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第3章 Intervention in Corruption

第58話 極秘任務

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「はは……。 また会ったっすね、ハジメさん……」

 ハジメは平民・奴隷区画間検問所の側で、痛々しい姿を晒しながら壁に背を預けて動けずにいるエマを見つけた。

「……誰にやられた?」
「転んだだけっすよ……?」
「んなわけねーだろ。 言えよ、やり返してやるから」

(面倒事は避けるべきなんだろうけど、ここで無視するのはどう考えても無理だろ。 女の子をここまでするなんてロクでもない奴らに決まってる。 過信するわけじゃないけど、そんな奴ら今の俺ならぶっ飛ばせるはずだ)

「あたしに構わないで、欲しいっす……。 お互い良い事にはならないんで……」

 ハジメとエマを見て、揶揄するように声を投げかける者たちがいる。

「おーおー、あの臭い女に話しかけてる奴がいるぜ。 鼻が詰まってるのか?」
「うわっ、こっち見た。 こえー」
「あんまり見ないの。 ほら、行くよ」

 誰一人、エマを見て心配するような素振りを見せる者はいない。 小馬鹿にするだけで、ハジメがいなければ彼女に追い打ちをしかねない。

(モルテヴァってこんなに民度低い町だったか……? 俺が気付いてなかっただけなのか?)

「お前はそれで良いのかよ。 傷つけられて、馬鹿にされて」
「これはあたしのこと、なんで……。ハジメさんには関係ないっす」
「関係なくはねーよ。 昨日知り合ったんだからもう他人じゃない。 お前がなんと言おうとポーションは受け取ってもらうからな」
「だめっす……! あたしなんかに構ってたら──」

 鈍い衝撃音がハジメを襲った。

(痛、てェ……。 何が起きた……!?)

 気付けばハジメは地面に突っ伏して、冷たい感触を味わっていた。

「な、ん……ンッ!?」

 ハジメの視界には絶句した様子のエマと、検問所を守る衛兵の制服を身に纏った男。 彼はハジメのそばに立ち、ハジメの前髪をぐいと掴んで顔を近づけてきた。

 男のドスのきいた声がハジメを責める。

「なぁ、お前ハジメっつったっけ? よくここを出入りしてるみたいだからそいつに情が移ってんのかもしンねぇけどよ、見苦しいモンを見せつけてくれんなや? そいつはゴミカスで、施しなんざ与えちゃいけねンだよ」
「そんなの俺にはぎッ……!」

 ハジメが言い切る前に、男の拳が顔面を貫いた。

「まぁ落ち着けよ」

 途端に男が小声になり、ハジメの耳元に口を寄せてくる。

「お前が新参だってのは知ってる。 だからよく聞いておけって。 この町じゃ、誰かが虐げられていないと我慢ならない連中が大勢いるんだ。 ただでさえこんな腕輪で管理されてるんだ、面倒の多さはお前も分かるだろ? だからそこのゴミカスみたいな奴が住民のストレスを一手に引き受けてくれてることで、この町は成り立ってる。 被虐民は虐げられるのが仕事で、そこから給金すらもらえてる立派な町の一員だ。 そいつらが施しなんぞ得たら、バランスが悪くなンだろうがよ」
「だから何だよ……!? 目の前であがッ!」

 またも一方的な暴力がハジメを襲う。

「言っておくが、これは俺なりの優しさだ。 もしお前がそいつみたいな被虐民に偽善をはたらいてるところを目撃されてみろ。 そン時はお前が標的にされるぞ?」
「そんなこと関係ねぇよ! 目の前で困ってたら助けるべきだろ!」
「本当にそうか? じゃあお前も奴らと同じ立場になってみるか? お前じゃ二日と保たねぇよ」
「なんでだよ!?」
「うるっせぇな、いちいち噛みつきやがって。 ……まぁ、知らねぇようだから教えてやるか。 そいつらは奴隷同様、町からは絶対に出られない。 なおかつ自傷・自害も腕輪に制御されて出来ない縛りだ。 つまり逃げ場もなく、嬲られ続けるしかねぇってわけだ。 たまにお前みたいな奴もいるけどよ、安易な判断で被虐民になって後悔してる奴しかいねンだわ。 最近だと他所から来たオースティンとかいう若造が奴隷区画で苦悩を訴えてやがるから話を聞いてみろ。 その上でなりたいっつうんなら、俺が上に話をつけてやる。 なんなら、今ここで被虐民になりたいって宣言してくれてもいいぜ? あァ?」
「それ、は……」

(被虐民?  虐げられるのが仕事? ここでエマを助けることすら許されず、他の連中と一緒に笑って見てろっていうのか?)

 唐突に見せつけられたモルテヴァの実情。 ハジメはハラワタが煮え繰り返る思いを感じながら、それでも昨日知り合った程度のエマのために被虐民になる義理は無いとも思ってしまっている。

(この男はエマの事情を聞かせて、俺の反応を見て愉しんでやがるんだ……。 だけど今はそれはどうでもいい。 とにかくこいつの話が事実なら、被虐民は奴隷と同じか、もしくはそれ以上の苦痛を味わう身分なんだ。 それに俺が耐えられるかといえば、答えはNOだろう。 俺は一方的な攻撃を無視し続けられるほど強くないし、すぐに逃げ出してしまうに違いない。 あと俺が被虐民になったところで、それがエマの助けになるとも考えられない。 自分が苦しんでいる状態で他人を助けられる余裕なんて生まれないはずだしな……)

「おいおい、どうするンだ?」

(くそッ、助けてやりたいって思うこと自体が間違ってるっていうのか……!? ここでエマを見捨てることが人間の正しい行動なのか?)

「はン、答えられねぇってか。 まぁそうだろうよ。 偽善で他人は助けられねぇし、むしろ自分が害を被るだけだ。 オースティンみたく聖人ぶらないだけ、お前は利口だったってことだな」
「ちく、しょう……」
「分かったろ? これがお前の本質だ。 結局はテメェが大事なんだよなァ?」

 ハジメはもう一度エマを見る。

 エマは怯えた表情のまま、小刻みに顔を左右に揺らしている。 もうやめてくれということだろう。

「じゃあな、偽善野郎」

 バチバチッ──!

 ここまでハジメが動くに動けなかったのは、身体の自由が利かなかったことが原因だ。 しかし今度は何が起こったかが分かった。 衛兵の男がスタンバトンらしき武器でハジメを殴っていたのだ。

「ハジメさ──」

 数発入れられた時点でハジメは意識を失った。 その直前、さまざまな人間模様がハジメの目に飛び込んできた。 嬉々としてハジメを殴りつける男。 ハジメに対しても被虐民に向けるような視線をぶつけてくる住民。 殴られるハジメに手を伸ばそうとして引っ込めてしまうエマ。 この町の狂気が、全てその中に詰まっていた。

「痛ってェ……えっ?」

 ハジメが目覚めたのは数時間後で、檻の中だった。

(は? は? 何この状況? 何で俺が檻に入れられてんだ……?)

 檻の外ではドミナと看守らしき男性が何やら話し込んでいる。 ハジメの
思考がはっきりしてくると、ようやく彼女らの会話が理解でき始めた。

「……私の権限で……はい……そういうことでしたら──」
「ドミナさん……?」
「──あ、ハジメ君。 良かったわ、身体は大丈夫?」

 まるで犯罪者のように、檻を介してドミナから声が届いてくる。

「大丈夫、ですけど……。 この状況は何ですかね……?」
「私はハジメ君が衛兵を怒らせたって聞いたけど、攻撃なんかしちゃった?」

(くそが。 あいつ、曲解して伝えてやがるな)

 あらぬ疑いで収監されたことが分かり、ハジメの中に沸々と怒りが湧いてくる。

「そんなことはしてませんよ! 俺はただ……」
「ただ?」
「……いえ、何でもないです」

(ここで俺がエマのことを話したら、またあの娘に何かしらの影響があるかもしれないしな……)

「そう。 ハジメ君は手を出してないのね?」
「俺は一方的に攻撃されただけです。 魔法も使ってません」
「そうよね。 分かったわ。 ひとまず真偽の程は後で確認するとして、保釈金が金貨20枚って言われてるんだけど、持ち合わせはある?」
「保釈? 俺って犯罪者なんですか……?」
「今のところはね。 ……えっと、少し待ってね」

(高けぇ……。 足元見られすぎだろ)

 看守がドミナに耳打ちし、また話し込み始めた。

(俺に聞かせられない話か? くっそ、ここにいるだけでイライラするってのに……)

「保釈金の倍出せば、この場で解放してくれるそうなんだけど……どうする?」
「え……?」

(なんだその取引!? 馬鹿にするのも大概にしろよ……! 犯罪なんて言いがかりで、ハナから俺の金を取り上げる気満々じゃねぇかよクソッタレが)

 とは思いつつも、それを口に出すほど今のハジメは愚かではない。 ここで騒げば、下らない取引すらもなくなってしまうかもしれないからだ。

「いや、まぁ、もちろん倍額出しますけど……。 でも今はそんな大金持ち歩いてないですね。 ドミナさんの部屋には置いてあるんですが……。 っていうか、俺の荷物ってどこにあります?」
「上で預かってるらしいわ」

 上と言われて檻の中を見渡してみると、壁に窓などは設置されていない。 ここは地下にあるようだ。 昔テレビで見た海外の監獄よろしく、室内には身体が痛くなるような硬いベッドとボットン便所のような便器、そして本が一冊置ける程度の小さな机がそれぞれ一つずつ置いてあるだけだ。 犯罪者の扱いはどの世界も同じらしい。

「ドミナさん、一旦建て替えってお願いできますか?」
「ええ、そうするわね。 じゃあ──」

 指定された金額を納め、ハジメは地上へと戻った。

(エマに声掛けただけで罰金で金貨40枚とか、終わってるだろモルテヴァ。 よくもまぁ、魔法で治世が進んでるとか言えたもんだ。 どこもかしこも腐ってんじゃねぇかよ。 しかもあの衛兵、ご丁寧に俺の財布から金まで抜きやがって……。 モルテヴァを離れる前に痛い目に合わせてやる)

 ハジメが居たのは平民区画の警察組織の建物で、刑務所ではなく拘置所だったようだ。

 金貨40枚を出さずに金貨20枚の保釈を選択していれば、裁判で罪状が確定するまで晴れて自由の身とはいかなかっただろう。 しかしたとえ裁判になったところで町に有利な判決を下される可能性は十分にあったため、ハジメは怒りを飲み込んで懸命な選択をした。

「ハジメ君、あとで話を聞かせてね」
「分かりました」

 ドミナはまだ仕事があるということで、一旦は解散することとなった。

「マジで腐敗してんな、この町。 一方的に暴力を振るわれた挙句に犯罪者に仕立て上げられて、金で解決とか。 どこが魔法によって管理された近代都市だよ。 そこらの村とやってること変わんねぇじゃねぇかよ……」

 ハジメはいつまで経っても身に降りかかった出来事に対する不快感が抜けきらず、不満を吐き続ける。

「……ふぅ。 クソ、手痛い出費だな。 約一ヶ月の稼ぎが一瞬でパァだ」

 ハジメはここ二ヶ月は、かなり強度の高い依頼ばかりこなしてきた。 夜警のような効率の悪い仕事はなるべく参加せず割の良い仕事ばかりを選ぶことで、ようやく金貨100枚を達成することができたほどだ。 だからこそ努力が一瞬で水疱に帰したことが信じられず、その原因が単なる善意によることが尚更腹立たしい。

「ドミナさんにも迷惑掛けたしな……。 あとで謝ろう。 それと、町のことをもっと知らねぇと。 失踪事件も継続してるってのに、どうしてこうも面倒事ばっかり起こるんだよ」

 奴隷区画に始まった失踪事件だが、ついに失踪者が100人に達しようとしているらしい。 ハジメが着手した頃は10人、20人程度だったはずだが、たった数ヶ月でその数は何倍にも膨れ上がっている。

 魔導具によって厳密に住民が管理されていると謳っているモルテヴァでは、たった一人の脱走でさえ許してはならない。 なのに、もはや集団失踪と言えるほどに事態は加速しており、それでいて何の解決策も見出されていないというのだ。 それでは住民が町の体制に不信感を持つのは自然な流れで、住民間でストレスが蔓延し、被虐民への攻撃も過激になっているという。

(結局、俺は成果を出せないまま事件を調べるだけになってるし、ドミナさんに言われた通りもう関わるべきじゃないかもな。 またあらぬ容疑で拘置所にぶち込まれるのも勘弁だしな。 ってことは、そろそろモルテヴァから撤退すべきか? でもなぁ……町を出るにしても装備は充実してないし、魔法もまだまだ発展途上なんだよな。 中途半端に大きな決断をすると、後で手痛いしっぺ返しが来る予感しかないしな。 それに、モルテヴァ以上にリスクを取ってリターンを得られる町も少ない。 できればここで俺の気が済むまで生活したいってのもあるんだよな。 ドミナさんともまだしばらくは一緒に居たいし、取捨選択が難しいな……)

「多分ここなんだよな、俺のターニングポイントってのは」

(エマみたいな娘を見捨てるかどうかで、今後の俺の立ち回りも変わってくる気がする。 この世界の人間らしく無情になるべきなのか、それとも本来の俺を保つべきなのか。 俺が日本人ってのもあるし、困ってたら助けるのが当たり前って思うのは仕方ないんだろうけど、この考えを捨てろって言われてもなぁ……。 ただこれは、魔法っていう大きな力を持ってるからこそ生まれる考えなのかもしれない。 俺が今もなおラクラ村に生きる農民だったとしたら、他人を気遣う余裕なんてなかったはずだしな。 これがナール様の言ってた力の使い方ってやつか)

『そなたの力量は現時点でゴミだが、神に至れるだけの可能性は秘めておる。 だからこそ、その身に似つかわしくない力を発現させた時、一度深く考えるべきだ。 どのように力を振るうかを、な』
『俺は自分と周りの人間さえ守れたら十分なんですけどね』
『今はそう思っておるだろうが、力を得れば考えも変わる。 他者を屈服・排斥させられるだけの強大な力は傲慢さを生み、力に溺れていくのは歴史が証明しておる。 エーデルグライトの例にあるようにな。 力を持て余し振り回すだけの行為は獣の振る舞いであり、そこにもはや信念はなく、欲に溺れて死ぬというのは分かりきった末路だ。 妾は──アラマズドはそなたにそのような結末は望んでおらん。 だからもう一度言う。 力の使い方を誤るな。 力の使い方を強固に定めたのなら、どんなことがあろうと崩すな』
『それが殺人行為でもですか?』
『信念を持って行うならそれも良い。 獣にさえならなければ、何かしら気の合う人間も出てくるだろうな』

(この世界で生き残ることがまず第一だよな。 その上で、レスカを元に戻せるだけの魔法力を身につける。 これは前提条件だ。 あとは信念、か……。 言われてもパッとしないけど、毎回考えがブレるのがダメなんだよな。 即座の判断が必要な場面で方向性が定まってないのは大きな隙になってくるだろうし、いろんな状況を想定した判断基準は持っておくべきだな)

 ハジメは理不尽な事態に巻き込まれたが、そこから考える機会を得ることができた。 しかし金貨40枚というのは、まだまだハジメにとって大きな痛手だった。


          ▽


「姉さん、まだ続けるのですか?」
「何のこと?」
「あの男のことですよ」
「ああ、ハジメ君ね。 リセスは気になる?」

 仕事を終えたドミナとリセスは、夜の町を歩きながら姉妹の会話中だ。

「大した情報は持ってなかったと聞いていますが? それなら相手する必要はないと思いまして」
「もうお互い気に入っちゃったしね。 それにハジメ君はバカ領主を殺すために色々と役に立ってくれそうだから、離す気はないわね」
「使える人材ということですか?」
「そうね。 ハジメ君の青い部分を刺激すれば、町に混乱を引き起こしてくれそうなのよ。 都合のいい傀儡にできれば上々かなって感じで、ゆっくりとやってるわ」
「久しぶりの彼氏だから舞い上がってるだけなのでは?」
「あらやだ、失礼ね。 ……少しだけよ」

 はぁ、とリセスは嘆息した。

「姉さん……。 気が抜けているようだから忠告しますけど、極秘任務の最中なんですからね? しっかりしてください」

 姉妹でしっかり者と言えばリセスのため、彼女がいつも姉を監視する立場だ。 そのため、たびたび姉を叱らねばならない状況が生まれてくる。

「怖い顔しないでよ。 任務は任務でしっかりやってるんだから」
「それなら良いのです。 私の方は準備段階に入っていますから、あとは奴隷区画で反乱が起こるまで時間の問題です。 最近報告を聞いていませんが、姉さんの方は順調ですか? 腕輪の解析報告予定日はとっくに過ぎていますよ?」
「……急ぐわね」
「姉さん……」

 普段から伏し目がちなリセスの視線に、不安の色が濃くなる。

「い、いいでしょ、少しくらい」
「間に合わせられるのであれば私は何も言いませんが……」
「分かってるわよ。 じゃあ今日は忙しいから、続きは明日以降にしましょ」
「何を急ぐことがあるのですか?」
「急いでハジメ君とのエッチを終わらせないと、仕事の時間が確保できないじゃない」
「はぁ……。 焦るくらいなら普段からやっておいてください。 あと最後に一つ、私から忠告があります」
「なによ? 手短にして」
「姉さんの喘ぎ声が響くので、少し小さめでお願いします」
「……気をつけるわ」

 ドミナの真下の部屋はリセスの部屋だった。 そのため情事で生じる声も振動も、全てリセスの安眠を妨害していた。
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