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第9話 あの子の残り香
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ぴゅるるるり?
金の小鳥が、甘えた声で鳴いた。
小さな生き物の体温が、掌に伝わってくる。繊細な羽毛を指先で優しく撫でてやると、カナリアは心地良さそうに目を細めた。呼吸のたびに、胸元の羽毛がふくふくと広がる。
周囲には食い散らかされた餌が散乱していた。レヴィがわざわざ遠出して、専門店で買ってきたものだ。美味しそうなところだけを、好きなだけ啄ばんだ跡。レヴィは、後で掃除しないとな――と思いつつも、無邪気な同居人を愛おしく見つめた。
レヴィは思い返す。
この子と出会ったのは何年前だろう――
確か、当初はペットを飼う予定など全くなかった。
レヴィは合理主義の個人主義者。無駄を嫌い、効率を重んじる魔術師だった。動物を飼うなど、時間と金の浪費だとすら思っていた。
しかし……ある日、魔術師御用達の雑貨屋で。運命の出会いがあった。
いつも通り、必要な調合素材を手早く選び取っていたレヴィだったが――ふと足を止めた。
ぴぃぴぃぴぃ、ぴゅるるる。
まるで呼びかけるかのような、繰り返される鳴き声。
レヴィが振り向くと、声の主であろう――黄金色に輝く小さな鳥が。店先の籠の中で、ぴょこぴょこと尻尾を振りつつ、こちらを見つめていた。
「お嬢さん、そいつが気になるかい?」
店主もレヴィの視線に気づき、声を掛ける。
「カナリアだよ。可愛いだろ。
抜け落ちた羽は魔道具の材料になるし、低級魔族避けにもカナリアの鳴き声が良いんだよ」
「あまり聞いたことがないが……そういうものなのか」
少し眉唾物の売り文句。レヴィは興味なさそうに視線を逸らそうとした。しかし――
「それにな――ほら。高度な魔導薬の調合って、失敗しても気付きにくいだろ?組み合わせによっては……ヤバい副産物まで出るしな!たまに魔術師の不審死の知らせを聞くが、ありゃあ十中八九、調合失敗からの中毒死だね」
店主の声が、妙に真剣味を帯びる。
「コイツは人より繊細だ。毒に反応すると、主人より先に倒れて危険を教えてくれるんだよ。まあ、ちぃと可哀想ではあるが――それでお嬢さんが命拾いするのなら、安いものじゃないか?」
レヴィは察した。
目の前のカナリアは、ハナからそういう用途で『使われる』ために売られているのだ。死をもって、術者を危険から守る生きた警報装置。炭鉱のカナリアと同じ役割を、魔術師の作業場でも果たすために。
(なんて残酷な……)
レヴィは鳥籠を見つめた。カナリアは無邪気に首を傾げ、レヴィの視線に応えるように――ぴゅぃっ、と小さく鳴いた。
その声は澄んでいて……生命力に満ちている。
「……そうだな。そいつ、貰っていいか?」
気づけば、レヴィは鳥籠を抱えて帰路についていた。
あのままでは、いつか他の魔術師に買われていっただろう。そして毒の犠牲になって、短い生涯を終えたかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなくなった。
レヴィはカナリアを家族に迎えた後も、彼の前では薬の調合を行わなかった。危険な薬品は必ず別室で扱う。カナリアのいる部屋は、常に清潔で安全に保った。
ただ、結界術の練習には少し付き合ってもらった。
(せめて、広い空間を飛ばせてやりたい)
近くの森には低級魔族も潜んでいる。どうなるか分かっていながら、無責任に放すわけにもいかない。
レヴィは……これから一生、自然には戻れないであろうカナリアを憐れみ、家の敷地と外とを区切る結界を作った。
そして時折、庭先で彼が羽を伸ばせるようにしてやった。鳥籠に押し込め続けて、ストレスが溜まらように。
さほど遠くへは行かせてやれないが、青空の下を舞うカナリアを見ていると――レヴィも晴れやかな気持ちになった。
いつしか、レヴィは今まで用の無かったペット用品専門店にも、度々立ち寄るようになっていた。
(これ……あの子が喜ぶだろうか?)
そう思って――少し高い飼育用具を揃えたこともある。輸入品の種子に、新鮮な野菜、安全な玩具。更に大きめの鳥籠。
カナリアは飽きっぽい性分なのか、目新しいものを与えても……しばらく遊ぶと玩具を放り出し、レヴィの服のボタンをつついたり、嘴で袖を啄んだりしていた。
しかし、そんな悪戯好きな性格すら、レヴィにとっては可愛く思えた。ひたすら構って欲しがる甘えん坊。
カナリアは、雛の頃から挿し餌をしないと、手乗りにはならない――と聞いていた。だが彼は他より人懐っこいのか、しばらくするとレヴィの指や肩にも登ってくるようになった。
彼はいつも、無垢な瞳でレヴィを見てくる。
そしてレヴィは、前より魔族狩りの仕事を増やすようになっていった。もちろん魔術師として、研究資材のため……という名目も存在したが。
本音は違った。
魔族を一体倒すたびに、カナリアにより贅沢な暮らしをさせてやれる。高くて美味しそうなおやつ。凝った新しい玩具。もっともっと大きな鳥籠――。
カナリア本人が望んだわけでもない。
しかし、自分が彼に何かを与えられている、という充足感。それは……孤独なレヴィにはてきめんに効く、ある種の癒しとなっていた。
この子のためなら、危険な仕事も苦ではない。
カナリアがレヴィの指先に止まった。小さな足の爪が、優しく肌を掴む。そしていつも通り、甘い声で囀り始めた。まるで、レヴィに何かを伝えようとするかのように。
彼の言葉は分からない。
それでも、レヴィは彼の背に顔を寄せた。
お日様の香り。
いや、それだけではなくて――優しくトーストしたパンのような。温かい、ほっとする匂い。
「君は……どうして、こんなにいい匂いがするんだろうな……」
レヴィは目を細めた。カナリアの羽毛が頬を撫でる。胸がじんわり温かくなる。
そして――
目を開けると。
淡い金色が、呼吸に合わせ……レヴィの胸元で揺れていた。
身体が重い。それもそのはず、大の人間の男……の、姿をした魔族が。レヴィの胴の上に覆いかぶさるように寝ているのだ。
ベッドに横たわったレヴィの胸の上へ、ベヘモットは無遠慮に顔を突っ伏していた。彼が深い呼吸をするたびに、生温かい吐息が当たって暑苦しい。
……懐かしいカナリアとの再会は、ただの夢だったようだ。
現実に引き戻され、レヴィは深いため息をついた。全身を包む脱力感。それは失ったものへの郷愁か、それとも現状への絶望か。
(そうだ、あの子は……)
レヴィは思い出す。カナリアは鳥としての天寿を全うし、レヴィが丁重に埋葬したのだ。それも約一年前の話。
ある朝、いつものように餌を替えに行くと、止まり木の下で動かなくなっていた。毒で死んだのではない。老衰だった。
人間の支配下。狭い檻の中で、短い一生を終えた。それは安全な暮らしではあったろうが――彼にとって幸せだったのかは、分からない。
レヴィは小さな亡骸を庭に埋めた。墓標代わりに、彼が生前好きだった向日葵の種を蒔いた。
これから何度夏が巡っても、彼との日々を忘れずにいられるように。
「……おい、退いてくれ。重い」
レヴィは窮屈な肺を動かし、ここの家主へ勧告する。
「ふぁっ?!」
するとベヘモットは、不意を突かれたように顔を上げた。起きていたようだ。
整った顔が、間抜けな表情をしている。普段撫でつけている髪も、今はだらしなく乱れており――完全に油断していた様子だ。
レヴィは互いの顔の近さに、思わず視線を逸らした。
皮肉にも、目の前の金髪は……あのカナリアの羽毛の色に似ていた。光を透かし、輝く様子までそっくりだ。
しかし、カナリアと違って、この金色の存在は――檻の外側から、レヴィを見つめてくる奴なのである。
「……何してたんだ、私が寝てる間に」
レヴィは肘で身を起こしつつ尋ねる。
「べつに……何もしてないよ?」
ベヘモットは、小首を傾げキョトンとしている。
「いやしてただろ、現に今……!
私の胸を枕にするな!」
ベヘモットは、横たわるレヴィの腰に腕を回している。先ほども、あからさまに胸元へ顔を埋めていた。人間の男女なら、特別な関係でなければ許されない距離感だ。
「え~……だってレヴィのここ、すごくいい匂いするんだもん……♡」
ベヘモットは、へらりと笑うと……後ずさるレヴィへ、追い縋るように身を寄せてきた。鼻先を鎖骨へ近づけ、ドレスの布地を甘く食んで引っ張ってくる。まるでそのまま、脱がそうとするかのように。
「だから――……っやめろ!」
レヴィは身の危険を感じ、全力でベヘモットの肩を押し戻す。
「んん~……」
ベヘモットは残念そうな唸り声をこぼすと、気怠く身を引いた。レヴィも腕を盾にしつつ、乱れたドレスの襟元を直す。
「まだだめかぁ、ちぇー」
「まだって……貴様、何のつもりで……!」
レヴィは最悪な想像をして青ざめる。魔族に貞操を奪われるなど、彼らに対抗している魔術師としては、この上ない屈辱だ。
「ねぇねぇレヴィにゃん、それよりお腹空いてない?美味しいごはん買ってきたよー」
ベヘモットは立ち上がり、サイドテーブルのトレイの蓋を開けた。芳醇な香りが部屋中に広がる。
「その呼び方もやめろ……」
レヴィは何度目か分からない抗議をする。しかし、声に力はない。諦めと疲労が滲んでいた。
「あは、ごめんごめん」
ベヘモットは悪びれもなく謝りながら、レヴィのために料理を取り分けていく。
皿の上を見て、レヴィは僅かに眉を顰めた。
朝食には似つかわしくない豪華さ。まるで高級なコース料理を、コンパクトにまとめたかのような一皿。
メインには金箔まで振りかけられている。相変わらずの悪趣味さ。
「はい、あーん♡」
ベヘモットがカトラリーを持ち、レヴィの口元へ料理を運んでくる。子供扱いもいいところだが、抵抗する気力もない。
レヴィは仕方なく口を開けた。拒否すれば、もっと面倒なことになると理解してしまったからだ。
ベヘモットに無理矢理口移しされ、吐き戻せば風呂に連行され。つい数日前も、そんな散々な目に遭ったばかり。
「むぐ……」
レヴィの舌の上に広がる味は、認めたくないが絶品だった。素材の良さが際立ち、調理も完璧。
貧しくはなかったが……堅実な食生活を送っていたレヴィにとっては、縁遠い高級な味。
「美味しい?」
ベヘモットがワクワクした様子で尋ねてくる。金色の瞳が、期待できらきらと輝いていた。
「んん……まあ……」
レヴィは曖昧な返事で誤魔化す。
しかし、ベヘモットはつれない返事をされても笑顔を崩さない。むしろ、そんなレヴィの態度すら愛おしいと言わんばかりの表情。
「ねぇねぇ、レヴィってどんな食べ物が好き?」
新たな質問が飛んでくる。
「お肉は?何肉派っ?」
無邪気な問いかけに、レヴィもつい口が滑った。
「鶏肉……」
呟くように答えてしまう。脂の乗った濃厚な美味しさよりも、控えめで淡白な味をレヴィは好んでいた。
ベヘモットの出してくる料理。彼にとっての愛玩動物へ向けた『餌』は、確かに美味ではあったが――食べ続けると、少々胸焼けがしてくるような品々だった。
「鶏肉かあ!わかった!」
ベヘモットが軽やかに返事をする。その反応に、レヴィは即座に後悔した。
(しまった)
魔族の行動は、常に斜め上を行く。そして嫌味なほどの財力も惜しみなく使い、欲望を満たそうとする。豪華なインテリア、高級な食事、全てがそれを物語っていた。
もしも今日を境に、街の生鮮品店から鶏肉が消えたら?大きな養鶏場ごと買い上げられたら?
それは間違いなくベヘモットの仕業だ。そして間接的には、レヴィのせい……?ということになる。
罪のない街の人々が、魔族に振り回され混乱する姿が脳裏に浮かぶ。
「やっぱり撤回」
慌てて訂正する。
「そんなに好きではない」
「えーっ?」
ベヘモットが困惑したような声を上げる。もちろん深刻そうではなく、愛しのペットに可愛いわがままを言われた時の、どこか幸せな困り方。
レヴィは深いため息をついた。
(私も、もしかしたら……)
内心、自分も――この魔族と似たようなものだったのかもしれないな、と自省した。
カナリアを愛で、世話をし、制限の中で自由を与えて。そんな飼い主も裏では、当たり前のように鳥の肉を食べていた。
ブロイラーと愛しのカナリアは違うから、とでも言うように、都合の良い倫理観のもと――。
あのカナリアは、レヴィに撫でられると心地良さそうに鳴いてくれた。しかし、その本心はどうだったのだろう。檻の外を眺めながら、何を思っていたのだろう。
「こっちおいで」
食事を終えると――ベヘモットが手を伸ばし、レヴィを己の膝の上に抱き上げた。軽々とした動作は、まるでぬいぐるみでも扱うかのよう。実際、レヴィの重さなど、この魔族にとっては無いも同然なのだろう。
温かい膝の上に座らされ、背中から抱きしめられる。逃げ場のない肉の檻。
「あはは、レヴィ?ここ寝癖ついてる~、
かわい、いま綺麗にしてあげるね」
ベヘモットは囁くと、ブラシを手に取った。高級そうな獣毛製。優しい手つきで、レヴィの髪のブラッシングを始める。
黒髪が梳かれる度に、かすかな音が響く。寝ている間に軽く絡まった部分も、丁寧にほぐされていく。その手つきは、こちらへ痛みを与えないよう注意を払っているのが分かった。
レヴィは渋々、大人しくしている。
逃げれば追い回される。いや、より制限が厳しくなるだろう。今は、彼の半径から数メートル程度の自由が与えられているが――それがもっと、狭い範囲に縮められるかもしれない。
見えない首輪の鎖が、また一段と短くなる。その恐怖を思えば、髪を弄られるくらいは我慢できた。
「今日は何して遊ぼっか」
ベヘモットが楽しそうに話しかけてくる。ブラッシングする手を動かしながら。
「新しい彫刻が届くんだけど、一緒に見ない?」
返事を待たずに続ける。
「あ!それともお庭で散歩する?温室の場所、一緒に決めよっか」
選択肢を与えているようで、実際は何も選べない。どちらにしても、ベヘモットと一緒にいることに変わりはない。金色の籠の中で、飼い主の決めた遊びに付き合うだけ。
(あのカナリアも、こんな気持ちだったのだろうか)
レヴィは窓の外を見つめた。
幻影の空は今日も青く、偽物の雲がゆっくりと流れている。監禁されてから十日と経っていないはずなのに、本物の空の記憶が遠い昔に感じられた。
「よし。んーつやつや、完璧~」
ベヘモットが満足げに呟き、流れの揃った黒髪を指で持ち上げた。その仕草は、まさに飼い主が愛玩動物の毛並みを確かめるようなもの。
レヴィは目を閉じた。
抵抗しても無駄だと分かっている。この美しい魔族は、レヴィを決して手放さない。死ぬまで、この金色の檻の中で飼い殺しにされる運命。
それでも、心のどこかで諦めきれない自分がいる。いつか、この状況を打破する方法を見つけたい。自由を取り戻したい。
(でも、私はあのカナリアに自由を与えただろうか?)
苦い思いが胸に広がる。
結局、自分も同じ穴のムジナなのかもしれない。愛情という名の支配欲で、小さな命を縛り付けていた。そして今、同じように縛られている。
因果応報という言葉が、脳裏をよぎった。
「レヴィ?」
ベヘモットが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「どうしたの?具合悪い?」
優しい声。しかし、それは飼い主がペットの体調を気遣う声でしかない。
「なんでもない」
レヴィは静かに答えた。
胸の奥に、カナリアとの思い出を大切にしまいながら。
窓の外で、幻の小鳥が囀った。
それは本物ではないと分かっていても、レヴィの心をザワつかせる。かつて愛した、あの子の歌を思い出させる音色だった。
ベヘモットは、そんなレヴィの憂鬱をよそに、幸せそうに笑っていた。最愛の宝物を手に入れた収集家のように、満ち足りた表情で。
見せかけの朝の光が、二人を優しく包み込む。
美しく飾られた、広い広い籠の中で。
金の小鳥が、甘えた声で鳴いた。
小さな生き物の体温が、掌に伝わってくる。繊細な羽毛を指先で優しく撫でてやると、カナリアは心地良さそうに目を細めた。呼吸のたびに、胸元の羽毛がふくふくと広がる。
周囲には食い散らかされた餌が散乱していた。レヴィがわざわざ遠出して、専門店で買ってきたものだ。美味しそうなところだけを、好きなだけ啄ばんだ跡。レヴィは、後で掃除しないとな――と思いつつも、無邪気な同居人を愛おしく見つめた。
レヴィは思い返す。
この子と出会ったのは何年前だろう――
確か、当初はペットを飼う予定など全くなかった。
レヴィは合理主義の個人主義者。無駄を嫌い、効率を重んじる魔術師だった。動物を飼うなど、時間と金の浪費だとすら思っていた。
しかし……ある日、魔術師御用達の雑貨屋で。運命の出会いがあった。
いつも通り、必要な調合素材を手早く選び取っていたレヴィだったが――ふと足を止めた。
ぴぃぴぃぴぃ、ぴゅるるる。
まるで呼びかけるかのような、繰り返される鳴き声。
レヴィが振り向くと、声の主であろう――黄金色に輝く小さな鳥が。店先の籠の中で、ぴょこぴょこと尻尾を振りつつ、こちらを見つめていた。
「お嬢さん、そいつが気になるかい?」
店主もレヴィの視線に気づき、声を掛ける。
「カナリアだよ。可愛いだろ。
抜け落ちた羽は魔道具の材料になるし、低級魔族避けにもカナリアの鳴き声が良いんだよ」
「あまり聞いたことがないが……そういうものなのか」
少し眉唾物の売り文句。レヴィは興味なさそうに視線を逸らそうとした。しかし――
「それにな――ほら。高度な魔導薬の調合って、失敗しても気付きにくいだろ?組み合わせによっては……ヤバい副産物まで出るしな!たまに魔術師の不審死の知らせを聞くが、ありゃあ十中八九、調合失敗からの中毒死だね」
店主の声が、妙に真剣味を帯びる。
「コイツは人より繊細だ。毒に反応すると、主人より先に倒れて危険を教えてくれるんだよ。まあ、ちぃと可哀想ではあるが――それでお嬢さんが命拾いするのなら、安いものじゃないか?」
レヴィは察した。
目の前のカナリアは、ハナからそういう用途で『使われる』ために売られているのだ。死をもって、術者を危険から守る生きた警報装置。炭鉱のカナリアと同じ役割を、魔術師の作業場でも果たすために。
(なんて残酷な……)
レヴィは鳥籠を見つめた。カナリアは無邪気に首を傾げ、レヴィの視線に応えるように――ぴゅぃっ、と小さく鳴いた。
その声は澄んでいて……生命力に満ちている。
「……そうだな。そいつ、貰っていいか?」
気づけば、レヴィは鳥籠を抱えて帰路についていた。
あのままでは、いつか他の魔術師に買われていっただろう。そして毒の犠牲になって、短い生涯を終えたかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなくなった。
レヴィはカナリアを家族に迎えた後も、彼の前では薬の調合を行わなかった。危険な薬品は必ず別室で扱う。カナリアのいる部屋は、常に清潔で安全に保った。
ただ、結界術の練習には少し付き合ってもらった。
(せめて、広い空間を飛ばせてやりたい)
近くの森には低級魔族も潜んでいる。どうなるか分かっていながら、無責任に放すわけにもいかない。
レヴィは……これから一生、自然には戻れないであろうカナリアを憐れみ、家の敷地と外とを区切る結界を作った。
そして時折、庭先で彼が羽を伸ばせるようにしてやった。鳥籠に押し込め続けて、ストレスが溜まらように。
さほど遠くへは行かせてやれないが、青空の下を舞うカナリアを見ていると――レヴィも晴れやかな気持ちになった。
いつしか、レヴィは今まで用の無かったペット用品専門店にも、度々立ち寄るようになっていた。
(これ……あの子が喜ぶだろうか?)
そう思って――少し高い飼育用具を揃えたこともある。輸入品の種子に、新鮮な野菜、安全な玩具。更に大きめの鳥籠。
カナリアは飽きっぽい性分なのか、目新しいものを与えても……しばらく遊ぶと玩具を放り出し、レヴィの服のボタンをつついたり、嘴で袖を啄んだりしていた。
しかし、そんな悪戯好きな性格すら、レヴィにとっては可愛く思えた。ひたすら構って欲しがる甘えん坊。
カナリアは、雛の頃から挿し餌をしないと、手乗りにはならない――と聞いていた。だが彼は他より人懐っこいのか、しばらくするとレヴィの指や肩にも登ってくるようになった。
彼はいつも、無垢な瞳でレヴィを見てくる。
そしてレヴィは、前より魔族狩りの仕事を増やすようになっていった。もちろん魔術師として、研究資材のため……という名目も存在したが。
本音は違った。
魔族を一体倒すたびに、カナリアにより贅沢な暮らしをさせてやれる。高くて美味しそうなおやつ。凝った新しい玩具。もっともっと大きな鳥籠――。
カナリア本人が望んだわけでもない。
しかし、自分が彼に何かを与えられている、という充足感。それは……孤独なレヴィにはてきめんに効く、ある種の癒しとなっていた。
この子のためなら、危険な仕事も苦ではない。
カナリアがレヴィの指先に止まった。小さな足の爪が、優しく肌を掴む。そしていつも通り、甘い声で囀り始めた。まるで、レヴィに何かを伝えようとするかのように。
彼の言葉は分からない。
それでも、レヴィは彼の背に顔を寄せた。
お日様の香り。
いや、それだけではなくて――優しくトーストしたパンのような。温かい、ほっとする匂い。
「君は……どうして、こんなにいい匂いがするんだろうな……」
レヴィは目を細めた。カナリアの羽毛が頬を撫でる。胸がじんわり温かくなる。
そして――
目を開けると。
淡い金色が、呼吸に合わせ……レヴィの胸元で揺れていた。
身体が重い。それもそのはず、大の人間の男……の、姿をした魔族が。レヴィの胴の上に覆いかぶさるように寝ているのだ。
ベッドに横たわったレヴィの胸の上へ、ベヘモットは無遠慮に顔を突っ伏していた。彼が深い呼吸をするたびに、生温かい吐息が当たって暑苦しい。
……懐かしいカナリアとの再会は、ただの夢だったようだ。
現実に引き戻され、レヴィは深いため息をついた。全身を包む脱力感。それは失ったものへの郷愁か、それとも現状への絶望か。
(そうだ、あの子は……)
レヴィは思い出す。カナリアは鳥としての天寿を全うし、レヴィが丁重に埋葬したのだ。それも約一年前の話。
ある朝、いつものように餌を替えに行くと、止まり木の下で動かなくなっていた。毒で死んだのではない。老衰だった。
人間の支配下。狭い檻の中で、短い一生を終えた。それは安全な暮らしではあったろうが――彼にとって幸せだったのかは、分からない。
レヴィは小さな亡骸を庭に埋めた。墓標代わりに、彼が生前好きだった向日葵の種を蒔いた。
これから何度夏が巡っても、彼との日々を忘れずにいられるように。
「……おい、退いてくれ。重い」
レヴィは窮屈な肺を動かし、ここの家主へ勧告する。
「ふぁっ?!」
するとベヘモットは、不意を突かれたように顔を上げた。起きていたようだ。
整った顔が、間抜けな表情をしている。普段撫でつけている髪も、今はだらしなく乱れており――完全に油断していた様子だ。
レヴィは互いの顔の近さに、思わず視線を逸らした。
皮肉にも、目の前の金髪は……あのカナリアの羽毛の色に似ていた。光を透かし、輝く様子までそっくりだ。
しかし、カナリアと違って、この金色の存在は――檻の外側から、レヴィを見つめてくる奴なのである。
「……何してたんだ、私が寝てる間に」
レヴィは肘で身を起こしつつ尋ねる。
「べつに……何もしてないよ?」
ベヘモットは、小首を傾げキョトンとしている。
「いやしてただろ、現に今……!
私の胸を枕にするな!」
ベヘモットは、横たわるレヴィの腰に腕を回している。先ほども、あからさまに胸元へ顔を埋めていた。人間の男女なら、特別な関係でなければ許されない距離感だ。
「え~……だってレヴィのここ、すごくいい匂いするんだもん……♡」
ベヘモットは、へらりと笑うと……後ずさるレヴィへ、追い縋るように身を寄せてきた。鼻先を鎖骨へ近づけ、ドレスの布地を甘く食んで引っ張ってくる。まるでそのまま、脱がそうとするかのように。
「だから――……っやめろ!」
レヴィは身の危険を感じ、全力でベヘモットの肩を押し戻す。
「んん~……」
ベヘモットは残念そうな唸り声をこぼすと、気怠く身を引いた。レヴィも腕を盾にしつつ、乱れたドレスの襟元を直す。
「まだだめかぁ、ちぇー」
「まだって……貴様、何のつもりで……!」
レヴィは最悪な想像をして青ざめる。魔族に貞操を奪われるなど、彼らに対抗している魔術師としては、この上ない屈辱だ。
「ねぇねぇレヴィにゃん、それよりお腹空いてない?美味しいごはん買ってきたよー」
ベヘモットは立ち上がり、サイドテーブルのトレイの蓋を開けた。芳醇な香りが部屋中に広がる。
「その呼び方もやめろ……」
レヴィは何度目か分からない抗議をする。しかし、声に力はない。諦めと疲労が滲んでいた。
「あは、ごめんごめん」
ベヘモットは悪びれもなく謝りながら、レヴィのために料理を取り分けていく。
皿の上を見て、レヴィは僅かに眉を顰めた。
朝食には似つかわしくない豪華さ。まるで高級なコース料理を、コンパクトにまとめたかのような一皿。
メインには金箔まで振りかけられている。相変わらずの悪趣味さ。
「はい、あーん♡」
ベヘモットがカトラリーを持ち、レヴィの口元へ料理を運んでくる。子供扱いもいいところだが、抵抗する気力もない。
レヴィは仕方なく口を開けた。拒否すれば、もっと面倒なことになると理解してしまったからだ。
ベヘモットに無理矢理口移しされ、吐き戻せば風呂に連行され。つい数日前も、そんな散々な目に遭ったばかり。
「むぐ……」
レヴィの舌の上に広がる味は、認めたくないが絶品だった。素材の良さが際立ち、調理も完璧。
貧しくはなかったが……堅実な食生活を送っていたレヴィにとっては、縁遠い高級な味。
「美味しい?」
ベヘモットがワクワクした様子で尋ねてくる。金色の瞳が、期待できらきらと輝いていた。
「んん……まあ……」
レヴィは曖昧な返事で誤魔化す。
しかし、ベヘモットはつれない返事をされても笑顔を崩さない。むしろ、そんなレヴィの態度すら愛おしいと言わんばかりの表情。
「ねぇねぇ、レヴィってどんな食べ物が好き?」
新たな質問が飛んでくる。
「お肉は?何肉派っ?」
無邪気な問いかけに、レヴィもつい口が滑った。
「鶏肉……」
呟くように答えてしまう。脂の乗った濃厚な美味しさよりも、控えめで淡白な味をレヴィは好んでいた。
ベヘモットの出してくる料理。彼にとっての愛玩動物へ向けた『餌』は、確かに美味ではあったが――食べ続けると、少々胸焼けがしてくるような品々だった。
「鶏肉かあ!わかった!」
ベヘモットが軽やかに返事をする。その反応に、レヴィは即座に後悔した。
(しまった)
魔族の行動は、常に斜め上を行く。そして嫌味なほどの財力も惜しみなく使い、欲望を満たそうとする。豪華なインテリア、高級な食事、全てがそれを物語っていた。
もしも今日を境に、街の生鮮品店から鶏肉が消えたら?大きな養鶏場ごと買い上げられたら?
それは間違いなくベヘモットの仕業だ。そして間接的には、レヴィのせい……?ということになる。
罪のない街の人々が、魔族に振り回され混乱する姿が脳裏に浮かぶ。
「やっぱり撤回」
慌てて訂正する。
「そんなに好きではない」
「えーっ?」
ベヘモットが困惑したような声を上げる。もちろん深刻そうではなく、愛しのペットに可愛いわがままを言われた時の、どこか幸せな困り方。
レヴィは深いため息をついた。
(私も、もしかしたら……)
内心、自分も――この魔族と似たようなものだったのかもしれないな、と自省した。
カナリアを愛で、世話をし、制限の中で自由を与えて。そんな飼い主も裏では、当たり前のように鳥の肉を食べていた。
ブロイラーと愛しのカナリアは違うから、とでも言うように、都合の良い倫理観のもと――。
あのカナリアは、レヴィに撫でられると心地良さそうに鳴いてくれた。しかし、その本心はどうだったのだろう。檻の外を眺めながら、何を思っていたのだろう。
「こっちおいで」
食事を終えると――ベヘモットが手を伸ばし、レヴィを己の膝の上に抱き上げた。軽々とした動作は、まるでぬいぐるみでも扱うかのよう。実際、レヴィの重さなど、この魔族にとっては無いも同然なのだろう。
温かい膝の上に座らされ、背中から抱きしめられる。逃げ場のない肉の檻。
「あはは、レヴィ?ここ寝癖ついてる~、
かわい、いま綺麗にしてあげるね」
ベヘモットは囁くと、ブラシを手に取った。高級そうな獣毛製。優しい手つきで、レヴィの髪のブラッシングを始める。
黒髪が梳かれる度に、かすかな音が響く。寝ている間に軽く絡まった部分も、丁寧にほぐされていく。その手つきは、こちらへ痛みを与えないよう注意を払っているのが分かった。
レヴィは渋々、大人しくしている。
逃げれば追い回される。いや、より制限が厳しくなるだろう。今は、彼の半径から数メートル程度の自由が与えられているが――それがもっと、狭い範囲に縮められるかもしれない。
見えない首輪の鎖が、また一段と短くなる。その恐怖を思えば、髪を弄られるくらいは我慢できた。
「今日は何して遊ぼっか」
ベヘモットが楽しそうに話しかけてくる。ブラッシングする手を動かしながら。
「新しい彫刻が届くんだけど、一緒に見ない?」
返事を待たずに続ける。
「あ!それともお庭で散歩する?温室の場所、一緒に決めよっか」
選択肢を与えているようで、実際は何も選べない。どちらにしても、ベヘモットと一緒にいることに変わりはない。金色の籠の中で、飼い主の決めた遊びに付き合うだけ。
(あのカナリアも、こんな気持ちだったのだろうか)
レヴィは窓の外を見つめた。
幻影の空は今日も青く、偽物の雲がゆっくりと流れている。監禁されてから十日と経っていないはずなのに、本物の空の記憶が遠い昔に感じられた。
「よし。んーつやつや、完璧~」
ベヘモットが満足げに呟き、流れの揃った黒髪を指で持ち上げた。その仕草は、まさに飼い主が愛玩動物の毛並みを確かめるようなもの。
レヴィは目を閉じた。
抵抗しても無駄だと分かっている。この美しい魔族は、レヴィを決して手放さない。死ぬまで、この金色の檻の中で飼い殺しにされる運命。
それでも、心のどこかで諦めきれない自分がいる。いつか、この状況を打破する方法を見つけたい。自由を取り戻したい。
(でも、私はあのカナリアに自由を与えただろうか?)
苦い思いが胸に広がる。
結局、自分も同じ穴のムジナなのかもしれない。愛情という名の支配欲で、小さな命を縛り付けていた。そして今、同じように縛られている。
因果応報という言葉が、脳裏をよぎった。
「レヴィ?」
ベヘモットが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「どうしたの?具合悪い?」
優しい声。しかし、それは飼い主がペットの体調を気遣う声でしかない。
「なんでもない」
レヴィは静かに答えた。
胸の奥に、カナリアとの思い出を大切にしまいながら。
窓の外で、幻の小鳥が囀った。
それは本物ではないと分かっていても、レヴィの心をザワつかせる。かつて愛した、あの子の歌を思い出させる音色だった。
ベヘモットは、そんなレヴィの憂鬱をよそに、幸せそうに笑っていた。最愛の宝物を手に入れた収集家のように、満ち足りた表情で。
見せかけの朝の光が、二人を優しく包み込む。
美しく飾られた、広い広い籠の中で。
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