上 下
83 / 97
ひいじいじの来客

交錯

しおりを挟む
 シューーーーーー。
 ヤカンのお湯が沸くような音がして、ひいじいじの部屋の景色が丸く、黒く、しぼまっていく。
 黒く塗りつぶされた円の外から、細い金色の糸の束が無数に現れた。
 それらは、ものすごいスピードで、うにょうにょと赤ちゃんの優太君に向かって、伸びてくる。

「掛けまくも畏き伊邪那岐大神~、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に~、御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等~、諸諸の禍事罪穢有らむをば~、祓へ給ひ~清め給へと~白す事を聞こし召せと~、恐み恐みも白す~」

 きゅっっっっつ!!!!!

 金色の細い糸の束が抱っこ紐に触れる直前。

 それらが甲高く鳴いて、潮が引くように、サーと、黒い景色の中に戻っていく。
 
 残されたのは、静寂。
 宇宙に放り出されたみたいに息苦しい無音が続く。

 それを破ったのは、ひいじいじの声だった。

「大原や~てふの出て舞う~朧月~」

 圧縮された景色の真ん中で、小さな小さなエメラルドグリーンの閃光が音もなく爆発した。
 それは化学反応のように激しく狂暴な光を溢れさす。
 ぎゅっと目を閉じても、瞼を貫いて眩しい光が強く白くつき刺さってくる。
 白、白、白……。
 
 劇的な光が通り過ぎると、今度は夏の早朝のような、からりと清涼な風が頬をなでた。
 生命力がみなぎるような、雑草の瑞々しい匂いが鼻孔をかすめ、ほたるが恐る恐る目を開けると、そこは、実家近くの田んぼのあぜ道のようでもあり、神明山の森の中のようでもあり、夏の高原にも、住宅地の合間の草ぼうぼうの空き地のようにも見える場所だった。
 東の空には、明るく白っぽい太陽が昇り始めている。
 あと一時間もすれば、セミが鳴きだしそうな、暑さを予感する太陽だった。
 
「ま、ママ?」

 近くで、優太君のかすれた声がした。
 細いつり目をこの上なく丸くして、茫然と見上げる優太君の目線の先で、抱っこ紐を付けた優太君のお母さんが、柔らかい微笑を優太君に注いでいた。

 ほたるには、二人の視線が交わっているように見えた。

 優太君のお母さんが、優太君に何か話しかけている。
 けれども声は、音にならなかった。

 自分の唇を触って、残念そうに笑った後、優太君のお母さんは、優太君に向かって、満面の笑みを浮かべた。

 そよ風のように、優しく、優しく、優太君の髪を撫で……消えたのだった。

しおりを挟む

処理中です...