永遠なる花苑~異聞枕草子

鶏林書笈

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郭公(ほととぎす)をもとめて〈修正版〉

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「さっそくだけど、清少納言の宮仕えの話、聞かせておくれ」
 中宮は小馬命婦に命じた。
「かしこまりました」
 小馬がここに来たのは、このためである。中宮は生前の后宮の後宮の様子を知りたがっていた。彼女は母から后宮に仕えていた時の様々な話を聞いておいた。

 あれは今日のような五月の雨の日のことでした。御精進の時でしたので后宮さまは職の御曹司にいらっしゃり、母たちもそちらに行きました。
 雨の日というのは所在ないものです。そんな中、ふと母が
「雨が上ったら郭公(ほととぎす)の声でも聞きに行きたいわね」
と呟きました。すると
「いいわねぇ、賀茂の奥に何とか崎とかいう、七夕の織姫が渡る〝かささぎ〟とは反対の憎たらしい名前の…」
「松ヶ崎~待つが先のことでしょ、あのあたりは郭公が多いそうよ」
「それは松~待つではなくて蜩~日暮しでしょう」
と同僚の女房たちが大盛り上がりしました。
 翌日、雨が上ったので后宮さまのお許しを得て母は職の役人に車の手配をさせました。五月雨時は車を御曹司内に入れてもいいということなので端際まで車を寄せて母を始めとして四人ほどが車に乗りました。他の人々も行きたがり「もう一台車を手配しましょう」
と言うと后宮さまが
「駄目よ」
とおっしゃったので母たち四人が羨望の眼差しの中で車を走らせました。
 少し行くと馬場というところで人だかりがありました。
「何ごとなの」
 母が従者に訊くと
「射弓を競っているのです。御覧なさいませ」
と答えるので車を停めて見物することにしました。
「左近の中将、皆さま御着座ください」
という声が聞こえてきましたが、そのような人々は見えず、下位の者たちの姿ばかりでした。
「つまらないわ、出して」
 車は目的地へと向かいました。道中、母は賀茂祭のことを思い出しました。后宮さまのおじである高階明順朝臣の御邸のことです。確かこのあたりだと思っていた時、かの御宅が目に入りましたのでさっそくそちらに車を向けました。
 朝臣の御邸は田舎風のつくりで昔風の設えをして趣深いものだったと母は申しておりました。屋敷内では郭公の声が賑やかで、后宮さまや留守番している同僚たちに聞かせられないのがとても残念でした。
 突然の訪問者を朝臣は嬉しげに迎えてくれました。そして、母たちに稲を見せたのち、下働きの娘たちに稲こきさせたり、石臼を挽かせたり、歌わさせたりしました。
「皆さんは田舎の様子など御覧になったことはないでしょう」
と笑顔でおっしゃりながら。
 この有様がとても珍しく面白かったので本来でしたら郭公の歌でも一首詠まなければならないところなのですが、すっかり忘れてしまったそうです。
 その後、朝臣は懸盤(脚付き膳)に様々な料理を並べて
「田舎料理ですがここに来た方はおかわりするほど召し上がります、この下蕨は私が摘んできたものです。どうぞ」
と母たちに食事を勧めました。しかし、誰も見向きもしません。
「こんな下級女官のように並んで食事するなんて出来ませんわ」
 母がこう申しますと
「そうでしたね、では盤から下ろしていつものように召し上がりください」
と朝臣は応えました。
 皆が料理を下ろして食べ始めると
「雲行きが怪しくなりました。一雨きそうです」
と従者が知らせてきました。それは大変と皆、大慌てで帰り支度をしました。
その時、母は
「郭公の歌をまだ詠んでいないわ、ここで詠んでしまいましょう」
と言ったのですが
「帰りの道中でも詠めます」
と同僚が言うので、そのまま車に乗り込みました。
 車が走り出してしばらくすると卯の花が見事に咲いているのが見えました。母はそれをたくさん手折り車の簾や脇などに挿しましたが、余ってしまったので屋根やその他の場所にも挿しました。すると車が卯の花の垣根のようになりました。とてもおもしろいものになったので知り合いの誰かに見て欲しいなと思ったのですが下々の人々にしか出会いませんでした。
 これではおもしろくないと思った母たちは故太政大臣の御邸である一条殿に行くことにしました。
御邸に着くと侍従殿に、〝自分たちは今、郭公の声を聞きに行った帰りだ〟と伝えさせました。使いの者が戻って来ると、只今、衣服を整えているので待ってほしいというので車を出してしまいました。すぐに帯を結びながら走っている侍従殿と裸足のその従者たちが追っかけてきました。
 京の端の土御門あたりに来てしまったので車を停めたところ、侍従殿たちが追いつき、車の有様を見て
「全く正気の沙汰とは思えませんよ」
と主従共々大笑いされました。
「歌も詠まれたのでしょう、ぜひお聞かせ下さい」
侍従殿は請いましたが、出来てないので聞かせることは出来ません。
「まず、后宮さまに御覧頂いてからよ」
母がこのように応じているうちに雨が降ってきました。
「ここは何故、他所の門のように屋根がないのでしょう、本当に腹立たしいですね。これでは帰れませんよ。来る時は無我夢中で走ってきたけれど、この雨の中を帰らねばならないと思うと憂鬱ですよ」
 侍従殿が嘆いていらっしゃいますと
「ならば内裏にいらっしゃれば」
と母が応じました。
「このような格好でどうして行かれましょう」
 そうこうしているうちにも雨は本降りになってきました。
 笠を用意していなかった従者たちは牛車を門内に入れようとするので侍従殿は卯の花をいくつか引き抜きました。
 間もなく侍従殿の従者が傘を持って来ましたので、侍従殿はそれを差して後を振り向きながら歩いて帰っていったそうです。卯の花を手に遠ざかるその姿が何とも微笑ましかったと母は申しておりました。
 后宮さまがいらっしゃる職御曹司に戻った母たちは、さっそく后宮さまのもとへ参上し、一部始終を申し上げました。
 留守番になった同僚たちは悔しがったり残念がったりしていたそうですが、侍従殿の話になると皆大笑いしました。
「で、郭公の歌のほうは?」
と后宮さまがお尋ねになりましたので、母は雨を避けようと大慌てだったのでそれどころではなかったと答えました。
「それは残念なこと。殿上人たちが侍従を通じてこのことを知るだろうに、その際、歌の一つもなくては格好がつかないでしょう? 郭公の声を聞いた時すぐに作ればよかったのに。上手く作ろうとあれこれ考え過ぎたようね。今からでも遅くないからここで詠みなさい。本当に駄目ねぇ」
と后宮さまは母たちを叱責なさいました。もっともなことだと反省した母たちは歌作の相談を始めました。その時、侍従殿より、先ほどの卯の花の枝に結ばれた文が届きました。さっそく開いてみると、卯の花重ねの薄様の紙に
「ほととぎす啼く音たづねに君ゆくと、聞かば心を添へもしてまし(郭公の声を聞きに行くと知っていたら心だけでもお供したかった)」
と書かれていました。
 まずはこちらに返事をしなくてはと思った母は、侍女に自分の局に筆記具を取りにやらせようとしたところ、
「これを使って早く返歌を詠みなさい」
と后宮さまが硯箱の蓋に筆や紙を入れて寄越されました。
「では宰相の君、お願い」
と母が言うと
「それはあなたがやるべきことでしょう」
と互いに譲り合うというか押し付けあっていると雨脚が強くなり遂に雷まで鳴って来ました。雷鳴だけでも恐ろしいというのに稲光まで走り、みんな大急ぎで御格子を下ろしたりして返歌のことなど何処かへ行ってしまいました。

 二日後、母たちが例の〝郭公詣で〟の話していると、同僚の宰相の君さんが
「明順朝臣、手ずから採った下蕨の味は如何でしたか」
と言うのを后宮さまが耳になさって「思い出すのは…」とお笑いになりながら御手元にあった紙に
下蕨こそ恋しかりけれ(あの下蕨の味が恋しいのよね)
とお書きになり、
「上の句を付けなさい」
と楽しそうにおっしゃいました。
 そこで母は
「郭公たづねて聞きし声よりも(郭公を探し求めて聞いたその声よりも)
と書いて差し上げました。
「まあ、ずいぶんはっきりと言うのね。それにしても郭公にずいぶんこだわっているのね、こうして詠むくらいに」
と后宮はお笑いになられました。恥かしく思った母は言い訳じみたことを言いました。
「歌が苦手な私は一切詠まないと決めていました。文字数を知らず夏に冬のことを、秋に桜を詠むなどということがどうして出来ましょう。上手く歌が詠めて、人々からさすがに著名な歌人の子孫だけあると言われるのでしたら、まっさきに披露しますがつまらぬ歌を詠んでしまっては御先祖に顔向けが出来ません」
 あまりに真剣な表情だったためでしょうか、后宮さまは笑いなされながら
「わかった、今後はお前の気持ちに任せよう。私からは詠めとは言いませんよ」
とおっしゃって下さいました。
「ありがとうございます。とても気が楽になりました。これからは歌のことを気にせずに済みます」
 正直、母はほっとしたそうです。
 さて、この日はちょうど庚申待ちでしたので、儀同三司さま(藤原伊周・后宮の実兄)がこちらにいらしていて女房たちに歌を詠ませていました。皆さんが苦吟していましたが、母は后宮さまの側にいて別のことをしていました。儀同三司さまは母を見つけられると
「あなたもこちらに来て歌を詠みなさい」
とおっしゃいました。しかし母は
「私は后宮さまの許可を頂いて歌を詠まなくていいことになっております」
と平然と答えました。
「それはまた異なことを。何故そのようなことをお許しになるのです。他の時ならいざ知らず今宵は詠みなさい」
とおっしゃっている時、丸められた紙切れが飛んできました。后宮さまからです。紙には
〝元輔が後といはるる君しもや今宵の歌にはづれてはるを(歌人清原元輔の子孫といわれるあなたが今宵の歌会に参加しないとは)〟
と書かれたありました。母は思わず笑ってしまうと、三司さまが
「何事ですか」
とお訊ねになりました。そこで母は次のように申し上げました。
「その人の後といはれぬ身なりせば今宵の歌をまづぞ詠まほし(著名歌人の末裔でなかったら今宵も真先に詠んだことでしょうに)」

 小馬命婦は「以上でございます」と言いながら平伏した。
「とても楽しく有意義な話だった。これからもそなたの母のことを話しておくれ」
 中宮は満足そうに微笑まれ、小馬に下がってよろしいとおっしゃった。

 局に戻ると
「いかがでしたか」
と声を掛けられる。彼女の侍女だった。今回、一緒に上京したのである。
「上手くいったみたい。で、お前よくここが分かったね」
「ええ、あちこち聞き込みをしまして」
 侍女は笑いながら応える。
「今夜はこれで休むわ。明日から本格的にお勤めだから」
 小馬は侍女が用意した寝床に身を横たえた。
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