魔王の正体は愛しの兄だったらしいです

Sumi

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◇1 兄の記憶

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「……ごめんな」

 枕元に誰かが立っている。そんな気配がした。テセウスは目を開けようとした。
 セプタン王国第二王子のこの僕を殺しに来た刺客か。まだ十二歳だけど、僕は大人にも負けない剣の使い手。返り討ちにしてやる。

 そう思って体を起こそうとしても、どうにも体が動かない。

「……じゃあな、テセウス」

 おでこに柔らかいぬくもりが落ちてきた。テセウスはそこでうっすらと目を開けることができた。
 黒いマントを纏った後姿が窓から去っていこうとするのが見えた。
「ま、て……」
 ようやく出せた声はひどくしわがれていた。体はやっぱり動かない。テセウスはただ、その青年の後姿が見えなくなるのを目で追っていた。それしかできなかった。

「兄さん……?」



「聞いていますか、王子」
「あ、はい」

 テセウスはびくりと肩を震わせた。教育係のマルセルが「じゃあ今朝の新聞を読んだ感想をどうぞ」と言う。

「国内の状況だと……魔王城の勢力がどんどん強まってきているようです。あとは、今年はあまり豊作ではないため、税の負荷を引き下げるべきではないでしょうか。先月建てた病院はうまく回っているようですね」

 マルセルは銀縁メガネの下の瞳を細めてにっこりした。どうやら及第点は取れたらしい。

「よくできました。午後からは民の視察に行きましょう。あなたは未来の国王なんですから」

 テセウスは重々しく頷いた。テセウスはこの国、セプタン王国の未来の国王だ。昔は第二王子と呼ばれていたテセウスだが、もうそんな風に呼ばれることはない。「王子」と、まるでこの国には一人しか王子がいなかったかのように誰もがテセウスに接する。
 しかし、テセウスは覚えている。かつて兄がいたこと。テセウスが大好きだった兄は、十五歳の時にこの城を出て、行方不明になった。この国には珍しい、影のような色の瞳と髪をした兄は、どうしてか魔王の特徴と完全に一致している。

 それでも、テセウスの記憶の中の兄はちっとも魔王なんかじゃなかった。よく笑って、よく褒めてくれる、明るくて伸びやかな青年だった。

 ちりり、と胸に焦げ付くような痛みが走った。
 
 



 ──兄さん、あなたは今どこにいて、何をしているんですか。



 兄が去ったのは月のない夜だった。真っ黒のマントが闇夜にまぎれ、遠くなっていくのをテセウスはただ見つめることしかできなかった。
 どうして体が動かなかったのか分からない。なぜ兄が去ったのかも分からない。

 それでも、胸に浮かぶのは──あのとき、走って追いかければよかった。声の限り叫べばよかった。行かないで、と言えばよかった。そうすれば兄は、テセウスの隣にいたのだろうか。テセウスの知る兄は、テセウスの我儘に「仕方がないな」と笑ってくれる男だった。だけど──魔王は違う。

 テセウスは兄のことがちっともわからないのだった。
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