水底からみる夢は

小雨路 あんづ

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第十八話 休憩

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 次の日は、昨日一日中降っていた雨なんて忘れたかのように快晴だった。
 朝方まで続いていた小雨に大気中の塵は洗い流されたらしく、空は高く澄んでいて。雨の名残は濡れた朝の生まれたての光に輝く旅籠の中の倒れ込んだ草と、鉄扉を開けた先にある軽くぬかるんだ土だけだった。この土地は相当水に乾いていたらしく、昨日あれほどに降っていた雨でこの程度のぬかるみだとはとアンルティーファは驚いたのだ。ビスケットと樽に入れてから時間が経っているため木の香りがうつってしまった水を呷って胃の中で膨らませると、アンルティーファは横にフランをのせて馬に鞭をくれ、旅籠を出たのだった。
 その後、三日間はフランの出る幕はなかった。つまり野獣にも盗賊にも襲われない安全な旅ができたということである。
 クローフィ街道の王都よりの部分には林がある。アンルティーファは地図に書かれたそのことを知っていて、それとあと一日で王都にたどり着くとわかっていた。それでも残り少なくなってきた水に心配を隠せなかったが、それもフランの一言で解決した。いくらアンルティーファが子どもだとは言っても水を消費する量は大人と変わらないのである。

「川かしら? 水の匂いと流れる音がするわ」
「川? きれいなお水?」
「わからないわ。行ってみればいいじゃない」
「ええ、それもそうね」

 道のわきに連なる林の中、左の方向をなにかを見透かすように目を細め耳をぴくぴくと動かすフランに元気よく返事をして。アンルティーファは手綱をひいて林の中にある程度拓けた道があることに気付き、そこを伝って馬を走らせたのだった。
 道の先にあったのは澄んだ湧き水から細い川になっていた。林の中なのにそこはある程度拓けていて、焚き火をした跡……組まれた薪の燃えかすにここは誰かほかの人も使っていたことを知る。アンルティーファはそこに馬車をのり入れると箱型馬車から降り馬を木につないで、箱型馬車の荷台につけた樽に水を補給するため御者台の下にあった小さなバケツにせっせと湧き水を汲み。何回も何十回もかけてようやく樽を水でいっぱいにした。とりあえず、これで数日は持ちそうだとほっとして、次に馬たちにも水をやるため細く川になっている部分に馬たちを連れて行って水をやった。それから荷台につけた袋の中から木のカップを二つ取り出すと、新鮮な湧き水をすくい入れる。御者台で暇そうに足を組んで膝に肘をつきその様子を見ていたフランへと渡すため、両手にコップを持ちながら駆けよった。自分に向かって駆けよってくるアンルティーファに、目をやるフラン。アンルティーファはそんなフランに笑顔ではいっと腕を伸ばして湧き水の入った木のカップを渡した。なんとはなしに太陽の位置を確認したら、ちょうど休憩の時間だったのである。
 渡されたカップを持ってなんとなくぼーっとしていたフランの横に、アンルティーファは駆けあがってくる。そしてカップを口元に持っていき傾けると。新鮮な水の味がした。しかも冬のためかきんっと冷え切っていて、喉を伝っていく時の清涼感が美味しい。両手でカップを持って勢いよく飲むアンルティーファの横で、フランもカップの中の水かさを減らしていた。別に喉が渇いていたわけではない。ただあんまりにもアンルティーファが美味しそうに飲むから、少し気になっただけだ。木の香りのついていない水は新鮮で、確かに美味しかった。
 その日は林で薪を集めてから、旅籠へと向かった。今回は六台置ける中型の旅籠だったが、誰もいなくて鉄門を閉めた。
 そもそも、冬に旅をするというほうが珍しいのである。冬は凍死する可能性を考えて大抵の旅人たちは宿に泊まる。冬でも旅を続けるのは、宿に泊まるお金すらない者かよっぽども緊急な用事があるからか、行商人、もしくはただの酔狂だ。
 今夜は組んだ薪にマッチで火をつけて、簡単な野菜のスープを作る。今回もフランは肉の入っていない野菜スープ、アンルティーファは干し肉の入った野菜スープだ。それにビスケットと今日汲んできたばかりの水を木のカップに入れて、なめし革の敷物の上に座るフランに渡す。それを受け取りながらフランが皮肉気に言った。

「今日は豪勢ね」
「明日には王都に着くから。できるだけ食べものとか消費しておかないと新しいものが買えないもの」
「そう」
「明日、支配の首輪の暗証番号教えるわ。町に入ってから解放するから、奴隷商人に見つからないように気を付けて」
「どこまで本当かわかったものじゃないわ」
「こんなひどい嘘なんてつかないわよ。それにしても明日が楽しみだわ。これでフランとお友達になれるのね」
「……」

 ぱちぱちと燃える火を見ながら、フランは沈黙を落とす。別に一言も「解放されたら友達になる」とは言っていないのに、まるでなれるかのような明るい口ぶりだ。フランがアンルティーファの元から逃げることは考えていないのだろうか。その能天気な甘さに、あれほどの切絵を作る人物がこんなのとは思いたくなくて、フランはそっとため息をついたのだった。またせっせとアンルティーファが馬車の近く隣同士に二つのなめし革の敷物を敷き、隣同士で眠る。いつしか慣れてしまったその習慣に辟易しながらも、白いまぶたを閉じれば自然とやってくる睡魔に身を任せて、フランはアンルティーファの横で眠りについたのだった。
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