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麗しの碧ちゃん

モンシロチョウと金ぴかのキーホルダー

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 ふわふわと、心地よい風が吹いていた。

 田んぼのあぜ道にちょこちょこっと咲く黄色いタンポポが、春の日差しを受けて黄金に輝いている。
 ひらひらと、二匹の白いモンシロチョウがその周りで追いかけっこをしていた。

 くるくる回って、上に舞い上がって、土手のシロツメクサに留まって、また、舞い上がる。
 ぴったり息が合っている。

「友達かなぁ」
 ほたるは呟いて、大きな赤いランドセルの肩ショルダーをぎゅっと握りしめた。
 土手のあっちでもこっちでも、モンシロチョウは二匹一組で楽しそうだ。

 のほほんと楽し気なモンシロチョウたちを眺めていたら、なんだか惨めな気持ちになってきた。
 モンシロチョウにだって友達がいるのに、どうしてあたしには友達ができないんだろう。

『あの子、創研幼稚園の落ちこぼれなんだってぇ。頭が悪すぎて、エスカレーター式の創研小学校落ちちゃったんだってぇ』
『かわいそう~』

 休み時間のひそひそ話を思い出した途端、胸がチクチクした。

「ええ~い!! 仲良しするなー」
 両手をグーにして、ぐるぐる振り回しながら、モンシロチョウたちを蹴散らして、八つ当たり。
 全身の力を両手に込めてぐるんぐるん回していたら、ぼこんっと、何かにぶつかってしりもちをついた。

「あ! ごめんね、大丈夫?」
 慌てたように差し出された手は大人の手。見上げると、この辺では見かけない、上品な感じの女の人が、ほたるを見降ろしていた。

「ごめんね。私、ちょっと、ぼおっとしてたみたい。痛くない? ……あら、あなたもしかして」
 夢から覚めたばっかりみたいな、とろんとした目が、ふと大きくなる。

 なんだろう、と不思議に思うほたるを「よいしょ」と、女の人が引っ張り上げてくれた。
 見ればお腹に赤い抱っこ紐をつけていて、そこから作り物みたいな手足がのぞいている。

「赤ちゃんだぁ」
 思わず感嘆すると「今寝てるの」と、女の人……赤ちゃんのお母さんが前かがみになって、抱っこ紐の中身を見せてくれた。

 真っ黒い頭もお人形みたいに小さい。
 顔はお母さんの胸にうずまっていて見えないけれど、全体的にちっちゃくて、なんか可愛い。

「ちっちゃーい。可愛い~~」
「モンシロチョウで言ったら、青虫ね」
 ほたるはギクリとなる。

(モンシロチョウに意地悪してたの、見られてたかも)

「ごめんなさい! もう、モンシロチョウにいじわるしません」

 慌てて謝って、恐る恐る、赤ちゃんのお母さんを見上げる。お母さんは、勝気そうな大きな瞳を一瞬丸くして、ぷっと、噴き出した。

「あら、モンシロチョウにいじわるしてたの? 小学生は、いろいろ悩ましい時期なのね」

(気づいてなかったのに、言っちゃった)
 失敗した! と、俯いたほたるの頭を、ふふっと赤ちゃんのお母さんは、優しく撫でてくれた。

「きっと、この子も、あなたみたいにいろいろ悩んで経験しながら、脱皮していくのね」
「脱皮?」
 コロコロと、鈴の音みたいに弾む声だった。

(なんか、すごく楽しそう)
 地面の石ころに目を落としながら、お姉さんみたいなお母さんだなぁと思う。

 うちのお母さんとは大違い。

 優しくて、上品で、すごく若い。こんな人がお母さんなら、みんなに自慢できちゃうな。
 ちりん。と、今度は、本物の鈴の音が響いた。
 顔を上げたら、赤ちゃんのお母さんが、小さな鈴の付いたキーホルダーを揺らして笑っていた。

 ほたるの目は、キーホルダーのチャームにくぎ付けになった。
 金色にピカピカ光る、不思議な形のチャーム。アーモンドとかピーナッツに似ていて……

「あ! もしかしてこれ、チョウチョの蛹?」
 よく知っているアゲハチョウの蛹よりもずんぐりしているけれど、たぶん、何かのチョウチョの蛹じゃないかな。
 もちろん、本物じゃなくて作り物だけど。
 だって、うららかな午後の日差しを受けて、金ぴかに透き通って輝いているんだもん。
 宝石みたい。すっごくすっごく綺麗。

「これはね、蛹の殻なのよ」
「蛹の殻? 抜け殻ってこと?」

「抜け殻ではないけれど、今は中身が入っていないの。このキーホルダーは、蜻蛉さんに作ってもらったのよ」
「え? ひいじいじが作ったの??」
 こんな素敵なキーホルダーを? あのひいじいじが??

 赤ちゃんのお母さんは、好奇心旺盛な黒めがちの瞳でにこりと笑ってから、抱っこ紐の中の赤ちゃんの頭を愛おしそうに撫でた。
 とってもとっても大切な宝物を触るみたいに。

「このキーホルダーに、私の一生分の愛情をたっぷり込めたの。いつかきっと、この子に必要な時が来るわ」
「必要な時?」
 蛹の抜け殻のキーホルダーが、赤ちゃんに必要?

 意味が分からなくて首を傾げたほたるを可笑しそうにのぞき込み、赤ちゃんのお母さんは言った。

「知ってる? チョウチョってね、蛹の殻の中で、イモムシの身体をドロドロに溶かして液体になるんだよ」
「ど、ドロドロの液体に?」
 蛹の中でイモムシが溶けていくところを想像したら、ぶるっとなった。

「そう。どうしてだと思う?」
「どうして……」
 ふっと、クラスメイトの女子の意地悪な声が湧いてきた。

『あの子ねー、わたくしりつよーちえんで失敗しちゃったから、リセットするために、こーりつしょーがっこーに来たんだってー。うちのママが、可哀想だから仲良くしてあげなさいって言ってたよー』

 そっか。
 気持ち悪いイモムシは、失敗なんだ。

「失敗をリセットするため? あたしと同じで」
 ほたるの解答がよっぽど意外だったのか、赤ちゃんのお母さんは、大きな目をもっと大きく見開いた。

 ふわり。

 その時、ほたると赤ちゃんのお母さんの間を、見たこともない大きなチョウが、優雅に通り抜けていった。

 真っ白い絵の具に、水色と黄緑色の中間みたいな色を淡く重ねたような、幻想的な色合いのチョウチョが、たなびくように、飛んで行く。
 時間がスローモーションで流れたみたいに思えた。

 赤ちゃんのお母さんが、うっとりと、呟いた。

「ルナモスだわ」
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