世界最強の公爵様は娘が可愛くて仕方ない

猫乃真鶴

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生誕祝い編

31.パレード準備 歓喜の四日目④

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 王城で資料を捲るマクスウェルは、ぼーん、という鈍い音で意識を浮上させる。一時間に一度鳴っていたはずの時計だが、気付けば何度か聞き逃していたようだ。

「もうこんな時間か」

 ぱさりと資料を机に置くと、ちょうどのタイミングで机にお茶の入ったカップが乗せられる。「おう、ありがとな」と言いつつ置いてくれた手を辿って見上げると、そこにあった顔は、マクスウェルが思っていたのとは違う顔だった。

「あれ? クロエ?」
「はぁいマクス。お疲れ様~」
「なんでお前がこんなとこに?」

 クロエはレイナードと入れ替わりで執務の手伝いを外れていたのだ。エル=イラーフ王国から帰ってきたばかりの時のクロエは、それはもう酷い状態だった。主に寝不足で。
 今は、目の下の隈はだいぶ薄くなり、顔色も良かった。それで様子を見に来たのかと思ったが、どうも様子がおかしい。

「なんでって、お手伝いに来たのよぉ?」
「手伝い?」

 逆に首を傾げられ、マクスウェルの疑問は深まる。
 連日の努力のお陰で、未処理の書類は残り僅かだ。あと二日もあればなんとか通常業務に戻れる。レイナードが居れば問題ない範囲なので、手が増えるのは有難いが、それをするにはいささか遅い気もする。が、エル=イラーフへ行く前も後も、最低限しか顔を合わせていないので、クロエがやって来たのは純粋に嬉しい。マクスウェルの口角は自然と上がる。

「なんだ、そうなのか。んじゃ丁度いい、レイの奴と交代してやってくれ。あいつもまともに休んでないし」
「えっ?」
「えっ?」

 クロエはすっとんきょうな声を上げ、ぱちくり瞬いた。あまりにも珍妙な声だったものだから、マクスウェルの方も近い反応になってしまう。二人揃って瞬き合っていると、気まずそうにクロエは手にしたトレイを上げ下げする。

「えーっとマクス、ひょっとして知らないの~?」
「知らないって、なにを」

 どうにも煮え切らないクロエの態度に、マクスウェルが訝しんだ時だ。あのね、と言うなり、クロエはとんでもない発言を投下する。

「レイなら、とっくに居ないわよぉ?」
「はっ?」

 マクスウェルは自分の耳を疑った。

「ま、まだ仕事残ってるのに!?」

 積み上がっていた書類は粗方片付いたが、前述の通り全てが綺麗さっぱり無くなったわけではない。それに、今まで処理を優先していたので、使用した資料なんかは出しっ放しになっている。詰めなければならない案件は概要をまとめただけで、それなりの形になっているように見えるだけだし、不要な工事で費用をせしめようとしている官僚は時期を検討するとか言って、放置したままだ。本当の処理は終わっておらず、それは今後の課題となって残っている。
 そういうのにいち早く手を付けられるよう、この数日頑張っていたのだ。マクスウェルの声でレイナードの不在を知った部下達も、愕然としたり項垂れたりしている。残念だが彼らはまだまだ残業から逃れられないだろう。
 マクスウェルも、希望を砕かれた思いだ。せっかくクロエが持ってきてくれたと言うのに、お茶の入ったカップを持つ気になれない。
 そうして、図らずとも絶望の運び手となってしまったクロエは、そういうマクスウェルの気持ちの機微を感じ取れる方ではなかった。さくっと要件を伝える。

「指示書を置いてあるから見ろ、って、伝言。それがあれば、後は大丈夫だろうって~」
「そ、そうか。ならまあ、なんとかなるかな」

 ぎり、と拳を握り締めるマクスウェルだったが、リリアンが居ない中、レイナードはよくやったと言えるだろう。それに関しては本当に感謝しているが、黙っていなくなったのは少しばかり許せない。ぐぬぬと唸っているのはそのせいだ。
 そもそもマクスウェルは、もうレイナードを領地に帰してやるつもりだったのだ。残りの業務の調整と確認をして、そこで礼をして、ついでにリリアンへの誕生日祝いを持たせてやって。帰りの馬車の中で食べられるように弁当も準備させるつもりだったが、全部無駄になってしまった。

「……まあ、こんだけ残ってたのは、すごい方だよな」
「そうよぅ。また今度、お礼をしなくちゃ」

 そうだな、とクロエの言葉に頷くマクスウェルの頭からは、数時間監禁された事実がショックで抜けている。クロエはそんな事があったとは知らず、部下達もマクスウェル同様、すっかり記憶を飛ばしてしまっていたので、しみじみ頷くばかりだ。どちらかというと「レイナードのお陰で切り抜けられたんだ」という雰囲気になっている。
 元はと言えば、レイナードがリリアンにくっついて領地へ籠ってしまったのが書類が積み上がる原因となり、マクスウェルがお目付役としてエル=イラーフ王国へ行ったのがとどめとなったのだが、「あいつは良くやったよ」と健闘を称えるような空気が事実を覆ってしまっていた。
 いや、もしかしたら、自分達もその一部だから、レイナードを褒めるつもりで自分達を称えているのかも。レイナードがあれだけやったんだから、自分達も相当のことをこなした。それがあったからレイナードも帰れたのだし、だったらこの功績は自分達のものではないだろうか、と。——連日の無理で思考が飛躍しているのは確実である。
 そうしてそれはマクスウェルもで、なぜか彼は得意そうな、見ようによっては勝ち誇ったような表情で、クロエから聞いた指示書が入っているという机の引き出しに手をかけた。
 妙な手応えを感じるが、気にせずマクスウェルは一思いに引く。すると、紙の束がわさっと引き出しから溢れた。

「……えぇ!? こんなに!?」

 マクスウェルは思わず叫ぶが、手元を覗き込んでいた部下達からも小さく悲鳴が上がった。
 慌てて引き出しの紙を全て机の上に移して検分する。これ全てが指示書なのだとしたら、相当な量の仕事が残っていることになる。というか、レイナードが隠し持っていたことになってしまうが、彼の性格からしてそれはあり得ないだろう。ならこれは何なのだ、というのがマクスウェル達が気にしている部分だ。
 引き出しを空にし、紙を関連するもので区別していくと、それぞれが同じ案件の資料である事が分かった。マクスウェルが把握している残りの業務の内容と一致する。レイナードが隠し持っていた案件、というわけではないのが分かり、一同から安堵の息が漏れる。

「な、なんだよ、驚かせるなよ。ったく、レイの奴」
「ねぇマクス。これ」

 ほっとするマクスウェルだったが、その眼前にすっと紙が差し出される。それを持っているのはクロエで、笑顔はどこか引き攣っていた。

「ん? なんだ?」
「いいから、これ、見て?」

 なんだろう、と首を傾げつつ紙を受け取る。よく見ると白い紙が黒く見えるくらい、びっしりと文字が書かれていた。

「な、なんだ?」

 ぱちぱち瞬いて、紙の最初の方から順に読み進めると、どの資料をどう利用し、どの案件から片付けるのかが記されている。——これこそがクロエから伝え聞いた、レイナードの指示書なのだろう。おそらく最も効率的に片付くよう、レイナードが準備していたものだ。これだけのものを同時に用意し、進めようとする手腕は素晴らしい。だが、数日でやるにはいささか無謀と言える。なのにいつまでにこれをやるように、とスケジュールまで書き込まれていて、マクスウェルは頭を抱えた。

「あの、殿下。殿下も明朝には発たねばならないのでは」
「……ああ、そうだな、そうなんだけど」

 マクスウェルは、リリアンの誕生祝いの晩餐会に招かれているのだ。兄弟を代表して、ほぼ強制で参加が決まっている。遅れれば、リリアンのめでたい日に遅刻なんて、と言われるのが目に見えていた。
 だと言うのに、指示書にはあれをやれこれを片付けておけと書かれている。
 レイナードは非常に真面目な男だ。真剣に、自身が抜けた後の人員で、なにをどうすれば最短で仕事が片付くかを考えた結果を記したのがこれだった。ただそれだけで、実際、残った案件を数日で片付ける必要はあまりない、というのも理解している。
 そしてマクスウェルの方も、レイナードがそういう性質で書き記したであろう事は察していた。加えてマクスウェル自身も、彼が思っているより率直で、真面目であるのが災いした。

「終わるかぁこんなん!!」

 疲労と絶望で許容量を超えてしまったのだ。指示書をぐしゃりと握り締め、がっくり項垂れる。
 ここで資料を破り捨てたり、手の中の物を燃やさないのがマクスウェルの美徳だ。どうどう、と部下やクロエに宥められている。

「で、殿下! 休憩にしましょう!」
「お茶が冷めてしまいましたね! 妃殿下ひでんか、申し訳ありませんがお代わりを」

 トゥイリアースの王城の世話になって長いクロエは、一部の臣下からきさき扱いを受けていた。待遇はそうでもないが、呼び方はすっかり「妃殿下」で定着している。
 ひとつ頷くと、クロエは婚約者へと向いた。

「そうねぇ、新しいの淹れましょ。ねえマクス、お菓子はなにがいい~?」
「……甘くてうまいやつ……」
「蜂の子の甘露煮ね」
「ひ、妃殿下」
「く、クッキーとか、そういうのがよろしいかと」
「え~? 美味しくて栄養たっぷりで、今のマクスにぴったりなのに?」
「悪いクロエ、俺もクッキーがいい」
「んもう。しょうがないんだから~」

 それだけ言い残しクロエは部屋を出て行く。納得した風ではあったが、どうにも頬を膨らませていたのが気に掛かり、男達は円陣を組む。

「……レバーのジャムとか持って来られたらどうします?」
「お前、よくそんな事思い付くな。地獄じゃん」
「そうなったら我々で殿下をお守りするしかあるまい」
「食べ切れる自信がありませんが……」

 騎士服が互いにぶつかる中、こそこそ囁いた声は、しっかりと彼らの主の耳に届いていた。いい部下を持ったなぁ、と窓の外を見上げるマクスウェルの視界は、なんだか妙にぼやける。
 彼らが居ればこの後に待ち受ける試練を乗り越えられる。少なくともこの時は、そう思えた。



 その頃、レイナードも馬車の中で空を見上げていた。
 視線の先にある月はまだ色が薄く、淡い白は焦がれてやまない人物を彷彿とさせてレイナードの視線を離さなかった。
 例年通りであれば、今日は本番前のリハーサルを行ったはずだ。毎年変わる演出も気にはなるが、やはりレイナードの興味はリリアンの方に向いている。今年の衣装は直前に作り直したとあって、どんなものだろうかとそればかりが頭の中を埋め尽くした。
 新たに作るというドレス。走り書きのデザイン画でもリリアンにぴったりで、それだけでレイナードの胸は高鳴った。色や装飾品までは描かれていなかったから、あれがどう昇華するのか楽しみだ。女性の装いに疎いレイナードでは、そこまで想像するのが難しい。いや、きっと想像できたとしても無駄だ。本当のリリアンの美しさは、自分の想像の遥か高みにあるのだから。

(リリー、きっと綺麗だろうな……)

 まず間違いない、と確信するレイナードは笑みを浮かべる。
 また一歩大人になったリリアンの美しい姿が見られるのは、この上ない幸福なのだ。その瞬間が待ち遠しくて仕方がない。
 疲労からリリアンの事しか考えられず、にやにやと頬を緩める姿は締まりがない。あまり褒められたものではないのに、彼が気付く事はなかった。
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