水底からみる夢は

小雨路 あんづ

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第九話 旅籠

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 日の出とともに一つ目の鐘が鳴ったとき。ぱちっと目を開けて起きだしたアンルティーファに、フランは少し驚いた。親を亡くしたとはいえ、子どもが起きだすには早い時間だからだ。農村の人々だってもっと遅くに起きるだろう。あえて言うなら普通の奴隷も。せめて鐘二つの時間とかに。んーっと猫のように身体を伸ばしているアンルティーファにフランは問う。

「お前、起きるのが早くない?」
「そう? まあ確かに少し早いかも。ママがいなくなってからだいぶ眠れなくなっちゃったんだけど、昨日はフランのおかげでよく眠れたわ。ありがとうね」
「……別に」

 口ごもったフランのことなど気にしないで、御者台の下の収納スペースに折りたたんで最大限まで小さくしたなめし革の敷物と毛布をてきぱきと片付けて。アンルティーファは非常食であるビスケットを二袋馬車の横に括り付けた袋から取り出すと、きゅっと口を閉めてそれを一袋フランに渡す。それをさっさと荷台の横に括り付けた樽から木のカップで水を汲んで一緒に食して、昨日集めた薪を箱馬車の横にある袋に入れると御者台にのり込み馬に鞭をくれて出発した。

「今日中には旅籠につくと思うんだけど、どうしようかな。……無理はしなくてもいいわよね」
「はたご?」
「あ、きいたことない? えーっと。なんて言えばいいのかしら。……うん、とりあえず安全にとまれるところよ。ここなら盗賊とか野獣も気にしなくていいの」
「なら昨日も最初からそこに行けばよかったじゃない」
「旅籠はレーメの森を抜けたところからしかないのよ」

 本来であればレーメの森は早朝に出れば夕方前には通り抜けられる距離なのである。それをできなかったのは、少しでもフランを値切るためにと頑張ってしまったせいであり。それをフランに伝えられないアンルティーファは困ったように笑った。
 旅籠とは町や定住している人々の言葉なら旅館と言い換えてもいいかもしれないが、旅人にとってそれは違う意味になる。灰色の石で壁を高く高くつくり、真四角に積み上げただけの砦だ。屋根は石の屋根で真四角の半分だけ覆われている。門の部分には鎖で操る上下式の鉄扉がある。その内部は広く、そこを収めている領主によって中の草まで取り払ってくれていたりそうではなかったりする。確か前に来たときは草が生えてなかった気がするから、ここの領主はとても親切な人だとルチアーナに言った記憶がある。まあ、いまは冬、草など生えてなかろうが。旅籠にも色々種類があって、馬車が三台しか置けないものから最大で十台置けるものもある。御者台の横にある隙間に入っている地図を閉じた足の上で開いて、旅籠の情報を見る。
 アンルティーファは王国の微細な地図を持っていた。旅には必要不可欠なものであるというのもそうだが、ルチアーナは特に地図を大切にしていたから。情報は必ず更新し、それを頼りに旅を続けていた。だからその旅籠の情報を見るために地図を開いたのだった。

「馬車が三台までしか置けない小さな旅籠みたいだから早く行かなきゃね。今日はここにとまりましょう」
「……好きなようにすればいいわ」
「うん、そうするわ」

 やがてお昼になるころにはレーメの森を抜け、アンルティーファは目の前に広がる大小さまざまな石と枯れた木のある荒れた街道を認めた。それがクローフィ街道だった。袖口のレースを揺らす風が急に吹き上げてくる。ここは山もない平地のため遮るものがなく風がそのままアンルティーファやフランを直撃した。それを少し行ったところに、今日目指している旅籠はあるのだった。
 日がかすかに傾くころにはようやく旅籠へとついた。アンルティーファは旅籠の奥、屋根があるところへと馬車をのり入れて御者台から降りると、急いで鉄の扉を閉めた。じゃないと野獣が入ってきたり、盗賊が紛れ込んできたりする可能性があるからだ。旅籠には鉄の扉がある。だから安全と言えば安全なのだが、逆に周りを取り囲まれてしまえば終わりである。そして昨日の焚火であまった薪を箱馬車の横についている袋から取り出すとマッチを使って火を焚いた。焚き火の近くになめし革の敷物を敷いてそこにフランを座らせると。

「そうだ、フランちょっと待っててね」
「なによ?」
「ふふー、いいものあげる!」

 無邪気な子どものように笑って、アンルティーファは馬車の中に入っていった。それを焚き火のぱちぱちとはじける音ともにゆっくり待っていれば、十分くらいしたとき、アンルティーファが出てきた。その小さな手にはなにかをのせて、そこからなにかがだらんとたれているのがわかる。
 たんたんっと勢いよく馬車から飛び降りてきたアンルティーファに言われるままに手を差し出したフランのほっそりした革手袋のはまった手に、駆け寄ってきたアンルティーファはそれをのせた。
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