思母曲

鶏林書笈

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師任堂申氏編

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母は私が十六の時亡くなりましたが、息子の口から言うのもなんですが、とても出来た女性でした。
女ばかりの五人姉妹の次女に生まれた母は、幼い頃から賢く、妹たちの面倒もよく見る優しい性格の持ち主でした。絵を描くのが好きで、その腕前も大したものでした。他にも刺繍や書も上手で読書家でした。
外祖父は、このような母をたいそう可愛がり、父に“他の娘たちが嫁いで行っても寂しくないが、この子が家を出るのはとても寂しい”と言われたそうです。そんなこともあり、両親は結婚後しばらく母の実家で暮らすことになったのですが、残念なことに外祖父は間も無く世を去ってしまいました。
外祖父の喪が明けた後、両親は父の家がある漢陽に移りました。
嫁としての母も完璧でした。口が堅く、家事はきちんとこなすので父の親族は感嘆しました。
こんな母でも夜になると実家が恋しくなったようです。母の思いを知った祖母は時々、里帰りさせました。
他の親族同様、母も私が科挙に合格することを願いました。初めて合格した十三歳の時、母は大変喜びました。その後、八回合格するのですが合格を知らせることができたのはこの時だけでした。
そして母の臨終にも立ち会えませんでした。ちょうど、父親と共に地方に出掛けていたのです。
中国の周王朝を建てた武王の祖母すなわち文王の母“太任”を師匠とするという意味の師任堂と号した母。
母の人生を後世に伝えようと、この一文を著しました。


※師任堂申氏は、現在の韓国で賢母良妻の鑑とされています。
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