YUZU

箕面四季

文字の大きさ
64 / 84

【もうひとつの願い事】

しおりを挟む
「え?」
 いきなり、サクッと別れを告げられ、我に返った柚樹は「な!」と声を上げた。

 ママの身体の輪郭がゆらゆらと、真夏のアスファルトみたいにぼやけ始めている。

「な、なんで?」
「奇跡は長くは続かないものよ」とママがいつものウィンクをする。

「で、でもいきなりすぎるだろ! だってさっきまで」
「たぶん、願い事が叶ったせいじゃないかしら」

「それにしたって!」
「絶対に叶わないはずの七夕の願いを、この木は叶えてくれたのよ。きっと、柚樹が水やりをして大切に育ててくれたおかげね。ありがとう」
 そう言って微笑むママが、陽炎みたいに揺らめいている。

 そんな。そんな、そんな、そんな。柚樹の頭はパニックで真っ白になった。

「な、なんとかなんないのかよ!」
「なんともなんないわねー」

「ど、どうしよう。どうしたら」
「もう~、落ち着きなさいよ」

「つか、なんでキャベツ丼なんか作ったんだよ! あれ、作んなかったら」
「作っちゃったもんは仕方ないじゃない。柚樹だって美味しいって喜んでたくせに」

「それは……てゆーか、なんで、そんな、のほほんとしてるんだよ!」
「焦ったところで、どうにかなるわけじゃないもの」

「まだ間に合うかもしれないだろ! な、なんとかしなきゃ。なんとか、なんとか」
「もう~、なんともなんないんだから、焦ったって仕方ないわよ。それより、消えるまで私と」

「ママはオレと一緒にいられなくてもいいのかよ!!!」

 怒鳴った柚樹に驚いて、ママのふざけた笑顔が凍り付いていく。

 激しい怒りが込み上げていた。
 いつか経験したことのある、酷い息苦しさを柚樹は感じていた。

 どうにもできないことへのもどかしさが、黒い塊になって心臓を埋めつくしていく。

 心がズキズキして、怒らずにはいられない。
 怒鳴らずにはいられなかった。
 何に怒っているのか、自分でもよくわからなかった。

「ママはそれでいいのかよ!!」
 柚樹の怒りを受けて、ママの顔が歪む。

「そんなわけないじゃない……だけど」
「いかないでよ」
 柚樹はこぶしを握り締めた。

「柚樹……」
「やっと会えたと思ったら、お別れなんてひどいじゃん」

「……」
「ずっと一緒にいてよ」

「……」
「もういなくならないでよ」

「……柚」
「オレだって」
 喉の奥に焼石がつっかかったみたいに熱かった。苦しさにぎゅっと、目をつぶる。

「オレだって」
 何が言いたいのか自分でもわからない。ただただ、楽しかったママとの思い出とママの笑顔が強く閉じた瞼の裏で繰り返し再生されて。

 ママと一緒にいたい。だってママはオレの……

「オレだって、みんなと同じように、本物のお母さんと一緒にいたいんだよ!!」

 叫んだ声が、冷たい夜の静けさに溶けていった。
 あの強風が止んでから、ここはずっと凪いだままだ。しんと、深く冷たい夜の幕が下ろされている。

 さっきまで何とも思わなかった静寂が、恐ろしい死を連想させる。
 痛くて苦しくて、嫌な記憶が蘇った。
 
(そうだった。柚の木に、オレは願ったんだ)

『ママにあえないなら、ママのこと、わすれさせてください』

 絶対に思い出したくなかったママのお通夜の記憶まで浮かびそうになって、ぱっと目を開いて夜空を仰いだ。
 相変わらず、嘘みたいに美しい星空と猫の目みたいな月が輝いていた。

「……本物、か」
 呟いたママが、柚樹をじっと見つめている。

 その時、消えていた風がひゅるりと舞い戻って、二人の間を抜けていった。柚の木の葉が、ざわざわと奇妙に揺れて音を立てる。

「それなら」
 ほわんと白い息を空に溶かしながら、ママが微笑んだ。

「それなら、赤ちゃんを殺しちゃおうか」

 ママは、にっこり微笑みながら確かにそう言ったのだった。
 
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。 かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。 44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。 小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。 一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。 ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

✿ 私は夫のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...