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三十二、手品
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ぎ、と扉が立てた音にドキリとしながら、そっと足を踏み出す。
素足でコンクリートを踏むと、ザラリとした感覚が伝わってきた。
音を立てないようにそぉっと重い扉を閉め、一息。上を仰ぐと、夜明けの近づいている空が予想外に近く、思わずもう一息。
病院の屋上は、もちろん無人で、寒さに少し震えながら立っているのは自分だけだった。吹き付ける風に軽く腕をさすりながら、今日漏れ聞いた、母親と医者の会話を思い出す。
『…癌…ステージ四…』
『…延命治療を…』
『…本人の意志が…』
ただの腹痛だと思っていた。やけに長引くので病院に来たらコレだ。こっそりスマホで癌について調べたが、どうやらここまで悪化していると基本的に延命治療になるようだ。
テレビなどで度々取り上げられる癌。液晶越しの患者達は皆、元気だった頃の面影がうっすらと残るばかりだった。
あんな風になりたくない
漠然とそう思った記憶が蘇る。自分が自分じゃなくなるなんて、耐えられない。怖い。どうせ死んでしまうなら、自分のままでいたい。
だからこそここに来たのだ。
まだ『胃潰瘍』と偽られ、何も管が繋がれていないうちに。周囲に人がいないことを確認しながら、屋上の柵を乗り越える。あとは、数歩後ろに下がるだけだ。
柵から離れようとした時だった。
「やぁ!こんにちは、何年生かな?はじめまして!」
やけに明るい爺さんが話しかけてきた。
いつの間に来たのだろう。全く持って気付かなかった。
爺さんは、黒い燕尾服で、ニコニコと笑っている。そして、聞こえなかったと思ったのか、同じ問を繰り返した。
「こんにちは、何年生かな?」
「…………中一…」
「いいね!若いねー!」
渋々答えると、また明るく返してくる。状況が見えていないのだろうか。
「いいねぇ。未来ある若者だ!」
私は心臓が悪くてねぇ、とカラカラ笑う爺さんに苛立ちが募る。
『未来』なんてものはもう自分にはないのだ。なくなってしまったのだ。若いときはいいぞぉ、なんて話し続ける爺さんに、声を抑えて怒鳴る。
「そんなもん、ないんだよ!」
もう、未来なんてない
そう言い捨てると、途端に悲しくなってきた。キョトンとこちらを見る爺さんは、軽く首を傾げながらまた口を開いた。
「…だから飛び降りるのかね?」
無言で頷くと、今度は皺だらけの眉間に皺を寄せながら考え始める。
「…落ちたら、死んじゃうぞ?」
「…知ってる。」
「…落ちたら、痛いぞ?」
「…別にいい。」
「…落ちたら…、んー…」
ちょっと悩んで、ぽんと手を打った。
「落ちたら、楽しくないぞ?」
「っうるっさいなぁ!」
あまりのしつこさに声を荒げる。が、目の前の爺さんには欠片も堪えておらず、それどころか小さく口笛を吹きながら、手品道具のような黒い棒を取り出した。
「そんな君に、手品を見せてあげよう!」
…本当に手品だったらしい。
呆れてものも言えない此方を無視して、爺さんはスッと黒い棒を振った。
「入れ替わりショーだよ!まずは腕!」
え、と思う間もなく、自分の腕の感覚が変わる。まさかと思って両の手を見ると、しわくちゃの、爺さんの手になっていた。バッと顔を上げ、爺さんを見ると、爺さんがニヤリと笑う。
腕だけが妙に若々しく、あれは自分の手なのだと感じ取り、ゾッとした。
「お次は足だね。」
抗議の声を上げる暇も与えられなかった。
腕に続き、足、脚、胴と自分の体が代わっていく。
此方が爺さんになる一方で、目の前で自分の体が。組み上がっていく。
最後に、首が入れ替わり、柵の内側で笑う自分を見つめることとなった。
力ずくで取り返したくとも、老人の力では屋上の高い柵は登れない。
柵の隙間から可能な限り腕を伸ばし、返せと繰り返した。
それをちらりと眺めた爺さん、いや、元爺さんが、今度は大きく棒を振り上げる。
「さぁ!最後だ!」
自分の声が聞こえる。
嗚呼、終わりだ。このまま爺さんとして死んでいくのだ。思わずぎゅっと目を閉じた。
…何も起こらない。
不思議に思い、そっと目を開けると、柵の内側に立っていた。柵の外では老人が入院着で立っている。恐る恐る手を見ると、自分の手に戻っている。若い手だ。
服装はといえば、いつの間にか、燕尾服を身にまとっていた。呆然としながら柵の外を見やると、爺さんが、カラカラと笑っている。
「上々、上々!ほら、拍手はどうした!」
何が起きたかわからず、言われるがままに手を叩く。それで良かったのか、爺さんが満足そうに笑った。
「一世一代の入れ替わりマジック!だいっせいっこー!」
言うと同時に勢い良く両手を振り上げ、バンザイの姿勢を取り、
そのまま後ろへ落ちていった
「っ爺さん…!」
前に出ようとしたところで、ぐらりと視界が歪んだ。酸欠になったように息が苦しい。吸っても吸っても酸素が入ってこない。
薄らぐ意識の中で、何かが弾けた音と、扉の開く音がした。
目が覚めたとき、息苦しさはなくなっていた。心臓の、心室を区切る膜に穴が空いていたそうだ。原因はわからない。
ただ、それだけではなかった。
奇跡だと、周りが口を揃えて言った。
癌が、全てなくなっていたのだ。転移を繰り返し、全身に行き渡っていたものが、まるで最初からなかったかのようになくなっていた。
年月が立っても、再発することもなく、順調である。
しかし、今でも、目を覚ました日の新聞の一面が心に引っかかるのだ。
『有名手品師――自殺、全身に癌、絶望か』
素足でコンクリートを踏むと、ザラリとした感覚が伝わってきた。
音を立てないようにそぉっと重い扉を閉め、一息。上を仰ぐと、夜明けの近づいている空が予想外に近く、思わずもう一息。
病院の屋上は、もちろん無人で、寒さに少し震えながら立っているのは自分だけだった。吹き付ける風に軽く腕をさすりながら、今日漏れ聞いた、母親と医者の会話を思い出す。
『…癌…ステージ四…』
『…延命治療を…』
『…本人の意志が…』
ただの腹痛だと思っていた。やけに長引くので病院に来たらコレだ。こっそりスマホで癌について調べたが、どうやらここまで悪化していると基本的に延命治療になるようだ。
テレビなどで度々取り上げられる癌。液晶越しの患者達は皆、元気だった頃の面影がうっすらと残るばかりだった。
あんな風になりたくない
漠然とそう思った記憶が蘇る。自分が自分じゃなくなるなんて、耐えられない。怖い。どうせ死んでしまうなら、自分のままでいたい。
だからこそここに来たのだ。
まだ『胃潰瘍』と偽られ、何も管が繋がれていないうちに。周囲に人がいないことを確認しながら、屋上の柵を乗り越える。あとは、数歩後ろに下がるだけだ。
柵から離れようとした時だった。
「やぁ!こんにちは、何年生かな?はじめまして!」
やけに明るい爺さんが話しかけてきた。
いつの間に来たのだろう。全く持って気付かなかった。
爺さんは、黒い燕尾服で、ニコニコと笑っている。そして、聞こえなかったと思ったのか、同じ問を繰り返した。
「こんにちは、何年生かな?」
「…………中一…」
「いいね!若いねー!」
渋々答えると、また明るく返してくる。状況が見えていないのだろうか。
「いいねぇ。未来ある若者だ!」
私は心臓が悪くてねぇ、とカラカラ笑う爺さんに苛立ちが募る。
『未来』なんてものはもう自分にはないのだ。なくなってしまったのだ。若いときはいいぞぉ、なんて話し続ける爺さんに、声を抑えて怒鳴る。
「そんなもん、ないんだよ!」
もう、未来なんてない
そう言い捨てると、途端に悲しくなってきた。キョトンとこちらを見る爺さんは、軽く首を傾げながらまた口を開いた。
「…だから飛び降りるのかね?」
無言で頷くと、今度は皺だらけの眉間に皺を寄せながら考え始める。
「…落ちたら、死んじゃうぞ?」
「…知ってる。」
「…落ちたら、痛いぞ?」
「…別にいい。」
「…落ちたら…、んー…」
ちょっと悩んで、ぽんと手を打った。
「落ちたら、楽しくないぞ?」
「っうるっさいなぁ!」
あまりのしつこさに声を荒げる。が、目の前の爺さんには欠片も堪えておらず、それどころか小さく口笛を吹きながら、手品道具のような黒い棒を取り出した。
「そんな君に、手品を見せてあげよう!」
…本当に手品だったらしい。
呆れてものも言えない此方を無視して、爺さんはスッと黒い棒を振った。
「入れ替わりショーだよ!まずは腕!」
え、と思う間もなく、自分の腕の感覚が変わる。まさかと思って両の手を見ると、しわくちゃの、爺さんの手になっていた。バッと顔を上げ、爺さんを見ると、爺さんがニヤリと笑う。
腕だけが妙に若々しく、あれは自分の手なのだと感じ取り、ゾッとした。
「お次は足だね。」
抗議の声を上げる暇も与えられなかった。
腕に続き、足、脚、胴と自分の体が代わっていく。
此方が爺さんになる一方で、目の前で自分の体が。組み上がっていく。
最後に、首が入れ替わり、柵の内側で笑う自分を見つめることとなった。
力ずくで取り返したくとも、老人の力では屋上の高い柵は登れない。
柵の隙間から可能な限り腕を伸ばし、返せと繰り返した。
それをちらりと眺めた爺さん、いや、元爺さんが、今度は大きく棒を振り上げる。
「さぁ!最後だ!」
自分の声が聞こえる。
嗚呼、終わりだ。このまま爺さんとして死んでいくのだ。思わずぎゅっと目を閉じた。
…何も起こらない。
不思議に思い、そっと目を開けると、柵の内側に立っていた。柵の外では老人が入院着で立っている。恐る恐る手を見ると、自分の手に戻っている。若い手だ。
服装はといえば、いつの間にか、燕尾服を身にまとっていた。呆然としながら柵の外を見やると、爺さんが、カラカラと笑っている。
「上々、上々!ほら、拍手はどうした!」
何が起きたかわからず、言われるがままに手を叩く。それで良かったのか、爺さんが満足そうに笑った。
「一世一代の入れ替わりマジック!だいっせいっこー!」
言うと同時に勢い良く両手を振り上げ、バンザイの姿勢を取り、
そのまま後ろへ落ちていった
「っ爺さん…!」
前に出ようとしたところで、ぐらりと視界が歪んだ。酸欠になったように息が苦しい。吸っても吸っても酸素が入ってこない。
薄らぐ意識の中で、何かが弾けた音と、扉の開く音がした。
目が覚めたとき、息苦しさはなくなっていた。心臓の、心室を区切る膜に穴が空いていたそうだ。原因はわからない。
ただ、それだけではなかった。
奇跡だと、周りが口を揃えて言った。
癌が、全てなくなっていたのだ。転移を繰り返し、全身に行き渡っていたものが、まるで最初からなかったかのようになくなっていた。
年月が立っても、再発することもなく、順調である。
しかし、今でも、目を覚ました日の新聞の一面が心に引っかかるのだ。
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