短編集

Rentyth

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三十、修繕

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恋人と、喧嘩をした。
…喧嘩と言うと語弊があるかもしれない。正しくは、一方的にキレて、怒鳴って、恋人の家を後にしてきたのだ。

きっかけはほんの些細なことだったと思う。と、言うのも、あれだけ怒っておいて何と言われて怒り始めたかが曖昧なのだ。ダムが決壊するように言葉と感情が溢れ、止まらなくなってしまった。
ラインの画面は、理不尽に怒られたその人からの『ごめんね』で止まっている。なんと返すべきかわからず、文を書いては消し、また書いて消すを繰り返していた。

自分の性分もあいまってなかなか言葉が出ずスマホの画面を睨みつけていたためだろう。角を曲がった瞬間、子供とぶつかりそうになった。

「っごめん!大丈夫?」

よろけたその子に慌てて謝ると、まだ幼い顔が此方を見上げた。小学校低学年くらいだろうか。何かをしっかりと胸元に握りしめて、目を赤く腫らしていた。どうやら、泣いていたようだ。

「…大丈夫?どしたの?」

先程とは違う意味で声をかけ、しゃがんで目線を合わせた。出来る限り優しい声色でもう一度促すと、その子は握りしめていたものをそっと差し出した。

「…壊れちゃったの…これ…」

小さな手の上には野球ボールほどの赤と白のふわふわした物体。ハート型の小さなクッションが大きく破れ、中身の綿が溢れていた。
自分で直そうとしたのだろうか。敗れた箇所の一部が歪に縫い止められ、形が歪んでいた。見れば、まだ柔らかい指には何箇所か血が滲んでいた。

「…直んないの…」

こらえきれなくなったのか、みるみるうちに涙が溢れ、こぼれた。

「…っこれで、直そうと、したん、だけど…」

しゃくりあげながら、片手をポケットに入れ、古めかしい持ち運び用の裁縫セットを取り出した。おそらく、母親のを持ってきたのだろう。
…自慢ではないが、ここ数年まともに針を握っていない。正直、綺麗にできる自信はないが、まぁ、形を戻すくらいはできるだろう。

「…直してあげようか?」

そう言えば、涙に濡れた顔がぱっと明るくなる。

「いいの…?」

「まぁ、一応できるし…」

綺麗にできるかわからないけど

そう前置きをして、針と糸を受け取る。はみ出てしまった綿を押し込めながら、裂けた箇所を繋いでいった。…実は、大分綿が出てしまっていたので、持っていたハンカチを少し切って詰めた。

その間に、少し落ち着いたその子の話を聞く。まだ少ししゃくりあげながらの話を要約すると、こうだ。

お母さんは、普段は普通に優しいのだが、怒るときはとにかく言葉がキツい。特に今日は、『あんたなんかいらない!顔を見るのも嫌!』と言われてしまったため、家を飛び出してきた。ちなみに、今直しているハートもお母さんに壊されてしまったそうだ。

虐待かと思ったが、怒るとき以外はそれなりにお母さんを好いているようで、何とも言えない。
そうこうしているうちに、破けた箇所が全て閉じられた。
予想通り、完璧とは言い難いが、少なくともハートだ。…まぁ、及第点だろう。
できたものを渡すと、ぱぁっと笑顔が咲いた。まだ目元は赤いが、気分は大分落ち着いたようだ。

「ありがとー!」

そう言って、ぎゅっとハートを抱きしめる。そして、時折振り返って此方に手を振りながら家に帰っていった。

子どもが角を曲がって見えなくなったところで、スマホが鳴り、ラインの電話画面が表示された。…恋人からだった。

「っもしもし!」

急いで通話を押すと、聞き慣れた声が返ってくる。

『えっと、さっきはごめんね…?』

申し訳なさそうな声に罪悪感がわく。しかし、その先を聞いて思わず大きな声を上げてしまった。

『それで、さ。さっき、忘れ物しなかった?ハートのクッションみたいな…』

「……………え…?」

『少しほつれてたから直しちゃったんだけど…』

駄目だった…?

最後の方はよく聞いていなかった。すぐ行く、と伝えて来た道を全速力で引き返す。
汗だくになりながら恋人の待つ家まで戻ると、恐る恐るといった感じでドアが開いた。

「…もう怒ってない?」

息が上がって上手く声が出ず、ジェスチャーで『大丈夫』と伝える。
少し安堵したその人から、忘れ物、と渡されたものを見て心臓が止まるかと思った。

ハート型のクッション。大きな縫い跡は今さっき縫ったもので間違いなかった。違いがあるとすれば、少し古いことと、あの子が縫った場所が真新しく縫い直されていることくらいだろう。
信じられなくて軽くクッションを握ると、一部分だけ感触がおかしい。

「…中、何か入ってた…?」

まさかと思いつつ聞く。

「えっと、綿と…布?みたいな…」

…まるで夢物語だ。挙動不審な自分を恋人が少々心配そうに見ている。
なんであの子のものがこんなところに…。

脳内に、ふと記憶がよぎった。

『あんたなんかいらない!顔を見るのも嫌!』

…あぁ、そうだった。
あれは自分だった。そうだ。今はそれこそ『早く死ねば良い』くらいに思っているが、そう言えばまだ好きだった頃もあった。
突然黙り込んだのを心配してか、大好きなその人の手が頭を撫でてくれる。

「…いらなくないよ。大好きだよ。」

…そっか、そうだ、思い出した。
怒ったきっかけは、いらないと言われたように感じたから。必要とされたかったから。
ストンと納得したと同時に目の前が滲んだ。それを拭う優しい指は、何箇所か絆創膏が巻いてある。おそらく、針で突いてしまったのだろう。それでも、直してくれたのだろう。

ハートを胸に抱きしめると、気のせいか、ほんのりと暖かかった。
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