短編集

Rentyth

文字の大きさ
14 / 50

十四、物語

しおりを挟む
『ねぇ、アレ、いつまで居座るのかなぁ。』

手洗いの、洗面前での会話。漏れ聞こえた声は、よく知っているもので、『アレ』と称されているのは自分であると自覚していた。

どこからがヒトで、どこからがモノなのかという境界は、酷く曖昧なものだと思う。
一応、『言葉を持って、共同して労働する生命体』という定義は存在するらしいが、いまいち納得いかない。
人と話さず、ただひたすらキーボードを打っている自分は、一体何になるのだろうか。

買い物はネットで。会社では、話す人がいないばかりか、まるで給料泥棒のような目で見られる。帰っても、待っているのは、暗い、冷えた部屋。大体…

「…モノってなんだ。」

ポツリと呟いても当然返事はない。
食欲もなく、ダラダラと着替えて直ぐに冷え切った万年床にくるまった。

…今何時だろうか。
ふと意識が浮上する。薄目を開けると、窓の外はまだ暗い。
動くのも面倒で、目を閉じ、じっとしていた。しかし、どうやら眠気はどこかへ行ってしまったようで、一向に眠りに落ちていかない。
これは困った。何か温かいものでも飲もうかと考え始めた時だった。

ザワリ

部屋が動いた。

いや、正確に言うならば、部屋の中の物が一斉にざわめき出した、と表現したほうが良いだろう。
あの、ざわめき特有の空気が部屋に満ちる。

内容は何も聞こえないが、誰かが話しているのは分かる、という、あの状態。
だがしかし、部屋にいるのは自分だけだ。

夢でも見ているのかと思うが、それにしてはやけに頭が冴えている。明晰夢とか言うものだろうか。反射的に寝たふりをしたが、目を開けたくて仕方がない。けれど、目を開けた瞬間、あの、冷え切った、静寂の満ちる部屋に戻ってしまうかと思うと、なんだか少しもったいない。
目を開けるのは諦めて、必死で耳をそばだてる。すると、枕元、本棚の辺りの会話が耳に飛び込んできた。
若い声と年老いた声。なかなかに議論が白熱しているようだ。

「物『が』語るから物語なのだ。お前のような、間違った事ばかりのは話にならん。」

「いやいや、物『を』語るのが物語ですとも。解らないところこそ書き手の勝負どころじゃあないですか。」

「なんと…!そんなやつがいるから間違いばかりが増えるのだ!」

嗚呼嫌だ嫌だ!と年老いた声が言う。

どうやら、新旧の哲学書を並べたのがいけなかったようだ。明日並べなおしてやろう。
他に意識を向けようとしたところで、二冊の議論に、違う、低い声が口を挟んだ。

「お二方、どうやら声が大きすぎたようだ。…家主が起きておるぞ。」

ギクリと思わず肩が揺れる。部屋のざわめきは、止まるどころか、一斉に大きくなった。
寝たふりを続けてやろうかと思ったが、自分の下敷きになっている布団から『起きてるでしょう』と言われてしまっては仕方ない。渋々と目を開けた。
とはいえ、辺りは真っ暗で、何も見えない。声だけがざわざわと空気を揺らしている。
一体何の用かと訝しんでいると、先程の低い声がまた此方に話しかける。

「いやはや、いやはや…。毎日お疲れ様ですなぁ。」

本棚の一番下の隅辺りから聞こえる穏やかな声は、初めて聞くものなのに、何故か懐かしさを感じた。声が続ける。

「あなたの『物語』、見つかりましたか?」

なんのことか全くわからない。
さっきの議論のことかと思って、ぼんやりと答える。

「…モノじゃないから、自分の物語なんてないよ。」

「…君は、真面目に考えすぎですよ。」

子供を宥めるような、笑みを含んだ優しい低い声。

「人だって、人『物』と言うでしょう?『物』というのは、全てを表せる言葉。つまり、君が君である限り、君の『物語』ができるのです。」

なんだかやけに道徳的だ。小学校の先生のようだと思った。

「君の物語は既に『起』こっていて、色々な困難を『承』けている。ならば次は『転』。今ある困難を転じれば良い。そうすればすべて『結』びに繋がるのです。」

すなわち、『起承転結』。

その、流れるような説明の声を聞いていると、睡魔が帰ってきたようだ。だんだん意識が遠くなる。瞼が落ちる。

「まだ続きますよ…」

その声を最後に、意識が途切れた。

攻撃的な携帯のアラーム音で目が覚める。
昨夜の夢を思い出し、なんとなく、本棚の下の隅に目をやった。

「…あ。」

使い古した辞書。手垢に汚れ、あちこちに付箋が付きっぱなし。小学校の頃買ってもらった物だった。親にねだって、わざわざ大人用の辞書を買ってもらったもんだから、実家においてくるのも忍びなく、そっと棚の隅に置いておいたのだった。

そっと引き出し、上に薄く積もった埃を払う。表紙を開いて、ハッとした。

『あなただけの物語を作ってください。』

丁寧な字で書かれたその文の下には、懐かしい名前。
小学校の頃、大好きだったおじいちゃん先生。穏やかな低い声をしていた。

ギュッと辞書を抱きしめてから、本棚の一番目立つ場所にしまう。

慌ただしく会社に行く準備をして、部屋に声をかけた。

「行ってきます!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

【1分読書】意味が分かると怖いおとぎばなし

響ぴあの
ホラー
【1分読書】 意味が分かるとこわいおとぎ話。 意外な事実や知らなかった裏話。 浦島太郎は神になった。桃太郎の闇。本当に怖いかちかち山。かぐや姫は宇宙人。白雪姫の王子の誤算。舌切りすずめは三角関係の話。早く人間になりたい人魚姫。本当は怖い眠り姫、シンデレラ、さるかに合戦、はなさかじいさん、犬の呪いなどなど面白い雑学と創作短編をお楽しみください。 どこから読んでも大丈夫です。1話完結ショートショート。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

女子切腹同好会

しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。 はたして、彼女の行き着く先は・・・。 この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。 また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。 マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。 世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。

意味が分かると、分からないと怖い話【体験談+】

緑川
ホラー
ショートショートの寄せ集め。 幻想的から現実味溢れるものなど様々、存在。 出来の良し悪しについては格差あるので悪しからず。

処理中です...