薔花紅蓮伝

鶏林書笈

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 冥界の住人となった後も、薔花姉妹は俗世での汚名を雪ぐことを強く願い、夜な夜な鉄山郡の官衙に現われては府使(プサ・地方長官)に訴えた。だが府使は、そのたびに恐怖のため気を失ったり、或いは、それがもとで病になり世を去ることもあった。そのため、鉄山府使のなり手がいなくなってしまった。加えて相次ぐ凶作のため、住民たちもこの地を捨ててしまい、村々は日に日に寂れていき、中には廃村になるところもあった。
 こうした惨状は朝廷にも伝わり、王はたいそう心を痛めた。何かよい対策は無いものだろうかと臣下たちを集め下問したところ、鄭東鎬<チョンドンホ>という者が府使となり鉄山に赴くことを願い出た。彼は剛直で折り目正しい人物として評判だった。東鎬の言葉に王はたいそう喜び、御前に呼び寄せた。
「鉄山の件は難題で頭を痛めていたが、卿自らが志願し赴任するとのこと、誠に嬉しく思う。身辺には十分に気を付け、一日も早く民人の生活を安んずるように。」
 王から直々に言葉を賜わった東鎬は平伏したまま、ひたすら恐縮するばかりだった。
 御前を辞した東鎬は、その日のうちに鉄山郡へ下って行った。
 数日後、鉄山郡の官衙に到着した東鎬は、すぐに下吏(下級役人)を呼び下問した。
「聞くところによると、ここに赴任する府使は到着後まもなく死んでしまうと言うが真実か?」
「はい、その通りでございます。」
 怯えたような表情で応えた下吏は話を続けた。
「この五、六年というもの、赴任したその夜に皆さま亡くなってしまうのです……。」
 東鎬は眉をひそめたが
「そうか……。官衙の者たちに伝えておけ。今夜は一晩中明かりを灯し、不審番をするようにと。」
と命じた。下吏は退くと、さっそく他の吏員たちに新任府使の命令を伝えた。
 日が暮れ辺りが暗くなると東鎬は、官衙内にある府使の居所に入った。燈火を煌々とともした中で彼は「周易」を読んでいた。夜も更け、読書に疲れた彼は顔を上げた。すると何処からか冷たい風が吹き込み、一瞬めまいのようなものを感じた。これはまずいと思った
彼は気を引き締めた。そして背後に気配を感じた彼は後を振り向いた。そこには緑色の上着に紅色の下裳を身につけた美しい少女の姿があった。
「汝は何者か? 何用があってこんな夜更けにここに来たのか?」
 東鎬が穏やかな口調でこう訊ねると少女は、その場に平伏し語り始めた。
「私は、この村で座首をしている裴武龍の娘で紅蓮と申します。三歳の時に生母を亡くし、父親の庇護のもとで四歳年上の姉・薔花と共に支え合って暮らしてきました。その後、父は再婚しましたが、その相手は性格が険悪で息子を三人生んだのをいいことに、私たち
姉妹を蔑ろにしました。それでも私たちは孝養を尽くしましたが、継母の方は生母の残した財産を全て奪い取ろうと私たちを殺したのです……。」
 あまりの凄惨な内容に府使は「何ということだ!」と言おうとしたが、それを飲み込んだ。
 少女は引き続き、姉が継母の計略に掛かって池に身を投げ、自分自身もその後を追った経緯を述べた。
「……府使さま、どうぞ、姉の濡れ衣を晴らしてやって下さい。」
 こう話を結んだ紅蓮は、そのまま姿を消した。
― 鉄山郡の異変は、これが原因だったのか……。
 すべてを悟った東鎬は、夜が明けるとさっそく下吏を呼び、昨夜の紅蓮の話の裏付けを取り始めた。
「この村に裴武龍という座首がいるのか?」
「はい居ります。」
「その者には子女が幾人おる?」
「娘が二人いましたが早くに死んでしまい、今は息子三人のみです。」
「娘は何故死んだのか?」
「他人の家のこと故よく存じませんが、聞くところによると長女は罪を犯したため池に身を投じ、妹も後を追ったそうです。二人が身を投げた池の辺では、それ以後毎日のように姉妹が現われ、継母のために生命を失ったと泣きながら訴えているといいます。これを耳にして涙を流さぬ者はいないほどだそうです。」
 東鎬は、継母の犯行を確信し、すぐに裴座首夫婦を捕らえてくるよう命じた。
 東軒の正面に引き出された座首夫婦に、府使は尋問を始めた。
「汝には娘二人と息子三人が居るというが真実(まこと)か?」
「仰せの通りでございます。」
 座首は恐縮した口調で答えた。
「皆、息災か?」
「娘二人は病を得て死に、息子三人のみとなりました。」
「娘たちは何の病で死んだ? 正直に申せば生命は助けよう。偽りを申したなら杖刑に処す。」
 厳しい口調で言い渡された座首は、顔色を無くし一言も発せられなくなった。これを見た妻が代わって答えた。
「府使さまに、どうして偽りなど申せましょう。前夫人の娘のうち長女は身持ちが悪く不義を行なった末、堕胎までしてしまいました。私は長女に、このことが公(おおやけ)になった場合、家門に瑕(きず)がつくと、この道理を説いたところ、長女は恥じ入り罪を償うため池に身を投げました。次女も品行が悪く、姉がいなくなったのち、家を出てしまい、その行方は分かりません。」
 淀み無く話す許夫人に、府使の確信はますます深まった。
「堕胎をしたというが証拠はあるのか?」
 府使の下問を予想でもしていたように、夫人は懐から干涸びた丸っこい物を出してみせた。
 これを目にした府使は内心、頭を抱えてしまった。この物体の真偽の判断を下しかねたからである。東鎬は、取り敢えず座首夫婦を帰した。
 その夜、再び、紅蓮が姉・薔花を伴って東鎬の前に現われた。
「今度の府使さまは賢く勇敢な方だと思い、今度こそ私たちの汚名を雪いで下さると信じていましたのに……。」
 姉妹は、こう言うとその場に伏して泣き始めた。
「わしも、汝らは無実だと確信しておるのだが……。」
 慰める術も無い府使は、眉間に皺を寄せるばかりだった。
「府使さま、どうぞ、もう一度継母を呼び出して、証拠と称する物の腹を引き裂いて見てください。」
 涙混じりの紅蓮の言葉を耳にした府使の頭に閃くものがあった。
「分かった。明日、あの女の罪を必ず明らかにするゆえ、汝らは今しばらく待ってくれ。」
 これを聞いた姉妹は、泣くのを止め深く頭を下げて消えていった。
 翌日、府使は再度、座首夫婦を呼び付け、証拠物を提出させた。
府使は、下役人に命じてその腹を切り裂かせた。裂目からは鼠の糞がこぼれ出た。この光景に、その場にいた官衙の役人たちは一様に許夫人の奸計に怒りを覚え、同時に無実の罪を着せられたまま世を去った薔花姉妹に深く同情し、中には涙を流す者さえいた。
「罪も無い先妻の娘たちを死に到らしめ、国の法を軽んじ、お上まで謀ろうとは実に許し難いことだ。潔くその罪を認めすべてを白状せよ!」
 府使は厳しく一喝すると、娘たちの死を改めて悼んで涙を流していた座首が口を開いた。
「すべては私が至らぬゆえ起きたことでございます。死んだ先妻の遺言にも拘らず、後嗣(あとつぎ)を得んがため、このような奸悪な女を家に入れてしまい……。」
座首は続けて許夫人の奸計の一部始終を明らかにした。これを聞き終えた府使は、夫人を刑台に縛り付け杖(むち)を加えるよう命じた。杖の痛みに耐えかねるように夫人は話し出した。
「私の実家は名家でかつては相応の家産もありましたが、今ではすっかり没落してしまいました。そうしたところに裴座首の後妻の話があり、それを受けました。座首には、先妻との間に娘が二人いましたが、いずれも立ち振る舞いが優雅で、私は実の子供たちと分け隔て無く育てました。しかし、成長するに従い反抗的になり、私の言うことなど全く聞かなくなりました。そんなある日、娘たちの話しているのを偶然耳にしたところ、何とそれは私を追い出す相談でした。びっくりすると同時に怖くなった私は、止むを得ず夫を騙し、長女が堕胎したように見せ掛けて死なせました。そして次女も、その後を追うように仕向けました……。」
 あくまで悪いのは薔花姉妹であると言い張る許夫人に、府使の怒りは限界に達し
「汝は、まだ偽りを申すか!」
と怒鳴り付け、より強く杖打つよう命じた。もはやこれまでと夫人も観念し
「娘たちに財産全てを取られるのが惜しくて死なせました。」
と白状した。そして
「このことに加担した息子チャンスェは、私が無理矢理手伝わせたのです。虎に魘われ身体を損ない、既に十分天罰を受けましたので、どうぞ、罪には問わないで下さい。」
と息子の命乞いをした。
 府使は、息子三人にも尋問をした。
「私たちには、もはや申し上げることは何もございません。ただ出来ましたら年老いた両親に代わって私どもが罰を受けたく思います。」 三人は口を揃えて言った。
「この件はわしの一存では決められぬ。」
 府使はこう言うと、上司にあたる監使のもとに使いを送った。報告を聞いた監使は「前代未聞のことだ!」とたいそう驚き、すぐに王に奏上した。
 上奏文を一読した王は、鉄山郡の姉妹の身の上に心を痛め、
「裴座首の妻の犯行は、凶悪この上も無いゆえ陵遲刑(八つ裂きの刑)に処し後日の教訓といたせ。長男チャンスェは絞首刑とし、座首は悔悛の念が強いため、その罪は不問とせよ。又、薔花姉妹のために鎮魂碑を建立せよ。」
と下命した。
 王命を受けた監使は、すぐに府使のもとに伝えた。府使は王命に基づいて許夫人及びチャンスェを処罰した。無罪放免となった座首に対しては次のように告げた。
「汝の思慮が足らなかったゆえに、奸女の計略に気付かず、罪も無い娘たちを死に到らしめたことは、本来、許されるべきことではない。だが、汝を処罰することは、娘たちも望まぬことであろうし、王命もあるゆえ、特に赦すことにする。」
 府使の言葉を聞き終えた座首は聖恩に深く感謝し、二人の息子を連れて帰宅した。
 翌日、府使は自ら官衙の役人たちを引き連れて薔花姉妹が身を投げた池に向かった。池の辺に着くと府使は池の水を汲み出させた。
間もなく二人の娘の死体が寝台に横たわっているような姿で現われた。その顔は少しも損なわれず、まるで眠っているように見えた。府使は、不思議なこともあるものだと思いながら、遺体を棺に納め、良地を選んで埋葬した。墓前には石碑が建てられ、次のように刻まれた。
『海東朝鮮国平安道鉄山郡、裴武龍女薔花紅蓮之不忘碑』
 それから数日後、夜更けに自分を呼ぶ声を耳にした府使は、そちらを向いた。そこには例のごとく薔花姉妹の姿があった。
「府使さまには、私たちの濡れ衣を晴らして頂き、埋葬までして頂いた上、父の罪は赦して下さり、本当に有り難く思います。何と感謝を申してよいのやら分かりません……。」
 謝意を述べて平伏した姉妹は続けて、
「賢明で勇敢な府使さまは、遠からず国の重要な御役目に就かれることでしょう。」
と予言めいたことを口にした。そして二人が下がる素振りを見せると、何処からか鶴が現われ二人を乗せると飛び去っていった。府使は、ここで目覚め、全てが夢であることに気付いた。
 その後、東鎬は順調に出世していき、その位は統制使にまで到ったと云う。
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