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三十四
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岐城君の第二子である女君は、元気いっぱいの子である。
生まれる時の産声はとても力強く、助産師が一瞬男児と間違えそうになったほどだ。
好奇心も旺盛で動けるようになると、あちこちを這い回り、それを若君が追いかけ、吉祥がそんな二人を追いかけた。
女君は、時々、何処かを見つめてにっこりと笑う。何かが見えるのだろうと小尚宮は思う。
たぶん、あの夜、床入りした時、自分に憑いた女性―この娘の母親の姿なのだろうと小尚宮は確信した。そういえば、彼女がこの子を産み終えた時も何処からか優しげな女性の声で労うのが聞こえてきた。
「子供をよろしく」
声の主が誰かは小尚宮は分からない。ただ、岐城君ゆかりの大切な女性であるのは確かだろう。
とにかく、自分のすべきことは、この子と若君を育て上げることだと小尚宮は思うのだった。
「吉祥は、すっかり子守り役になってしまったね」
子供たちを見ながら、岐城君が側に控える小尚宮に言うと
「はい、おかげで少し楽になりました」
と笑顔で応じた。
吉祥が父親に呼ばれて、その場を離れると子供たちは岐城君のもとにやってきて纏わりついた。彼は女君を抱き上げ、若君と手を繋ぎ、執務室へ向かった。小尚宮は、その後に従う。
岐城君が仕事を始めると小尚宮は二人の世話をやき、父親が仕事が一段落すると彼が子供たちの面倒を見るのだった。
「この屋敷は子供たち中心に回っているみたいですね」
大尚宮が冗談混じりに言うと、
「そうだね、いいことじゃないか」
と岐城君は笑いながら答えるのだった。
こうした中で、女君の一歳の誕生祝いである初度弧宴が行われた。若君の時と同様、王を始め、元使用人たちからもたくさんのお祝いの品が届いた。
主役である女君の前に置かれた膳には、書物や筆、生糸や鋏、弓や短剣などが並べられた。
屋敷中の人々が見守る中で女君がまず手に取ったのは小さな弓だった。周囲の人々は「おぉ!」と声を上げた。次に手にしたのは筆だった。
「君は頼もしい人物になるのだなぁ」
女君を抱き上げながら岐城君は楽しそうに言ったが、母親である小尚宮は
「女の子が弓を取るなんて…」
と不安そうに言った。
「案ずるな、女人でも逞しさは必要だよ」
と子供に頬ずりをした岐城君が応じた。彼の脳裏には、弓を弾く朴尚宮の姿が浮かぶのだった。
新緑のまぶしいある日、いつものように吉祥に遊んでもらっている子供たちの姿を見ながら、岐城君は側に控える二人の侍女に訊ねた。
「お前たち二人には、本当に世話になっている。何か褒美を与えたいのだが、望みはあるか」
「とんでもございません」
大尚宮も小尚宮も恐縮しながら応えた。
「取り敢えず申してみよ。もちろん、全てに応じられるのではないが」
主人は答えを促す。
「そうですね…」
大尚宮は少し考えて口を開く。
「私には家族がいないので、死した後、法要してくれる者がおりません。それが気掛かりといえば気掛かりです」
「そうか。ならば若君にそれをさせよう。そなたは若君にとって母同然の存在なのだから、若君も孝養を尽くすだろう」
「ありがとうございます。これで憂いごとは無くなりました」
「安心したからといって、この世を去るのではないぞ。お前には、この先も子供たちの世話を頼みたいのだから」
岐城君が冗談めかせて言うと
「はい、私は若君、女君が御結婚し、孫君の御世話もするつもりです」
と大尚宮は笑顔で答えた。
「小尚宮はどうだ?」
岐城君の問いかけに彼女は、遠慮がちに
「私は、自分の子供が欲しいのです…」
と真摯に応じた。
この言葉の真意を理解した岐城君は、彼女の顔を見つめた。そして彼の脳裏を一人の女性の姿がかすめた。
「母さん…」
生まれる時の産声はとても力強く、助産師が一瞬男児と間違えそうになったほどだ。
好奇心も旺盛で動けるようになると、あちこちを這い回り、それを若君が追いかけ、吉祥がそんな二人を追いかけた。
女君は、時々、何処かを見つめてにっこりと笑う。何かが見えるのだろうと小尚宮は思う。
たぶん、あの夜、床入りした時、自分に憑いた女性―この娘の母親の姿なのだろうと小尚宮は確信した。そういえば、彼女がこの子を産み終えた時も何処からか優しげな女性の声で労うのが聞こえてきた。
「子供をよろしく」
声の主が誰かは小尚宮は分からない。ただ、岐城君ゆかりの大切な女性であるのは確かだろう。
とにかく、自分のすべきことは、この子と若君を育て上げることだと小尚宮は思うのだった。
「吉祥は、すっかり子守り役になってしまったね」
子供たちを見ながら、岐城君が側に控える小尚宮に言うと
「はい、おかげで少し楽になりました」
と笑顔で応じた。
吉祥が父親に呼ばれて、その場を離れると子供たちは岐城君のもとにやってきて纏わりついた。彼は女君を抱き上げ、若君と手を繋ぎ、執務室へ向かった。小尚宮は、その後に従う。
岐城君が仕事を始めると小尚宮は二人の世話をやき、父親が仕事が一段落すると彼が子供たちの面倒を見るのだった。
「この屋敷は子供たち中心に回っているみたいですね」
大尚宮が冗談混じりに言うと、
「そうだね、いいことじゃないか」
と岐城君は笑いながら答えるのだった。
こうした中で、女君の一歳の誕生祝いである初度弧宴が行われた。若君の時と同様、王を始め、元使用人たちからもたくさんのお祝いの品が届いた。
主役である女君の前に置かれた膳には、書物や筆、生糸や鋏、弓や短剣などが並べられた。
屋敷中の人々が見守る中で女君がまず手に取ったのは小さな弓だった。周囲の人々は「おぉ!」と声を上げた。次に手にしたのは筆だった。
「君は頼もしい人物になるのだなぁ」
女君を抱き上げながら岐城君は楽しそうに言ったが、母親である小尚宮は
「女の子が弓を取るなんて…」
と不安そうに言った。
「案ずるな、女人でも逞しさは必要だよ」
と子供に頬ずりをした岐城君が応じた。彼の脳裏には、弓を弾く朴尚宮の姿が浮かぶのだった。
新緑のまぶしいある日、いつものように吉祥に遊んでもらっている子供たちの姿を見ながら、岐城君は側に控える二人の侍女に訊ねた。
「お前たち二人には、本当に世話になっている。何か褒美を与えたいのだが、望みはあるか」
「とんでもございません」
大尚宮も小尚宮も恐縮しながら応えた。
「取り敢えず申してみよ。もちろん、全てに応じられるのではないが」
主人は答えを促す。
「そうですね…」
大尚宮は少し考えて口を開く。
「私には家族がいないので、死した後、法要してくれる者がおりません。それが気掛かりといえば気掛かりです」
「そうか。ならば若君にそれをさせよう。そなたは若君にとって母同然の存在なのだから、若君も孝養を尽くすだろう」
「ありがとうございます。これで憂いごとは無くなりました」
「安心したからといって、この世を去るのではないぞ。お前には、この先も子供たちの世話を頼みたいのだから」
岐城君が冗談めかせて言うと
「はい、私は若君、女君が御結婚し、孫君の御世話もするつもりです」
と大尚宮は笑顔で答えた。
「小尚宮はどうだ?」
岐城君の問いかけに彼女は、遠慮がちに
「私は、自分の子供が欲しいのです…」
と真摯に応じた。
この言葉の真意を理解した岐城君は、彼女の顔を見つめた。そして彼の脳裏を一人の女性の姿がかすめた。
「母さん…」
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