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素質ある子

蝶の羽

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 頭の中で優太君のお母さんが優しく笑っていた。
 子供の頃に出会った、優太君のお母さん。
 二匹のモンシロチョウがくるくるとダンスを踊りながら飛び回る。

『リセットするため?』
 そう答えたほたるを優しく撫でて、まだ赤ちゃんの優太君を抱いた優太君のお母さんは言ったのだ。

『羽化が、楽しみね』

「羽化?」
 小学生に成長した優太君が、太い眉を寄せて繰り返す。
 ほたるはこっくりと、頷いた。

「うん。あたしが子どもの頃に出会った優太君のお母さんは、ひいじいじを訪れた直後だった。つまり、さっき、未来の優太君に出会った後の、優太君のお母さんだったの。あの時、優太君のお母さんはあたしに言ったんだ。『羽化が楽しみね』って」

 あれは、蝶が幼虫から蛹になるとき、蛹の中で液体になってしまうのはなぜか、という問いの答えでもあった。
 あの頃のほたるは、私立の幼稚園から、ぽつんと一人だけ公立小学校に入学して孤独だった。
 当時のクラスメイトは「幼稚園の失敗をリセットするために、ここへ来た」と噂していて、きっと、チョウチョも、うにょうにょの幼虫時代をなかったことにしたくて、リセットするために、ドロドロの液体になるんだ、とほたるは考えた。

 ほたるの答えを聞いた優太君のお母さんは「私はこう思うのよ」と、優しく笑った。

「チョウチョってね、同じ種類でも羽の模様が全部違うんですって。模様が全く同じチョウチョはいないの。たぶん、チョウチョは、子供時代に経験した、楽しいことや嬉しいこと、それから辛いことや、悲しいことを蛹の中で絵の具にするんじゃないかしら。そうして、自分だけの模様を作るの。ウキウキする気持ち、悲しい気持ち、切ない気持ち、それから、嬉しい気持ちと悲しい気持ちを混ぜこぜにして生まれた新たな気持ちなんかが複雑な色と模様を作っていくの。そうして自分だけの模様で彩った自慢の羽で、力強く飛んで行くのよ。だからチョウチョを見ると、私たちは綺麗だなって、思わず目で追ってしまうんじゃないかしら」

 ほたると目線を合わせてにっこり笑った優太君のお母さんは、秘密の宝物を打ち明けるように、大切に、大切に言の葉を結んだ。

「二人とも、羽化が楽しみね」と。

 あの言葉は、もしかしたら……
 小学生の優太君は、凛々しい太眉を寄せて「嬉しい気持ちと悲しい気持ちを混ぜこぜにして生まれた新たな気持ち……」と、繰り返していた。
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