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三章
三十一話
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ただし怨霊が優位を保てたのは、僅かな間だけだった。当初は有効だった大剣での攻撃も徐々に対応されていき、軽傷を負わせるのが関の山という状態となる。それにも拘わらず、馬鹿の一つ覚えのように同じ戦法が繰り返された。
悪狐は、勝利を疑わない。
危険な水準まで消耗している事にようやく気づいたのか、怨霊の動作に焦りの色が見え始める。掠りもしない剣撃が増えており、回避の失敗も目立ってきた。がら空きとなった腹部を突き刺さされると、怨霊が初めて声を出した。
「お前は誰かを殺す時、何とも思わない口か?」
この言葉を聞いた悪狐は、嬉しさのあまりニタァと顔を歪めた。
(霊力不足から、傷の治癒が遅れている。腹の穴も開いたままだ。唐突に喋り出したのも、どうせ時間稼ぎだろう)
刺さったままの爪に、一層の力が加えられていく。怨霊が話し出してから過ぎた短い間にも、霊力は回復し続けていた。その回復分を削ぐように、傷口が広げられる。
悪狐が、勝ち誇って喋り出す。
「何だ、今更命乞いか? これまでも虫ケラみたいに殺してきたし、これからもその積もりだ。それが、どうかしたか?」
この声を聞いた怨霊が、「だとよ」と何者かに話しかけた。「誰と喋ってんだ」と言って、悪狐が笑う。ニ体の化け物が優越感に浸った直後、悪狐の肩に亀裂が入った。最初に負わされた傷が、今頃になって開いたのだ。
「お前、殺し過ぎだよ」
更に、完治した筈の傷が次々と開き出した。
悪狐が、予想外の出来事に驚いて直ぐさま飛び退く。そして、状況をうまく飲み込めず、恐慌状態に陥ってしまう。
膨れ上がった不安や焦りから、一気に方を付けてしまおうと考えたが、刺すような鋭い視線を感じた。
(敵がいる正面とは、別の方向から見られている…)
しかも、ごく間近からだ。
視線を遡った先には、肩の傷口から飛び出している灰色の顔があった。
どう反応したらいいのか分からず呆然としていた悪狐が、蹴り飛ばされて地面を転がった。頭上から、冷厳とした声が降って来る。
「殺した者の魂。遺族の怨念」
その言葉の意味を理解する時間が、悪狐には与えられなかった。肩以外の傷口からも数多くの亡霊が飛び出して、自身の顔を覗き込んできたからだ。
亡霊達が絶叫する。際限の無い憤怒の叫び。それらを聞いていると、これまで行ってきた殺しの情景が、悪狐の脳裏に浮かび上がってきた。
怨霊の体に向かって、亡霊達が怒濤の如く押し寄せる。人格のない怨念すらも、その流れに加わっていた。灰色のそれらが黒い炎に触れると、自らの体も黒く染まり同化していく。
隻眼が、怪しく光り出した。
怨霊の霊力が一気に上がっていくのを、悪狐は感じ取る。そして、「解毒出来ていなかった?」と、逃避気味に独りごちた。今更ながらに反撃し始めるも、体が様々な不調をきたして思うように動かない。
怨霊に付けられた傷は、外見上治癒した様に見えても、完全には塞がっていなかった。その傷から体内に毒が侵入すると、まずは軽い麻痺などの自覚症状が出る。症状自体は一度消えてしまうが、それは完治したと騙すために他ならない。
蓄積した毒は、食われた所為で体内に拘束されている亡霊を探し出し、自由にして霊力を分け与える。そうして力を蓄えた亡霊達は、体内の霊力を根こそぎ奪うと、孵化するように体外へ脱出するのだ。
悪狐の体は、麻痺して動き辛くなった上に、霊力の回復量も激減していた。力なく爪を突き出すが、逆に胸を突かれてしまう。尚も組み付いて行動の自由を奪おうとしたが、腹を膝で蹴られて這いつくばった。
(毒が回った状態で、無闇に攻め続けるのは暗愚だ)
窮状に陥った原因を、直ぐにでも取り除かなければいけない。そういった緊急性については、悪狐自身もよく理解していた。だが、具体的な方法を何も思いつかないので、惰性でも動き続けるしか無かった。駄々をこねる子供のように、幾度も手を突き出し続ける。
怨霊がそれらを全て紙一重で避け、自身に迫る両腕を切り落すと、真っ黒な霊力が噴水のように吹き出した。
次に悪狐は、形振り構わずに逃げ回りながらも、何とか境界を破壊して外に逃げようとした。しかし、それを試みる度に、異界の真ん中へと投げ返されてしまう。怨霊が、みすみす逃がす筈もない。それでも即座に立ち上がって、醜態を晒し続けた。
命乞いをしても、効果が無いのは明白だ。皮肉にも今の悪狐の心境は、和義が死にもの狂いで逃げ回っていた時の心境と、全く同じものだった。
不意に、肩を掴まれた。そう認識した時には、悪狐の体が宙を舞っていた。下から何本もの剣が投げつけられ、容赦なく体を貫いていく。程なく地面に叩き付けられると、弱々しいうめき声を上げた。歩く事すらままならずに痙攣する姿は、風に吹かれるゴミ袋の様だ。
僅かな抵抗も許されず、地を這うだけの存在に向かって、怨霊がゆっくりと近づいていく。悪狐は、微かに残った霊力を、全て回復に当てていた。惨めに逃げ回りつつも時間を稼ごうとするが、執拗に追い立てられ、体の一部を削がれてしまう。それから、欠けた部位が再生するまで放置されて、またゆっくりと追かけ回された後、怨霊の気が向いた時に少しだけ切り取られた。
怨霊は、緩慢な追い駆けっこに飽きてしまった様だ。今猶、活路を開こうともがき続ける悪狐に対して、最後の言葉を投げかける。
「後悔しているか?」
「許し」
同時に発せられた二つの声が、合図となった。存在を維持するのに最低限必要な霊力が、悪狐の体から抜け出していく。やがてその力は、竜巻のような暴風となって、怨霊の掌に向かい始めた。
命乞いをする事すら許されず、だらしなく口を開いたまま地に伏せる悪狐。
灯滅せんとして光を増すように、霊気の渦が一時的に大きく膨らんだ。大剣を持った怨霊が、その螺旋の中を突き進む。前進する度に、恨みを持った亡霊達や怨念が、剣と一体化して絶叫を上げた。
止めの一撃が振り下ろされようとした時には、殆ど全ての力を吸い取っていた。敵から奪った力と怨霊自身の力が、死に体の化け物に襲いかかる。既に事切れる寸前だった哀れな狐は、自身が作り上げた怨毒の炎を、その身で受け止めた。
悪狐は、勝利を疑わない。
危険な水準まで消耗している事にようやく気づいたのか、怨霊の動作に焦りの色が見え始める。掠りもしない剣撃が増えており、回避の失敗も目立ってきた。がら空きとなった腹部を突き刺さされると、怨霊が初めて声を出した。
「お前は誰かを殺す時、何とも思わない口か?」
この言葉を聞いた悪狐は、嬉しさのあまりニタァと顔を歪めた。
(霊力不足から、傷の治癒が遅れている。腹の穴も開いたままだ。唐突に喋り出したのも、どうせ時間稼ぎだろう)
刺さったままの爪に、一層の力が加えられていく。怨霊が話し出してから過ぎた短い間にも、霊力は回復し続けていた。その回復分を削ぐように、傷口が広げられる。
悪狐が、勝ち誇って喋り出す。
「何だ、今更命乞いか? これまでも虫ケラみたいに殺してきたし、これからもその積もりだ。それが、どうかしたか?」
この声を聞いた怨霊が、「だとよ」と何者かに話しかけた。「誰と喋ってんだ」と言って、悪狐が笑う。ニ体の化け物が優越感に浸った直後、悪狐の肩に亀裂が入った。最初に負わされた傷が、今頃になって開いたのだ。
「お前、殺し過ぎだよ」
更に、完治した筈の傷が次々と開き出した。
悪狐が、予想外の出来事に驚いて直ぐさま飛び退く。そして、状況をうまく飲み込めず、恐慌状態に陥ってしまう。
膨れ上がった不安や焦りから、一気に方を付けてしまおうと考えたが、刺すような鋭い視線を感じた。
(敵がいる正面とは、別の方向から見られている…)
しかも、ごく間近からだ。
視線を遡った先には、肩の傷口から飛び出している灰色の顔があった。
どう反応したらいいのか分からず呆然としていた悪狐が、蹴り飛ばされて地面を転がった。頭上から、冷厳とした声が降って来る。
「殺した者の魂。遺族の怨念」
その言葉の意味を理解する時間が、悪狐には与えられなかった。肩以外の傷口からも数多くの亡霊が飛び出して、自身の顔を覗き込んできたからだ。
亡霊達が絶叫する。際限の無い憤怒の叫び。それらを聞いていると、これまで行ってきた殺しの情景が、悪狐の脳裏に浮かび上がってきた。
怨霊の体に向かって、亡霊達が怒濤の如く押し寄せる。人格のない怨念すらも、その流れに加わっていた。灰色のそれらが黒い炎に触れると、自らの体も黒く染まり同化していく。
隻眼が、怪しく光り出した。
怨霊の霊力が一気に上がっていくのを、悪狐は感じ取る。そして、「解毒出来ていなかった?」と、逃避気味に独りごちた。今更ながらに反撃し始めるも、体が様々な不調をきたして思うように動かない。
怨霊に付けられた傷は、外見上治癒した様に見えても、完全には塞がっていなかった。その傷から体内に毒が侵入すると、まずは軽い麻痺などの自覚症状が出る。症状自体は一度消えてしまうが、それは完治したと騙すために他ならない。
蓄積した毒は、食われた所為で体内に拘束されている亡霊を探し出し、自由にして霊力を分け与える。そうして力を蓄えた亡霊達は、体内の霊力を根こそぎ奪うと、孵化するように体外へ脱出するのだ。
悪狐の体は、麻痺して動き辛くなった上に、霊力の回復量も激減していた。力なく爪を突き出すが、逆に胸を突かれてしまう。尚も組み付いて行動の自由を奪おうとしたが、腹を膝で蹴られて這いつくばった。
(毒が回った状態で、無闇に攻め続けるのは暗愚だ)
窮状に陥った原因を、直ぐにでも取り除かなければいけない。そういった緊急性については、悪狐自身もよく理解していた。だが、具体的な方法を何も思いつかないので、惰性でも動き続けるしか無かった。駄々をこねる子供のように、幾度も手を突き出し続ける。
怨霊がそれらを全て紙一重で避け、自身に迫る両腕を切り落すと、真っ黒な霊力が噴水のように吹き出した。
次に悪狐は、形振り構わずに逃げ回りながらも、何とか境界を破壊して外に逃げようとした。しかし、それを試みる度に、異界の真ん中へと投げ返されてしまう。怨霊が、みすみす逃がす筈もない。それでも即座に立ち上がって、醜態を晒し続けた。
命乞いをしても、効果が無いのは明白だ。皮肉にも今の悪狐の心境は、和義が死にもの狂いで逃げ回っていた時の心境と、全く同じものだった。
不意に、肩を掴まれた。そう認識した時には、悪狐の体が宙を舞っていた。下から何本もの剣が投げつけられ、容赦なく体を貫いていく。程なく地面に叩き付けられると、弱々しいうめき声を上げた。歩く事すらままならずに痙攣する姿は、風に吹かれるゴミ袋の様だ。
僅かな抵抗も許されず、地を這うだけの存在に向かって、怨霊がゆっくりと近づいていく。悪狐は、微かに残った霊力を、全て回復に当てていた。惨めに逃げ回りつつも時間を稼ごうとするが、執拗に追い立てられ、体の一部を削がれてしまう。それから、欠けた部位が再生するまで放置されて、またゆっくりと追かけ回された後、怨霊の気が向いた時に少しだけ切り取られた。
怨霊は、緩慢な追い駆けっこに飽きてしまった様だ。今猶、活路を開こうともがき続ける悪狐に対して、最後の言葉を投げかける。
「後悔しているか?」
「許し」
同時に発せられた二つの声が、合図となった。存在を維持するのに最低限必要な霊力が、悪狐の体から抜け出していく。やがてその力は、竜巻のような暴風となって、怨霊の掌に向かい始めた。
命乞いをする事すら許されず、だらしなく口を開いたまま地に伏せる悪狐。
灯滅せんとして光を増すように、霊気の渦が一時的に大きく膨らんだ。大剣を持った怨霊が、その螺旋の中を突き進む。前進する度に、恨みを持った亡霊達や怨念が、剣と一体化して絶叫を上げた。
止めの一撃が振り下ろされようとした時には、殆ど全ての力を吸い取っていた。敵から奪った力と怨霊自身の力が、死に体の化け物に襲いかかる。既に事切れる寸前だった哀れな狐は、自身が作り上げた怨毒の炎を、その身で受け止めた。
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