愛玩パラノイア 〜今世、飼うか飼われるか〜

BAD-FACE

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第9話 あの子の残り香

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ぴゅるるるり?

金の小鳥が、甘えた声で鳴いた。

小さな生き物の体温が、掌に伝わってくる。繊細な羽毛を指先で優しく撫でてやると、カナリアは心地良さそうに目を細めた。呼吸のたびに、胸元の羽毛がふくふくと広がる。

周囲には食い散らかされた餌が散乱していた。レヴィがわざわざ遠出して、専門店で買ってきたものだ。美味しそうなところだけを、好きなだけ啄ばんだ跡。レヴィは、後で掃除しないとな――と思いつつも、無邪気な同居人を愛おしく見つめた。

レヴィは思い返す。
この子と出会ったのは何年前だろう――
確か、当初はペットを飼う予定など全くなかった。

レヴィは合理主義の個人主義者。無駄を嫌い、効率を重んじる魔術師だった。動物を飼うなど、時間と金の浪費だとすら思っていた。


しかし……ある日、魔術師御用達の雑貨屋で。運命の出会いがあった。

いつも通り、必要な調合素材を手早く選び取っていたレヴィだったが――ふと足を止めた。

ぴぃぴぃぴぃ、ぴゅるるる。

まるで呼びかけるかのような、繰り返される鳴き声。

レヴィが振り向くと、声の主であろう――黄金色に輝く小さな鳥が。店先の籠の中で、ぴょこぴょこと尻尾を振りつつ、こちらを見つめていた。

「お嬢さん、そいつが気になるかい?」

店主もレヴィの視線に気づき、声を掛ける。

「カナリアだよ。可愛いだろ。
抜け落ちた羽は魔道具の材料になるし、低級魔族避けにもカナリアの鳴き声が良いんだよ」

「あまり聞いたことがないが……そういうものなのか」

少し眉唾物の売り文句。レヴィは興味なさそうに視線を逸らそうとした。しかし――

「それにな――ほら。高度な魔導薬の調合って、失敗しても気付きにくいだろ?組み合わせによっては……ヤバい副産物まで出るしな!たまに魔術師の不審死の知らせを聞くが、ありゃあ十中八九、調合失敗からの中毒死だね」

店主の声が、妙に真剣味を帯びる。

「コイツは人より繊細だ。毒に反応すると、主人より先に倒れて危険を教えてくれるんだよ。まあ、ちぃと可哀想ではあるが――それでお嬢さんが命拾いするのなら、安いものじゃないか?」

レヴィは察した。

目の前のカナリアは、ハナからそういう用途で『使われる』ために売られているのだ。死をもって、術者を危険から守る生きた警報装置。炭鉱のカナリアと同じ役割を、魔術師の作業場でも果たすために。

(なんて残酷な……)

レヴィは鳥籠を見つめた。カナリアは無邪気に首を傾げ、レヴィの視線に応えるように――ぴゅぃっ、と小さく鳴いた。

その声は澄んでいて……生命力に満ちている。

「……そうだな。そいつ、貰っていいか?」

気づけば、レヴィは鳥籠を抱えて帰路についていた。

あのままでは、いつか他の魔術師に買われていっただろう。そして毒の犠牲になって、短い生涯を終えたかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなくなった。

レヴィはカナリアを家族に迎えた後も、彼の前では薬の調合を行わなかった。危険な薬品は必ず別室で扱う。カナリアのいる部屋は、常に清潔で安全に保った。

ただ、結界術の練習には少し付き合ってもらった。

(せめて、広い空間を飛ばせてやりたい)

近くの森には低級魔族も潜んでいる。どうなるか分かっていながら、無責任に放すわけにもいかない。

レヴィは……これから一生、自然には戻れないであろうカナリアを憐れみ、家の敷地と外とを区切る結界を作った。

そして時折、庭先で彼が羽を伸ばせるようにしてやった。鳥籠に押し込め続けて、ストレスが溜まらように。

さほど遠くへは行かせてやれないが、青空の下を舞うカナリアを見ていると――レヴィも晴れやかな気持ちになった。

いつしか、レヴィは今まで用の無かったペット用品専門店にも、度々立ち寄るようになっていた。

(これ……あの子が喜ぶだろうか?)

そう思って――少し高い飼育用具を揃えたこともある。輸入品の種子に、新鮮な野菜、安全な玩具。更に大きめの鳥籠。

カナリアは飽きっぽい性分なのか、目新しいものを与えても……しばらく遊ぶと玩具を放り出し、レヴィの服のボタンをつついたり、嘴で袖を啄んだりしていた。

しかし、そんな悪戯好きな性格すら、レヴィにとっては可愛く思えた。ひたすら構って欲しがる甘えん坊。

カナリアは、雛の頃から挿し餌をしないと、手乗りにはならない――と聞いていた。だが彼は他より人懐っこいのか、しばらくするとレヴィの指や肩にも登ってくるようになった。

彼はいつも、無垢な瞳でレヴィを見てくる。

そしてレヴィは、前より魔族狩りの仕事を増やすようになっていった。もちろん魔術師として、研究資材のため……という名目も存在したが。

本音は違った。

魔族を一体倒すたびに、カナリアにより贅沢な暮らしをさせてやれる。高くて美味しそうなおやつ。凝った新しい玩具。もっともっと大きな鳥籠――。

カナリア本人が望んだわけでもない。
しかし、自分が彼に何かを与えられている、という充足感。それは……孤独なレヴィにはてきめんに効く、ある種の癒しとなっていた。

この子のためなら、危険な仕事も苦ではない。

カナリアがレヴィの指先に止まった。小さな足の爪が、優しく肌を掴む。そしていつも通り、甘い声で囀り始めた。まるで、レヴィに何かを伝えようとするかのように。

彼の言葉は分からない。

それでも、レヴィは彼の背に顔を寄せた。

お日様の香り。

いや、それだけではなくて――優しくトーストしたパンのような。温かい、ほっとする匂い。

「君は……どうして、こんなにいい匂いがするんだろうな……」

レヴィは目を細めた。カナリアの羽毛が頬を撫でる。胸がじんわり温かくなる。

そして――


目を開けると。

淡い金色が、呼吸に合わせ……レヴィの胸元で揺れていた。

身体が重い。それもそのはず、大の人間の男……の、姿をした魔族が。レヴィの胴の上に覆いかぶさるように寝ているのだ。

ベッドに横たわったレヴィの胸の上へ、ベヘモットは無遠慮に顔を突っ伏していた。彼が深い呼吸をするたびに、生温かい吐息が当たって暑苦しい。

……懐かしいカナリアとの再会は、ただの夢だったようだ。

現実に引き戻され、レヴィは深いため息をついた。全身を包む脱力感。それは失ったものへの郷愁か、それとも現状への絶望か。

(そうだ、あの子は……)

レヴィは思い出す。カナリアは鳥としての天寿を全うし、レヴィが丁重に埋葬したのだ。それも約一年前の話。

ある朝、いつものように餌を替えに行くと、止まり木の下で動かなくなっていた。毒で死んだのではない。老衰だった。

人間の支配下。狭い檻の中で、短い一生を終えた。それは安全な暮らしではあったろうが――彼にとって幸せだったのかは、分からない。

レヴィは小さな亡骸を庭に埋めた。墓標代わりに、彼が生前好きだった向日葵の種を蒔いた。

これから何度夏が巡っても、彼との日々を忘れずにいられるように。

「……おい、退いてくれ。重い」

レヴィは窮屈な肺を動かし、ここの家主へ勧告する。

「ふぁっ?!」

するとベヘモットは、不意を突かれたように顔を上げた。起きていたようだ。

整った顔が、間抜けな表情をしている。普段撫でつけている髪も、今はだらしなく乱れており――完全に油断していた様子だ。

レヴィは互いの顔の近さに、思わず視線を逸らした。

皮肉にも、目の前の金髪は……あのカナリアの羽毛の色に似ていた。光を透かし、輝く様子までそっくりだ。

しかし、カナリアと違って、この金色の存在は――檻の外側から、レヴィを見つめてくる奴なのである。

「……何してたんだ、私が寝てる間に」

レヴィは肘で身を起こしつつ尋ねる。

「べつに……何もしてないよ?」

ベヘモットは、小首を傾げキョトンとしている。

「いやしてただろ、現に今……!
私の胸を枕にするな!」

ベヘモットは、横たわるレヴィの腰に腕を回している。先ほども、あからさまに胸元へ顔を埋めていた。人間の男女なら、特別な関係でなければ許されない距離感だ。

「え~……だってレヴィのここ、すごくいい匂いするんだもん……♡」

ベヘモットは、へらりと笑うと……後ずさるレヴィへ、追い縋るように身を寄せてきた。鼻先を鎖骨へ近づけ、ドレスの布地を甘く食んで引っ張ってくる。まるでそのまま、脱がそうとするかのように。

「だから――……っやめろ!」

レヴィは身の危険を感じ、全力でベヘモットの肩を押し戻す。

「んん~……」

ベヘモットは残念そうな唸り声をこぼすと、気怠く身を引いた。レヴィも腕を盾にしつつ、乱れたドレスの襟元を直す。

「まだだめかぁ、ちぇー」

「まだって……貴様、何のつもりで……!」

レヴィは最悪な想像をして青ざめる。魔族に貞操を奪われるなど、彼らに対抗している魔術師としては、この上ない屈辱だ。

「ねぇねぇレヴィにゃん、それよりお腹空いてない?美味しいごはん買ってきたよー」

ベヘモットは立ち上がり、サイドテーブルのトレイの蓋を開けた。芳醇な香りが部屋中に広がる。

「その呼び方もやめろ……」

レヴィは何度目か分からない抗議をする。しかし、声に力はない。諦めと疲労が滲んでいた。

「あは、ごめんごめん」

ベヘモットは悪びれもなく謝りながら、レヴィのために料理を取り分けていく。

皿の上を見て、レヴィは僅かに眉を顰めた。

朝食には似つかわしくない豪華さ。まるで高級なコース料理を、コンパクトにまとめたかのような一皿。

メインには金箔まで振りかけられている。相変わらずの悪趣味さ。

「はい、あーん♡」

ベヘモットがカトラリーを持ち、レヴィの口元へ料理を運んでくる。子供扱いもいいところだが、抵抗する気力もない。

レヴィは仕方なく口を開けた。拒否すれば、もっと面倒なことになると理解してしまったからだ。

ベヘモットに無理矢理口移しされ、吐き戻せば風呂に連行され。つい数日前も、そんな散々な目に遭ったばかり。

「むぐ……」

レヴィの舌の上に広がる味は、認めたくないが絶品だった。素材の良さが際立ち、調理も完璧。

貧しくはなかったが……堅実な食生活を送っていたレヴィにとっては、縁遠い高級な味。

「美味しい?」

ベヘモットがワクワクした様子で尋ねてくる。金色の瞳が、期待できらきらと輝いていた。

「んん……まあ……」

レヴィは曖昧な返事で誤魔化す。

しかし、ベヘモットはつれない返事をされても笑顔を崩さない。むしろ、そんなレヴィの態度すら愛おしいと言わんばかりの表情。

「ねぇねぇ、レヴィってどんな食べ物が好き?」

新たな質問が飛んでくる。

「お肉は?何肉派っ?」

無邪気な問いかけに、レヴィもつい口が滑った。

「鶏肉……」

呟くように答えてしまう。脂の乗った濃厚な美味しさよりも、控えめで淡白な味をレヴィは好んでいた。

ベヘモットの出してくる料理。彼にとっての愛玩動物へ向けた『餌』は、確かに美味ではあったが――食べ続けると、少々胸焼けがしてくるような品々だった。

「鶏肉かあ!わかった!」

ベヘモットが軽やかに返事をする。その反応に、レヴィは即座に後悔した。

(しまった)

魔族の行動は、常に斜め上を行く。そして嫌味なほどの財力も惜しみなく使い、欲望を満たそうとする。豪華なインテリア、高級な食事、全てがそれを物語っていた。

もしも今日を境に、街の生鮮品店から鶏肉が消えたら?大きな養鶏場ごと買い上げられたら?

それは間違いなくベヘモットの仕業だ。そして間接的には、レヴィのせい……?ということになる。

罪のない街の人々が、魔族に振り回され混乱する姿が脳裏に浮かぶ。

「やっぱり撤回」

慌てて訂正する。

「そんなに好きではない」

「えーっ?」

ベヘモットが困惑したような声を上げる。もちろん深刻そうではなく、愛しのペットに可愛いわがままを言われた時の、どこか幸せな困り方。

レヴィは深いため息をついた。

(私も、もしかしたら……)

内心、自分も――この魔族と似たようなものだったのかもしれないな、と自省した。

カナリアを愛で、世話をし、制限の中で自由を与えて。そんな飼い主も裏では、当たり前のように鳥の肉を食べていた。

ブロイラーと愛しのカナリアは違うから、とでも言うように、都合の良い倫理観のもと――。

あのカナリアは、レヴィに撫でられると心地良さそうに鳴いてくれた。しかし、その本心はどうだったのだろう。檻の外を眺めながら、何を思っていたのだろう。

「こっちおいで」

食事を終えると――ベヘモットが手を伸ばし、レヴィを己の膝の上に抱き上げた。軽々とした動作は、まるでぬいぐるみでも扱うかのよう。実際、レヴィの重さなど、この魔族にとっては無いも同然なのだろう。

温かい膝の上に座らされ、背中から抱きしめられる。逃げ場のない肉の檻。

「あはは、レヴィ?ここ寝癖ついてる~、
かわい、いま綺麗にしてあげるね」

ベヘモットは囁くと、ブラシを手に取った。高級そうな獣毛製。優しい手つきで、レヴィの髪のブラッシングを始める。

黒髪が梳かれる度に、かすかな音が響く。寝ている間に軽く絡まった部分も、丁寧にほぐされていく。その手つきは、こちらへ痛みを与えないよう注意を払っているのが分かった。

レヴィは渋々、大人しくしている。

逃げれば追い回される。いや、より制限が厳しくなるだろう。今は、彼の半径から数メートル程度の自由が与えられているが――それがもっと、狭い範囲に縮められるかもしれない。

見えない首輪の鎖が、また一段と短くなる。その恐怖を思えば、髪を弄られるくらいは我慢できた。

「今日は何して遊ぼっか」

ベヘモットが楽しそうに話しかけてくる。ブラッシングする手を動かしながら。

「新しい彫刻が届くんだけど、一緒に見ない?」

返事を待たずに続ける。

「あ!それともお庭で散歩する?温室の場所、一緒に決めよっか」

選択肢を与えているようで、実際は何も選べない。どちらにしても、ベヘモットと一緒にいることに変わりはない。金色の籠の中で、飼い主の決めた遊びに付き合うだけ。

(あのカナリアも、こんな気持ちだったのだろうか)

レヴィは窓の外を見つめた。

幻影の空は今日も青く、偽物の雲がゆっくりと流れている。監禁されてから十日と経っていないはずなのに、本物の空の記憶が遠い昔に感じられた。

「よし。んーつやつや、完璧~」

ベヘモットが満足げに呟き、流れの揃った黒髪を指で持ち上げた。その仕草は、まさに飼い主が愛玩動物の毛並みを確かめるようなもの。

レヴィは目を閉じた。

抵抗しても無駄だと分かっている。この美しい魔族は、レヴィを決して手放さない。死ぬまで、この金色の檻の中で飼い殺しにされる運命。

それでも、心のどこかで諦めきれない自分がいる。いつか、この状況を打破する方法を見つけたい。自由を取り戻したい。

(でも、私はあのカナリアに自由を与えただろうか?)

苦い思いが胸に広がる。

結局、自分も同じ穴のムジナなのかもしれない。愛情という名の支配欲で、小さな命を縛り付けていた。そして今、同じように縛られている。

因果応報という言葉が、脳裏をよぎった。

「レヴィ?」

ベヘモットが心配そうに顔を覗き込んでくる。

「どうしたの?具合悪い?」

優しい声。しかし、それは飼い主がペットの体調を気遣う声でしかない。

「なんでもない」

レヴィは静かに答えた。

胸の奥に、カナリアとの思い出を大切にしまいながら。

窓の外で、幻の小鳥が囀った。

それは本物ではないと分かっていても、レヴィの心をザワつかせる。かつて愛した、あの子の歌を思い出させる音色だった。

ベヘモットは、そんなレヴィの憂鬱をよそに、幸せそうに笑っていた。最愛の宝物を手に入れた収集家のように、満ち足りた表情で。

見せかけの朝の光が、二人を優しく包み込む。
美しく飾られた、広い広い籠の中で。
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