短編集

Rentyth

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二十九、時計

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遠い記憶の中で、ソレはいつもお祖父様の左手首に巻かれていた。
シンプルな文字盤の上で小洒落た飾り文字が円を描き、それをなぞるように、真っ直ぐに伸びた三本の針が規則正しく動いていたのが、幼い頃はたまらなく好きだった。
本革のベルトはまるで誂えたかのようにその筋の浮いた手首に寄り添っていて、一つだけ歪になったベルト穴が、長年愛用されていたことを物語っていた。

最後に会ったのは何年前だっただろうか。
いつ頃か忘れてしまったが、その頃にはもう一人で起き上がることさえ難しく、霊の腕時計も枕元の台でじっとしていた。
もうほとんどボケているのに、その腕時計を見るたびに、電池替えなくちゃな、と、口癖のようにぼやいていたのがやけに心に引っかかっている。

亡くなったと連絡を受け、ようやく到着した病院には、霊安室で、冷たくなったお祖父様が待っていた。
礼儀には少し厳しかったが、子供と同じ高さまで目線を合わせて接してくれた。ときには泣いている子供を慰めようと、おどけた顔もしてみせた。
冷たくなった体は、表情さえ凍ってしまったようで、抜け殻のようにも見えた。

葬儀はしめやかに行われ、祖父の遺体も、遺骨へと変わった。
一段落ついたところで、ふと、例の時計を思い出した。
だいぶ遅くなってしまったが、電池を、替えてやろう。きっとまだ動くはずだ。

時計屋に持っていき、その場で電池を替えてもらう。こんなにすぐ終わることなら、生きているうちに替えてやればよかったと、今更ながら後悔が首をもたげた。

何事もなかったように動き出す時計を持って帰る。
お祖父様に見せよう。
まだちゃんと動いたと、報告しなければ。

遺骨の安置された仏壇に向かい、そっと時計をお祖父様の横に置く。
鈴を一つ打つと、あの独特な音が響いた。

手を合わせ、鈴の余韻が消えるのを合図に立ち上がる。
…いや、立ち上がろうとした時だった。

時計から、小さく、軋む音がした

歯車が噛み違ったような音

不思議に思い、時計を凝視した瞬間、針が回りだした。
まるで時間を追いかけるかのように猛然と針が回りだす。もはや秒針は影を追うだけで精一杯だ。

あまりのことに唖然として見ていると、徐々に時計が変化し始めた。
金属はくすみ、文字盤は日に焼けたように変色を始める。挙句の果てに、本革のベルトがひび割れ始めた。
止まっていた時間を取り戻すかのようだった。

そして、突然、燃え上がった

無茶な動き方をしたせいで発火したのかと思ったが、どうやら違うようだ。革は灰すら残らず、金属部が溶けて歪に歪む。やがて、ゆっくりと炎が小さくなり、原型を無くした金属の小さな塊だけが残った。
不思議と周りに焼け焦げたあとはなく、ただ時計の燃えさしだけがポツリと残っている。
恐る恐る触っても、冷えた金属塊はもう動かなかった。
頭をひねりながら手の中でそれを転がしていると、ある考えが頭をよぎり、思わず声を上げた。

「火葬だ…」

さっきのは。
火葬の炎だったのだ。
この時計は主と共にいたかったに違いない。同じ時を刻みたかったのだろう。

骨壷をそっと出し、小さく、歪になってしまった時計を中に落とす。

カチリと、音が鳴った。
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