趣味をしているな。これはポイント高いと言わざるを得まい。


  「はい、メロンソーダ」


  少女が紙のコースターとストローを置くと、タンと小気味いい音をさせてメロンソーダを置いた。
  その衝撃にガラスのコップに張り付いた炭酸の泡がさぁと沸き立った。
  見ればそこにはシロップ漬けのサクランボが乗せられ、メロンソーダとの見事な対比を見せつけていた。そうそう、これだよ。こういった小さな演出の積み重ねが大事なのだよ。
  きっとここのマスターが小説家になれば、私と肩を並べる文豪になっていたやも知れぬと心の中で唸る。




  私がそのメロンソーダにストローを挿そうかというとき、少女が声を掛けてくる。
  こういったことはマニュアル化されたファミレスではありえないだろう。
  気分がよくなっていた私は一見すれば、その頭の緩そうなくノ一の少女の話に付き合うことにした。


  「あのさ、オジサン、もしかして小説家とか? なんか着物なんか着てこんなところ来てるから、そんな感じだよね?」


  鋭い、鋭いな、くノ一。
  私はその洞察力に舌を巻いた。侮っていた訳ではなかったが、こうもあっさり見破られるとは思わなかった。
  だが、そうだといって慌てた姿を晒すほど私は安い男ではない。ゆっくりと、そして重厚感を醸し出しながら頷いてみせる。


  「いかにも。巷で匂い立つほどの格調高い文を書くと、もっぱら噂されることのあるカヤーマとは私の事だ。まぁ人は文豪などと言うがね」


  それに対し、少女は差して驚く様子も見せずに答える。うむ、驚かないとは流石だ、と私は感心する。これがサイン会などであれば、失神者続出ものだったろう。


  「へぇ、やっぱり小説家だったんだ。名前は知らないけど」


  ちくりと人の心を抉って来るあたりが小憎らしい。ただでは済まさぬということか。
  だが、その程度では文豪カヤーマ、ピクリともせぬぞ。
  本当はサインでも欲しいのではないか? 今なら寛大な気持ちで書いてやらんこともないぞ。さぁ遠慮なく言うがいい。無様な豚の悲鳴のごとく、カヤーマ大先生のおサイン下さいませ、とのたまうがよい。

  しかし、少女は私にはさほど興味がないのか、カウンターの端で居眠りを始めた。

  なんだと? そうきたか。

  期待させておいて一気に落とす。
  ふふふ、凡百の作家ならいざ知らず、この出版業界の荒波を乗り越えてきた文豪カヤーマ相手にそのような手は通用せぬわ。
  まぁなかなかの手腕だったことは認めよう。
  ついこの私でさえ、その気になったのだからな。だが惜しむらくは詰めが甘かったな。
  まぁ年若い少女にしてはよくやったと褒めてやろうではないか。
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