18 / 26
18
しおりを挟む
ガタン!と音がして、階段の踊り場に現れたのは案の定、アンジェだった。
階下の私と目が合った彼女は目を見張り、私達はしばし無言で見つめ合った。
先に口を開いたのは、アンジェの方だった。
「……レミーエじゃないの。お久しぶりね。こんなところで会うなんてとんだ偶然だわ。平民に堕ちた気分はどう?」
憎々しげに私を見ながら言葉を紡ぐ彼女は、どこか陰のある厭世的な空気をまとっていた。
ゆっくりと階段を降りながら、アンジェは更に言葉を続ける。
「かつてはアルトリアの令嬢の頂点にいた『レミーエ様』が平民だなんておかしいったら!あはは、アンタもそう思うでしょう?」
彼女は私のすぐ目の前に来て、馬鹿にしたように下から覗き込んできた。
しかし、私の胸にはもはや彼女に対する怒りや憎しみの感情は生まれてこなかった。
ただ。哀れだな、と思った。
「そうね。私もあなたも同じ平民だわ。それより、ちゃんと食事はしているの?なんだか痩せたみたいに見えるわ。顔色も……」
「っ馬鹿にすんなよおっ!お前に関係無いだろうが!なんだよ、その目は!何なんだよ、お前!ふざけんなっ……!」
「やめっ……」
アンジェは私に向かって手を振り上げ、私は咄嗟に両手で顔を庇おうとした。
ガシャッ……!
その時、彼女の振り上げた手が花瓶にぶつかった。陶器の花瓶は床に落ち、大きな音をたてて砕け散った。
「キャアア!」
アンジェは悲鳴とともにバランスを崩してよろめき、陶器の破片の上に倒れていく。
「危ない……!」
その瞬間、考えるより先に体が動いていた。
私は膝をついて両手で彼女を支えた。
床についた膝から、ドレスに染みてくる冷たい感触がする。それに遅れてズキリと痛みが走った。
「怪我はない?」
呆然とするアンジェの背中をゆるりと撫でると、彼女は弾かれたように顔を上げた。
「なんで……なんで助けたのよ!助けて欲しいなんて、言ってない……!」
私を睨みつけようとして、失敗したのか。
アンジェの目からは、止め処なく涙が溢れていた。
「助けてなんて……言ってないわ」
その言葉とは裏腹に、私にはアンジェが助けを求めて叫んでいるようにしか見えなかった。
うら若い少女が身ひとつで外国に放り出され、一体どれだけの苦渋を舐めてきたのか。
少しでも状況が違えば、私だって同じ思いをしたかもしれない。
私だって罪を犯したのだ。
一歩間違えば国外追放になっていた可能性もあるのだ。
彼女の苦境を味わわずに済んだのは、国王陛下や王太子殿下の御恩情だろう。私はただ幸運だったに過ぎない。
「……ええ。あなたを助けたのは、私の勝手。私が助けたかったから。それだけよ」
だからもう、泣かないで。
私はアンジェを抱き締めた。
彼女はビクリと硬直し、やがてだらりと力を抜いた。
「レミーエ!大丈夫か!」
エリオットが転がるように階段を降りてきた。
慌てるエリオットに、私はニコリと微笑んだ。
「ええ。大丈夫。でも花瓶を割ってしまったわ」
「そんなことはどうでもいい!」
「ダメよ!弁償するわ。ご婦人の思い入れのある品を壊してしまったことはどうしようもないけれど……」
私は申し訳なく思いながら老婦人に視線を送った。しかし婦人は残念そうな顔付きながらも、緩く首を振ってくれた。
「いいのよ、お嬢さん。形あるものはいつかは壊れるものだわ。それより、血が出ているわ」
老婦人の言葉に、エリオットは目を見開いて私の全身を検分し、血の滲むドレスに目をとめた。
「なんだと!くそ、こんなに血が……!この女……!」
現場を見てもいなかったにも関わらず、エリオットはアンジェが何かしたと判断したようだ。彼は強引に私からアンジェを引き離そうと、彼女の肩を掴んだ。
「痛い!やめて!」
「ダメよ、エリオット。彼女もわざとやった訳ではないの」
「だが、そいつは嘘を吐いた。それに罪人だ」
もうそこまでわかっているのか。
納得できない様子で首を横に振るエリオットをひたと見つめ、私は言った。
「彼女が罪人ならば、私も罪人だわ。アンジェは、もう十分つらい思いをしてきたのよ。……少し、休ませてあげたいの。お願い」
アンジェを抱き締めたまま懇願する私を見て、エリオットは苦虫を噛み潰したような顔でしぶしぶ了解した。
「……わかったから、レミーエの手当てをさせてくれ。お願いだ」
「ありがとう、エリオット」
ホッとして気が抜けたのか、強く膝に痛みを感じた。
顔をしかめた私を慌てて掬い上げ、エリオットはアンジェについて来るように言って階段を駆け上がった。
階下の私と目が合った彼女は目を見張り、私達はしばし無言で見つめ合った。
先に口を開いたのは、アンジェの方だった。
「……レミーエじゃないの。お久しぶりね。こんなところで会うなんてとんだ偶然だわ。平民に堕ちた気分はどう?」
憎々しげに私を見ながら言葉を紡ぐ彼女は、どこか陰のある厭世的な空気をまとっていた。
ゆっくりと階段を降りながら、アンジェは更に言葉を続ける。
「かつてはアルトリアの令嬢の頂点にいた『レミーエ様』が平民だなんておかしいったら!あはは、アンタもそう思うでしょう?」
彼女は私のすぐ目の前に来て、馬鹿にしたように下から覗き込んできた。
しかし、私の胸にはもはや彼女に対する怒りや憎しみの感情は生まれてこなかった。
ただ。哀れだな、と思った。
「そうね。私もあなたも同じ平民だわ。それより、ちゃんと食事はしているの?なんだか痩せたみたいに見えるわ。顔色も……」
「っ馬鹿にすんなよおっ!お前に関係無いだろうが!なんだよ、その目は!何なんだよ、お前!ふざけんなっ……!」
「やめっ……」
アンジェは私に向かって手を振り上げ、私は咄嗟に両手で顔を庇おうとした。
ガシャッ……!
その時、彼女の振り上げた手が花瓶にぶつかった。陶器の花瓶は床に落ち、大きな音をたてて砕け散った。
「キャアア!」
アンジェは悲鳴とともにバランスを崩してよろめき、陶器の破片の上に倒れていく。
「危ない……!」
その瞬間、考えるより先に体が動いていた。
私は膝をついて両手で彼女を支えた。
床についた膝から、ドレスに染みてくる冷たい感触がする。それに遅れてズキリと痛みが走った。
「怪我はない?」
呆然とするアンジェの背中をゆるりと撫でると、彼女は弾かれたように顔を上げた。
「なんで……なんで助けたのよ!助けて欲しいなんて、言ってない……!」
私を睨みつけようとして、失敗したのか。
アンジェの目からは、止め処なく涙が溢れていた。
「助けてなんて……言ってないわ」
その言葉とは裏腹に、私にはアンジェが助けを求めて叫んでいるようにしか見えなかった。
うら若い少女が身ひとつで外国に放り出され、一体どれだけの苦渋を舐めてきたのか。
少しでも状況が違えば、私だって同じ思いをしたかもしれない。
私だって罪を犯したのだ。
一歩間違えば国外追放になっていた可能性もあるのだ。
彼女の苦境を味わわずに済んだのは、国王陛下や王太子殿下の御恩情だろう。私はただ幸運だったに過ぎない。
「……ええ。あなたを助けたのは、私の勝手。私が助けたかったから。それだけよ」
だからもう、泣かないで。
私はアンジェを抱き締めた。
彼女はビクリと硬直し、やがてだらりと力を抜いた。
「レミーエ!大丈夫か!」
エリオットが転がるように階段を降りてきた。
慌てるエリオットに、私はニコリと微笑んだ。
「ええ。大丈夫。でも花瓶を割ってしまったわ」
「そんなことはどうでもいい!」
「ダメよ!弁償するわ。ご婦人の思い入れのある品を壊してしまったことはどうしようもないけれど……」
私は申し訳なく思いながら老婦人に視線を送った。しかし婦人は残念そうな顔付きながらも、緩く首を振ってくれた。
「いいのよ、お嬢さん。形あるものはいつかは壊れるものだわ。それより、血が出ているわ」
老婦人の言葉に、エリオットは目を見開いて私の全身を検分し、血の滲むドレスに目をとめた。
「なんだと!くそ、こんなに血が……!この女……!」
現場を見てもいなかったにも関わらず、エリオットはアンジェが何かしたと判断したようだ。彼は強引に私からアンジェを引き離そうと、彼女の肩を掴んだ。
「痛い!やめて!」
「ダメよ、エリオット。彼女もわざとやった訳ではないの」
「だが、そいつは嘘を吐いた。それに罪人だ」
もうそこまでわかっているのか。
納得できない様子で首を横に振るエリオットをひたと見つめ、私は言った。
「彼女が罪人ならば、私も罪人だわ。アンジェは、もう十分つらい思いをしてきたのよ。……少し、休ませてあげたいの。お願い」
アンジェを抱き締めたまま懇願する私を見て、エリオットは苦虫を噛み潰したような顔でしぶしぶ了解した。
「……わかったから、レミーエの手当てをさせてくれ。お願いだ」
「ありがとう、エリオット」
ホッとして気が抜けたのか、強く膝に痛みを感じた。
顔をしかめた私を慌てて掬い上げ、エリオットはアンジェについて来るように言って階段を駆け上がった。
0
あなたにおすすめの小説
魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
悪意には悪意で
12時のトキノカネ
恋愛
私の不幸はあの女の所為?今まで穏やかだった日常。それを壊す自称ヒロイン女。そしてそのいかれた女に悪役令嬢に指定されたミリ。ありがちな悪役令嬢ものです。
私を悪意を持って貶めようとするならば、私もあなたに同じ悪意を向けましょう。
ぶち切れ気味の公爵令嬢の一幕です。
悪役令嬢のビフォーアフター
すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。
腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ!
とりあえずダイエットしなきゃ!
そんな中、
あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・
そんな私に新たに出会いが!!
婚約者さん何気に嫉妬してない?
ナイスミドルな国王に生まれ変わったことを利用してヒロインを成敗する
ぴぴみ
恋愛
少し前まで普通のアラサーOLだった莉乃。ある時目を覚ますとなんだか身体が重いことに気がついて…。声は低いバリトン。鏡に写るはナイスミドルなおじ様。
皆畏れるような眼差しで私を陛下と呼ぶ。
ヒロインが悪役令嬢からの被害を訴える。元女として前世の記憶持ちとしてこの状況違和感しかないのですが…。
なんとか成敗してみたい。
婚約破棄してたった今処刑した悪役令嬢が前世の幼馴染兼恋人だと気づいてしまった。
風和ふわ
恋愛
タイトル通り。連載の気分転換に執筆しました。
※なろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、pixivに投稿しています。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
可愛らしい人
はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」
「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」
「それにあいつはひとりで生きていけるから」
女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。
けれど、
「エレナ嬢」
「なんでしょうか?」
「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」
その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。
「……いいえ」
当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。
「よければ僕と一緒に行きませんか?」
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる