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許夫人が処罰され、娘たちが府使の手で手厚く葬られた後も、裴座首の心は晴れることはなかった。それどころか、娘たちに対する哀惜は日を追うごとに深まるばかりだった。娘たちの部屋に入るとその姿が浮かび、その声が聞こえてくるような錯覚にさえ陥った。
座首は出来ることなら、もう一度、薔花、紅蓮とこの世で父娘の縁を結び、今度こそ幸福な人生を送らせてやりたいと願ったが、家には亡き娘たちの供養どころか二人の息子の世話をする者すらいない有様だった。思案の末、座首は三たび妻を迎えることを決心し、尹光浩<ユングァンホ>の娘を娶った。
新妻は十八だったが、容貌と才質が非凡で性格も温和なため、座首は彼女のことがすっかり気に入り、二人は仲睦まじく暮らし始めた。
しかし、娘たちのことを忘れたわけではない座首は、彼女たちを思い出しては眠れぬことが幾晩もあった。そんなある夜、眠れぬまま伏していた座首の枕元に、きちんと正装した薔花姉妹が現われ
「お父さま、お久しぶりでございます。」
と平伏した。驚いて身を起こした父に向かって姉妹は言葉を続けた。
「御存知のように、私たちは幼いうちに母と死に別れ、その後も前世の罪ゆえか、邪悪な継母と巡り合い、濡れ衣を着せられたまま、お父さまと幽明を隔てなくてはなりませんでした。私たちは、こうした数奇な運命に耐え切れず、このことを玉皇上帝さまに申し上げました。すると上帝さまは“確かに汝らの身の上は哀れだが、これも運命というもの、恨むものではない。ただ、汝らの父親との俗世の縁はまだ尽きて無いゆえ、汝らは再び俗世に生まれ、それを全う致せ”と仰って下さいました……。」
これを聞いた座首は大喜びし、娘たちの肩を抱こうとした瞬間、一番鶏が鳴き、目が覚めた。
― 夢だったのか……。
座首は、ひどく落胆してしまった。
その日の昼下がり、新妻である尹夫人は夫に、昨夜不思議な夢を見たといって次のように告げた。
「……仙女が雲に乗って天から降りてきて、私に二輪の蓮の花を渡しながら“これは薔花、紅蓮という無実で死んでいった者です。玉帝陛下は、この二人を哀れに思われて夫人に授けるのです。大切に育ててあげれば、御家も繁栄することでしょう”と言ったのです。」
夫人は手にしていた蓮の花を夫に手渡した。
― あれは夢ではなかったのだ!
二輪の花を受け取った座首はこう確信すると、その表情は見る見る明るくなった。怪訝に思った夫人が
「いったい、薔花、紅蓮とは何者なのです?」
と訊ねると、座主は亡き娘たちについて一部始終話して聞かせた。そして
「わしも実は昨夜不思議な夢を見たのだが……。」
と薔花姉妹の夢についても話した。
「娘たちは、お前の腹から生まれ、そしてわしらは再び親娘の縁を結ぶのだろう。」
この言葉に夫人も笑顔を浮かべた。花瓶に活けられた二輪の蓮の花は芳しい匂いを放ち、座主夫妻は日々、それを愛でた。
間もなく夫人は身篭もり、月満ちて双子の可愛い女の子を産んだ。
夫婦は迷うことなく二人に“薔花”、“紅蓮”と名付けた。
姉妹は父母の愛情のなか、すくすくと育ち、美しい娘に成長した。
両親は娘たちのために良い伴侶を求めたが、思うような相手はなかなか見つからなかった。
その頃、平壌に李蓮浩<イ-ヨンホ>という富豪が住んでいたが、彼には潤弼<ユンピル>、潤碩<ユンソク>という双子の息子があった。眉目秀麗な才子と評判で、娘のいる家は皆、婿にと望んだが、蓮浩は全て断った。
そうした蓮浩の耳に裴座主の娘たちの噂が入った。双子で才色兼備の上、孝行心も厚いということを知った蓮浩は、すっかり裴家の娘たちが気に入ってしまい、すぐに婚姻を申し込んだ。裴座主夫妻は喜んで受け入れ、話はすぐにまとまった。
ちょうどこの時、国に慶事があり、それにちなんで科挙が実施された。潤弼兄弟も受験し、二人して状元(一位)で合格した。王は、これをたいそう喜び、その場で兄弟を翰林学士に任命した。二人は、しばらくの間、王宮で働いていたが、一度故郷に戻ることを願い出た。願いは受け入れられ、二人が故郷に戻ると、家では盛大な宴会が行なわれた。続いて薔花姉妹との婚礼も行なわれたが、それは立派なもので人々は感嘆した。
その後、薔花は二男一女を得たが、長男は宰相に、次男は大将軍となり、娘は名家に嫁いだ。紅蓮は二男を得たが、長男は朝廷の重職に就き、次男は処士となり山中に隠って、読書と詩文、琴、書画に没頭し風雅な生活を送ったが、その名は広く国中に知れ渡った。
こうした中、九十歳を迎えた裴座主は、朝廷より特別に左賛成の官職を賜わったが、間もなく多くの家族に見守られて世を去った。
夫を追うように尹夫人も亡くなったが、薔花と紅蓮の家族たちは手厚く葬った。
薔花と紅蓮それぞれの夫婦は、共に白髪になるまで仲睦まじく暮らし、その子孫たちも代々繁栄していった。
座首は出来ることなら、もう一度、薔花、紅蓮とこの世で父娘の縁を結び、今度こそ幸福な人生を送らせてやりたいと願ったが、家には亡き娘たちの供養どころか二人の息子の世話をする者すらいない有様だった。思案の末、座首は三たび妻を迎えることを決心し、尹光浩<ユングァンホ>の娘を娶った。
新妻は十八だったが、容貌と才質が非凡で性格も温和なため、座首は彼女のことがすっかり気に入り、二人は仲睦まじく暮らし始めた。
しかし、娘たちのことを忘れたわけではない座首は、彼女たちを思い出しては眠れぬことが幾晩もあった。そんなある夜、眠れぬまま伏していた座首の枕元に、きちんと正装した薔花姉妹が現われ
「お父さま、お久しぶりでございます。」
と平伏した。驚いて身を起こした父に向かって姉妹は言葉を続けた。
「御存知のように、私たちは幼いうちに母と死に別れ、その後も前世の罪ゆえか、邪悪な継母と巡り合い、濡れ衣を着せられたまま、お父さまと幽明を隔てなくてはなりませんでした。私たちは、こうした数奇な運命に耐え切れず、このことを玉皇上帝さまに申し上げました。すると上帝さまは“確かに汝らの身の上は哀れだが、これも運命というもの、恨むものではない。ただ、汝らの父親との俗世の縁はまだ尽きて無いゆえ、汝らは再び俗世に生まれ、それを全う致せ”と仰って下さいました……。」
これを聞いた座首は大喜びし、娘たちの肩を抱こうとした瞬間、一番鶏が鳴き、目が覚めた。
― 夢だったのか……。
座首は、ひどく落胆してしまった。
その日の昼下がり、新妻である尹夫人は夫に、昨夜不思議な夢を見たといって次のように告げた。
「……仙女が雲に乗って天から降りてきて、私に二輪の蓮の花を渡しながら“これは薔花、紅蓮という無実で死んでいった者です。玉帝陛下は、この二人を哀れに思われて夫人に授けるのです。大切に育ててあげれば、御家も繁栄することでしょう”と言ったのです。」
夫人は手にしていた蓮の花を夫に手渡した。
― あれは夢ではなかったのだ!
二輪の花を受け取った座首はこう確信すると、その表情は見る見る明るくなった。怪訝に思った夫人が
「いったい、薔花、紅蓮とは何者なのです?」
と訊ねると、座主は亡き娘たちについて一部始終話して聞かせた。そして
「わしも実は昨夜不思議な夢を見たのだが……。」
と薔花姉妹の夢についても話した。
「娘たちは、お前の腹から生まれ、そしてわしらは再び親娘の縁を結ぶのだろう。」
この言葉に夫人も笑顔を浮かべた。花瓶に活けられた二輪の蓮の花は芳しい匂いを放ち、座主夫妻は日々、それを愛でた。
間もなく夫人は身篭もり、月満ちて双子の可愛い女の子を産んだ。
夫婦は迷うことなく二人に“薔花”、“紅蓮”と名付けた。
姉妹は父母の愛情のなか、すくすくと育ち、美しい娘に成長した。
両親は娘たちのために良い伴侶を求めたが、思うような相手はなかなか見つからなかった。
その頃、平壌に李蓮浩<イ-ヨンホ>という富豪が住んでいたが、彼には潤弼<ユンピル>、潤碩<ユンソク>という双子の息子があった。眉目秀麗な才子と評判で、娘のいる家は皆、婿にと望んだが、蓮浩は全て断った。
そうした蓮浩の耳に裴座主の娘たちの噂が入った。双子で才色兼備の上、孝行心も厚いということを知った蓮浩は、すっかり裴家の娘たちが気に入ってしまい、すぐに婚姻を申し込んだ。裴座主夫妻は喜んで受け入れ、話はすぐにまとまった。
ちょうどこの時、国に慶事があり、それにちなんで科挙が実施された。潤弼兄弟も受験し、二人して状元(一位)で合格した。王は、これをたいそう喜び、その場で兄弟を翰林学士に任命した。二人は、しばらくの間、王宮で働いていたが、一度故郷に戻ることを願い出た。願いは受け入れられ、二人が故郷に戻ると、家では盛大な宴会が行なわれた。続いて薔花姉妹との婚礼も行なわれたが、それは立派なもので人々は感嘆した。
その後、薔花は二男一女を得たが、長男は宰相に、次男は大将軍となり、娘は名家に嫁いだ。紅蓮は二男を得たが、長男は朝廷の重職に就き、次男は処士となり山中に隠って、読書と詩文、琴、書画に没頭し風雅な生活を送ったが、その名は広く国中に知れ渡った。
こうした中、九十歳を迎えた裴座主は、朝廷より特別に左賛成の官職を賜わったが、間もなく多くの家族に見守られて世を去った。
夫を追うように尹夫人も亡くなったが、薔花と紅蓮の家族たちは手厚く葬った。
薔花と紅蓮それぞれの夫婦は、共に白髪になるまで仲睦まじく暮らし、その子孫たちも代々繁栄していった。
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