短編集

Rentyth

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三十五、選択

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終電から降りたそこは、いつも通りの無人駅で、そこからほんの十分歩けば、冷えた部屋が真っ暗なまま自分を迎えるであろうことは分かっていた。
独りが苦手で、わざわざ『ペット可』の部屋を借りたのに、動物を買う金が無いとはいささか本末転倒だったと今更ながらにおもう。

先程まで氷の結晶をちらつかせていた空は、道を湿らせただけで、ただの曇天になってしまった。かと言って、気温が上がるわけでもなく、上から下から、冷気が押し寄せる。

誰もいない、駅のベンチに腰を下ろすと、冷え切ったベンチが更に体温と気力を奪っていった。吐く息が白く曇る。
なんとなく帰りたくなくて、立ち上がることさえ億劫で、ぼんやりと重い雲を眺めていた。

吐息さえ冷え切って、白くならなくなってきた頃、突然、隣に人が座った。
近づく気配すらなかった為、ギョッとして隣を見る。

「………何?」

切れ長の瞳が億劫そうに此方を向いた。慌てて『何でもない』と言うと、あまり興味が無いようで、前を向き直す。
中性的な人だった。黒いトレンチに黒いスキニー、黒いブーツ。胸元から見える逆三角だけは、白いハイネックだった。

少々気まずくて、諦めて重い腰をあげようかと考えだした頃、隣からポツリと声をかけられた。

「……どしたの?」

先程の瞳が此方を見つめるまで、自分にかけられた言葉だと思わず、返す言葉につまった。
散々慌てた後、漸く言葉を絞り出す。

「………なんで?」

我ながらコミュニケーション能力が低い事を実感するが、相手はそれを気にする風でもなく、ただ、淡々と会話を繋げた。

「なんか、話したそうだったから。」

私、暇だし、聞いてあげる。

そう言って、また、ふいと前を向き直す。そのスタンスはあくまでも変えないつもりらしい。
暫く迷ったが、部屋に帰ることと天秤にかけた結果、身も知らぬ人に話をすることにした。

ポツリ、ポツリと、たまりに溜まった愚痴や、弱音や、よく分からないものまで吐き出していく。
彼女は時々相槌を打ちながらも、やはり興味がなさそうにしていた。

全部吐き出して、長いため息をつく。溢れるように言葉が口をついて出た。

「…疲れたなぁ…」

「そう。」

「…死にたいなぁ…」

「そう。」

「……終わりで、いいかなぁ……」

縋る場所を探すように、質問を投げかけると、予想外の沈黙が返ってきた。
不思議に思って彼女の顔を見る。顎に手を当て、何かを考えているようだった。
そして、ずっと前を向いていた瞳が此方を見た。

「…それは、私が決めることじゃない。」

何かを反射させたのか、瞳が一瞬、翡翠色に見えた。

「…自分で決めないと、駄目かな…」

そう弱音を吐けば、薄い唇が、今度は迷いなく動く。

「それも、私が決めることじゃない。」

瞳は、ブレることなく此方を見続ける。

「……帰らないと、駄目かな……」

直近の問題を問いかければ、初めて表情が動いた。何か面白い事でも見つけたように、スッと口角が上がる。

「…私が決めることじゃない。」

けど、

「あなたが決めたら、私も、選ぼうかな。」

試すように双眸が、じっと見つめてくる。

「今日は…かえ…らない。」

「そう。」

「…でも、」

終わりに、したくない。

わかった、と彼女が笑う。
まるで子供を慰めるように、冷えた手が頬を滑っていった。
同時に、忘れていた眠気が襲ってくる。

(鞄、盗られたらどうしよう…)

一瞬そんな考えがよぎったが、彼女なら大丈夫な気がした。
ゆっくりと、意識が闇に落ちる。

どの位たったのだろう。
目を覚ましたとき、空は白みかけていた。足を動かそうとすると、不服そうな鳴き声がした。

「…猫…?」

足から降りた猫が、今度は脛に擦り寄っていて、柔らかな温もりが冷えた脚に心地良い。
そういえば、一晩過ごしたにしては足が冷えていない。ずっといてくれたのかもしれない。

瞳は翡翠色で全身艷やかな黒に覆われている。胸元だけ逆三角に白い毛が生えたその猫は、突然腕の中に飛び込んで来て、『早く立て』とでも言うようにもう一声鳴いた。
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