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素質ある子
禍福は糾える縄の如し
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向尸井さんが、ピンセットを内ポケットにしまいながら、ついで話のように口を開く。
「喜怒哀楽の感情を持つ生き物が、辛く悲しい経験を一度もせずに生涯を終えることは不可能だ。また、個々の不幸の大きさを他者が推し量ることも難しい。陽の感情はわかりやすいが、陰の感情は得てして複雑なんだ。些末な事と他者が軽くとらえる出来事が原因で、自ら命を絶つ者もいる。反対に、1000人が1000人、死ぬほど辛い不幸と捉える出来事に見舞われた者が、その不幸を受け入れ、あるいは乗り越えて、命を輝かせることもある。とにもかくにも、辛く哀しい不幸な過去をなかったことにすれば、今の自分はいないんだよ。不幸な過去も、その時に生まれた陰の感情も、全てが現在の自分につながっているんだ」
『ほっちゃん、禍福は糾える縄の如しじゃよ。悪いことといいことは順番こじゃ』
ふと、ひいじいじがよく言っていた言葉が浮かんだ。
小さなほたるにはうまく意味を飲み込めなかったけれど、もしかしたら今向尸井さんが言ったことを、ひいじいじは言いたかったのかもしれない。
(そういえば、最初にアキアカネさんに会った時、禍福は糾える縄の如しの話をしたのよね。アキアカネさんは、知人もそんなことを言っていたって話してたけど)
今思えば、あれはひいじいじのことだったんだろう。
あの日、アキアカネさんに『随分と珍しい虫をお持ちですね』と呼び止められたのが、全ての始まりだった。
ほたるはその時、まだ体内に宿るむしのことを知らなくて、『虫』ではなくて、『石』のことだと考えた。
アキアカネさんが指した胸元には、篤からもらったフローライトのネックレスが輝いていたから。
ん?
ほたるは自分の胸元を触る。
あるはずのものがなくて、しっくりしない自分の身体。
(…………)
「ああ~~!!」
青天の霹靂!
目から鱗!!
「お、お前、いきなり大声出すな!」
気が付けば、向尸井さんが心臓を押さえて1メートルほど後ずさっていた。
(もしかして、あたしがむし屋に行けなくなったのって、フローライトのネックレスを付けてなかったからかも)
そういえば、むし屋でのアルバイト(見習い)が決まった後、ハイツに戻ったほたるは、篤からプレゼントされ、ずっと身につけていたフローライトのネックレスを外したのだ。
心機一転のつもりで。
「オレ、ちゃんと生きるっ! 夢も探すっ! そんで、嬉しいことも悲しいことも、たくさん経験して、栄養にして、いつか、すっげー綺麗なガになるっ!!」
運動会の選手宣誓さながらに優太君が叫んだ。びんびん壁が振動して、むし屋の店内に反響する。
ほたるが張り上げた声の三倍は大きなボリュームだ。
けれど、向尸井さんは文句を言わなかった。ふんわり口角を上げて、優太君を見ていた。
アキアカネさんが、苦笑する。
「少年、そこはガじゃなくて、チョウでいいんじゃないかい?」
「だって、ガとチョウってさ、陰と陽みたいじゃん。オレ、向尸井さんみたいに翳背負ってる男になりたいからさ」
「おお、わかるか? オレの魅力が。お前は見込みがあるな」
(向尸井さん、嬉しそう)
どこに、翳背負ってるんだろ。
「ついでに言うと、オレの守護神ルナモスだしな。昔っから、何故かよく、遭遇するんだよなー」
ニタニタと優太君が碧ちゃんを見ている。
「え? なに? どゆこと??」
さっぱりわけがわかっていないのは、どうやらほたるだけのようだった。
「喜怒哀楽の感情を持つ生き物が、辛く悲しい経験を一度もせずに生涯を終えることは不可能だ。また、個々の不幸の大きさを他者が推し量ることも難しい。陽の感情はわかりやすいが、陰の感情は得てして複雑なんだ。些末な事と他者が軽くとらえる出来事が原因で、自ら命を絶つ者もいる。反対に、1000人が1000人、死ぬほど辛い不幸と捉える出来事に見舞われた者が、その不幸を受け入れ、あるいは乗り越えて、命を輝かせることもある。とにもかくにも、辛く哀しい不幸な過去をなかったことにすれば、今の自分はいないんだよ。不幸な過去も、その時に生まれた陰の感情も、全てが現在の自分につながっているんだ」
『ほっちゃん、禍福は糾える縄の如しじゃよ。悪いことといいことは順番こじゃ』
ふと、ひいじいじがよく言っていた言葉が浮かんだ。
小さなほたるにはうまく意味を飲み込めなかったけれど、もしかしたら今向尸井さんが言ったことを、ひいじいじは言いたかったのかもしれない。
(そういえば、最初にアキアカネさんに会った時、禍福は糾える縄の如しの話をしたのよね。アキアカネさんは、知人もそんなことを言っていたって話してたけど)
今思えば、あれはひいじいじのことだったんだろう。
あの日、アキアカネさんに『随分と珍しい虫をお持ちですね』と呼び止められたのが、全ての始まりだった。
ほたるはその時、まだ体内に宿るむしのことを知らなくて、『虫』ではなくて、『石』のことだと考えた。
アキアカネさんが指した胸元には、篤からもらったフローライトのネックレスが輝いていたから。
ん?
ほたるは自分の胸元を触る。
あるはずのものがなくて、しっくりしない自分の身体。
(…………)
「ああ~~!!」
青天の霹靂!
目から鱗!!
「お、お前、いきなり大声出すな!」
気が付けば、向尸井さんが心臓を押さえて1メートルほど後ずさっていた。
(もしかして、あたしがむし屋に行けなくなったのって、フローライトのネックレスを付けてなかったからかも)
そういえば、むし屋でのアルバイト(見習い)が決まった後、ハイツに戻ったほたるは、篤からプレゼントされ、ずっと身につけていたフローライトのネックレスを外したのだ。
心機一転のつもりで。
「オレ、ちゃんと生きるっ! 夢も探すっ! そんで、嬉しいことも悲しいことも、たくさん経験して、栄養にして、いつか、すっげー綺麗なガになるっ!!」
運動会の選手宣誓さながらに優太君が叫んだ。びんびん壁が振動して、むし屋の店内に反響する。
ほたるが張り上げた声の三倍は大きなボリュームだ。
けれど、向尸井さんは文句を言わなかった。ふんわり口角を上げて、優太君を見ていた。
アキアカネさんが、苦笑する。
「少年、そこはガじゃなくて、チョウでいいんじゃないかい?」
「だって、ガとチョウってさ、陰と陽みたいじゃん。オレ、向尸井さんみたいに翳背負ってる男になりたいからさ」
「おお、わかるか? オレの魅力が。お前は見込みがあるな」
(向尸井さん、嬉しそう)
どこに、翳背負ってるんだろ。
「ついでに言うと、オレの守護神ルナモスだしな。昔っから、何故かよく、遭遇するんだよなー」
ニタニタと優太君が碧ちゃんを見ている。
「え? なに? どゆこと??」
さっぱりわけがわかっていないのは、どうやらほたるだけのようだった。
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