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第8話 朝三暮四
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「――おや、少々喋り過ぎましたかね……」
ジズは懐中時計を眺めて呟く。
「もうじき院内の見回り時刻ですので、
私そろそろお暇致します」
「えーもう夜だよ?患者さん達も、皆寝ちゃったでしょ……」
「良い子で眠ってて下さると良いんですけどねぇ~……直接お顔を見ないと、やはり心配ですからぁ」
レヴィは注意深く、2人の会話に耳を傾ける。
ベヘモットの棲家の中、窓の外に見える景色は――術で演出されたイミテーションのはずだ。
しかし、閉じられたカーテンの向こうに昼間のような明るさは感じられない。窓辺に漂うのは夜特有のひんやりした静けさ。2人の話から察するに……一応、外の世界と時間帯は合わせてあるようだ。
ドアへ向かうジズへ、ベヘモットもゆるりと手を振る。
「じゃあね~、あ!今度は僕にもお土産ちょうだい」
「……なんでしょう?調剤したての新鮮な鎮静剤……とかですか?」
「もうちょっと楽しそうな薬にしてよー!レヴィにゃんが、可愛いくふにゃふにゃしちゃうお薬とか~……」
「いや~、生憎取り扱っておりませんねぇ~」
ジズも、ベヘモットからのふざけた要求をゆるゆると躱す。完全に気心の知れた友人同士の会話である。
「それで――レヴィ嬢は?……私へ何か、言い残したいことは?」
「むっ?」
不意に尋ねられ、レヴィはぴくりと反応する。
「お外にいるご友人への伝言――ですとか?コココ、あまり物騒なご用件はお受けできませんが」
「ぬぬ……」
どう考えてもジズの誂いだ。助けを呼びたくても――自分を容易く捕獲した高位魔族の前で、仲間の居場所など吐けばどうなるか。
レヴィにも悪い予想はつく。
『私、ご主人様と幸せに暮らすのー!たまに来てもいいけど……邪魔しないでね!』
唐突に。
レヴィの口から――ではなく。
レヴィの背後から、変な声がした。
「……おい、なんだ今のは」
「えーっ僕何も言ってないよ」
「あのな……私はそんな浮ついた喋り方、しないぞ」
レヴィは呆れ顔で振り返る。ベヘモットが甲高い裏声で、レヴィへ声を当てるように喋っただけである。バレバレだ。
「レヴィ嬢、喉焼かれたんですか?なんか可愛くない声出てましたよ。お大事に……」
ジズも、分かっていながら冗談に乗る。
「くそっ、喉は一度焼かれたが……脳までは焼かれてないぞっ!
――おいジズ!
貴様も、定期的に邪魔をしに来い!」
「ええっ?!」
「コイツの興味を引きそうな――極力、冗長な話題を提供しろ!私に構う暇が惜しくなるほど、より有意義な趣味を教え込め!……反社会的活動以外で!」
レヴィは考える。ジズの悪趣味な話を横で聞かされるのは、多少憂鬱だが――ベヘモットに迫られるよりマシだ。
現にこの客人の前では、比較的マトモな服を着ていられた。
「随分無茶を仰る……この根っからの道楽者に、私が差し込める隙など知れてますよ~?」
ジズは困った様子で、マスクの顎を掻く。
「ねえねえ……ジズには恋の話とかないの?」
だが、ベヘモットは悪戯っぽい笑みを浮かべて尋ねる。友人の浮いた話を探るように。
「無~いですねぇ……むしろ、人間からの面倒な見合い話を躱すためだけに、こうして――既婚者のフリして暮らしてるんですよ?」
ジズは左手の手袋を外してみせた。
擬態で形作られた人間の手の――薬指には、しっかりと指輪が嵌まっていた。恐らく偽物なのだろう。
意味深にアクセサリーを着けただけ。しかし、これもある種、立派な擬態と言えよう。
「なーんだ、つまんない~」
「仕事が恋人!愛の言葉より、患者の心音!ですが……まっ、お酒が恋しくなったらまた来ますよ。
――それでは、ごきげんよう」
応接間のドアが静かに閉まり、遠くで羽音が響くのが聞こえた。猛禽が羽ばたくような、力強い音――ジズは帰ったようだ。
ベヘモットが、ふう、と軽く息をつく。金色の瞳に、ゆるりと安堵の色が浮かんだ。
客人の相手は、この享楽的な魔族にとっても、多少は気を遣うものらしい。
しかし、ジズが去った後のソファを見て――
あっ、と声を上げる。
「あいつ……」
行儀良く畳まれた黒のロングコートが……ひじ掛けの上に残っている。彼の忘れ物だ。
ベヘモットは、やれやれとコートを拾い上げると、近くの使い魔達へ預けた。
ニ匹の大きなコウモリが協力しながら、コートを部屋の隅の洋服掛けへ持っていく。
その様子を眺めながら、ベヘモットは呟く。
「追いかけてもいいけど……面倒だし」
ソファに深く腰掛け直し、脚を組む。
「どうせまたすぐ来るだろ~、その時でいっか」
気心の知れた友人のうっかりを、特に気にする素振りもない。むしろ、また来る口実を作ってやったと言わんばかりの、余裕の態度だった。
そしてベヘモットは、向き直ってレヴィに寄り添う。
「おいでーレヴィ」
にこやかな表情。金色の瞳がいっそ無邪気と思えるほどに輝いていた。愛しの飼い猫との二人きりの時間を、待ち焦がれていたかのように。
「ふふ、やっと二人きりだね~♡」
露骨に嬉しそうな声。レヴィは、その無邪気さに隠された独占欲を感じ取り身構える。
だがベヘモットは、レヴィの手元を見て……僅かに片眉を上げた。
「レヴィ?そのお花かして」
優しい口調だが、有無を言わさぬ響き。
レヴィの両手から花束を掻っ攫うと、手早く使い魔へ預ける。
使い魔達は、テーブルの上の花瓶の方へ飛んでいく。花瓶に既に生けられていた花を取り出しすと――花束の生花を、適当に差し直していく。金細工の入った、花よりも目立つ……過剰に装飾的な花瓶へ。
レヴィはその光景に呆れ、溜息をつく。
「これでは、どちらが主役か分からんな……」
「よーし。オッケー、お水にポーションでも入れといたら保つのかなー?……枯れたらまた買えばいっか」
小さく苦言を呟くレヴィだが、ベヘモットには聞こえていないようだった。
「ん、そうだ!」
ベヘモットは思いついたように目線を移すと、テーブルへ手を伸ばす。
そこには……先ほどまで花瓶に生けられていた、黄金色の造花が乱雑に積まれている。
精巧に作られた、水仙の花。
形は、本物と見紛うほどの出来栄えだが――不自然で華美な色と輝きが、それが作り物であることを示していた。
ベヘモットは造花を一つ手に取ると、レヴィの髪の結び目に優しく差し込み、アクセサリーのように添える。
「うん!いいね、僕の色……似合うよ」
そして満足げに呟く。作品を仕上げた芸術家のような、恍惚とした表情。独占欲に満ちた言葉。造花の色は、明らかにベヘモット自身を象徴する色だった。
「レヴィの黒髪に映えるなー」
楽しそうなベヘモットを、レヴィは軽く睨み返す。人にこうされるならまだしも、奴は魔族。こちらを着せ替え人形にしたいだけだ。
「ねえ、そろそろ――
新しいお家にも慣れてきた?」
穏やかな声音。しかし、その内容は穏やかではない。レヴィが望んだわけでもない引っ越し――ただの誘拐、からの監禁。
「いい子だねレヴィにゃんは」
まるで猫に話しかけるような口ぶり。レヴィは嫌悪感を滲ませて呟く。
「レヴィで十分だ」
不機嫌な冷たい声。しかし、ベヘモットにはどうも効果がないらしい。
「え?だめー?かわいいのに……」
ベヘモットは、何が悪いのか分からない……という顔をした。金色の瞳をキョトンと丸くし、まるで叱られた子供のような表情。
もし事情を知らない者が見れば、レヴィの方が理不尽な態度に思えたかもしれない。
レヴィはベヘモットを見て思案する。
見かけだけは、嫌味なほどに美しい。キョトンとした顔すらサマになる、整った顔立ち。完璧なプロポーション。
仮に、もしも――これが普通の人間の異性だったなら。いや、スクリーンの向こうで微笑むだけの、無害な役者であったなら。レヴィも少しはときめいたかもしれない。
……と、そこまで考えて、レヴィは顔を顰めた。
馬鹿な考えだ。
これは魔族だ。人間を食料としか見ていない、いやそれ以上に悪趣味な戯れで弄ぶ――危険な存在だ。外見に惑わされてはいけない。
もしかしたら……これもベヘモットの術中かもしれないのだ。
先ほどレヴィの脳裏に過った『好みの異性像』も、この魔族が植え付けた後天的な……催眠によるイメージである可能性が拭えない。
レヴィは自分が信じられなくなってきた。感情も、感覚も、全てがベヘモットに操られているのではないか。その疑念が、心を蝕む。
しかし、ベヘモットは相変わらず、レヴィを眺めてご機嫌そうだ。
「ねえねえ、レヴィ?これ見てよー」
インテリアの水晶玉を見せてきた。応接間のテーブルに置かれた透明な球体。高度な魔術なのか、ベヘモットが触れると何かが投影されていく。
そこに映し出されたのは……
人間と、恐らく魔族であろう異形の存在が――仲睦まじく過ごしている姿。
レヴィは、何だこれは?と、怪訝に見つめた。
庭園で寄り添う二人、食事を共にする姿、抱き上げられ、魔族に身を委ねている人間。どれも親密そうな雰囲気で、互いに敵対しているようには見えない。
ベヘモットは、なんでもなさそうに言う。
「僕たち高位魔族のね、一部の界隈でブームなんだぁ」
まるで、最新の流行を紹介するかのように。
「こうして好みの人間を可愛がるの!みんな楽しそうでしょ?」
ベヘモットが指で撫でると、水晶に映る景色がクルクルと切り替わっていく。
そこに映る人間達は皆、飼い主らしき魔族と戯れている。しかし――
たまに目が虚ろな者もいて、少しゾワゾワする。魂が抜けたような、人形めいた表情。それでも笑顔を作り、魔族に寄り添っている。
レヴィは目を背けた。まるで自分の未来を見せられている心地がし、恐ろしくなる。
しかし、対するベヘモットは和やかな表情。至極平和な、微笑ましい光景を眺めるかのように――水晶を見つめている。
「これなんか……みてみて!可愛い!飼われた人間がね?飼い主の魔力を食い散らかしてるの~、ふふふ」
楽しげにベヘモットが見せてきたのは――
魔族の口元を舐めている、人間の姿。
キス、と形容するには……些か動物的すぎる触れ合い方だった。
魔力を食い散らかす、という表現が生々しい。
魔族とて、人間へ力を分け与えるメリットはあまり無いはずだ。使い魔にするには気難しく、繊細で非力。
しかし、ベヘモット……そして同じ嗜好を持つ魔族達にとっては、それが愛情表現として確立されているかのようだった。
「ご主人様から直接、美味しいご馳走を貰って懐いてるの……幸せそう~」
確かに、水晶に映された人間たちは、ある意味では幸せそうに見えた。高位魔族から強大な魔力を得て、人間としては考えられないほどの力を手にしているのだろう。
「レヴィも……僕にこういう事していいんだよ?」
頬を僅かに染め、誘うような声。金色の瞳が、期待に輝く。
遠慮するな。皆やっている。これは自然なことだ――とでも主張するように。
この歪んだ関係を受け入れろ、と。
これこそが魔族と人間の、新しい関係だと。
レヴィは内心、誰がやるものか、と呆れた。自分から進んで魔族の戯れに付き合うなんて。彼等のように、醜く力を貪り合うなど――プライドが許さない。
ベヘモットは見透かしたように微笑んで語る。指先で擽るように、レヴィの頬を撫でた。
「僕から魔力を吸って、レヴィがもっと強くなったらさ……」
伏し目がちに囁く。
「いつか、僕を倒して――ここを出られるかもしれないよ?」
見え透いた甘言だった。魔族の魔力を取り込めば、確かに一時的に強くなれるだろう。しかし、それは同時に魔族への依存を深めることでもある。変わらず正気でいられる保証はない。
部屋を飛び回る使い魔のコウモリ達。彼らからは、ベヘモットの強い魔力が感じられる。従順なる召使い。彼らが主人に背かないのも、恐らく――
レヴィは刺々しい声音で問う。
「人間に反抗されて、懲りて捨てた話などはないのか?飼育に失敗した話とか、逃げられた話とかな」
先ほどからレヴィが見せられているのは、ベヘモットに都合の良い話ばかり。上手くいかなかった例は、裏で闇に葬られているのだろう。
この魔族も、『人間を飼う』という行為に幻想を抱いているだけかもしれない――…
そんなレヴィの言葉を聞き、ベヘモットの目つきが一瞬だけ曇った。だが、すぐに――堪らなそうな顔で抱きついてくる。
精悍な腕が、レヴィの体を包み込む。温かいが、逃げ場のない抱擁。頬へ、柔らかい唇が触れると共に、甘い声が耳元で響いた。
「大丈夫だよ?」
優しく囁くような声。まるで、不安がる子供を宥めるような口調。
「僕は絶対レヴィを見捨てないからね。
どんなに悪戯っ子でも……最期まで、
責任持って――ちゃんと面倒見るからね」
「貴様……」
その言葉の意味を、レヴィは即座に理解した。
死ぬまで手放さない、という宣告。
初めから自由を与える気などなく、信念の下に飼い殺す、という意思表示。
レヴィの肩が落ち、全身から力が抜けていく。
倒せばここを出られるかも――と、僅かな希望をちらつかせた矢先、逃がす気はないと表明する。
この矛盾こそが、ベヘモットという存在の本質なのだろう。甘く優しい顔をしていても、根底の力関係までは崩さない。
レヴィは、この歪んだ魔族の本性に、改めて呆れ果てた。
ジズは懐中時計を眺めて呟く。
「もうじき院内の見回り時刻ですので、
私そろそろお暇致します」
「えーもう夜だよ?患者さん達も、皆寝ちゃったでしょ……」
「良い子で眠ってて下さると良いんですけどねぇ~……直接お顔を見ないと、やはり心配ですからぁ」
レヴィは注意深く、2人の会話に耳を傾ける。
ベヘモットの棲家の中、窓の外に見える景色は――術で演出されたイミテーションのはずだ。
しかし、閉じられたカーテンの向こうに昼間のような明るさは感じられない。窓辺に漂うのは夜特有のひんやりした静けさ。2人の話から察するに……一応、外の世界と時間帯は合わせてあるようだ。
ドアへ向かうジズへ、ベヘモットもゆるりと手を振る。
「じゃあね~、あ!今度は僕にもお土産ちょうだい」
「……なんでしょう?調剤したての新鮮な鎮静剤……とかですか?」
「もうちょっと楽しそうな薬にしてよー!レヴィにゃんが、可愛いくふにゃふにゃしちゃうお薬とか~……」
「いや~、生憎取り扱っておりませんねぇ~」
ジズも、ベヘモットからのふざけた要求をゆるゆると躱す。完全に気心の知れた友人同士の会話である。
「それで――レヴィ嬢は?……私へ何か、言い残したいことは?」
「むっ?」
不意に尋ねられ、レヴィはぴくりと反応する。
「お外にいるご友人への伝言――ですとか?コココ、あまり物騒なご用件はお受けできませんが」
「ぬぬ……」
どう考えてもジズの誂いだ。助けを呼びたくても――自分を容易く捕獲した高位魔族の前で、仲間の居場所など吐けばどうなるか。
レヴィにも悪い予想はつく。
『私、ご主人様と幸せに暮らすのー!たまに来てもいいけど……邪魔しないでね!』
唐突に。
レヴィの口から――ではなく。
レヴィの背後から、変な声がした。
「……おい、なんだ今のは」
「えーっ僕何も言ってないよ」
「あのな……私はそんな浮ついた喋り方、しないぞ」
レヴィは呆れ顔で振り返る。ベヘモットが甲高い裏声で、レヴィへ声を当てるように喋っただけである。バレバレだ。
「レヴィ嬢、喉焼かれたんですか?なんか可愛くない声出てましたよ。お大事に……」
ジズも、分かっていながら冗談に乗る。
「くそっ、喉は一度焼かれたが……脳までは焼かれてないぞっ!
――おいジズ!
貴様も、定期的に邪魔をしに来い!」
「ええっ?!」
「コイツの興味を引きそうな――極力、冗長な話題を提供しろ!私に構う暇が惜しくなるほど、より有意義な趣味を教え込め!……反社会的活動以外で!」
レヴィは考える。ジズの悪趣味な話を横で聞かされるのは、多少憂鬱だが――ベヘモットに迫られるよりマシだ。
現にこの客人の前では、比較的マトモな服を着ていられた。
「随分無茶を仰る……この根っからの道楽者に、私が差し込める隙など知れてますよ~?」
ジズは困った様子で、マスクの顎を掻く。
「ねえねえ……ジズには恋の話とかないの?」
だが、ベヘモットは悪戯っぽい笑みを浮かべて尋ねる。友人の浮いた話を探るように。
「無~いですねぇ……むしろ、人間からの面倒な見合い話を躱すためだけに、こうして――既婚者のフリして暮らしてるんですよ?」
ジズは左手の手袋を外してみせた。
擬態で形作られた人間の手の――薬指には、しっかりと指輪が嵌まっていた。恐らく偽物なのだろう。
意味深にアクセサリーを着けただけ。しかし、これもある種、立派な擬態と言えよう。
「なーんだ、つまんない~」
「仕事が恋人!愛の言葉より、患者の心音!ですが……まっ、お酒が恋しくなったらまた来ますよ。
――それでは、ごきげんよう」
応接間のドアが静かに閉まり、遠くで羽音が響くのが聞こえた。猛禽が羽ばたくような、力強い音――ジズは帰ったようだ。
ベヘモットが、ふう、と軽く息をつく。金色の瞳に、ゆるりと安堵の色が浮かんだ。
客人の相手は、この享楽的な魔族にとっても、多少は気を遣うものらしい。
しかし、ジズが去った後のソファを見て――
あっ、と声を上げる。
「あいつ……」
行儀良く畳まれた黒のロングコートが……ひじ掛けの上に残っている。彼の忘れ物だ。
ベヘモットは、やれやれとコートを拾い上げると、近くの使い魔達へ預けた。
ニ匹の大きなコウモリが協力しながら、コートを部屋の隅の洋服掛けへ持っていく。
その様子を眺めながら、ベヘモットは呟く。
「追いかけてもいいけど……面倒だし」
ソファに深く腰掛け直し、脚を組む。
「どうせまたすぐ来るだろ~、その時でいっか」
気心の知れた友人のうっかりを、特に気にする素振りもない。むしろ、また来る口実を作ってやったと言わんばかりの、余裕の態度だった。
そしてベヘモットは、向き直ってレヴィに寄り添う。
「おいでーレヴィ」
にこやかな表情。金色の瞳がいっそ無邪気と思えるほどに輝いていた。愛しの飼い猫との二人きりの時間を、待ち焦がれていたかのように。
「ふふ、やっと二人きりだね~♡」
露骨に嬉しそうな声。レヴィは、その無邪気さに隠された独占欲を感じ取り身構える。
だがベヘモットは、レヴィの手元を見て……僅かに片眉を上げた。
「レヴィ?そのお花かして」
優しい口調だが、有無を言わさぬ響き。
レヴィの両手から花束を掻っ攫うと、手早く使い魔へ預ける。
使い魔達は、テーブルの上の花瓶の方へ飛んでいく。花瓶に既に生けられていた花を取り出しすと――花束の生花を、適当に差し直していく。金細工の入った、花よりも目立つ……過剰に装飾的な花瓶へ。
レヴィはその光景に呆れ、溜息をつく。
「これでは、どちらが主役か分からんな……」
「よーし。オッケー、お水にポーションでも入れといたら保つのかなー?……枯れたらまた買えばいっか」
小さく苦言を呟くレヴィだが、ベヘモットには聞こえていないようだった。
「ん、そうだ!」
ベヘモットは思いついたように目線を移すと、テーブルへ手を伸ばす。
そこには……先ほどまで花瓶に生けられていた、黄金色の造花が乱雑に積まれている。
精巧に作られた、水仙の花。
形は、本物と見紛うほどの出来栄えだが――不自然で華美な色と輝きが、それが作り物であることを示していた。
ベヘモットは造花を一つ手に取ると、レヴィの髪の結び目に優しく差し込み、アクセサリーのように添える。
「うん!いいね、僕の色……似合うよ」
そして満足げに呟く。作品を仕上げた芸術家のような、恍惚とした表情。独占欲に満ちた言葉。造花の色は、明らかにベヘモット自身を象徴する色だった。
「レヴィの黒髪に映えるなー」
楽しそうなベヘモットを、レヴィは軽く睨み返す。人にこうされるならまだしも、奴は魔族。こちらを着せ替え人形にしたいだけだ。
「ねえ、そろそろ――
新しいお家にも慣れてきた?」
穏やかな声音。しかし、その内容は穏やかではない。レヴィが望んだわけでもない引っ越し――ただの誘拐、からの監禁。
「いい子だねレヴィにゃんは」
まるで猫に話しかけるような口ぶり。レヴィは嫌悪感を滲ませて呟く。
「レヴィで十分だ」
不機嫌な冷たい声。しかし、ベヘモットにはどうも効果がないらしい。
「え?だめー?かわいいのに……」
ベヘモットは、何が悪いのか分からない……という顔をした。金色の瞳をキョトンと丸くし、まるで叱られた子供のような表情。
もし事情を知らない者が見れば、レヴィの方が理不尽な態度に思えたかもしれない。
レヴィはベヘモットを見て思案する。
見かけだけは、嫌味なほどに美しい。キョトンとした顔すらサマになる、整った顔立ち。完璧なプロポーション。
仮に、もしも――これが普通の人間の異性だったなら。いや、スクリーンの向こうで微笑むだけの、無害な役者であったなら。レヴィも少しはときめいたかもしれない。
……と、そこまで考えて、レヴィは顔を顰めた。
馬鹿な考えだ。
これは魔族だ。人間を食料としか見ていない、いやそれ以上に悪趣味な戯れで弄ぶ――危険な存在だ。外見に惑わされてはいけない。
もしかしたら……これもベヘモットの術中かもしれないのだ。
先ほどレヴィの脳裏に過った『好みの異性像』も、この魔族が植え付けた後天的な……催眠によるイメージである可能性が拭えない。
レヴィは自分が信じられなくなってきた。感情も、感覚も、全てがベヘモットに操られているのではないか。その疑念が、心を蝕む。
しかし、ベヘモットは相変わらず、レヴィを眺めてご機嫌そうだ。
「ねえねえ、レヴィ?これ見てよー」
インテリアの水晶玉を見せてきた。応接間のテーブルに置かれた透明な球体。高度な魔術なのか、ベヘモットが触れると何かが投影されていく。
そこに映し出されたのは……
人間と、恐らく魔族であろう異形の存在が――仲睦まじく過ごしている姿。
レヴィは、何だこれは?と、怪訝に見つめた。
庭園で寄り添う二人、食事を共にする姿、抱き上げられ、魔族に身を委ねている人間。どれも親密そうな雰囲気で、互いに敵対しているようには見えない。
ベヘモットは、なんでもなさそうに言う。
「僕たち高位魔族のね、一部の界隈でブームなんだぁ」
まるで、最新の流行を紹介するかのように。
「こうして好みの人間を可愛がるの!みんな楽しそうでしょ?」
ベヘモットが指で撫でると、水晶に映る景色がクルクルと切り替わっていく。
そこに映る人間達は皆、飼い主らしき魔族と戯れている。しかし――
たまに目が虚ろな者もいて、少しゾワゾワする。魂が抜けたような、人形めいた表情。それでも笑顔を作り、魔族に寄り添っている。
レヴィは目を背けた。まるで自分の未来を見せられている心地がし、恐ろしくなる。
しかし、対するベヘモットは和やかな表情。至極平和な、微笑ましい光景を眺めるかのように――水晶を見つめている。
「これなんか……みてみて!可愛い!飼われた人間がね?飼い主の魔力を食い散らかしてるの~、ふふふ」
楽しげにベヘモットが見せてきたのは――
魔族の口元を舐めている、人間の姿。
キス、と形容するには……些か動物的すぎる触れ合い方だった。
魔力を食い散らかす、という表現が生々しい。
魔族とて、人間へ力を分け与えるメリットはあまり無いはずだ。使い魔にするには気難しく、繊細で非力。
しかし、ベヘモット……そして同じ嗜好を持つ魔族達にとっては、それが愛情表現として確立されているかのようだった。
「ご主人様から直接、美味しいご馳走を貰って懐いてるの……幸せそう~」
確かに、水晶に映された人間たちは、ある意味では幸せそうに見えた。高位魔族から強大な魔力を得て、人間としては考えられないほどの力を手にしているのだろう。
「レヴィも……僕にこういう事していいんだよ?」
頬を僅かに染め、誘うような声。金色の瞳が、期待に輝く。
遠慮するな。皆やっている。これは自然なことだ――とでも主張するように。
この歪んだ関係を受け入れろ、と。
これこそが魔族と人間の、新しい関係だと。
レヴィは内心、誰がやるものか、と呆れた。自分から進んで魔族の戯れに付き合うなんて。彼等のように、醜く力を貪り合うなど――プライドが許さない。
ベヘモットは見透かしたように微笑んで語る。指先で擽るように、レヴィの頬を撫でた。
「僕から魔力を吸って、レヴィがもっと強くなったらさ……」
伏し目がちに囁く。
「いつか、僕を倒して――ここを出られるかもしれないよ?」
見え透いた甘言だった。魔族の魔力を取り込めば、確かに一時的に強くなれるだろう。しかし、それは同時に魔族への依存を深めることでもある。変わらず正気でいられる保証はない。
部屋を飛び回る使い魔のコウモリ達。彼らからは、ベヘモットの強い魔力が感じられる。従順なる召使い。彼らが主人に背かないのも、恐らく――
レヴィは刺々しい声音で問う。
「人間に反抗されて、懲りて捨てた話などはないのか?飼育に失敗した話とか、逃げられた話とかな」
先ほどからレヴィが見せられているのは、ベヘモットに都合の良い話ばかり。上手くいかなかった例は、裏で闇に葬られているのだろう。
この魔族も、『人間を飼う』という行為に幻想を抱いているだけかもしれない――…
そんなレヴィの言葉を聞き、ベヘモットの目つきが一瞬だけ曇った。だが、すぐに――堪らなそうな顔で抱きついてくる。
精悍な腕が、レヴィの体を包み込む。温かいが、逃げ場のない抱擁。頬へ、柔らかい唇が触れると共に、甘い声が耳元で響いた。
「大丈夫だよ?」
優しく囁くような声。まるで、不安がる子供を宥めるような口調。
「僕は絶対レヴィを見捨てないからね。
どんなに悪戯っ子でも……最期まで、
責任持って――ちゃんと面倒見るからね」
「貴様……」
その言葉の意味を、レヴィは即座に理解した。
死ぬまで手放さない、という宣告。
初めから自由を与える気などなく、信念の下に飼い殺す、という意思表示。
レヴィの肩が落ち、全身から力が抜けていく。
倒せばここを出られるかも――と、僅かな希望をちらつかせた矢先、逃がす気はないと表明する。
この矛盾こそが、ベヘモットという存在の本質なのだろう。甘く優しい顔をしていても、根底の力関係までは崩さない。
レヴィは、この歪んだ魔族の本性に、改めて呆れ果てた。
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