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第2話『桜が紡いだ縁』

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 ……数年後、桜香子の姿は関西にあった。

「ただいま」

 一人暮らしのアパートにリクルートスーツ姿の桜香子が帰宅し、ドアを開ける。

 東京にはマスコミ対策で近づかないように青梅一郎保守党副総裁から言われている。
 因みに青梅は羽賀信義はがのぶよし政権で副総理兼財務大臣に留任したのち、岸本勇雄きしもといさお政権で保守党副総裁に君臨している。

 妹も独立して財務省に入省した。東大法学部時代の国の役に立つ論文が評価されたらしい。
 報道の影響で、同じ東大でも文学部の彼女には希望通りの就職先はなかなか見つからず。

 薄いメイクを落とし、ブラウスにストッキング姿でベッドに倒れ込む。

 結局彼女はパーソナルリクルートサービスという派遣会社を通じて図書館司書となった。
 実に秋津悠斗の予言通りとなった。香子は図書館デートでの悠斗の言葉を反芻する。

 香子の住む関西では野党、なにわ維新の会が自治体首長のポストを頂いている。
 行政の民間委託によるコストカットとそれによる自身の人材派遣会社パーソナルリクルートサービスへの利益誘導を得意技とする竹内蔵之助を、最高顧問に戴き、文化教育福祉をコストカットしている。
 具体的には、市役所で言えば、窓口業務を民間委託。
 図書館では某書店T屋に民間委託し、商業的なインテリアデザインを優先した結果、全面ガラス張りの図書館が誕生し、貴重な書籍が日焼けするという事態に発展している。
 で、香子は、人材派遣会社パーソナルリクルートサービスを通じて図書館司書となっている。

 自身の勤務先の経営者が、大好きな本を、大切な本を痛めつけている!

 ……というニュースを新聞で見て、本好きの桜香子は悲しく思った。そして政治と暮らしが密接にかかわっていることを改めて理解した。

 それを図書館デートで問題提起したのが年下彼氏の秋津悠斗だ。
 彼の発言や思想は実に予言めいていて、メタ的にいえば物語の伏線ではなかったか?

 そう考えて、彼のLINEアカウントを見る。
 
「(悠斗くん、物部さん撃たれたし、政界にも色々あって連絡取れなくなったのかな……どうしているのかな)」

 秋津悠斗が憧れてやまない、物部泰三元内閣総理大臣は、天下統一教会に恨みを抱く信者二世に銃撃され、車椅子生活となっていた。

【お久しぶりです。お元気ですか。オヤジの秘書をやってて充実しています。悠斗より】

 びっくりした。香子はスマホをベッドの布団の上に落としてしまう。

【わ。連絡なかなかないから心配したよ。お久しぶりです。悠斗君にとっては嫌いな会社かもだけど、パーソナルリクルートサービスを通じて外部委託の図書館司書してます。】

【パソナ経営者の竹内蔵之助は気に食わないですが、この期に及んでは応援します。くれぐれもお身体に気をつけて】

【うん、ありがとう、物部さんの事件あったけど、大丈夫だった?】

【詳しくは国家機密です。ですが、物部さんと一回だけ話せました】

【本当に!?】

【今度選挙出るんです。詳しくは言えませんが協力者も支援者も現れました。保守党の党員勧誘ノルマを満たして南関東比例ブロックから衆議院選挙出ます】

【やっぱりすごいな悠斗くんは】

【演説、見に来てくれますか?】

 選挙の期日を聞くと、4月のGWだと言う。ちょうど親戚宅に行く用事があった。

【見に行けるかはスケジュール合うかどうか分からないよ?でも応援してる!】

【やった!ありがとうございます】

「(ふふっ、可愛い」」

 文面越しにも、無邪気に喜ぶ甘えん坊な王子様が想像できて、つい口元が綻んでしまう。

      *    *

 マイク納めは土曜日。
 春の夕陽が初々しい国会議員の卵を祝福する。
 
 駅前ロータリーに陣取る保守党選挙カーには何人もの政治家が屋根に乗り、手を振る。何百人もの群衆に、SP、私服警官、制服警官が目を光らせる。
 GWですごい人手だ。
 桜香子は人混みに押され、前に進めない。

 秋津悠斗の応援演説に入るは、物部政権で10年近く防衛大臣留任状態だった物部泰三の愛弟子、荒垣健あらがきたける防衛大臣だ。
 銃撃事件で車椅子でなければ物部自身が応援に来ていただろう。それでも、航空自衛隊元戦闘機パイロット、予備三等空佐の現役防衛大臣をよこすとは、物部派は秋津悠斗という若造に対して相当な力の入れようだ。
 彼もまだ47歳と大臣にしては年若い。その若手がさらなる若手を応援する。

『保守党青年部次長、千葉県第*区選挙支部長、衆議院議員候補秋津悠斗! 秋津悠斗をよろしくお願い致します! それではお待ちかね、秋津悠斗くんにマイクを譲ります! 皆様、25歳の熱き魂を見届けてください!』 

 秋津悠斗はマイクを握るが、観衆が静まるのを待つ……そしてようやく口を開いた。

『お集まりの皆様、今日はわざわざ私のために足を運んでいただき、感謝の念に堪えません』

 悠斗が深々と頭を下げる。

『私は、日本のリーダーを担ってきた政権与党保守党に憧れ、物部総理大臣に憧れ、自分もいつか総理大臣になりたいと少年ゆえの無邪気で世間知らずな野望を胸に、保守党代議士のオヤジに養子にしてくれと頼み込みました』

 それが秋津文彦。元国土交通大臣。党千葉県支部連合会会長。御屋敷芳弘おやしきよしひろ党幹事長と同じ派閥の幹部である。

『ですが、現実の世界は複雑で残酷で、政治の世界は厳しく、私の甘い夢はすぐに打ち砕かれた……それは私の単なる勉強不足のせいです。政治家志望が政治で厳しい思いをする、それはいいんです。ですが、国民の皆さんひとりひとりが政治で厳しい思いをすることは、あってはならないんだ!』

 そうだ! と観衆が呼応する。
 秋津悠斗は顔をあげ、決然と叫ぶ。

『皆さん、この残酷な世界をおかしいと思ったことはありませんか? 税金は上がる一方、総理大臣は花見に税金を使い、アイドルに恥ずかしい接待をさせ、それを隠蔽するために公文書を書き換え、それを実行した官僚に自分のミスを着せてスケープゴートにする! 次の政権では保守党政治を批判した大学教授を学術会議から外し、また次の政権では増税しまくり、そのカネでアメリカからトマホーク巡航ミサイルを買い、アジアの国々を脅している!』

 これは、物部、羽賀、岸本のそれぞれの政権の所業を糾弾する演説だ。
 保守党公認ながら秋津悠斗が保守党の批判ができるのは、車椅子ながら影響力を行使する物部泰三が、この若者にお墨付きを与えたからだ。

 ──この若者こそ、生まれ変わる与党を担うにふさわしい。
 ──この若者こそ、生まれ変わる日本を担うにふさわしい。
 と。

『私秋津悠斗は、保守党を中から変えてまいります。そのためなら野党の労働党、国政民衆党、護憲民衆党、令和奇兵隊、社会福祉党との共闘する用意があります。学術会議にもう一度頭を下げて、日本再生のための知恵を請います。党のプライドなどどうでもいい! 政治家の仕事とは、国民の衣食住の保障だ、他になにがあるんだ!』

 青臭い稚拙な演説だが、熱を帯びてきて説得力を与える。
 桜香子は息を呑んだ。
 その時、秋津悠斗の視線が一瞬だけこちらを向いた。

     *    *

 秋津悠斗衆議院議員候補は桜香子を見失った。
 夜の公園。誰もいない。
 何の運命のいたずらだろう、区立図書館とよく似ている。いや、違う、ここはデートした区立図書館だ。
 いた!
 黒髪のセミロング。ふわりとした清楚な服装。桜のように純真可憐な彼女は、
 悠斗にはわかる。彼女は桜香子だ。

「香子さん! 香子さんですよね!」

 香子は立ち止まり、涙を浮かべてゆっくりと振り向いた。

「秋津悠斗……君」

 香子は恥ずかしくて、でも、悠斗が自分をまっすぐに愛してくれるのを知っているから、真摯に向き合うことで礼と為すのだ。

「よくここがわかりましたね」

「ここに来れば会えるんじゃないかと思ったの」

 そう言って香子はもう緑の葉が生い茂る桜の樹に手を添える。 

「私の家ね、お母さんが代々神社の巫女なんだ。お父さんはお婿さんなんだよ。だから祝日が重なるGWに親戚の家に寄る用事があったの」

「そうだったんですね。だから桜という氏が……お母さんに感謝ですね」

「そしてね、これがお母さんが植えた神木」 

 秋津悠斗は納得した。なぜあの時の図書館デートで、そして別れのとき、この桜の木があったのだろうと。

「フランスで桜の花言葉があります。私を忘れないで、と。きっとこの桜の木が会わせてくれたのですね」 

 自分たちはこの桜の木に導かれている。
 大きな縁が自分たちを結んでいると思えた。

「香子さん、今夜こそ一緒にいたい」

 秋津悠斗は無意識のうちにそんな言葉を出してしまった。
 赤面しかけるが、

「後悔しませんか?」

 ──秋津悠斗は桜香子を抱きしめた!

     *    *

 黒塗りの高級車が秋津邸に入る。
 松の木が植えられ、日本庭園らしい趣だ。
 いかにも、この年下彼氏が政治家の御曹司であることを実感させられる。
 後部座席に座るは、秋津悠斗と桜香子。
 黒塗りの高級車は、同情する桜香子にはお城に入る馬車に思えた。

「明日選挙の投開票日でしょ? 時間取ってもらって大丈夫なの?」

「いいんだ。どうせ期日前投票で大勢は決まっている。それに俺には、勝つ自信がある」

 自信家の秋津悠斗衆議院議員候補は男として余裕があるように思えた。

「当日は選挙活動ができないからどうせ暇だ」

 秋津悠斗はつけくわえた。
 つまり、香子とふたりきりの時間がとれるということだ。

「国枝くん、マスコミはまいたか?」

 それが運転手兼秘書の名前だった。彼も彼でなかなかのイケボだ。

「既に磯月望子記者がマスコミを抑えてくれています」

「磯月記者って、あの時の!?」

 あの時の記者は秋津悠斗の味方になった。
 マスコミは総じて政府与党に批判的だから、与党の闇に斬り込む秋津を、英雄とたのみ応援しているのだろう。
 後部座席にはスモークシールが貼られているし、撮影される心配はない。それに磯月らと報道協定を交わしているのだ。スクープされる心配はない。

「後援会に顔を出さなくていいの?」

「香子さんと会う前に済ませてきました」

「ならいいか」

 後部座席で指先だけ軽く絡めるふたり。
 国枝秘書が運転席から降り、後部座席の悠斗側のドアを開ける。
 悠斗がぴかぴかの革靴とスーツで先に降り、香子の手を取りエスコート。

「今夜は誰も取り次ぐな」

「畏まりました、秋津先生」

     *    *
  
 秋津悠斗が若い女性秘書に頼んで下着の替えを買ってきてくれた。

「部屋は余るほどあるから」

 そこは旅館の一室のように和の趣があり、簡素ながらも品の良い部屋だった。

「素敵だね」

 文机と座布団があり、窓がある。
 秋津悠斗は文机から座布団を持ってくると、香子に勧める。香子は礼儀正しく正座。
 自身も座布団を敷く。

「では私は事務所にいますので」

 国枝がお茶を出し、微笑んで引き揚げる。
 茶菓子は丸い白餅だった。この意味を知っているのか?
 去り際に国枝が茶色い紙袋を渡してきた。中身を見た秋津先生、赤面である。

「粗茶ですが、お口に合うかどうか……」

「いただきます」

 ちょっと苦いけど、安心する味だ。
 そして白いお餅を食べる。

「おいしいですね」

「ね」

 しばしの間、気まずい沈黙。

「お風呂、借りてもいいかな?」

 どうせ抱かれるなら、綺麗な体で抱かれたいと彼女は思った。

「どうぞ。上がったら俺も入りますね」
 

 
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